Episode-4:ジュリアン・ホワイトフィールドの懺悔
あの日おれは、ギャングのアジトを突き止め、乗り込み、そしてその場に居合わせた構成員を、一人を除いてみんな殺した。
六人もの人間を手にかけたおれは、当然後に犯罪者となったが、何故か実刑はたったの一年刑務所で過ごすだけで済んだ。
というのも、おれが見落としていただけで、アジトには当時監禁状態にあった者がいたらしい。
捕まっていたのは8歳の男の子で、つい最近隣街で姿を消して以来捜索願いも出されていたという。
つまり、聞き間違いかと思われたあの"助けて"という悲鳴は、彼が発したものだったのだ。
だから、あともう一歩でも突入が遅ければ、彼もマノン同様にどこかへ売られていたかもしれないと話を聞いた。
加えて、構成員が全員武装をしていたことから、おれの正当防衛が認められ、ギャングのこれまでの所業も考慮して、更に減刑された。
所謂、情状酌量というやつらしかった。
だが、おれはそのことを素直に喜べなかった。
別におれはどうなっても構わなかった。
ただ、マノンさえ無事でいてくれたなら、おれはどんな罰でも受け入れるつもりだった。
なのに、どうしてだ。
おれは救われたのに、どうしてマノンは救われないんだ。
「あの痛ましい事件が発生してから、今日で一ヶ月。
街ではようやく以前までの平穏が戻ってきましたが、拐われた少女の行方は未だ見付かっておりません。
地元警察の発表によりますと、中国に点在するという大元の組織が少女の身柄を引き取った可能性が高いとされ───」
おれが塀の中で過ごしている間も、しばらくはマノンの捜索が続けられたというが、それもおれが出所するまでのこと。
事件から二月が過ぎた頃には、最早見込みは薄いとかで、みるみる扱ってくれる人が少なくなっていったという。
それでも、どうしても諦めきれなかったおれは、刑期を終えるやいなや真っ先に警察の人達へお願いに行った。
もう一度、マノンを探してくれと。
見付かるまでどうかやめないでくれと。
だが、おれがいくら訴えても、みんな申し訳なさそうな顔で首を振るだけだった。
"残念だが、もう手遅れだ"と。
「おかえりなさい、ジュリアンさん。
みんなあなたの帰りを待っていたのよ」
「本当に大変な事件だったな。
でも、奴らがいなくなったおかげで、妻達は安心して買い物に行けるよ」
街に戻ったおれを、街人達はみんな優しく迎えてくれた。かつてないほどに。
誘拐された男の子の両親からはすごく感謝されたし、道を歩けば気軽に声をかけられて、なにもしていないのに食べ物をくれたりする人も現れるようになった。
一年前まで、体が大きいだけの木偶の坊だと嫌われていたのに。
あの事件をきっかけに、おれは悪い奴を退治したヒーロー、子供を救ったいい人に立場が一転したのだ。
「これからも、この街の平和を守ってね」
みんな、急におれに優しくなった。
戻った世界を間違えたのかと思うほど、みんな別人のようにおれを見上げるようになった。
でも、違うんだ。
おれはこんなことを望んでいたんじゃない。
ヒーローになりたかったから、あんなことをしたんじゃないんだ。
気付けば、街の空気は一気におれを英雄視する流れとなり、もう一人消えた少女がいるという事実は、瞬く間に風化していった。
誰も、マノンの名前を口にしなくなった。
マノンという女の子がいたことを、みんな忘れてしまったんだ。
「ジュリアン、だいじょうぶ?おかおがまっさおだよ」
「ジュリアンさんは悪くないよ。悪いのは、マノンを連れていった奴らだもん」
「なんで、マノンだったのかな」
「マノンにあいたい」
「ジュリアンは、どこにもいかないでね」
「もうちょっと待てば、マノン、きっと帰ってくるよね」
子供達とネスは、おれを責めなかった。
おれのせいでマノンは拐われたのに。
おれは約束をしたくせに、彼女を助けられなかったのに。
みんなそのことを知っているのに、誰もおれを咎めなかった。
前と変わらず彼らは優しくて、共にマノンの喪失を悲しんでくれて。
その優しさが、無垢な涙が、おれには酷く痛かった。
いっそ、罵ってくれればいいのに。
お前のせいだと言ってくれたらいいのに。
辛くて、いたたまれなくて、毎日毎晩悔しくて。
外の世界は、前よりずっと過ごしやすい環境になったはずなのに。
望むべくもない変化に心が追い付かなくて、目の前の現実を現実と受け止められなくて。
これなら前の方がマシだったと思うほど、一年後の未来はなにもかもが灰色に変わっていた。
「たまには、施設に遊びにきてね」
「手紙もかいてね。やくそくよ」
「ぜったい、ぼくらのこと忘れないでね」
やがておれは、あの街にいるのが嫌になって、なにもかもを捨てて外れの森にこもるようになった。
ここなら静かだし、滅多に人は通らないし、なにより一人でいられるからだ。
おれは、彼らと向き合うことよりも、辛い現実から逃げることを選択した。
マノンを失った嘆きから、救えなかった罪から逃げたんだ。
「ホワイトフィールドさん。ジュリアン・ホワイトフィールドさん!いるんでしょう?
