Episode-2:ジュリアン・ホワイトフィールドの懺悔
家を作るのが、おれの仕事だった。
毎日、重い材木を運んで、組み立てて。
なにもないところから着手して、最後には人が暮らせる空間を完成させる。
そこに住む人がどんな人で、その先どうやって生きていくのかを知ることはない。
でも、そこに住む人が一番に大事にしてくれて、人に大事にしてもらえるものを一から作り上げるのが、おれの仕事だった。
父さんと母さんの子として生まれてから、30と数年。
思えば長い年月だったけれど、四半世紀を経てようやく、おれの心にも小さな家が建った。
積み木のように安っぽくて、でも鋼のように固くて、煉瓦の造りよりも温かい。
そんな立派な家を前にした時。
おれはやっと、自分の心を帰す場所を見つけられたと思った。
おかえりと迎えてくれる人がいることが、帰るということなのだと知った。
だが、幸福とは。
築き上げるのはとても難しいのに、壊す時はいとも簡単で、呆気のないものなのだと。
気付いてからでは既に遅く、やっと手に入れたおれの平穏は、安寧は、一瞬の内に崩落した。
「あの、ジュリアンさん。マノンを見なかった?朝学校に行ったきり帰ってこないの。
連絡もないし、帰りにどこかに寄るっていう話もしてなかったし…。
ジュリアンさんは、なにか心当たりありませんか?」
ある日、普段より少し遅い夜の7時に施設に立ち寄った時のことだった。
偶然同じタイミングで外出から戻ってきたネスが、息を切らしながらおれにそう尋ねた。
マノン・クラウシンハ。
それはおれが、施設で最も長く共に過ごした少女の名だった。
「ごめんねジュリアンさん。みんなまだ礼儀ってものがちゃんと身に付いていなくて…。
でも、ジュリアンさんを大好きなのは本当なんだよ。たまに来られなかった時なんか、火が消えたみたいに夕食が静かになっちゃうんだから。
……だから、これからも遊びにきてね。嫌いにならないで、許してね。
わたしたちは、いつでもジュリアンさんを歓迎するよ」
ブロンドの髪に、ブルーグレーの瞳。
三つ編みのおさげ頭で、鼻に少しそばかすのある、優しい少女。
13歳の割にとても大人びた雰囲気を持つ彼女は、利発で発育が良く、施設でもみんなのお姉さんのような存在だった。
勉強が得意で、絵を描くのが上手だったこともあり、おれはよく彼女に算数を教えてもらったり、一緒に絵を描いてもらったりした。
要領が悪いおれは、なかなか上達しなくて失敗ばかりだったけれど、それでもマノンは、おれと一緒にいるのが楽しいと言ってくれた。
そんなあの子が、通っている学校をサボったり、施設になんの連絡もなしに一人で寄り道をするなんてことは、まずあり得なかった。
だから、夕食の時間になっても帰ってこないマノンを心配して、ネスは街中を駆け回って彼女を探したという。
でも、どうしてもマノンを見付けることはできなかったようだった。
その後、翌日になってもとうとうマノンは現れず、おれとネスは協力して捜査に出ることにした。
街の警察にも連絡して、みんなで手分けしてマノンの行方を探した。
それでも、やっぱりマノンは見付からなかった。
そして、マノンが突然いなくなってから、三日が過ぎた頃。
近隣住民達に聞き込みをしに出ていたネスが、血相を変えておれの元にやってきた。
「三日前に、不審な若い男と一緒にいるところを、見たという人がいて…!
それで、その男が出入りしているらしい住所を教えてもらったんですが、訪ねてみても、応答がなくて…。さっき警察にも連絡したんですけど、到着にはまだ時間がかかるって言われて…!
