Episode-3:ジュリアン・ホワイトフィールドの懺悔
蹴破った扉の先には、洋館には似つかわしくないオフィスのような内装の部屋があった。
そこに先程の黒髪と、もう一人金髪のオールバックの男がいた。
黒髪はおれが突入すると同時に、こちらに向けて銃を発砲してきた。
どうやら、タイミングを見計らって待ち構えていたようだった。
おれは本能的に弾道を避け、黒髪の顔を拳で殴った。
衝撃でふっ飛んだ黒髪は、デスクの角に後頭部をぶつけて、それきりぱったりと動かなくなった。
もう一人の金髪も慌てて懐から銃を出したが、すぐにおれが取り上げた。
仲間が倒れ、自分も無防備になってしまった金髪は、怯えた様子で床にへたり込んだ。
「おい、おまえ」
「ヒッ」
「おれは、ここがなんなのか知らない。おまえがどういう奴なのかも知らない。
でもここにはおまえしかいないから、おまえに聞く。答えろ」
おれは、金髪の赤シャツを掴み上げて、出来るだけ興奮を押さえて問い詰めた。
ここは一体どこで、さっきの叫び声はなんだったのかと。
しかし金髪は、上擦った声で白を切るばかりで、なかなか口を割ろうとしなかった。
段々苛立ちが抑えきれなくなっていったおれは、最後には単刀直入に迫った。
マノンをさらったのはお前かと。
彼女をどこへやったのかと。
すると金髪は、急に態度が落ち着いて、ニヤリと挑発的に笑いながらこう言った。
「ああ、なるほどそういうことか。
あんたあれだろ?最近街の孤児院に出入りするようになったっていう、金髪のデカブツ。
てことは、つまりあれか。あのお嬢ちゃんを助けに、わざわざこんなところまでやって来たってわけだ。そいつは大層な話だ。
人間モドキの分際で、この機に正義のヒーローにでもなってやろうってか?」
自分達のことをギャングと名乗った金髪は、マノンをさらったのは自分の部下で、おれのことも以前から知っていたということを次々に語った。
いかにもおれを嘲るように、わざとらしく鼻にかけた声で。
おれは、意味がわからなかった。
何故急に、そんなことをべらべらと喋り出すのか、言葉の意味もよく理解できなかった。
ただ、なんでもないことのように飄々とした金髪の姿が、とにかく腹立たしくてたまらなかった。
悔しくなったおれは、さっきよりも更に大きな声でもう一度問い質した。
どうしてマノンを連れ去ったと。早く彼女を返せと。
すると金髪は、心底可笑しそうに喉を鳴らしてこう言った。
"残念だが、もう手遅れだ"と。
「わたしね、ジュリアンさんのこと一番の友達って思ってるのよ。
ジュリアンさんといると、自分を閉じ込めてる殻がはがれていくみたいで、いつの間にか自然に笑ってるの。
不思議よね。まだ知り合ってそんなに経ってないのに。
でもきっと、友達になるのに時間って、そんなに大きな問題じゃないんだよね。
……ジュリアンさんも、わたしのこと友達って、思ってくれてる?
……そっか。えへへ。聞いてよかった」
マノンはとても気性の大人しい子だった。
暗いというわけではないが、生来人見知りが酷く、昔は施設の人間以外に対して"いいえ"を言えない性格だったらしい。
けど、おれが施設に通うようになってからは、少しずつ明るくなっていった、気がする。
おれ自身は、特になにもしていない。
ただ、おれの頑張る姿を見ると、自然と元気が湧いてくるのだとマノンは言ってくれた。
ネスも、おれと出会ってからマノンは変わったようだと話していた。
以前と比べて、外に出ることにも積極的になったと、嬉しそうに話していた。
おれは、それがとても嬉しかった。
こんなおれでも、少しでも人の役に立てたということが、心から嬉しかった。
「あんたのお友達の…。マノン、だっけ?
