Episode09-2:覚醒の報せ
「その写真には何が写ってる?」
「紹介されてるラーメン屋さんと、隣は───なんだろう。見た感じ食べ物屋さんかな?大衆向けってよりは高級っぽいね」
「反対側には?」
「こっちは背の低いオフィスビル?と────」
「それそれ。オフィスビルで間違いないよ。まだ新しそうだろう?」
「うん。だから?」
マナは記事の載った見開きを横にして、シャオにも見えるようテーブルに置いた。
「ここ、名前の通り一応はオフィス扱いなんだけど、実質はほぼ管理者の自宅だったみたいでね。
仕事関係で人が出入りすることはあまりなかったそうなんだ」
「ふーん……?」
マナは再び首を傾げた。
一方シャオは、例の写真を指先で突いてニヤリと笑った。
「このビルで、つい先日殺人事件があったんだよ」
事件発生時刻、すなわち被害者が死亡したのは、8月3日の夜更け頃と推定されている。
まだシャオ達がアメリカに飛んでいた時分だ。
亡くなったのは、ビルの管理者であるラザフォード・ティッチマーシュ。46歳男性。
詳しい背景は定かでないが、ビルの出入り口および現場の扉には抉じ開けられた形跡がなかったという。
つまりは犯人が被害者の顔見知りで、正式に迎え入れられた後に被害者を襲ったか。
あるいは犯人が何らかの特殊な技法を用い、セキュリティーを掻い潜って建物内へ侵入したものと思われる。
死因は激しい暴行による失血。
息を引き取る直前まで痛め付けられたようで、遺体には凄惨なやり口が生々しく残っていた。
削がれた耳と切り落とされた四肢の指先は、夥しい量の血と共に散乱。
上体には複数の挫傷と刺創、加えて銃創が一カ所確認された。
刺創にはドロップポイントナイフ、銃創には9mm口径のハンドガンが使用されたことが解剖の結果明らかとなっている。
犯人は人体の仕組みを熟知した者であるのか、敢えて急所を外していたようだった。
辛うじて死なない程度に留め、被害者を長時間に渡って苦しめるためだろう。
眉間を貫いた銃創が死後に付けられたものという観点からも、殺すために殺さなかった意図が窺える。
最後の最後で無意味な発砲をしたのは、単なる腹いせか、はたまた儀式的行動か。
全ての真相を握っているのは、未だ正体の知れない犯人のみである。
「───そんな酷い事件があったなんて……。
でも全然ニュースになってないよね?これ。テレビでもネットでも、それらしい話題は一度も……」
「そこなんだよ。この件は、国内未曾有の一大事と言っていい。
なーのーに?ニュースに取り上げられるどころか、関係者には箝口令が敷かれ、死因も自殺として処理された」
「自殺?誰かに殺された証拠がこれだけあるのに?」
「さあて。国のお偉いさん方は、よっぽどこの事を隠したいみたいだねえ?」
件のラーメン屋がオープンしたのは、事件発生から僅か三日後のこと。
掲載された写真も、オープン初日で賑わっている様子を撮影したものである。
にも関わらず、ラザフォードのビルには不気味なほど変わった様子がなかった。
近くで警察関係者が張っているわけでなければ、規制線が施されているわけでもない。
全くの無人、全くの未処置だ。
おまけに箝口令まで敷かれたとなれば、ラザフォードが亡くなった事実さえ知らない者の方が多いはず。
家族や知人であれば訃報は届いたろうが、無惨に殺された末とは想像もしまい。
完全な隠蔽工作。
そうまでして事件がひた隠しにされる訳とは。
「ラザフォード・ティッチマーシュ。
彼はキングスコートの研究所に在籍する学者だった」
ラザフォードの本職は生命倫理学者。
キングスコートの研究所に在籍し、生前のフェリックスが率いたチームでも重要なポジションについていた。
世間的には無名でも、業界内でラザフォードはかなりの有名人だったのだ。
しかしシャオ曰く、ラザフォードの特筆すべき点はまだあるという。
「表沙汰にはなっちゃいないが、これまでにも何人か、キングスコートの医療従事者が消されてるらしいんだ」
「この人みたいに殺されてるってこと?」
「恐らくはね。中には失踪扱いの者もいるようだけど、彼らは共通して犯人から暴行を受けていた。
酷い嬲られ方をした奴ほど、恨まれてたってことなんだろう」
レイニール・ヴェルスバッハ。41歳男性。
ヘンドリック・クラウゼヴィッツ。56歳男性。
ヴァーノン・ヴォジニャック。50歳男性。
上から順に病死、事故死、行方不明と開示内容は異なるものの、実際は何者かによって三名とも殺害されている。
それも全て同一犯だろうと、シャオはやけに確信めいた口ぶりで語った。
「そこまで徹底的に隠蔽されてるのに、なんでシャオはそんなに色々知ってるの?事件のことも、同一犯かもしれないことも……。
