Episode08:彼女の背中には翼がある
8月13日。PM12:30。
旅先のアメリカにて、新たに二人の仲間を得たアンリ一行は、昨日シグリムへと戻ってきた。
しかし、次の滞在先であるホークショー州に先立ったのは、アンリを除いた面子のみ。
当のアンリは故あって、しばらく単独行動をとることになった。
事件の調査とは関わりなく、個人的な用向きがあったためだ。
空港に着いた足で急ぎアンリが向かった先は、シグリム西部に位置するヴィノクロフ州。
首都キングスコートと隣接したここは、アンリの高校生活を支えた街であり、彼にとって第二の故郷とも言える安寧の地なのである。
通称、白の国。
ロシアの雪景色をイメージしたという石造りの街並みは、まさしく新雪が降り積もっているかのように真っ白。州境に至るまで純一無雑な世界が広がっている。
その光景はまさに、黒一色で知られるブラックモアとは対極の様相と言える。
"天国が実在するのであれば、きっとこんな場所だろう"。
これは昔、ヴィノクロフを訪れた異国の旅人が何気なく口にしたという台詞。
街に住む人々の清廉さ、街全体の寂然とした空気感を表している。
以来ヴィノクロフは、天国に最も近い場所として世間に認知され、現在は世界文化遺産の登録も検討中である。
**
PM2:10。
ヴィノクロフ州・エリシナ地区に到着したアンリは、道中少し寄り道をしてから、街の自然公園まで足を延ばした。
大きな噴水に豊かな緑、動物をモチーフにした愛くるしい遊具。
これらの設備は全て、住人達が協力して管理しているもの。
公式にルールを設けずとも、皆の宝は皆で力を合わせて守る。それがヴィノクロフの人々の美徳であり、誇り。
空き缶の一つさえ足元に落ちていないのが、彼らの意識の証左である。
広場を見渡せば、老若男女の姿がある。
若いカップルから子連れの夫婦、井戸端会議に集まった高齢者の集団まで。
悪さを働く目的でなければ、どこの誰であろうと出入りは自由。過ごし方も千差万別だ。
だがアンリは、小休止のために公園を訪れたのではない。
実は"ある人物"と、ここで待ち合わせの約束をしているのだ。
「(いた)」
ふと往来が途切れた瞬間、アンリの視界に一人の女性が映った。
噴水の縁に腰掛けた彼女は、何やら目まぐるしい白と赤に囲まれていた。鳥だ。
鳥達は他の一切に興味を示さず、彼女とのみ戯れている。彼女も彼女で、嬉しそうに鳥達の止まり木役を買って出ている。
見るからに打ち解けた様子だが、彼女の手に餌などは握られていなかった。
「───キオラ!」
アンリは持参した花束を掲げて、大声で女性の名を呼んだ。
女性がハッとこちらを振り向くと、驚いた鳥達は一斉に飛び立ってしまった。
アンリは申し訳なさそうに肩を竦めながら、女性に近寄っていった。
女性も名残惜しそうに鳥達を見送ってから立ち上がった。
「すまない。邪魔をしたね」
「ううん。驚かせちゃったのは私だから」
女性は鍔付きの帽子を脱ぎ、アンリに挨拶した。
「久しぶり、アンリ。思ったより元気そうで良かった。会えて嬉しい」
キオラ・シャムシュロヴァ・グレーヴィッチ。20歳。
上は緑と黒のバイカラージャージ、下はジーンズにワークブーツ。
出で立ちこそラフであるものの、本人は極めて容姿端麗。
靡くヘーゼルの髪は絹糸の如く、白く透き通った肌は陶器のよう。どこか儚げな印象を含め、非の打ち所のない美女である。
ただし、彼女自身は自らの容姿をあまり得意に思っていない。
服装は極力露出の少ないものを好んで身に付け、化粧もたまにパウダーをはたく程度。
お洒落には昔から消極的で、他者からクローズアップされることを避けている節がある。
なまじ美しく生まれてしまったことを疎むかのように。
そんな飾り気のない実直な彼女が、アンリにとってはとても心地の好い相手だった。
