Episode09-7:蛇と蝶のポルカ
ジャックは腰を上げると、半分だけ開けていた窓を全開にした。
「───私が家を出たのは、17の時だったわ」
冷たい外気が鼻を抜けて胸に沁みる。
ジャックの瞳に夜空の星屑が浮かぶ。
「へえ……。家出少女がそのまま野生化したってことかい?」
室内に風が滑り込むたび、シャオの毛先も不揃いに躍った。
「そうね。けど私は、アンタと違って自分で選択したわ。
捨てられたんじゃなくて、私があいつらを捨ててやったの」
「家族を憎んでいるのか?」
「当時はね。もう二度と会うことはないし、今更大した感情は湧かないわ。
母親を愛していたアンタからすれば、私みたいな親不孝者は同情の余地もないんでしょうけど」
ぼんやりとした表情で、ジャックはぽつりぽつりと語り出した。
こちらが促したとはいえ、急に素直に胸の内を吐露し出した彼女をシャオは意外に思った。
血を分けた家族を"あいつら"呼ばわりしたり、"憎んでいたか"との問いに肯定したり。
言葉数は少ないが、ジャックの家庭環境も相当に複雑であったろうことが窺える。
加えて彼女の場合、親から虐待を受けて育ったはずだ。
本人がそう明言したわけでなくとも、時折に発露するヒントが彼女の痛みを物語っている。
鋭い目付きに、頑なな態度。
なのに雰囲気はどこか怯えているようで、酷く頼りなさげで。
他者に触れられること、とりわけ大人の男性に迫られることに過敏になっている。
決定的なのが、彼女の全身に点々とある傷痕。
固い拳か鈍器のようなもので殴られたらしい赤紫の痣は、薄くなった今も確かな輪郭を残している。
不安と恐怖と劣等感と。
執拗に追いかけてくる暗い影に、泣いては抗い叫んでは悶えてきた。
今にもよろめきそうな足を無理矢理に動かして、果てに待っていたものに絶望を繰り返してきた。
それでも引き戻せないからと、何度も自分に言い聞かせて、何度も手を伸ばし続けた。
見えないゴールに向かって。せめてもの明日を求めて。
負けん気の強さは、きっと精一杯の虚勢。
ぶ厚い殻の中身は非常に脆く、柔らかいもので出来ている。
そんなジャックのひたむきさが、泥にまみれてなお頽れない純真さが、なんだか愛おしく思えてならず。
シャオは不憫を覚えると同時に、彼女の虚ろな横顔に見とれてしまったのだった。
「思えば私達、みんな似てるかもしれないわね」
「え、そうかい?まあ、他の三人もなかなか闇は深そうだけど……」
「性格もだけど、生まれ育った境遇がよ。
今アンタの話聞いてハッキリした。私達みんな家族が、親がいない」
「……そういえば、そうだな」
"類は友を呼ぶ"。
シャオは真っ先にこのフレーズを思い出した。
マナは孤児院育ち。
ジュリアンは高齢だった両親を亡くして天涯孤独。
シャオは唯一の肉親だった母に幼くして見限られ、ジャックは自衛のため自ら家族を捨てた。
腹違いの弟を持つアンリでさえ、両親を相次いで失っている。
これはなんの因果か。
まるで彼らは出会うべくして出会い、導かれるべくして一つに集まったでも言うような。
「確かに、まともな家庭で育ったやつなら、こんなとこまで首突っ込んだりはしないか」
「そういう意味では、自然なことだったかもしれないのね」
「自然って?」
「私達がこうして徒党を組んだのが」
「"徒党を組む"ときたか。君が言うには一番不自然な台詞だな」
「別に。他に当てはまる言い回しが思い付かなかっただけ」
シャオが笑い、ジャックもうっすらと笑みを浮かべる。
「───ジャック」
「なに?」
「手出せ」
「は?」
ふと思い付いたシャオは、ジャックに向かって突然なにかを投げ渡した。
さっきの仕返しと言わんばかりに放られた小さな光を、ジャックはとっさに捕まえて確認した。
「指輪?」
肉弾戦の武器としても応用可能そうな、鋭いフォルムのシルバーアクセサリー。
元々シャオの指には、ピアス同様に複数のリングが嵌められていた。
蛇や髑髏など、いかにもジャンキーが好みそうなデザインが施されたものだ。
その中でジャックに投げ渡したのは、最も細い右手薬指から外したリング。
黒地に金の十字架が乗ったデザインで、女性でも合いそうなほどサイズが小さい。
ジャックの場合は、中指か薬指なら丁度よく収まるだろう。
「それ、君にあげるよ」
「は?なんで。もらう理由がないわよ、こんなもの」
「だって君、銃撃戦は苦手なんだろ?