ラザフォードって人が殺されたのだって、丁度ボクらが不在の時なわけでしょ?調べる機会も時間もなかったんじゃ……」
「私にとっては、機会も時間も"巡る"ものではなく"作る"もの。あるいは"手繰り寄せる"ものなんだよ。
アメリカの大統領が一日に何回ウンコしてるか教えてやろうか?」
「……本当にすごい人だったんだね、シャオって」
「おや、今更気付いたのかい?」
「そうやって軽薄ぶるからだよ」
「ぶっちゃいないさ。私は元から軽薄なの」
「またそんなこと言って」
冗談も交えつつ、シャオは自らが如何に手広い情報屋であるかを改めて証明した。
疑っていたわけではないが、マナも改めてシャオへの信頼を確かにした。
「───さて。いいところだが、詳しいことはリーダーが合流してからにしよう。
私よりも、彼女の口から直接語ってもらった方が早いしね」
シャオは開いていた雑誌を閉じると、そろそろ自分の部屋へ戻るようマナに促した。
「彼女?」
「私の昔馴染みさ。同業のね」
「ああ……。なるほど。だからシャオも知ってたんだね。事件のこと」
「ま、私自身前々から目付けてた案件だし?進捗に大した差はないんだけど、今回ばかりは彼女の方がちょびっとだけ上手だった的な?」
「はいはい」
シャオには同業者の友人がおり、その友人もシグリムを拠点に活動している。
情報屋としての手腕に差はないが、一連の殺人事件に関してはシャオよりも友人の方が多く情報を持っているという。
「向こうのアポはもう取ったから、あとはこっちの頭数を揃えるだけ。
引き合わせるのが今から楽しみだよ」
シグリム始まって以来の流血沙汰が全て、キングスコートの研究所に、フェリックスの息がかかった人物に関係している。
ここを叩けばきっと、埃が出るなんてものではない。神隠しとキングスコートの闇が、一本の線で繋がる日も近いかもしれない。
問題なのは、誰が敵で味方かということ。
フェリックス個人か、彼の配下にあった組織全体か。あるいは、この国そのものがそうなのか。
肝心の親玉の正体が見えるまで、まだ、少し足りない。
「そういうことなら、アンリが帰ってくるのを待つしかないね」
おもむろに席を立ったマナは、買い物袋の中を再び漁り始めた。
「ボクはこれからジュリアンの部屋に行って、ごはんを届けるついでに、さっきの話を伝えてくるから。シャオはジャックをお願いね」
「エッ」
予想外の役目を押し付けられ、シャオはすかさず異議を唱えた。
「ちょっと待って、私が彼女の相手をするのかい?
せっかく同室なんだし、出来れば君の方から────」
「だめ。シャオはちゃんとジャックと仲直りして。
このままじゃずっと印象悪いよ」
取り付く島もない。
マナはジュリアンと自らの分の夜食を抱えると、出口に向かって踵を返した。
シャオとジャック。
双方共に最悪の第一印象だったため、出会ってから今日まで二人はずっと余所余所しい雰囲気だった。
マナが橋渡しに努めたおかげで一応のコミュニケーションはとれていたが、いつまでもこんな調子では決まりが悪い。
この機会にじっくり話をして、少しでも蟠りをなくしてほしい。
欲を言うなれば、せめて名前を呼び合う程度には打ち解けてほしい。
そう願うマナは、心を鬼にして二人を突き放す態度に出たのだった。
「別に、私は嫌われたままでもいいんだけれどね」
シャオは面倒臭さそうに独り言をぼやいた。
ドアノブに手を掛けていたマナは、首だけを後ろに向けて"嘘つき"と返した。
「シャオはジャックを嫌ってるわけじゃないでしょ。
むしろ、彼女のことちょっと気に入ってる」
「ハア?気に入ってるって、なにを根拠に言ってるんだい?
君も見ただろ、私と彼女のファーストコンタクトは最最最悪だった。あれはマジで殺り合う5秒前って感じだったね」
シャオは皮肉っぽく鼻で笑った。
対してマナは至極当然のような顔で首を傾げた。
「だからでしょ?」
「は?」
「いつもヘラヘラして、誰に対しても適当な感じのくせに、ジャックと向かい合ってる時はなんか、ピリピリしてた。
あっちのが、あなたにとっての"素"なんでしょ?」
"そういう相手は大事にした方が、きっといいことあると思う"。
一方的に告げると、マナは今度こそ部屋から出ていった。
「第六感ってやつかねえ」
マナのいなくなったドアを暫く見つめたシャオは、もう一口コーヒーを飲んで天井を仰いだ。
「なんだかんだ彼も女ってことか」
女の勘なんて、しょせん根拠のない憶測だろうと思うのに。
反論できなければ、認めてしまっているのと同じことだ。
『He moved off into the darkness.』