「俺こそ、久々に顔が見られて嬉しいよ。
───と、まずはこれを受け取ってくれるか?」
互いの挨拶が済んだところで、アンリは例の花束をキオラに差し出した。
24本のホワイトローズ。本当は50本以上贈りたかったのを、持ち運びの面を考慮して今日は20本程に抑えた。
「わあ……。ホワイトローズだね。いい香り」
花束を受け取ったキオラは、薔薇の花弁にうっとりと顔を寄せた。
アンリはキオラの喜ぶ反応が見られて嬉しいと共に、ようやく肩の荷が降りた気分だった。
「花束を抱えて歩くってのは、最近やっと慣れたけど……。何度やっても、注目されるのは恥ずかしいもんだな」
「毎度そんなに気を遣ってくれなくていいのに……。
でもありがとう。アンリのそういう律儀なところ、昔から尊敬してる」
「あんまり褒めないでくれ。ここへ来る途中、ついでに君の職場にも顔を出したら、色々と世話を焼かれてしまっただけなんだ。
だから、花束を持ってきたのは偶然」
「ふふ。いつも格好いいくせに、照れ隠しは相変わらず下手だね」
"きっとこういうのが、母性本能をくすぐるってやつなんだろうけど"。
くすくすと笑うキオラに、アンリも困ったようにはにかんだ。
ちなみに花束は、普段キオラがアルバイトとして勤務している花屋で拵えた。前述の"寄り道"だ。
彼女の本業はいわゆる運び屋で、街の住人達に手紙や荷物を届けることを主な生業としている。
一方で、長年の趣味が高じて花屋の手伝いも掛け持ちするようになった。今から一年程前のことだ。
配達中はスケートボードないし自転車で街中を駆け回るので、純粋な仕事人の意味でもキオラは広く顔が知られている。
「隣、座っていいか?」
「うん。あ、でもそこ少し濡れてるから。もうちょっとこっち来て」
二人で噴水の縁に座り直すと、飛び立ったはずの鳥達が再びキオラの元に集まってきた。
「さすが。翼のある生き物には本当によく好かれるんだな」
「うーん……、どうしてかな。餌も何も持ってないのに」
群れの一羽がキオラの膝に止まる。
キオラは花束を落とさないよう気を付けながら、鳥の上背を指先で優しく撫でてやった。
「出来れば他の動物とも仲良くしたいんだけどね。
好かれるってよりは、嫌わないでくれるって言う方のが正しいかな」
そう呟くキオラの横顔は寂しそうで、アンリは彼女の半生を思い起こした。
原因は定かでないが、生来彼女は身近な哺乳動物に畏怖されてしまう体質なのである。
どんなに慎重に接しようとも、彼らはキオラの姿を見るなり怯えて離れていってしまう。
そのせいでキオラは、犬や猫などにまともに触れたことがないのだ。
そんな彼女でも親しくなれる生き物こそ、人間。そして、鳥類と魚類だった。
中でも鳥は、むしろキオラに対して友好的で、こうして自ら傍へ寄ってくることもある。
「あれ。おまえ、さっきもそこにいたね」
「分かるのか?」
「多分ね。ちょっとずつ顔立ちとか、毛並みとかが違うから」
今度はキオラの肩に、別の一羽がそっと止まった。
燕程の体長で、立派なトサカにブルーグリーンの瞳を持つ"白い"鳥。名を"ミーフ"という。
彼等の落とす羽が雪のようであることから、別名を"スノーバード"。
ヴィノクロフは夏でも雪が降るとの都市伝説は、これが所以である。
先程キオラの膝に止まった"赤い鳥"の方は"フェンゼル"。
伝説上の生き物、不死鳥フェニックスに外見が瓜二つであることから命名された。
体長が鳩ほどなのに対し、翼と尾は鷹並に大きいのが特徴。
威嚇する時の鳴き声が猫に似ているため、"キャットバード"の別名もある。
どちらもシグリムにのみ生息する固有種で、国の象徴ともいえる神聖な存在だが、フェンゼルの方は何故かヴィノクロフに分布が集中している。
他州でも姿が見られるのはミーフのみである。
「───それで、どうだった?弟さんとは、ちゃんと話せた?」
