Episode-2:ジャクリーン・マルククセラの邂逅
「人生というのは、死ぬまで選択の繰り返しなんだ」
いつかに高校の教師が言っていた台詞。
選択の繰り返し。確かにそうかもしれない。
どちらを選ぶのが正しいのか、事前に結末を知ることはできない。明確な答えもない。
その道に進むと決めてから、少しずつ先の末路が見えてくるものだから。
例え、道の途中でこれは間違いだったと気付いても、もう引き返すことはできない。
もし判断を誤ったのなら、そこからまたなにかを選択して、失敗を取り戻すために新しく行動を起こす他ない。
あの時の私の選択は、本当に正しいものだったのか。
それは誰にもわからないことだし、私も知らない。
もし、あのまま家に残る道を選んでいたら、今頃はどうなっていたんだろうかと。
ふとした時にぼんやり考えることもあったけれど、想像するのが少し怖くて、いつも深くは考えなかった。
「お前、見ない顔だな。新入りか?
まあ、他人の生き方にとやかく言うつもりはねえけどよ。
この辺りはオレらみたいなのの縄張りだから、精々目付けられないように用心しな」
17歳で家を飛び出して、私は人間でいることをやめた。
野生の獣のようにそこらを駆け回り、お腹が空いたら適当に食べて、眠くなったらその辺で寝て、飽きたらまた違う街へ移動する。
一匹狼の根無し草。
誰にも拘束されない。誰の指図も受けない。
ただ、自分の思うままに動く手足が、どこまでも広がる空が新鮮で、それだけで最初は気分が良かった。
「見て、あの子。一昨日もあそこで残飯を漁ってたけど、親御さんはなにをしてるのかしら?」
「さあ。親がいないからあんなことをしてるんだろ。
可哀想だが、俺達にはどうしてやることもできんよ」
慣れてくると、身一つでできることは手当たり次第なんでもやるようになった。
窃盗、恐喝、器物破損にゴミ漁り。
これは生きるために仕方なくやっていることなんだと、自分に言い訳をして低次元の悪さを繰り返した。
ようやく手に入れた自由という名の放浪を、悪い意味で満喫するように。
時には普通に働くこともあったけど、住所不定の未成年の女なんて雇いたがる物好きは少ないし、誰かに相談しようにも身寄りがなかった。
だから、結局はどれも続かなかった。
なにより、あの頃の私は世間知らずで、他人を嫌う子供だったから。
面倒な手順を踏んで細々と暮らすよりも、手っ取り早く欲を満たせる手段を取った方が賢いと、本気で思っていたんだ。
「あんのクソガキ、小娘のくせになんちゅう手癖の悪さだ。
今度うちで盗みを働きやがったらただじゃおかねえ」
一応犯罪行為をしでかしている認識はあったが、道理に外れている実感はあまり湧かなかった。
何故なら、世の理というものをまだよく知らなかったから。
暴力と、恐怖と、理不尽と。
両親が私に教えてくれたのはそれだけで、人が真っ当に生きるためにはどうすればいいのかなんて、なにも分からなかったんだ。
「やっと捕まえたぞクソガキ。これでもう三度目だってのにまだ懲りてねえみてえだな。覚悟しろ」
勿論、最初から上手くいくはずもなく、始めの内はしょっちゅう失敗した。
年相応に学生をやっていた頃は素行が良かった方だから、悪事のやり方というものがいまいちわからなくて、ちょっとしたことでもすぐミスをした。
盗みを働いた店の店主なんかにはよく折檻されて、自力では立てないくらいボコボコにされたこともあった。
でも、だからといって別にどうということはなかった。
今回は運悪く捕まってしまったけれど、次はそうならないようにもっと気を付ければいい。
幸い警察沙汰にはなっていないんだし、今度は成功させればいいだけの話だと。
どれほど罵られようと、殴られようと蹴られようと。
所詮相手は他人で、痛いのは罰を受けている今この瞬間だけ。
こちらにはなんの過失もないのに、血の繋がった家族に理不尽にいたぶられていたあの頃と比べたら、どんな罰も全然辛くなかった。
「あんただろ?最近ここらで幅利かせてるっていうオレンジ頭。
女の単独行動は危ねえし、あんたさえ良ければだが、今からでもうちのチームに入らねえか?」
失敗を繰り返す毎に学習し、私の犯罪スキルはみるみる内に養われていった。