ジュリアンさん私、どうすれば…!」
青ざめた顔で、震える声で必死にそう説明してくれたネスは、とても疲れた顔をしていた。
あらゆる手を尽くしたが、やっぱりマノンの姿はなくて、どうしたらよいかわからず慌てておれを頼ってきたのだろう。
マノンが若い男と一緒にいた。
理由はわからないが、あの子は見知らぬ相手にやすやすと連れ去られるほど無防備ではない。
だから、なにかよほどの事情があったものと思われる。
ただ、これでマノンの失踪が、単なる迷子や行き違いじゃなかったことが分かった。
マノンが行方知れずとなった丁度三日前に、彼女と最後に顔を合わせたとされる、見掛けない若い男。
もしかしたらそいつが、マノンをさらってどこかに閉じ込めているのかもしれない。
「ネス。その、怪しい奴がいるという場所を、おれに教えてくれ。
おれが代わりに行ってくるから、君は施設で、子供達と一緒にいてやれ」
「でも、さっき私が行った時には誰もいないみたいでしたし、警察の方がこちらにいらしてから、みんなで手分けした方が…」
「さっきはいなくても、今帰ってきたかもしれない。警察が来るのも、いつになるかわからない。待っていられない。
ちょっとでも可能性、あるなら、おれはやる。
今すぐマノンを見付けたい。そして必ず、みんなのところへ帰す」
狼狽するネスを宥めて、おれは例の男がいるという住所を聞き出した。
いつもはおれの方があたふたとしていて、それをネスが落ち着かせてくれるのだけど、この時ばかりはいつもと立場が逆だった。
「行ってくる。みんなを頼む」
ネスにもしものことがないよう、安全のため君は施設で待っていてと告げてから、おれは全力で走った。
自分一人が行ったところで無駄足になるかもしれない、ともちょっとは思ったけれど、とにかくおれは、いてもたってもいられなかった。
もし。もし本当にマノンが誘拐されて、今もその犯人と一緒にいるとしたら。
きっと、すごく怖い思いをしているはずだ。助けを求めて怯えているはずだ。
だから、おれが助けてやるんだ。
約束したから。
怪物に襲われた時は、おれが助けに行くと。
迷子で帰り道がわからなくなった時は、おれが迎えに行くと。
約束したんだ。
「わかった。じゃあ、約束。
うふふ、おかしいの。約束なんて、破られるのが当たり前ってずっと思ってたのに。
ジュリアンさんが言うと、全部ほんとのことみたいに聞こえるね」
今まで生きてきて、こんなに頭が真っ白になるくらい、なにかに必死になったことは、なかった。
ーーーーーーーー
やがて、ネスに教わった住所に辿り着いた頃には、既に日が落ち始めていた。
今のところ、警察が近くまで来ている様子はない。
最初マノンの捜索願いを出した時から、どうせただの家出じゃないかとか、そのうち気まぐれに帰ってくるだろうとか言って、彼らは一生懸命にマノンを探してくれなかった。
体裁で一応動いてはくれているようだが、今回のこともあまり深刻に考えていないんだろう。
この街の警察は、正直頼りにならない。
だから、おれが見付けないと、誰にもマノンを見付けられない。
おれが、やるしかないんだ。
「こういうの、ゴーストハウスみたいって言うのか…?」
町外れにある、大きくて真っ黒で、古い洋館。
ネスから教わった情報と現物とを照らし合わせながら、とりあえず建物の辺りを見渡してみる。
あまり流行っていなさそうな飲食店が二軒ほどあるだけで、近辺には他に目印になりそうなものはない。
周囲のほとんどが畑で、静かで、人気というか動物の気配がほとんど感じられない。
なるほど。
確かにここなら、悪さをするにはうってつけの環境かもしれないな。
見たところ人が生活している形跡はないし、なんだか浮き世離れした雰囲気ではあるけれど、軒先には一応車が停まっている。
となれば、誰かが中にいるはずだ。
