Episode01-4:王子より咎人に告ぐ
ところ変わって、船内。
無事罪人島を出発した旅客船は、指で数えるほどしかない客を乗せて航海を開始した。
ミリィ達三人は移動中に今後の打ち合わせをするべく、人目を掻い潜って一つの船室に集まった。
ここは前以てミリィが予約しておいた仮眠室だ。
やや手狭な室内に、二つ対になったセミダブルベッド。
そこにミリィとヴァンがそれぞれ腰掛け、ベッドの間に設置された椅子にトーリが着席した。
「───よし。じゃあまずは、この10日間にあったことを全て明らかにしてもらおうか」
ミリィは自分の荷物の中から書類の入ったファイルを取り出すと、向かいにいるヴァンに対して話し掛けた。
思っていた切り口とは違う問いに、ヴァンは怪訝な顔を見せた。
「作戦会議をするんじゃなかったのか」
「そうだよ。でもそれは後でいい。
次にアクションを起こすのは、明日の午後だからな。世間話をする時間くらいはある」
「そうなのか。俺は何を話せばいいんだ?」
「全部だ。
10日前にLAのコンプトンでお縄になって、それから今日に至るまでの間、お前の身になにが起こったのか。
お前の目には、一体なにが映った?」
腕と脚とを両方組んで、ミリィは真っ直ぐにヴァンの目を見据えた。
トーリは静かに二人の言葉に耳を傾けている。
十日間。
日数にすれば短い期間ではあったが、思い起こせばその間に色々な体験をしたかもしれないと、ヴァンは思案した。
「10日前、客足の少ない、煤けたバーで待ち合わせをしていた。日が落ちる少し前の頃に」
「そこには誰が来る予定だった?」
「依頼主だ。知り合いの男を強盗殺人に見せかけて殺すようにと頼まれた」
ミリィに代わってトーリが続きを促す。
「君はそのバーで依頼主と落ち合う予定だったんだね。仕事の方は上手くいったの?」
ヴァンは首を振った。
「………いや」
結果的にヴァンは、最後の任務を遂行することが出来なかった。
ターゲットの住まいだと聞いていた家に、肝心の家主が在宅していなかったからだ。
予定外のアクシデントに遭ったヴァンは、すぐさま依頼主の男に連絡をとり、教わった家にターゲットがいなかったことを報告した。
すると依頼主は、この事態を想定していたかのように落ち着き払った様子で、ヴァンに次の指示を出したという。
"どうやらタイミングが悪かったようだ"。
"作戦を練り直したいから、今から指定する住所まで来てくれ"。
そう言って依頼主が密会のためにと指定し直した場所こそが、例のバーだった。
怪しげな雰囲気の漂う店内。
自分の他には、カウンターに立つマスターの姿のみ。
そんな心許ない状況下で、ヴァンは安いカクテルを飲みながら暫く待機した。
そして、連絡から約1時間後。
ようやくバーに現れたのは依頼主ではなく、大挙して突入してきた警察だった。
「裏切られた、というよりは、端からそのつもりでお前に接触したんだろうな。
依頼してきた男も警察関係者だったのか?」
「わからない。奴と直接顔を合わせたのは、仕事を依頼された時だけだった。それが最初で最後だった」
三人の眉間に浅い皺が寄る。
当事者であるヴァンもよく状況を理解できなかったようで、まるで他人事のような口ぶりだ。
「金で雇われた一般人って可能性もあるよね。
なんにせよ、まんまと嵌められちゃったみたいだけど」
「突入してきた警察の数は覚えているか?」
トーリとミリィが順に尋ねると、ヴァンは記憶を手繰り寄せて答えた。
「ざっと20はいたか」
「に────」
「角地にある戸建ての店だったんだが、周辺はパトカーで隙間なく固められていた。空にはヘリも飛んでた気がする」
「うわあ……」
無表情で語るヴァンとは対照的に、ミリィとトーリは同時に顔を引き攣らせた。
当時の状況は、まさに多勢に無勢といった圧倒的不利なものだった。
おかげで、窮地を切り抜ける技に優れたヴァンですら為す術なく、手が後ろに回ってしまったわけだ。
ところが。
観念したヴァンが後に連行された場所は、何故か留置場ではなく警察病院であったという。
