Episode09:覚醒の報せ
8月13日。PM6:48。
アンリがキオラと共にヴィノクロフ州で過ごしている時分。
ホークショー州に留まった仲間達は、街のビジネスホテルで缶詰状態にあった。
実質的リーダーであるアンリが不在の今、自分達の独断で行動を続けるのは懸命でないと、チェックイン時に全員の意見が揃ったためだ。
今後は人目を引きやすいジュリアンも一緒のため、これまで以上に警戒は怠れない。
どこへ行って何をするにも、細心の注意を払う必要がある。
よって一同は極力外出を控え、ホテルでも影を潜めて過ごすことにしたのだった。
ちなみに。
一行がシグリムへ帰還するに当たって、最初の滞在先をホークショーに選んだのには二つ理由がある。
一つは、アンリが身を寄せたヴィノクロフと隣り合わせであるという点。
二つは、ホークショーが人種の坩堝であるという点だ。
創立当時から、ホークショーはLGBTに限定された州。
つまりは、性的少数派の人間のみが暮らしている特別な地域なのだ。
ホークショーの初代主席、ギルフォード・ホークショーは、かつて全米で活躍したシンガーで、自身がバイセクシャルであることを公言していた人物だった。
後に盛りを過ぎたと感じたギルフォードは、音楽界からの引退を表明。友人のフェリックスらと結託し、この国を立ち上げることを決めた。
自身と同じ悩み苦しみを抱える同胞らに、差別も偏見もない居場所を提供してやりたい。
セクシャルマイノリティが当たり前に、笑って生きられる世界を作りたい。
誰もが無謀だと一蹴した夢を、ギルフォードは生涯をかけて実現させた。
ホークショーの名を冠した街が、国が、世の片隅にでも存在することこそが、ギルフォードの念願叶った証左である。
残念ながら当のギルフォードは数年前に逝去してしまったが、今なお彼は世界中のLGBTに希望を与えたパイオニアとして愛され続けている。
とりわけホークショーの民達の間では威光が強く、敬虔なカトリックに劣らぬほどギルフォードを崇め奉る者も少なくないという。
「───この後はどうする?近場のパブでも寄っていこうか?」
「それも良いけど、実はそこのホテルをとってあるんだ」
「へえ。ずいぶん奮発したね。一晩でオケラになるって有名なのに」
「せっかくの記念日なんだ、たまには贅沢したって許されるさ。
パブでカクテルか、部屋でシャンパン。君はどっちがお好みかな?」
「どっちもと言いたいところだけど、今夜は君のエスコートに甘えようかな」
「───もー、足元ふらついてるじゃない。馴染みのないもの頼むからよ?」
「だって、貴女のお気に入りがどんな味か、知りたかったんですもの」
「あら、珍しく素直ね」
「嫌いになりましたか?」
「まさか。もっとずっと愛おしいわ。
けど、あんまり人前で無防備を晒すのはやめてね?あんたの可愛い姿は全部、私が独り占めしてやるんだから」
一度街を見渡せば、一見風変わりだが心根の優しい住人達が幸せそうに歩いている。
彼等は人を、物を、決して偏った目で見ない。
男同士が手を繋いで歩いていても、女同士が道端でキスをしていても。
それを傍からじろじろと眺めたり、ひそひそと陰口を叩く者はいない。
性的嗜好も、容姿の美醜も人それぞれ。
全ては個性なのだと胸を張る彼ら彼女らは、どんな相手にも平等だ。
故にこそ、シャオやジュリアンのように特別な雰囲気を持った人間のことも、さして気にしない。
ここなら、妙な集団がうろついていると後ろ指を指される心配はないというわけだ。
**
PM7:28。
夜が深まる前に最寄りのストアへ買い物に出ていたマナが、両手に大きな袋を抱えてホテルに戻ってきた。
本日の夜食は、彼女の見繕った出来合い品を各々部屋でつまむ予定だ。
ゲスト用のエレベーターで三階まで上がったマナは、最初に301号室のドアをノックした。
ここはシャオが宿泊している部屋。その隣の302号室がマナとジャックの部屋で、303号室がジュリアンの部屋である。
「───やーやーご苦労様~」
ドアが開くと、中からシャオが顔を出した。
後ろで髪を一纏めにし、アメニティのルームウェアに着替えた姿は、すっかりリラックスモードだ。
「ワ~オ。たくさん買い込んできたねえ」
「うん。いろいろ見て回ってる内に、なんか目移りしちゃって……。
ドアそのままにしといてくれる?」
「持とうか?」
「いい」
両手が塞がっているマナのため、シャオはドアを開放したまま彼女を迎え入れた。