それ故か、巷で私の話が知らず知らず広まっていたようで、20歳を迎える頃には、一部の界隈で少し知られた存在になってしまった。
どの組織にも属さず、なのに一度も足がついたことがないオレンジ頭の女がいると。
その噂をもとに声をかけにきたやつも何人かいて、私をオレンジ頭と呼ぶ人間が増えるほどに、すっかり浮浪者が板に付いてきたことを実感した。
衝動的に家を飛び出してから、およそ三年。
あれからあの家はどうなったのか、残された両親はどうしているのか。
今の私には知る由もないことだけれど、この三年間野放しにされているということは、捜索願いは出されていないんだろう。
突然姿を消したところで、所詮名目だけの娘を案じてくれるはずはない。
あの二人にとって、私の存在なんてその程度だったってことだ。
別に悲しくはない。
あの地獄のような日々に比べたら、なにもかもがマシに思えた。
将来性のないその日暮らしでも、道行く人に冷たい目で見られるのが当たり前になっても、それが自分のどん底ではないことを知っていたから。
今よりもっと辛い経験をしてきたことを思い出せば、耐えられないことなんてなかった。
「その服、よく似合ってるね。君の赤い髪にも映えてる」
「ふふ、ありがとう。今日のために流行りの店で買ってきたものなのよ?」
「ねえ、次はいつ会えるの?一日でも離れるのが辛くてたまらないわ」
「俺だって同じ気持ちだよ。今にもお前をどこかへ拐っていきたいくらい」
「僕の未来には、貴女が必要だ。どうかこれからも、隣にいてほしい」
「ええ。勿論よ。この先もずっと、あなたのことを支えるわ」
そりゃあ、私だって一応は女だし、年頃だし。
流行りのオシャレをしてみたいと思ったことも、友達と遊びに出かけたいと思ったこともある。
でもそれは、私の汚れた手には決して届かないものだから。
どこか輝いて見える華やかな彼女達と、全身が薄汚れた貧相な私とじゃ、住む世界が違うから。
望んだところで不毛なだけだと、考えなくても分かっていたんだ。
だからきっと、私の一生なんて。
このまま誰の目に留まることもなく、誰の心にも触れられず、いつの日かひっそりと孤独に朽ち果てるのが、私の人生だろうと。
そう、思っていた。
「俺達と一緒に来る気はないか?」
突然の邂逅は、燃えるような赤を連れて来た。
白馬に乗った王子様は、お前なんか選ばない。
昔、万引きを失敗した店の店長に言われた台詞だ。
お前みたいな糞餓鬼を進んで助けてやろうなんて物好きは、この世に一人もいるはずがないと。
だから潔く足を洗うか、さもなくば死ねばいいと。
私自身、そう思っていたんだ。
どんなに善良な人間でも、私みたいな輩とは関わりたくないに決まっている。
だって、私を助けても、相手にはなんの得もないから。
なのに、今目の前にいるこの人は、本気で私を連れて行こうとしている。
その場凌ぎや気まぐれで適当に言ってるんじゃない。
今までのような上っ面だけの奴らとも違う。
全然知らなくて、知ろうとしているわけでもないのに、なのに私の未来を拾っていこうとしている。
とても、迷った。
こんな、まだ出会ったばかりの相手を信用してもいいのか。
一見優しい顔をしているけれど、実はなにか裏があるんじゃないのか。
良からぬことを企んでいるんじゃないか。
猜疑心と期待が同時に揺れ動き、肋骨の裏側からめきめきと軋む音がした。
今にも皮膚を破って外へ飛び出していきそうなほどに。
「あんた、おかしいよ」
どうしよう。
私が、私なんかが。
こんなに美しい人の手を、取ってもいいのだろうか。
「選ばせてやるから、好きな方を言え」
人生というのは、死ぬまで選択の繰り返しだ。
どちらを選ぶのが正しいのか、事前に結末を知ることはできない。
明確な答えもない。
でも。それでも。
例えこの選択が間違いであったとしても、私はきっと、後悔しないだろう。
「ここから出して。連れて行って、私を。
引っ張り上げてくれるなら、私はあなたの手を離さない」
朱に交われば赤くなる。
私に生きる意味をくれるなら、引き換えにこの命を捧げるわ。
『The choice is rests with you.』




