Episode07-6:心優しい怪物
入り組んだ雑木林の直中に、山小屋風な木の家が一軒。
一行が目的地と思われる場所に辿り着いた頃には、すっかり夜になっていた。
「───駄目だな。全く反応がない。明かりも点いていないようだし、今は留守なのかもしれないな」
アンリは山小屋の扉を叩き、中に向かって何度か声を掛けたが、応答はなかった。
居留守を使っている気配もないので、家主は本当に不在にしているようだ。
「ウエー。せっかく来たのに無駄足かい?」
「だから言ったじゃない。会えるかどうか分からないって」
シャオは思わず項垂れ、ジャックは冷静に状況を見た。
「留守かはともかく、本当にここで合ってるのかな?人が住んでるようには見えないけど……」
アンリの隣に並ぶマナは、ぐるっと周囲を見渡して首を傾げた。
「いや、ここで合ってるはずだ。
建物の外観も聞いた話と一致するし、地図は間違いなく、この位置を指してる」
アンリは自分のスマホを使い、ネットワークに接続を始めた。
電波は悪いものの、地図アプリと現在位置との連動に問題はない。
目視できる限り、他に建物も見当たらない。
やはり、ジュリアンの住まいはここで間違いなさそうだ。
しかし目の前の山小屋に表札はなく、窓も全てカーテンで遮られている。
直接確認しようにも、家主不在のせいでコンタクトさえ取れない。
聞こえてくるのは、上空を飛び回る烏の鳴き声と、風に吹かれた木々が不気味に木の葉を揺らす音だけ。
「残念だが、今日のところは出直すしかなさそうだな。
せめて連絡の手段があれば、こちらとしても少しは動きやすいんだが……」
「彼、たぶん電話は持ってないわ。
手紙なら出せば届くでしょうけど、それも目を通してくれるか分からないし、読んでも返事をくれるか分からない」
まさに行き当たりばったり。
仙人の如く浮き世離れした生活を送っていると聞いたので、無論こうなることも想定済みだったわけだが、それでも一行は落胆の色を隠せなかった。
特にシャオは汚いものや虫が嫌いのようで、道中ずっとぶつくさと文句を垂れていた。
アンリに至ってはスーツを着用しているために、歩くだけでも一苦労な道のりだった。
いくら平地といえど、ほぼほぼ獣道を普段着で行こうなどと、最初から無茶だったのだ。
いずれにせよ、目当ての人物が居ないというなら、どうしようもない。
しばらく待ってみても時間が過ぎるだけだったので、恐らく今夜は帰らない日と思われる。
一行は諦めて、今日のところは引き返すことにした。
「───ん、シャオ?」
ところが。
アンリ達三人が続々と踵を返し始めた中で、唯一その場から動こうとしない男がいた。シャオだ。
シャオは暗い林の向こうを一点に睨み、左足を引き腰を下げ、警戒態勢に入った。
つい先程まで子供のように駄々を捏ねていたのに、いつの間にか表情は別人なほど精悍に変わっていた。
「おい、どうしたんだ急に────」
異変に気付いたアンリが立ち止まって尋ねる。
シャオは自分の口元に人差し指を当てがい、"なにか来る"と低く告げた。
マナとジャックも歩みを止め、途端に辺りを緊迫した空気が包む。
すると、シャオが視線を送る方角から、重い足音がゆっくり近付いてきた。
どすどすと周囲の草木を揺らしながら、こちらに向かって来るそれは、やけに大きな影に覆われていた。
ひょっとして、熊か。
同じ予感が全員の脳裏に過ぎり、なにが起きても反応できるよう各自身構えた。
手前の草むらが一層大きく揺れると、影の正体が一行の前に現れた。
だが正体は熊ではなく、熊のように逞しい体を持った人間だった。
「あ───。……ホワイトフィールド、さん?」
ジャックが間の抜けた声を上げる。
熊男は一行を前にして漸く足を止めると、じっとアンリ達を見比べて首を傾げた。
着古した黒のブルゾンと、グレーのオーバーオールを身に付けた彼は、何故かフルフェースのガスマスクを被っていた。
その人間離れした風貌は酷く怪しいが、手には満杯のウォータータンクを下げており、武器のようなものは所持していなかった。
アンリ達に対して危害を加える気配も全くない。
ただし人並みに警戒心はあるようで、しばらくの間を置いてからジャックの言葉に頷いた。
「ホワイトフィールドは、おれのことだ。
お前達、おれに用事があって、おれの家に来たのか?」
彼こそが、アンリ達の探していた人物。
ジュリアン・ホワイトフィールド、その人だった。
今まで家を留守にしていたのは、生活に必要な水を汲みに行っていたかららしい。
容量満タンの20リットルタンクを片手に二つずつ抱えているにも関わらず、彼は軽々とそれらを運んでアンリ達に近寄っていった。
「貴方が、ジュリアン・ホワイトフィールドさん───で、間違いないんですね?」
「ああ」
アンリは思わず溜め息が出そうなのをぐっと堪えて仕切り直した。
「そうでしたか。それは失礼をしました。
突然お伺いして申し訳ない。なにぶん、アポイントをとる手段がなかったもので。押しかけてしまいました」
「そうか。ここまで来るの、大変だったろ。この辺り、日が落ちるとすごく寒いんだ。
中、入っていいぞ」
一行の予想を良い意味で裏切り、ジュリアンは友好的な態度を示した。
鍵のついていない扉を開け、中へ入って行ったジュリアンに続き、アンリ達も続々と彼の城に足を踏み入れてゆく。
そこは煤けた外観とは裏腹に清潔な空間だった。
必要最低限の家具に加え、用途別に取り揃えられた農具の数々。
間取りはジュリアンの体格を考えると手狭にも思えるが、一人で細々と暮らす分には困らないのだろう。
なにより印象的なのが、部屋の隅に纏められた画材だ。
製作途中と思われるキャンバスには布が被せられているが、手を加えられた形跡は新しかった。
「絵を、描かれるんですか」
「……好きなんだ。おれは、下手だけどな」
何気なくアンリが尋ねると、ジュリアンは少し考えてから答えた。
まるで誰かと自分を比較しているような口振りだった。
「適当に座ってくれ。
お茶くらいしか出せないが、なにか温かい飲み物を───」
「いえ、お気遣いなく。
出来れば直ぐ話を聞きたいのですが、少々お時間頂けますか?」
ジュリアンが流し台に立とうとしたところで、すかさずアンリが引き止める。
ジュリアンは不思議そうに頷くと、部屋に一つしかない二人掛けのソファーに一行を促した。
自分は大きな体を畳み、ソファーの正面にどっかりと胡座をかいた。
誰がどこに落ち着くか話し合った結果、ソファーにはアンリとマナが着席することに。
ジャックはジュリアン同様地べたに三角座りをし、シャオは服が汚れるからという理由で一人だけ立っていることになった。
これで舞台は整った。
残る問題は、どうやって例の事件まで話を持っていくかだ。
噂によると、ジュリアンはとても用心深く、繊細な人物であるという。
となれば、こちらに敵意はないと示すためにも、まずは自分達から身分を明かすべきだろう。
アンリ達は一人一人手短に自己紹介をして、適当な世間話でもしてから自然に流れを作ろうとした。
しかし。