「そこで色々検査された。血を採ったり、尿を採ったり。全身くまなく、隅々まで状態を調べられた。俺には意味が分からなかった」
「……それで?」
「首輪、みたいなの着けられて、しばらく放っとかれた。
それから5日後に、島に送られた。その間は特になにもしていない」
「なるほど。検査の結果が出てすぐ罪人島送りが確定したんだな。
首輪ってのは、檻の中で着けてたあれか?」
「そうだ。暴れたり口答えしたりすると、そこから電気が流れて、最悪死ぬぞと言われた」
ヴァンの言う首輪とは、罪人島帰属の拘束具のことを指している。
島送りが確定した重犯罪者にのみ実施される、首回りに装着するタイプの枷だ。
島送りが言い渡された瞬間から、当事者はこの首輪を着用することが義務となる。
しかし逆を言えば、首輪を着用することと引き換えに、手錠など他の拘束具は外すことが認められる。
何故なら首輪には強制支配の機能が備わっており、遠隔操作で致死レベルの電流を流すことが可能であるから。
直接手足を拘束するよりも、この首輪を一つ着けさせた方が、確実に当事者の自由を封じられるからなのだ。
ここまでのヴァンの話を聞いて、ミリィとトーリはふと互いの顔を見合わせた。
片や当人は事態の深刻さを分かっていないようで、不思議そうに首を傾げた。
「島に送られてからの待遇はどうだった?看守の畜生共にはシバかれたか?」
「ミリィ、口悪いよ」
ミリィの粗野な物言いにトーリは横から注意を入れたが、発言自体を否定するつもりはなさそうだった。
「いや、思っていたより……。というか、想像とは全然違っていた」
「というと?具体的に」
ヴァンが島の収容所でしたことと言えば、なんてことはないただの刑務作業と、五日置きに行われるという囚人達のメディカルチェックくらいのものだった。
刑務作業の内容は主に革製品の作成だったが、それも名刺入れほどのケースを大量に作るという単純なもので、罪人に相応しい重労働とはかけ離れた仕事だった。
「そのケースっていうのは、これのことか?」
ミリィが上着の内ポケットから黒のケースを取り出すと、ヴァンはそれだと指差して頷いた。
ミリィがトーリに促すと、彼もまた同様のケースを上着のポケットから出した。こちらはブラウンカラーだ。
「二人とも持ってるのか。なんなんだそれ?」
「通行証入れだよ。発行してもらう時に一緒に付いてくるんだ。
僕みたいに、国籍は移さないけどパスは所持してるって人はブラウンカラーで」
「登録澄みの奴はブラック。
ほら、よく見るとこっちのがちょっとお高そうだろ?装飾の色も違うし」
二人が所持する二種類のケースは、デザインは共通でも配色はそれぞれ異なる。
生地がブラックカラーのものには金の装飾、ブラウンカラーのものには黒の装飾が施され、表紙の隅には装飾と同じ色の国章が刻まれている。
翼を広げた鳥のマーク。
これは島国フィグリムニクスを象徴する印である。
トーリの持つ無期限通行証には、本人の顔写真、国籍、生年月日、宗教の有無が記載され、詳細なデータを読み取るためのバーコードが印刷されている。
国籍ではなく戸籍のある州が記載されていることを除けば、ミリィの持つ国民証もほぼ同じ内容だ。
そもトーリの所持する無期限通行証とは、外国人がフィグリムニクスという国に滞在する際に、手続きを楽にするために作られたものである。
フィグリムニクスの国民ではない外国人が長期の滞在を望んだ場合、本来であればフィグリムニクスを出入りする度に綿密な審査を受ける必要がある。
細かく言うと、年齢や国籍などの基本的なプロフィールに加え、経歴、職業、家族構成、国家資格の有無など、自らの個性や社会的地位を全て明らかにし、自分は犯罪をするためにこの国へやってきたのではないと証明する義務があるのだ。
そして入国ゲートを管理する審査官に危険な人物でないと見なされて初めて、在留許可証の発行・入国を許可してもらえる。
それがルールであり、招く客を選ぶことでこの国の治安は保たれているのだ。
