Episode09-6:蛇と蝶のポルカ
「転機があったのは13の時だ。色々あって、流れの雑技団に拾ってもらえることになった。
見ての通り、このルックスだからねえ?芸能事務所にスカウトされるのとタッチの差だったかもしれないなあ」
「雑技団って、要は中国のサーカス団でしょ?顔が良いってだけで売り物になるとは思えないけど」
「おや、私は顔だけの男じゃないぞ。体力だってあるし、手先も器用だ。マニュアルさえあれば出来ないことはない」
「すごい自信ね」
「君が知らないだけで、当時は一座の花形扱いだったんだぜ?女の子のファンなんて村一つ出来るくらいいたんだから」
薄ら笑いを浮かべながら、シャオは自分の胸に手を添えた。
ジャックはシャオの話に耳を傾けつつ、開けた窓の縁に腰掛けた。
「なんか、破天荒っていうか。ドラマみたいな人生送ってんのね、アンタ。
その腕のタトゥーを見た時から、まともな生い立ちでない気はしてたけど」
「ハッハッハ。人は見た目で判断するものじゃないと言うけど、私は普通に見たまんまの人間だからねえ。その通りだよ」
シャオが雑技団に身を置いていた期間は約5年。
中国伝統のとある一座に飛び込みで弟子入りを志願し、一年間の修行を積んだ末に正団員として加入した。
舞台に立ち始めるや否や、持ち前のルックスと身体能力が話題を呼び、瞬く間にメインを張るまでになった。
18歳で一座を脱退した後は、培われた知名度を利用して情報屋に転身。
今やシグリムで三本の指に入るほどの腕利きへと成長を遂げ、幼少期の貧しさが嘘のように暮らしも豊かになった。
だが一見とんとん拍子に見えても、実情は極めてシビア。
華やかな舞台の裏では苦労が絶えなかったし、情報屋として地位を築くまでは綱渡りの連続だった。
誰に対してもまず疑ってかかってしまうのは、もはや職業病というより体質と言えるだろう。
「見たまま、ね」
二本目の煙草に火を付けたシャオを、ジャックが横目で見遣る。
インナーから伸びた長い両腕と、そこに刻まれたトライバルのタトゥー。
彼の白い肌によく映える分、彼を守っているようにも、戒めているようにも取れる。
決意の表明か、追憶の象徴か。
なんらかの特別な意味合いが込められているのは間違いなさそうだが、普段はアームウォーマーを着用して人目に晒さないようにしている。
派手な見掛けをしている割に、本人としてはあまり触れられたくない箇所なのかもしれない。
「(惚けた物言いばかりして、つくづく謎の多い男だ)」
そう思案しながら、ジャックは腰の蝶をなぞるように指先で触れた。
「今の職に落ち着いたのは?何歳の時?」
「落ち着いたのはハタチを越えてからだけど───、足を突っ込んだのは18・9の時だったかな。だいたい今の君と同じくらいだよ」
「……なんで、よりにもよって情報屋なのよ。花形扱いだったっていうなら、そこで続けた方が安泰でしょうに」
「残念ながら、私は安泰やら平穏やらとは仲良くできない性分なもんでね。
だったら、この碌でもない経験を活かせる仕事をと思ったんだよ」
「情報屋以外の選択肢はなかったわけ?」
「そうだなあ……。もしそれ以外の道を選んでいたら、今頃は伝説の殺し屋にでもなっていたかな?」
「それ、アンタが言うと笑えないんだけど」
「おや、そうかい?ジョークのつもりだったのに」
張り詰めていた空気が徐々に解れていく。
シャオはすっかりいつもの調子を取り戻し、ジャックも僅かばかり雰囲気が柔らかくなった。
ただし、先程シャオが口にしたブラックジョーク。本人は何気ないつもりでも、ジャックには生々しく聞こえてならなかった。
"───シャオは、そうだな……。
あいつはいつも、あんな調子で軽いけど。性根はむしろ、重いくらいに堅実な男だと思うよ。
皮相的に見えるのは最初の内だけさ。すぐに考えを改めることになるはずだよ。俺達のようにね。"
"───どういうヤツ、かあ……。
ボクらもまだ付き合い浅いから、知らないことの方が多いけど……。
それでも、シャオが味方で良かったってことだけは、今でもはっきり分かるよ。
彼みたいのは多分、敵に回って初めて、味方だったら良かったのにって痛感させられるタイプだと思うから。"
ジャックやジュリアンより幾らか長く共にいるアンリ達は、シャオのことをこう評した。
洞察力と判断力に優れた賢い男。味方にしても敵にしても扱いの難しい切れ者だと。
確かに彼は誰より慎重だ。
猜疑心の強い性格も、情報屋にとって大いにプラスとなるに違いない。
自他共に認める通り、まさしく天職と言えるだろう。
しかし、情報屋と殺し屋。どちらがより向いているかを比べた時。
傾くのは後者であったかもしれないと、ジャックは思った。
"───もっと自由にやらせてくれれば、もっと手短に口を割らせることも出来るんだけどね?"