何人籠っているかは分からないが、家主が出てくるまでと悠長に構えている時間はない。
「───おい。誰かいる、いませんか。中に人は、いないですか」
軽く周囲を散策してから、おれは洋館の扉を叩いて、中に向かって声をかけてみた。
だが、何度呼び掛けても一向に反応はなかった。
まったく生気がしてこない。
足音はおろか、息遣いや微かな温度でさえこの辺りからは拾えない。
もしや、車があるだけで、ネスの言った通りまだ誰も帰っていないのだろうか。
だとしたら、マノンは今ここに一人で監禁されているのか。
それとも犯人と一緒に外に出ている最中なのか。
既に別の場所へ移されてしまった後なのか。
自分なりに頑張って推理しようとしたけれど、考えても埒が明かなかったので、続いて庭の様子も見てみることにした。
たくさんある窓のうち、カーテンの閉まっていないものは一つもない。
全て遮られていて、外からはなにも窺えない。
そこで今度は、窓に向かって声をかけてみた。
だが、そこでもやっぱり応答はなかった。
本当に、誰もいないのだろうか。
出直すべきか、という考えが一瞬過るが、念のためもう一度草むらを掻き分けて周辺を確認した。
"────!──、──"
すると、なにか。
今、なにか聞こえた、ような。
突然、言いようのない不穏な空気を感じて、おれはとっさに歩みを止めて耳を澄ました。
"たすけて"
とても小さく、だが切羽詰まったような声で、誰かがそう叫んだのが聞こえた。
声は、屋敷の窓の向こうからだった。
その瞬間、おれは完全に思考が止まった。
今の言葉がどういう意味で、誰のものなのかはとっさに判別できなかった。
確証もなかった。
ただ、本能が告げていた。
急げ、早くあの扉をぶち破れと。
ほぼ無意識のまま扉に向かって体当たりすると、破壊した錠前が音を立てて地面に落ち、おれの体は開いた扉に引っ張られるようにして屋敷の中に雪崩れ込んだ。
素早く体勢を立て直し、急いで周囲を見渡すと、中には誰もいなかった。
ただ、電気も月光も照らさない薄暗い廊下が、おれを出迎えるようにして目の前に続いていた。
間もなく、死角から誰かが慌てた様子で出て来た。
煙草をくわえ、口周りに無精髭をたくわえた、目付きの悪い黒髪の男。
バタバタと慌ただしいところからして、突然の物音に驚いてやって来たのだろう。
こいつが、この屋敷の主人なのだろうか。
でも、見たところなんだかチンピラのような風貌をしているし、こんな輩がこんな洋館に一人で暮らしているとは思えない。
「……おまえ、ここの──」
話し掛けようとすると、男は顔を引き攣らせながら屋敷の奥の方へと走り去ってしまった。
逃げられた。
それは突然乱入したおれを怖がったからか、それとも。
考える間もなく、おれは無断で屋敷に上がり込み、男を追い掛けた。
長い廊下を渡り、やがて男を袋小路まで追い詰めた時。
男は部屋の一つに入ると扉を閉め、中から鍵をかけた。
おれの目からなにかを隠すように。
怪し過ぎる。
閉められた扉にそっと耳を押し当ててみると、中からぼそぼそとした話し声が聞こえてきた。
大人の男の低い声が二つ。
片方はさっきの黒髪だとして、もう片方は黒髪の仲間かなにかなのだろうか。
壁が厚いせいで内容はよくわからなかったが、声色は二人が言い争っているような感じだった。
おれは少し悩んだが、この扉も先程同様に蹴破ってしまうことにした。
こいつらがなにかを、誰かを隠しているのだとすれば、ここを暴けば判明する。
もし違っていたとしても、その時はおれが悪者になるだけだ。
もしかしたら、ここにマノンがいるかもしれない。
そう思ったら、後先のことを考えている余裕なんてなかった。
そして、一つ深呼吸をして息を整えた後。
今度は思い切り扉を蹴破って、目に入ってきたものに神経を注いだ。




