Episode07-7:心優しい怪物
「お前達も、一年前のことを聞きに来たんだろう」
アンリ達が尋ねるよりも先に、ジュリアンの方から核心を突いてきた。
彼は最初から、アンリ達の真の目的を見抜いていたのだ。
けれど彼は淡々としており、狼狽えた様子も怒りを覚えた様子も全く感じられなかった。
関連の話題を出せば激昂するかもしれないと懸念していたアンリ達にとって、彼の反応は何もかもが予想外だった。
「ええ。その通りです。
今の仰りようだと、我々以外にも事件の話を聴取しにきた人間がいたということですね?」
「そうだ。引っ越す前も、引っ越した後も、話を聞きにくるやつ、冷やかしにくるやつ、いっぱいいた。
褒められたり、怒られたり。色んな人に、色々なことを言われた。
最近はやっとなくなったけどな」
事件から一年後。
釈放されたジュリアンの元には、立て続けに来訪者の姿があった。
当時のことを改めて記事にしたいと面白尽くの新聞記者。
思いがけず英雄となった彼に掌を返し、擦り寄ってきた町の住人達。
多くの者が彼に接近し、下心を隠して付き纏い、彼しか知らない事件の裏側を語らせようとした。
だが、ジュリアンがそれに応えることは決してなかった。
たとえ相手が誰でも、立ち入った事情には絶対に触れさせなかった。
とりわけ、失われた少女に関する話は、本人は口にするのも辛かったようだ。
「おれと仲良くしてくれた人、施設の優しい子供達……。
みんな、おれのことを心配してくれたが、心配してくれるだけだった。
みんなはおれを嫌ったり、怒ったりするようなこと、一度も言わなかった。
事件のことを教えてくれとしつこくしてくる奴らは、関係のない奴らだ。なにも知らない奴だけが、なんでも知りたがる。
もう、終わったことなのに」
態度こそ変わらないものの、ジュリアンの声は微かに落胆や軽蔑の色を孕んでいた。
無神経な手合いに次から次へと群がられ、何度も不快な思いをさせられてきたのだろう。
もう事件のことについて問い質されるのはうんざりだ、とでも言いたげなジュリアンに、アンリは閉口せざるを得なかった。
やはり、未だ傷心の彼に当時を思い出させるのは酷だったようだ。
出来れば詳しい背景を話してほしかったが、本人の気分を害してしまうようなら、これ以上は踏み込めない。
残念ながら、諦めるしかなさそうだ。
アンリは背後にいるシャオに向かって一つ目配せをした。
するとそこへ、思わぬ人物が横槍を入れた。
「諦めてしまうんですか」
マナだった。
彼もとい彼女は、ソファーから身を乗り出すと、ジュリアンの顔をガスマスク越しに見詰めた。
"諦めるのか"。
今の言葉は、マナの目の前にいる彼に対して投げ掛けられたもの。
しかし同時に、アンリ達の胸にも鋭く刺さった。
「まだ女の子が死んだと決まったわけじゃない。
もしかしたら、今もどこかで生きてるかもしれない」
「そう、なのか……?
でも、警察の人は、もう手遅れだと。たとえ生きていても、見付けるのは無理だと」
「無理かどうかを決めるのはあなた。
確かな証拠がないってことは、希望がなくなったわけでもないってこと。違う?」
「………。」
「もしその子が生きてるなら、きっと今も一人で泣いてる。
誰かが助けに来てくれるのを、じっと一人で待ってる」
"あなたはもう、その誰かになる力をなくしてしまったの?"
普段は大人しいマナが、珍しく力の篭った声で語った。
なぜ彼女が、これほどに入れ込んでいるのかは分からない。
ただ、ジュリアンと対する表情は真剣そのもので、とても初めて会う相手に向けるような熱量ではなかった。
「で、も……。やっぱり……。だけど……」
マナの勢いに圧され、狼狽するジュリアン。
何度となく反論しようと口を開くも、そこから先に続く文言はなかなか出てこない。
見兼ねたアンリは助け舟を出し、先程のマナの発言が裏付けされたものであることを説明した。
「近年は一部都市だけでなく、世界規模で人さらいが横行しているんです。
貴方のご友人も、その歯車の一つに組み込まれてしまったのやもしれません」
確証はない。
人さらいに遭った人間は漏れなくシグリムへ送られる、とは断言できない。
今度の件は全く別ルートだったかもしれないし、少女の身柄は個人の手に渡った可能性も否定できない。
もしそうと仮定するならば、地元警察の言うように、足取りを追うのは困難を極めるだろう。
だが少女を誘拐したのは、他ならぬシャオと因縁のあった組織。神隠しとの繋がりは濃厚だ。
どのみち、神隠しの真相に迫れば、自ずと全貌が見えてくる。パターンは絞り込めていくはずだ。
少女が今どこで何をしているか、導き出すのも決して不可能とは言い切れない。
「我々に確かなことは決められません。
ただ、先に彼女も言ったように、証拠がないなら己の目と耳を、直感を信じるべきです。
もう駄目だと絶望してしまうのは、時期尚早と思いますよ」
アンリはジュリアンに、自分達も同じ事情を抱えているのだと話した。
自分達も大切なものを失い、それを取り戻すため奔走しているのだと。
流石に全てを包み隠さず打ち明けるわけにはいかなかったが、それでもジュリアンは終始真剣に耳を傾けた。