ただし、無期限通行証を所持する者は例外である。
無期限通行証を所持していることが確認されれば、前述の長々とした審査をパスしてすぐに入国することが可能となる。
入国自体は観光目的であればパスポートだけでも許可が下りるが、その場合は原則として20日以内の滞在が条件となる。
事情があって規定を超過する際には、20日を経過する毎に滞在延長の許可を申請しなければならない。
ビジネス等の理由で20日以上続けてフェイゼンドに滞在したい場合には、面倒でもその都度延長の更新を行うか、無期限通行証の取得が必須となる。
つまり無期限通行証を取得するメリットは、入国審査が毎回スムーズにパスできるということと、文字通り無期限に何日でも国内に滞在できるということ。
無期限通行証の取得が難しいのは、通行証所持者は国民とほぼ同列の待遇が許されているから、というわけなのだ。
続いて、ミリィの持つブラックケースの中身。
フィグリムニクスの国民として登録されている証、国民証の価値について説明する。
国民証を取得するためには、国内14州の内、自分が永住したい州の永住試験をクリアしなければならない。
ミリィの場合は、生まれは別だが育ちはプリムローズなので、国民証に登録されている戸籍も自宅のあるプリムローズ州・フォーサイスと記載されている。
既に国民として登録されている者に子供が出来た場合には、扶養者の身分が既に証明されているため、子供が改めて永住試験を受ける必要はない。
ただし子供がその州で定められた成人年齢に達した時には、更新が必要になる。
もっとも、これは永住試験と違って本人確認のようなものなので、書簡の手続きをするだけで済むことである。
ミリィの国民証はミリィが幼い頃に母親が作ってくれたものだが、ミリィがプリムローズの成人年齢に達した時には、ミリィ本人がプリムローズの役所で更新を行った。
他国から国籍を移してフィグリムニクスの国民になった者と、生まれた時からフィグリムニクスに住んでいる国民との違いはここだ。
前者は厳しい永住試験をクリアしなければ国民として認めてもらえないが、後者は後に簡単な手続きを済ませるだけなので、大人になってからやっぱり相応しくないと追放されることもない。
州によって細かい基準の差はあれど、生まれの力は大きいということだ。
言い方は悪いが、親の七光りが通用してしまうのだから。
最後に、ヴァンのように前科のある者がフィグリムニクスに入国・滞在したい場合の規定についても、ここで説明する。
この場合は無期限通行証、もしくは国民証所持者が二名必ず同伴しなければならないが、同伴者が側に付いている限りは当人にも一時的に無期限通行証所持者と同等の権限が付与される。
この制度を"特別待遇枠"という。
その他、無期限通行証を所持していない一般人も、同伴者が付いている条件で20日更新を免除してもらうことが可能になる場合がある。
この場合の定員は、無期限通行証所持者が同伴した場合に一名。国民証所持者が同伴した場合に二名までと定められている。
権限は、前述の特別待遇枠と同等のものとなる。
つまり国民証所持者が一名同伴すれば、パスポートしか持っていない外国人でも最大二名まで恩恵が受けられるということだ。
この制度を、"特別融通枠"という。
ちなみに。
無期限通行証の方は三年毎に更新が必要だが、国民証の場合は前述の成人更新が一度あるだけで、それ以降は特に必要な手続きがない。
紛失または経年劣化などにより再発行が必要になった場合を除き、一度発行された国民証は半永久的に権利が保証される。
一方で他州に戸籍を移したい場合には、移転先の州で一から永住試験をクリアし直す必要はある。
「ついでに……。ブラックカラーの方は、開くとタグを入れるポケットも付いてる。二世代国民の証だ」
ミリィが自分のケースを開くと、内側に二つのポケットが付属されていた。
一つが国民証の収納ポケット。もう一つが、ミリィが今首に下げているものの収納ポケットだ。
「で、こっち側、空いてるだろ?
