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オルクス  作者: 和達譲
Side:A
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Episode07-2:鋭い瞳に鮮烈な朱が宿る



7月31日。PM1:48。

昨日の昼にアイダホ州に到着したアンリ達は、当日中に町で聞き込み調査を行い、ジュリアンが暮らしているという住所を突き止めた。


そして現地の宿屋で一夜を明かし、翌日。

一行はジュリアンの住まいに向かう前に、例の事件現場へと赴いたのだった。




「───本当にここで間違いないのか?」


「ああ。間違いないよ。

さすがに建物はもう残ってないみたいけど、ほら。隣にレストランがあるだろ?向かいには中古のバイク屋。

話に聞いた通りだ。確かにここに、奴らのアジトがあったんだよ」



持参した地図と先日の聞き込みで得た情報とを照らし合わせ、シャオは例の事件があったとされる場所の前でゆっくり膝を着いた。


事務所は既に取り壊されており、伽藍堂となった跡地は駐車場として再利用されているらしかった。

今時分は煤けた軽自動車と、赤いスポーツカーが一台ずつ駐車されている。


けれど、普通の駐車場とは何かが違った。

痕跡はなくとも、この辺りだけ、どこか他とは違う空気が流れている感じがあった。

物寂しいような薄ら寒いような、不気味なほどに乾いた静寂が三人を包む。




「奴の訃報を耳にした時は、笑い転げるほど嬉しくて、それはそれは喜んだものだけど……。

呆気ないね。人の命というのは。いつかまた対峙することになってもいいようにって、色々と準備してたのにさ。結局杞憂に終わってしまった」



"我々の問題は、所詮我々の間でしか動かない"

"彼が死んでも、私が死んだとしても、そのことに影響されるのは彼か私だけ"

"自分にとっては一生を左右しかねない大きな転機でも、世界にとってはこれっぽっちも意味を持たないわけだ"


そう低く呟きながら、シャオは駐車場の脇に生えていた雑草を毟って、パラパラと地面にばら撒いた。

不敵であっけらかんとしたキャラクターの彼だが、さすがに自身の生命を脅かした存在を前には思うところがあるのだろう。


やがてシャオが立ち上がると、同時に強い突風が吹き、シャオの長い黒髪とばら撒いた草とが空高く舞っていった。




「───誰か!そいつを捕まえてくれ!!」



するとその時。

どこからともなく男の大声が響いた。

しんみりとした空気を引き裂くような怒号で、歩道の東側から駐車場まで段々と近付いてくる。


三人が一斉に振り返ると、全速力でこちらへ向かう人影が目に入った。

先程の怒号の主は、正にその人物を追い掛けている最中のようだった。離れた距離から、しきりに捕まえてくれと叫んでいる。

男から必死に逃げる人物は、キャップ帽を目深に被り、着古したスタジャンを羽織って、高価そうな黒のセカンドバッグを脇に抱えている。


状況からしてこれは、引ったくりに間違いないだろう。

三人はすぐに理解したが、間近に迫る犯人を何故か誰も捕まえようとしなかった。

犯人はあっという間にアンリ達の傍らを通り過ぎると、彼方まで走り去って行った。



「どうして誰も動かないんだ」



一部始終を黙って眺めてから、最初にアンリが口を開いた。

アンリの左隣に並ぶシャオは、我関せずな調子で淡々と答えた。



「君こそぼんやり眺めてたじゃないか。

面倒くさいし、ほっとけばいいよあんなの。よくあることだ」



みるみる内に小さくなっていく犯人の背中。

アンリは少し考えたが、マナがいてもたってもいられない風だったので、見上げてくる大きな瞳に合図を送った。

無言で頷き返したマナは、駐車場を後にして犯人を追い掛けていった。



「へえ。手助けしてやるんだ。てっきり君はこちら側の人間と思ったのに」



シャオがニヤニヤとアンリの顔を見詰める。



「どういう意味だ?」


「すぐに反応しなかったのは、君も一瞬考えたからだろ?

あんなテブの成金に良くしてやるより、さっきの貧乏臭そうなのを見逃してやった方がいいのかもって」



涼しげに語るシャオをよそに、バッグの持ち主が小走りでやって来る。

持ち主の男は息も絶え絶えにアンリに詰め寄り、怒りを露にさせた。



「おい、お前!なぜ黙って見ていた!

いい大人がそんなようだから、馬鹿な若者がああして付け上がるんだぞ!」



高そうな服、高そうな靴、むしろ安物に見える金の腕時計。

男は恰幅のいい中年の白人で、見るからに上流階級といった風体をしていた。

だが、上流なのは身なりだけ。言動は低俗そのもので、アンリに八つ当たりをする様は、まるで駄々を捏ねる童のようだった。


それに引き換え、盗みを働いた先の犯人。

煤けたスタジャンを風に靡かせ、穴の空いたスニーカーをコンクリートに擦りつけ、ひったくったバッグを大事そうに抱えていた。

詳しい背景は不明にせよ、まともな環境で生きていないだろうことは一目瞭然だった。




「チッ……。まったく、立派なのは体格だけで糞の役にも立たんな!」



最後に苛ついた様子でアンリの肩を突き飛ばすと、男は懐から携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけながら来た道を引き返していった。

自分一人の力では、どうにもならないと観念したのだろう。連絡した先は警察と思われる。


男の後ろ姿を見送りながら、シャオが可笑しそうにくつくつと喉を鳴らす。

アンリは態度には出さないものの、内心舌を打ちたい気分だった。


確かに、あの一瞬で男と犯人とを天秤に掛けるようなことを考えたのは事実だった。

しかし、だからといってみすみす犯罪者を逃がしたりはしない。

他にも考えがあって、先にマナを行かせたのが証拠だ。



「(どちらを優先させるべきかなんて、俺には────)」



でもシャオに指摘されると、彼の言うことが全てな気がして。

シャオにだけは何もかも、底の底に隠したものまで見透かされるようで、アンリは酷く居たたまれなかった。




**


引ったくり現場に遭遇してから、およそ20分後。

アンリとシャオが手分けしてマナを探していると、それぞれの携帯に本人から連絡が入った。

さっきの犯人を捕まえて待機しているので、指定した住所まで来てほしいとのことだった。


教えられたのは、駐車場からそう遠くないバーガーショップ。

すぐさま店へ向かったアンリは、裏口にいたマナ達と合流した。




「───ああマナ。無事で良かった。一人で行かせて悪かったな。乱暴されたりしなかったか?」


「平気。昨日も話したけど、ボクこれでも喧嘩慣れしてる方だから」


「みたいだな」



アンリが心配してマナの頭を撫でると、マナは無傷どころか汚れてすらいなかった。

本人曰く、幼い頃から武術を習っているそうで、小さい体の割に力はあるらしい。

一対一の勝負なら負けはしないと、昨晩も宿屋でアンリ達に話していた。



「で、あれがそうか?」


「うん」



そんなマナに案外あっさり捕まってしまった犯人はというと、路地裏の壁沿いに座り込んでいた。

近くには、一足早くに合流したシャオの姿もある。

あれこれと喋り掛けるシャオに対し、犯人は俯いたまま何一つ応えようとしない。

アンリが到着するまで、ずっとこの調子で進展していないらしい。



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