あの事件についてお聞きしたいことがあるんですが、中に入れてもらえませんか!」
『まだ、夜中にふと泣き出してしまう子が何人かいるけれど…。
最近はみんな、夕食を残さず食べられるようになってきました。
それと、庭に植えたパンジーがようやく花を開いてくれたんです。
良ければ、ジュリアンさんも観にいらっしゃいませんか?子供達も待っています』
小屋に越してからもたまに人は訪れたけれど、少しずつ数は減っていった。
ネスは定期的に手紙を寄越してくれたが、目は通しても返事をしたことはなかった。
そうだ、これでいいんだ。
おれみたいな役立たずの化け物は、化け物らしく人里を離れて、孤独に生きるのがお似合いだから。
「チッ、また居留守かよ」
「こっちも仕事で仕方なく来てるってのに、いい加減ダークヒーロー気取りはやめろってんだ」
「今更へそ曲げたって、もう女の子は帰ってこないのにな」
ふと、鏡に映る自分の姿を見る度に、ぞっとした。
だって、そこにいるのは間違いなくおれなのに、おれじゃないみたいで恐ろしかったから。
警察の人に返してもらったマノンの絵には、昔のおれがいる。
幸せそうに笑っているおれがいる。
なのに、今のおれは。
目付きはすっかり鋭くなって、眉間には深い皺が寄って、口はへの字に固定されたまま動かない。
顔のつくりは前と変わっていないはずなのに、まるで同一人物とは思えないほど悪い人相をしている。
おれは昔どういう顔で、どんな人間だったのか。
思い出そうとしても、もう思い出せない。
それが無性に悲しくて、比較するのに嫌気が差して、衝動的に絵を破ろうとしたこともあった。
でも、できなかった。
これは、マノンが描いてくれた絵だから。
おれの手元に唯一ある、彼女という存在がこの世にあった証だから。
それをこの手で壊すなんて、できるはずがなかった。
"ジュリアン、見てごらん。
これはね、昔父さんの友達がくれたもので、悪い黴菌や汚れた空気から身を守ってくれる道具なんだ。
近頃は、めっきり使う機会がなくなったけど…。もし、外に悪い風が吹くようなことがあったら、被ってみるといい。
今はまだ大きいが、大人になれば、お前にもぴったりのサイズになるはずだよ"
だからおれは、今の自分を壊すことにした。
マノンが残してくれた昔のおれは消せないから、代わりに今のおれに消えてもらうことにしたんだ。
お父さんが昔知人にもらったという遺品のマスクを被ってみて、もう一度鏡を見た。
そうしたら、あまり苦しくなくなった。
これなら、誰もおれの醜い顔を見ない。
以前のおれと今のおれが違うことを、誰にも知られずに済む。
おかしなもので、誰の反応も気にする必要がなくなった今の方が、おれは誰かに指を差されている気がしてならなかった。
"それはねこちゃんの絵?…え、これ熊さんなの?でも、お髭が付いてるよ?
……ふーん。ジュリアンさんの目にはそう見えるんだね。
あ、じゃあ今度は、お互いの顔を描き合いっこしようよ!鏡で見る自分の顔と、人から見える自分の顔と、全然見た目が違うかもしれないでしょ?
だから、実験!"
それからは毎日、マノンの絵を描いた。
大きなキャンバスに、記憶の中にいるマノンの姿を写し出した。
明くる日も、明くる日も。
機械のように、無我夢中に描き続けた。
そして思い知る。
彼女には、もう二度と会えないということを。
"じゃーん!どう?わたしにしてはよく描けたって思うんだけど!
………そんなことないよ。ジュリアンさんはとってもハンサムよ。
特に、笑った時にここ。目じりのとこに皺が出来るのが、すごく優しくて素敵なの。
だから、そんなに下を向かないでよ。せっかくのハンサムさんが勿体ないわ"
自分の記憶だけを頼りに描き始めた絵は、最初の頃は確かにマノンの姿をしていた。
けれど、回数を重ねる毎に、少しずつ本来の彼女から遠ざかっていって。
気付けばおれは、マノンじゃないただの金髪の女の子を描いていたんだ。
"わあーっ!これ、ほんとにわたし!?とっても美人に描いてくれたのね、うれしい!
ね、描く時にどんなことに注意して描いたの?
うん、うん。……へー、───、──────────。
じゃあここは?……そっか。ジュリアンさんはわたしの─と─をよく見てるんだね。
うふふ、わたしから言い出したことなのに、なんか照れくさいや。
また、二人でお絵かきしようね"
少しずつ、少しずつ。
マノンの顔立ちや、髪の細さや、声や立ち居振る舞いを、はっきり思い出せなくなって。
おれの中にいるマノンが、どんどん朧げになっていって。
いつか、完全に彼女を忘れてしまう日がくるような気がして、おれは。
「あなたはもう、その誰かになる力をなくしてしまったの?」
そんな時に、突然やってきた来訪者は、思えばおれの運命を変える使者だったのかもしれない。
ならばおれは、もう一度君を救う救済者に、なれるだろうか。
『We are still hoping.』