孤児院で暮らしてたことといい、つくづく不運な娘だったな。
あんたと関わってなきゃ、俺達に目を付けられることもなかっただろうによ」
三日前、いつものように学校を出たマノンは、帰りにおれの職場へ立ち寄ろうとしていたらしい。
以前にも、何度か顔を出してくれたことがあって、手作りのクッキーを差し入れてくれたり、学校の授業で作ったという工作を見せに来てくれたことがあった。
だからあの日も、マノンはおれに会いに現場まで足を延ばしたんだと思う。
そこで、こいつらに捕まった。
「今時生粋の金髪碧眼ってのはそういねえし、あの娘の場合、頭の出来もそこそこ良いって話だったからな。これは高く売れると思ったんだよ。
それもこれも、あんたっていう目立つ存在が導いてくれたおかげだな?社会のゴミも、たまには人の役に立つってもんだ」
マノンは、おれと出会って変わった。
引っ込み思案だった性格は社交的になり、施設にこもりがちだった昔と比べて、外での遊びも活発に楽しめるようになった。
おれと一緒に絵を描くマノンを、おれに勉強を教えてくれるマノンを、みんな賢いと褒めていた。
おれはそれが自分のことのように嬉しくて、マノンは本当にいい子なんだと、すごい人間なんだと、色々な人に自慢した。
おれが、彼女を外の世界へと連れ出した。
おれが、彼女に外を教えた。
おれが、外に彼女を教えた。
その結果が、この悪夢を導いたというのか。
じゃあ、おれのせいで、マノンは。
「───うそだ。……ッそんなの嘘だ!!!」
信じられなくて、認めたくなくて。
今すぐにマノンの顔が見たくて、声が聞きたくて。
おれの頭の中は一瞬でぐちゃぐちゃになった。
「おれを、怒らせようとして、作り話を言ってるんだろ。
本当のことを言え。おれは嘘なんか信じないぞ!!」
沸き上がる怒りを制御できず、激しく怒鳴り散らすおれを見ても、金髪は怯むことなく不敵に目を細めていた。
そして、さっき黒髪が頭をぶつけていたデスクの方を指差すと、まるで駄犬に躾をするかのような口ぶりでこんなことを言ってきた。
"引き出しを開けてみろ"
なんでお前なんかの指示を聞かなくちゃならない、とおれは一瞬不服に思ったが、金髪がやけに落ち着いた調子でいるので、とりあえずは従ってみることにした。
恐る恐る引き出しの取っ手を引くと、中から一枚の絵が出てきて、おれは引き出しから絵を拾って、両手で広げた。
見間違えるはずもない。
それは、マノンの描いた絵だった。
施設の子供達に囲まれて、幸せそうに笑っているおれの絵。
優しい色合いで描かれたそれは幸福に満ちていて、描き手の、マノンの温かい愛情が感じられた。
おれは思わず、画用紙を持つ手が震えた。
ああ、そうか。
あの日マノンは、これをおれに見せようとして。
「今頃はどこぞの変態ジジイに買われて、汚ぇナニでもしゃぶらされてる頃だろうよ。
……フン。にしても、おかげさまで随分と儲けさせてもらったからな。
協力してくれたあんたにも、一応は礼してやらねえと、だよな」
"だから、これから苦しまずに済むよう、今楽にしてやるよ"
視界の端で金髪がほくそ笑みながら呟くと、またしても部屋に銃声が響いた。
黒髪の男はまだそこで失神しているし、金髪はおれに銃を没収されているから発砲できるはずもない。
ただ、おれは金髪の僅かな動作を見逃さなかった。
金髪の目が一瞬だけ、おれの背後に、開け放たれた扉の方に向いたのを見たのだ。
その瞬間、おれの頭に雷が落ちた感じがした。
なにかが爆発したような轟音が骨の芯から響いてきて、壊れたラジオのようなノイズが耳の中でざわめいた気がした。
向かってきた弾丸は一直線におれの右肩を掠めると、びしりと鈍い音を立てて皮膚を裂いた。
だが、不思議と痛みは感じなかった。
とっさに振り向くと、三人の若い男が扉の陰から銃口を覗かせていた。
そのうちの一人と目が合うと、おれの腕は、脚は、体の全部はロボットみたいに勝手に動き出した。
でも、改めてそいつを見た時には、もう合わせる目がついていなかった。
目、というより、首がなかった。
「こいつ素手で……っ!!」
暗い足元に、赤黒い水溜まりが広がっている。
途端に湧いた男達の悲鳴は、とても遠くで聞こえた気がした。
「……ッ来るな、こっちに来るなあ!!!」
「やめろ撃つな!撃ったらまた、」
「ぁ」
「ヒ……ッ!!」
銃を乱射する音も、慌ただしく駆ける靴音も、荒い息遣いも。
やけにぼんやりとしていて、なんだかおれは、水の中にいるようで、夢を見ているようだった。
「──ッ、ンの化け物がァ!!!」
暗がりの中をすばしっこく動き回る、複数の影。
それを、視界に入った順から問答無用で殴って、殴って、とにかく無心で殴って、逃げ出した奴もすぐ捕まえて、また殴った。
そうして気が付いたら、みんな倒れていた。
他の部屋で隠れていた奴も引きずり出したから、全員合わせて、五人倒した。
さっきまで真っさらだった床には、五人分の顔のない死体と、夥しい量の血と、それぞれが所持していた銃がいつの間にか散乱していた。
それらをぼんやりと眺めながら、おれは思った。
ああ、こいつらはみんな、死んだのかと。
恐怖はなかった。
罪の意識も湧いてこなかった。
ただ、本能に身を任せたら、おれは五人もの男を手にかけていた。
やっと、静かになった。
無人となった廊下を後にし、再びさっきの部屋まで戻ったおれは、改めて赤シャツの金髪と向き合った。
恐怖で完全に腰を抜かしてしまったらしい金髪は、失禁しながら必死になにかを訴えていた。
「フュ、許してくれ。ちが、違うんだおれは、お……っ。
ッし、金ぱ、つの娘が、好きなら、似たやつを探してやるから。
だから、頼むから、」
泣いている。
鼻水を垂らして、肩を震わせて、引き攣った声でおれに命乞いをしている。
大人のくせに、子供よりみっともない泣き方だと思った。
でもおれは、金髪がかわいそうだとは思わなかった。
「ころ、殺すのだけは、やめ、」
あの時のおれは、かつてないほどに冷静だった。
ただ、何故自分はここにいるのか、これから自分はなにをしようとしているのか、それだけがずっとわからなかった。
「似てるやつなんか、いらない」
最後にもう一度、高く腕を振りかぶった時。
限界まで見開かれた金髪の目に、見たこともない自分の顔が映っていた。