だったら、いざという時に拳一つでも戦えるよう、それ用の武器を身に付けておかなきゃ」
「だからって、なんで指輪なのよ。確かに殺傷能力はありそうな見た目だけど……。
どうせならグローブとかナックルダスターとかの方が────」
「ダメダメそんなの美しくない。
第一女の子の口からナックルダスターって、物騒だし品がないよ」
「今更品がどうとか言うわけ?」
呆れ顔で溜め息を吐くジャックだが、表情は柔らかい。
取り付く島もない、わけではないようだ。
「必要とあれば、ハンドガンの扱いくらいなら教えてやる。体術の稽古もね。マナのついでで良ければだけど」
「ああ……。そういや、時間ある時はよく組み手してるわよね、あんた達。
なに、あの子に人の殺し方でも教えようっての?悪い男」
白い目で見下ろしてくるジャックに、シャオは肩を竦めて弁解した。
「ちょっとちょっと、そんな怖い顔をしないでよ。
マナの方からお願いしますって頭下げてきたんだぜ?私はそれに親切で応えてやってるだけ」
「ふーん?」
「……といっても、どういう訳かあの子、もともと銃には手慣れてたんだよなあ。
腕っぷしも相当だから、素人相手なら男一人余裕でノしちまうかも」
「なんだ、言ってる側から形無しじゃない」
「"上手な刃物の振り回し方"なら教室を開けるよ」
「誰が受講するんだか」
ジャックとジュリアンが一行に加わる前から、シャオとマナは一時的な師弟関係を築いている。
備えあれば憂いなしと、マナの方からシャオに実戦の教示を申し入れたのだ。
以来、二人は空き時間を見付ける度に取っ組みあっている。
ところがマナには、元より武術の心得があった。
職業柄、幾度も修羅場をくぐり抜けてきたシャオ相手に引けをとっていない。
いくらシャオが手加減しているとはいえ、こうも早い段階から互角に戦えるのは、マナが経験者であるからだ。
そのポテンシャルの高さは、空手や柔道の代表選手に匹敵するほどだとシャオは言う。
「たぶん、彼女も小さい頃から仕込まれてたクチだね。
基礎がしっかり身に付いてるところからして、師匠は警察関係者か軍人だろう。
白面なふりをして、末恐ろしい子だよ。あの黒ニャンコは」
言いながらシャオはベッドから立ち上がり、うーんと背筋を伸ばした。
「そういうことなら、あの時私が本気で掛かったとしても、あの子に返り討ちにされたかもしれないのね」
「アハハ、呑気だなあ。そうやって余裕ぶってると、そのうち痛い目を見るよ?」
「あら、心配してくれるの?珍しい」
「ひどいなあ。私はいつだって皆を心配しているのに。
……特に君は、中途半端に強いぶん見ていて危なっかしい。調子に乗ってうっかり命を落とすなんてこと、みっともないから私の前では絶対やらないでよね」
"君だって、一応は女の子なんだしさ。"
最後に一言そう告げると、シャオは部屋を出て行った。
なにか、言い返してやろうと思ったのに。
逃げるような後ろ姿を反芻しながら、ジャックはまた別の意味で溜め息を吐いた。
「どうなろうと知ったことじゃないって、言ってたくせに」
途端に訪れる静けさ。
ジャックは手中のリングに目を落とした。
"付いて来るのは勝手だけど、君の面倒まで見てやる筋はないからね"。
アンリが独断でジャックを連れて行くと決めた際、新入りとなった彼女へシャオが冷たく言い放った台詞。
あの時はあんな突き放すようなことを言っていたくせに、一体どういう風の吹きまわしか。態度がほとんど別人だ。
彼は自分を嫌っているのか、実はそうでもないのか。
シャオの考えが読めなくて、ジャックは怪訝に眉を寄せた。
「指輪と一緒にあんな口を利くなんて。縁起でもないわね」
"捉え方によっては、下手くそなプロポーズみたいよ。"
答えは見つからないまま、ジャックの呟きは夜に消えた。
『In the still of the night.』