マナが部屋に上がると、シャオは周囲を確認してからドアを閉め、念のため施錠した。
「この街で暴漢に遭うなんてこともないだろうけど、やけに遅いから心配したよ。道中なにもなかったかい?」
部屋の中央に備え付けられたテーブルには、各地域ごとの情報誌が数冊積み重なっている。
今朝からずっと今後のスケジュールを組んでいたシャオだが、まだ作業は終わっていなかったようだ。
「特にはなかった、けど……」
「けど?」
シャオはテーブルの上をいそいそと片付け、空いたスペースにマナが買い物袋を置いた。
「帰る途中、知らない女の人に声、かけられた」
「ほー。もしかしてナンパかい?」
「ナンパっていうか……。ご飯でもどうかって言われただけだよ」
「そういうのを世間ではナンパと言うのさ」
「こんな見た目してるのに、ボクのこと女だって最初から分かってたみたい」
「へーえ?さすが本職は見る目があるねえ。
君のようにユニセックスなナリをしていても、同性か異性かを一発で見破れるわけだ」
「みたいだね」
シャオはテーブルとセットのスツールに腰を下ろした。
マナは袋の一つに手を入れ、中身を物色した。
「シャオのリクエストはBLTだったよね。
ソースの種類とかは選べなかったんだけど、これでもいい?」
「不味くなけりゃあ何でもいいさ。アリガト。
仕事中とか時間ない時はいつもこれなんだよねー」
「あとは適当に副菜とか、疲れてる時に良いと思って甘いものとかも……。
今食べてもいいし、明日の朝食に回してもいいように色々買ってきたから。好きなの選んで」
シャオの分の夜食を、マナは順番にテーブルに並べていった。
まだ暖かいBLTが一つと、他にサラダやホットスナックなどが数点。
本人も言う通り色々と買い込んできたようで、テーブルの上はあっという間に食べ物で一杯になった。
シャオは中からブラックの缶コーヒーを手に取ると、さっそく口を付けた。
シャオの正面に着席したマナは、床に落ちていた冊子の一つを拾い上げた。
するとシャオは馬鹿にするように、くつくつと喉を鳴らした。
「フフ、笑えるだろう?
こういう記事になるのは、たいがい平和ボケした内容ばかりでね。
有名ブランドが店舗を出してどうとか、イベントの日程が例年と比べてどうとか。いなくなったペットが何処で見付かりましたよ、なんてのも時たまあるね。
ンフフ、くだらない。まるで子供の読み物だよ」
一蹴するシャオを尻目に、マナは更に一つ、もう一つと次々に冊子を拾っていった。
「これはホークショーの、こっちはクロカワので、これは───。シャンポリオンと、ポタペンコ」
大きなニュースはテレビ番組で報道、またはネット上で配信が当たり前。
そんな昨今において、この手のローカル誌はもはや遺物。有って悪くないが、無くて特に困らない。
"子供の読み物"というシャオの表現も、あながち間違いではなくなってきている。
しかし、時にはガラクタの中に重要なヒントが紛れていることもある。
それをシャオは見逃さなかった。
「見てごらん」
シャオはテーブルの隅に避けていた情報誌から一冊だけ引き抜くと、マナに差し出した。
マナは拾い集めた冊子を纏めて膝に乗せ、差し出された情報誌を最初に開いた。
「ほらそこ、左下。写真付きの記事があるだろ」
付箋の貼ってあったページでマナが手を止めると、シャオは見開きの一角を指差した。
「これ?
えーとロードナイトのオフィス街に堂々出店……。世界で話題沸騰のラーメンチェーンが満を持してシグリム初上陸。最初のターゲットはおカタいビジネスマンと強気な姿勢で────。
なにこれ?」
これは、つい先日ロードナイト州で発行されたフリーペーパー。
ロードナイトといえば、知恵者の巣窟として名高いエリアだ。
必要以上の娯楽は堕落のもと、学びを放棄した者に明日は来ない。
なんて教訓が存在するほど学問に傾倒した住人が多く、全国知能調査では30年連続一位を記録している。
逆に観光客の数は最下位を更新中で、寄り道の対象からも外されてしまうことが屡々。
良くも悪くも、ストイックなイメージの強い土地柄である。
そんな条件の厳しい地域に、敢えて流行りの飲食店を構えるのは、確かに博打と言えるだろう。
しかし、それが一体なんだというのか。
シャオの意図が読めないマナは首を傾げた。
「ここに行ってみたいってこと?」
「イエスかノーで言うなら、イエスだね」
"ただし、君の想像している意味とは、ちょっと違うけど"。
マナの問いに、シャオは肯定しつつ否定した。