肩に乗るミーフの腹を人差し指の関節で撫でながら、キオラは心配そうに尋ねた。
というのも、二人が会うのは今年の4月以来。
当時アンリは、生き別れの弟に会いに行くと言い残してキオラと別れたのだ。
唯一の肉親と思われた母の喪失。
明らかになった異母弟の存在。
こうも立て続けにショッキングな出来事が起こるなんて、アンリの心身が持たないのではないか。
頻繁に連絡を取り合っていたとはいえ、キオラの不安は今日まで募る一方であった。
「ああ。流石にまだ、普通の兄弟のようにとはいかないが……。焦らずゆっくり、関係を築いていきたいと思ってるよ」
「そう……。そっか、うん。
時間はこれから、いくらでも作れるしね。お互い自分のペースで歩み寄ってくのが一番だ。
私も、いつかその人と会ってみたいな」
「ある程度片が付いたら紹介するよ。必ず」
「うん。楽しみにしてる。
……けど、あんまり無茶はしないでね。私でも何か力になれることがあったら、遠慮しないで言ってほしいよ。
私なんかじゃ、アンリの役には立てないかもしれないけど」
キオラの瞳に僅かに陰が落ちる。
アンリはキオラの頭を優しく撫で、笑い掛けた。
「そんなことないさ。こうして会って話をしてくれるだけでも、俺はすごく気持ちが軽くなる。
君はもう少し、自分に自信を持った方がいい」
「それ、昔から言ってくれるね。卑屈になってるつもりはないんだけど……。ありがとう」
アンリは足を組み直し、キオラは薔薇の花弁に触れた。
二人だけの世界で、穏やかに時は過ぎてゆく。
アンリが神隠しの謎を追っていることを、キオラは知っている。
アンリは他の誰よりキオラを信用しているし、彼女にだけは上手に嘘を付けない弱みも自覚している。
だから出来るだけ隠し事はしないようにしている。
どうやら自分には、腹違いの弟がいるらしい。
その弟の身内が、噂の神隠し事件に巻き込まれたかもしれないらしい。
せっかく兄弟がいると分かったなら、是非会ってみたい。
もし困っているなら、兄として助けになってやりたい。
別れ際に説明した理由も嘘じゃなかった。
嘘じゃなかったが、包み隠さず真実でもなかった。
"弟"の前に、まず"父"の存在があったから。
父の疑惑を暴くためには、神隠しの秘密を探る必要があったから、アンリは旅に出たのだ。
ならばキオラにも、そう伝えれば良い。
直前まで迷いながらも、結局アンリはキオラの前では父の名前を出せなかった。
何故なら。
「君の方こそ体、どうなんだ?
最近は調子が良いんだ、なんて電話じゃ言っていたけど……。今でも病院には掛かるんだろう?」
何故なら彼女が、父・フェリックスと密接な関係にあったから。
生まれつき体が弱く、特別な持病を抱えているというキオラは、物心つく以前からキングコスコートの病院に掛かり切りだった。
アンリとキオラが出会ったのも、彼女の担当医であるフェリックスが二人を紹介したからだったのだ。
「定期検診には通ってるけど……、それだけだよ。前みたいに倒れて担ぎ込まれたりはしない」
「本当か?心配かけないように嘘ついてるんじゃないか?」
「アンリに嘘は付かないよ。本当に大丈夫。
ごめんね、会う度に私の体のことばっかり」
「謝ることじゃないさ。俺だって、何かと君をやきもきさせてるんだ。お相子だよ」
アンリは考える。
今目の前にいる彼女は、息子である自分よりもずっと長く、フェリックスと時間を共にしている。
キオラなら、自分達の知りえない父を、フェリックスの正体を知っているかもしれない。
けれど、どこまで立ち入っていいか分からない。
答えは直ぐ側にあるかもしれないのに、掴むのは酷く困難なことに思える。
最も近く、果てしなく遠く感じられる。
人身売買。人体実験。
まだ確定していない事柄と結び付けるのは早計だが、もし疑惑の全てが事実であったなら。
君は、もしかして。