ここに、これを仕舞っておけるようになってんだよ」
そう言ってミリィは、国民証と交換である物を懐から取り出した。
出てきたのは、ネックレス代わりに首から下げていたドッグタグだった。
表には4桁のナンバーが彫られてあり、裏にはバーコードのような模様が印刷されている代物だ。
このドッグタグは正式名を"血統証明書"といい、所有者が親の代からフェイゼンドニクスの国民であることを証明するものである。
表のナンバーはランダムに振り分けられており、ミリィのドッグタグには8939とある。
ナンバーの上部には"Ⅱ"という数字が彫られているが、これはミリィが親子二代に渡って国民として登録されていることを意味する。
このタグを提示し、無事その人が所有者本人であると認められれば、国民限定エリアの出入りが楽に通るという仕組みだ。
中にはサラブレッド証明書と嫌みをこめて呼ぶ者もいるが、国内ではエリートの証という認識の方が強い。
「なんか、面倒臭いな」
二人がかりで難しいルールを説明され、ヴァンはややうんざりした顔で溜め息を吐いた。
「まあね。先進国って言われてる割に、こういうところは意外とアナログだけど。なかなか便利なんだぜ?デザインも洒落てるし」
ミリィがタグを懐に仕舞うと、トーリも自分の通行証をポケットに仕舞った。
「それで?ヴァン・カレン。
収容所に隔離されていた時、他に可笑しな点はなかったかい?」
「ヴァンでいい。他にあったのは────」
今思えば、どこがというより、全てが可笑しかったような気がする。
罪人島とは、文字通り罪人を隔離し、処罰するための島だ。
死ぬか生きるかの瀬戸際で、己の犯した罪を悔いながら罰を受けるための場所だ。
島送りが決定したと聞かされた時には、ヴァンもまた己の死を覚悟した。
島送り、イコール、死。
そんな極端なイメージが定着するほど、あそこは忌み嫌われた場所だった。
「仕事は楽だし、飯は美味いし、風呂にも毎日入れる。
人づてには地獄のように恐ろしい場所だと聞いていたが、俺はむしろ天国のように思った。
あんなに健康的で、人間らしい暮らしをしたことはなかったからな」
あの地に足を踏み入れたが最後。
護送された罪人達は、いっそ死んだ方がマシと思えるような目に遭わされるか、是非もなく殺されるか。
多くの者らが声を潜めて畏れていたあの噂話は、一体なにを根拠に、どこから世に広まっていったのだろうか。
「それに、メディカルチェックが5日に一度っていうのも変だ。多すぎる。
だから、俺はてっきり、それまでの楽な労働は、明確な処罰が下されるまでの猶予なんだと思っていた」
「その猶予とやらが過ぎてから、ようやく本格的な罰が与えられると?」
「いや、死ぬと思った。
明日か、明後日か、1時間後か。ぬるま湯に浸かりながら、その時がくるのをただ待っていた。
自分の部屋の前を看守が横切る度に、今度こそ俺の死刑を言い渡しにきたんじゃないかと緊張した。そういう意味では、生きた心地がしなかったな」
突然面会に訪れたミリィに対しても、ヴァンは同じことを思った。
こいつこそが、己の終末を告げに来た死神なのではないかと。
ヴァンは恐れを抱いていなかったが、檻の中では気が休まることもなかった。
他人の命を奪うことで生かしてきた身。その罪の重さは十分理解していたし、自覚していた。
だからこそ、いつか自分は犯した罪に相応しい凄惨な最期を遂げることになるだろうと。
あの日、怯える相手に初めて銃口を向けた時から、常に己の死とも向き合ってきたのだ。
なのに、今の自分はここにいる。
少し前までの出来事が、ヴァンにはとても遠いものに感じられた。
「……なるほどな。大体は分かったよ。大体は、予想していた通りだ」
ミリィは組んでいた脚を下ろすと、前屈みの姿勢になって改めてヴァンと向き合った。
「お前の言う噂ってのはな、全部真っ赤な嘘なんだよ」
「嘘?」
「裏社会を生きてきたお前ならもしや、と思ったんだが。本当になにも知らないのか?」
「……どういうことだ?もっと分かりやすく言ってくれよ」
「そうだな。じゃあ単刀直入に教えてやろう」
"あそこはな、売り場なんだよ"
急に声のトーンを下げたミリィに、ヴァンは驚いて目を見開いた。
黙って二人の会話を聞いているトーリは、暗い表情で俯いた。