一見当たり障りのなさそうな言動の中に、アンリの誠実さと信念を感じて。
やがてジュリアンは、これまでの野次馬とアンリ達は違うのだということを理解した。
自身と似た境遇にあるマナに対しては、特に心を開き始めたようだった。
「マノンは、おれを恨んでいるだろうか」
しばらくの沈黙を挟んでから、ジュリアンは俯きがちに呟いた。
"マノン"。
ジュリアンの友の一人にして、失われた少女の名である。
「どうしてそう思うの?」
「約束をしたんだ。マノンや、他の子供達と」
「どんな約束?」
マナが優しく尋ねると、ジュリアンは腿の上できつく拳を握りながら答えた。
「おれが、みんなを守ると。
悪い怪物が、みんなに悪さをしに来たら、おれが追い払ってやると、約束した」
子供達は時折、悪夢に魘されていた。
夜な夜な虚ろに現れる、恐ろしい怪物。
それは各々異なる姿をしていたけれど、夢の結末だけは皆同じだった。
怪物が自分を追い掛けてきて、最後には自分を一口で食べてしまう。
明るい子も大人しい子も、誰しもが口を揃えてそう言った。
施設に勤める保育士は、こう推測した。
きっと過去に怖い体験をしたせいで、当時の恐怖が異形となり、夢に出てきてしまうのだろうと。
子供達が恐怖しているのは怪物ではなく、怪物こそが彼らの恐怖そのものなのだろうと。
親のいない子どもたち。
彼らは愛に飢え、孤独を友とし、なにより再び捨てられることを恐れていた。
時が過ぎ、少しずつ笑えるようになっても、深く傷付いた心は一生癒えはしない。
忘れようと目を閉じても、瞼の裏には、あの頃の暗い景色が焼き付いている。
まるで忘却を阻むように、安寧を遠ざけるように。
彼らが健やかな眠りに落ちる度に、"怪物"はいつかの痛みを連れてやって来たのだった。
だからジュリアンは約束した。
自分は頭は悪いけれど、体は大きいから、どんな化け物が相手でも、きっと追い払ってみせる。
みんなが闇の中で迷子になった時は、自分がみんなを見つけ出して、暖かいホームに帰してあげると。
以来、子供達は夜を、睡魔を拒まなくなり。
夢の中の怪物とも、勇気を出して戦えるようになったという。
みんなのお姉ちゃんだったマノンが、いなくなるまでは。
「なのに、おれはマノンを守ってやれなかった。
役立たずで嘘つきのおれを、きっとマノンは恨んでる」
膝を抱えたジュリアンは、マスクに隠された顔を両手で覆った。
「これからマノンを見付けに行って、本当にまた会えた時。おれは何と言って、彼女に謝ればいいんだ」
マノンを救えなかった罪の意識から、彼は眠れぬ日々を過ごしてきた。
事件が起きてしまったのは決して彼のせいではないけれど、彼自身は自分を責めた。責め続けた。
自分から誓った約束を、自分で破ってしまったこと。
ジュリアンにとっては、マノンを攫っていった者達よりも、自分の方がずっと大罪人に思えてならなかった。
「そんなことないよ。マノンはあなたを嫌ったりしない」
再びマナが口を開いた。
アンリはマナがどのようにしてジュリアンを説得するか、黙って行く末を見守ることにした。
「どうして、そんなことが言える?おまえはおれの友達じゃないし、マノンの友達でもない。
会ったこともないやつが、おれ達のことを分かるわけない」
「わかるよ。だって、彼女とボクは同じだもの。
ボクも、親に捨てられた子供だから」
躊躇なく自らの生い立ちを明かしたマナに、初耳だった一同は目を見張った。
マナがジュリアンに対して必要以上に共鳴していた理由。
互いに大切な人を失った身だから、だけじゃない。
彼女もまたマノン同様に、孤児院で育った人間だからでもあったのだ。
「親のいない子供って、他人に対してすごく敏感なんだ。自分の身を守るために、どんな些細なことでも警戒する。
だから、なんとなく分かるんだ。人をよく見るから、その人がどういう人間で、自分をどう思っているか。
どんなに小さな子でも、感じることは出来る」
「じゃあマノンも、おれがどういう人間か、知っていた?」
「きっと。
ボクらは人からされたことを絶対に忘れない。意地悪されたことも、優しくしてもらったことも。
たとえ本人が忘れてしまったことでも、ボクらはずっと覚えてる」
"だから、あなたが優しい人だってことを彼女は知ってるし、あなたが優しくしてくれたことを、彼女は覚えてる"。
"裏切られたなんて思ってない。あなたはそんなことする人じゃないって、彼女だって理解してる"。
"ボクらはとても頑なで、気難しいところがあるけれど"。
"その分、一度心を開いた相手を、そう簡単に嫌いにはなれないよ"。
ゆっくりソファーから立ち上がったマナは、ジュリアンに触れられる距離まで近付いて膝を折った。
真っ直ぐに見据えてくるマナの瞳から、ジュリアンはもう目が離せなかった。
「一人で行くのが怖いなら、ボクが一緒にいてあげる。
一緒にマノンを助け出して、彼女をみんなのところへ帰してあげよう」
たとえ骸に果てていたとしても、見付けることに意味があるから。
彼女が唯一自由でいられた場所に、いつか帰してあげよう。
幼子に言って聞かせるように、マナはジュリアンに告げた。
ジュリアンは小さく頷き、アンリは安堵の溜め息を吐いた。