こいつはきっと、知能を持った機械。あるいは獣だ。
捨てきれない良心や道徳心を一時的に切り離すことで、肉体のみを自由自在に操れる。
だから寸分の躊躇いなく人を傷付けられるし、自らの利益と相手の尊厳とを平気で秤にかけられる。
全く情緒が欠落している訳ではない。心得ているのだ。
いかに悪逆を犯しても、責め苦に飲まれないための方法を。
いかに人でなしを演じても、人で在り続けるための秘訣を。
私は獣だ。
お前ほど狩りは上手くないが、同じ血の匂いを嗅ぎ分けることはできる。
どんなに人の好さそうな顔をしても、どんなに頑なに隠そうとしても、骨の髄から滲み出る狂気は誤魔化せない。
憎悪。お前は人を憎んでいる。
お前の過去に一体なにがあって、今のお前の人格が形成されたのか。
それは、お前自身しか知りえないこと。教えられても理解には及ばないことだ。
ただ一つ言えるのは、こいつを本気で怒らせてはいけないということ。
こいつの舌打ち一つでさえ、身の毛も弥立つほど悍ましいということだ。
「やっと、わかった気がするわ」
ジャックがシャオに向けていた拒絶反応の正体は、同族嫌悪。そして防衛本能だった。
武器を持たせたら最後、こいつは自分の気が済むまで殺戮の限りを尽くしかねない。
そんな危うさにジャックだけが気付いたから、無意識に距離を置こうとしていたのだ。
同じく猜疑心の塊のような人種だからこそ、透けて見えた彼方の本質。
出会い方がもう少しマシであったなら、同工異曲と打ち解けるのも遠くなかったかもしれない。
「ハチャメチャな人生を送ってるって意味では、君だって負けず劣らずだろう?
年頃の女がたった一人で、あんな治安の悪い町で路上生活なんてさ。
悪いとは言わないが、普通とも言い難いよ」
「別に。私は好きでそういう道を選んだもの。人に同情されることじゃないわ」
「ハ、好きで選んだか。
ハタチそこそこの女が自ら進んで、裏社会の生を望んだと?」
「なによ。なにが言いたいの」
「そういうことにしたいんなら、それでも構わないけどさ」
二本目の煙草も吸い終えたシャオは、ベッド脇のサイドボードに灰皿を退かした。
「私の前では取り澄ます必要ないんじゃないの、って言ってるんだよ」
まだ余所余所しさは拭えないものの、マナの希望する展開に近付いてきた。
こんな風に会話のキャッチボールが成立するのは、出会ってから初めてのことだ。
元よりシャオは人の懐に入るのが得意な男。
たとえ第一印象が最悪であろうと、主導権が手元になかろうと、イーブンまでなら盛り返すくらい訳ない。
先に自らの弱みを明かすことで、相手の警戒心を和らげる。こんなのも交渉術の一つで、シャオが難敵相手に切り札として使う手口だ。
「(さすがにベラベラと喋り過ぎたか)」
しかし、琴線に触れるほどの身の上話はテクニックの内に含まない。
幼少期についてなど、他の誰にも教えたことがなかった。
アンリ達は勿論、旧知の盟友にさえ。
「(こんな話、バレンシアにもしたこと無かったのにな)」
やはり自分は、目の前にいるこの獣のような女を、気に入っているということなのか。
マナとジュリアンが互いに惹かれ始めているように、自分も彼女に対してシンパシーを感じてしまったのだろうか。
だとすれば、私も随分と人臭くなったものだ。
シャオは自嘲するように鼻を鳴らし、だが存外悪くない気分だと目を細めた。
「あいにく、今は私と君の二人きりだ。
似た者同士、たまには気取らずに話してくれてもいいのになーってね」
シャオが髪を解くと、副流煙に混じってホワイトムスクの香りが空気に散った。




