Episode07:鋭い瞳に鮮烈な朱が宿る
7月30日。AM5:34。
寄り合いから二日後の早朝。
宣言通りのタイミングでアンリ達へ連絡を寄越したシャオは、国を出るから早急に荷物を纏めろと二人に指示した。
というのも、事務所周辺に赤毛の美しい青年がうろついていると近隣住民の間で噂になってしまったのだという。
事務所の存在、並びにシャオの居所が世間に広まるのはまずい。
注目されるようになった以上、もうここにはいられない。
そこでシャオは、ほとぼりが冷めるまでの雲隠れも兼ねて、以前から気になっていた"ある場所"へ三人で行ってみようと提案したのだった。
あまりに急な展開にアンリとマナは慌てたが、二人の予想に反して出国はとてもスムーズに行われた。
こうなることを想定して、シャオが予め全員分の手配を済ませていたからだ。
つまり彼は、二人に許可を得る前から勝手に算段を付けていたのである。
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無事アメリカへ向かう飛行機に乗り込んだ三人。
ようやく一息ついたアンリとマナは、間に座るシャオに向かって状況を説明しろと詰め寄った。
対してシャオは、まるで他人事のように軽快に笑って返した。
「やー、メンゴメンゴ。まさか本当にこんなことになっちゃうなんてねえ。驚かせてしまって申し訳ない」
「まさか?予定通りの間違いだろ。アドリブにしては準備が良すぎる」
「そうなの?」
「やだなあ人聞きの悪い。
まあ近々アジトを移転したいなとも思ってたから、タイミングは良かったよねー」
「空々しいことを……」
呑気に語尾を伸ばすシャオの横で、アンリは項垂れた溜め息を吐き、マナは眠気眼を擦りながら欠伸をした。
今朝はいつもより早めに起床したアンリ達だが、それにしても性急だったせいで、まだ体が覚醒しきっていないのだ。
「本当はもうちょい早くに動きたかったんだけど、私一人で行くのは勇気がなくてさ。
いっそ尻に火が付かないかな~なんて思っていたところに、なんと。君達がでっかい火種を飛ばしてくれたわけだよ。
おかげで私の尻は二つに割れ、退路は全てなくなった」
「台詞の内容と顔が一致してないが?」
「アーン分かったー?だって願ったり叶ったりなんだもーん。私としては道連れが増えて喜ばしい限り~」
一方シャオは、一人だけ用意万端だっただけに、急ぎの出立でも何も困らなかった。
長らく決断を渋っていたシャオにとって、アンリ達の存在は良い起爆剤になったわけだ。
「なんでもいいが、そろそろ詳しい事情を話す気になったか?」
アンリが真面目に改めると、シャオもふざけた態度を引っ込めた。
「実は、こないだ話したチャイニーズマフィアの一部が陥落させられたらしいんだ」
「お前を付け狙ってるとかいう組織か?」
「そう。といっても、潰されたのはアメリカにある支部の方で、本部は今も上海で無事みたいだけど」
「……?だったら何故本丸ではなく、落ちた支部の方に向かうんだ」
現在シャオ達が向かっているのは、アイダホ州郊外にある名もなき集落。
そこは例の組織が支部の一つを構えていたとされる地域で、彼らと共謀するシャオにとっても馴染みのある場所だった。
しかし此の度、例の組織が何者かの武力介入によって壊滅させられてしまったという。
支部を取り仕切っていた幹部らは、事件発生時に全員死亡。
下っ端の構成員達は命だけは助かったものの、漏れなく手が後ろに回る結果となった。
そして前述した幹部の一人というのが、先日の話にも出た、シャオの命を狙っていた男だった。
シャオ自身この情報を耳にしたのはつい最近で、当初はデマではないかと疑ったほど急な訃報だったそうだ。
「本部の方にはまだ私の悪評は届いてないはずだから……。今度の件で、私を追い回していた連中だけが綺麗さっぱり一掃されたことになる。
このまま運良く進んでくれたら、私は晴れて自由の身を取り戻せるってわけさ」
「ほう。物怪の幸いだな。
じゃあこれから訪ねる先は、代わりに悪を討ってくれたという救世主の元か?」
「そうでーす。
彼に会えば、これまでの奴らの動向も分かるし、神隠しの情勢なんかも見えてくるはずだよ」
アンリの発言にもある通り、救世主にも等しい働きをしたとされる男の名は、ジュリアン・ホワイトフィールド。
彼は組織に攫われた知人の少女を救うため単身アジトに乗り込み、その場に居合わせた構成員を一名を除き全員殺害したという。
しかし、時は既に遅く。
ジュリアンがアジトの所在を突き止めた頃には、少女はもう別の機関に移送されてしまっていた。
後に殺人罪などの罪に問われたジュリアンは、情状酌量等の理由により僅か一年で出所。
これは地元の一部町民らが、ジュリアンの釈放を求める署名運動を行ったことが背景にあるらしい。
組織がこれまでに行ってきた悪事も公となり、町は少しずつ嘗ての平穏を取り戻していった。
ジュリアンは英雄とも呼ぶべき存在として祭り上げられ、一躍時の人となった。
だが、当の本人は頑なにそれを否定。
自分のような犯罪者は人里で暮らすべきではないと、奥地にある山小屋へ一人逃げるように越していった。
今もジュリアンは山小屋で静かに暮らし、彼の打ち立てた伝説は人々の間で風化しつつあるという。
「組織に攫われた女の子ってのも、神隠しのために誘拐されたものと見て間違いないだろうね。未だに見付かってないそうだし」
「でも警察の手が入ったんでしょ?足取り辿れなかったのかな?」
「事件"当時"は地元警察が捜索したって話だよ?けどそれも三ヶ月足らずで打ち切り。
見付からなかったから断念したってよりは、見付かる前に中断したってとこかな。まあ平常っちゃ平常運転さ」
「三ヶ月…。行方不明になってからは一年か……。
それほど前の話となると、女の子が今も生存している可能性は────」
各々思考を巡らせる三人。
攫われた少女が今どこにいるのかは不明。
例の実験のため、そのままシグリムまで移送されたか。
はたまた全く無関係のルートで、一個人の手に渡ったか。
どちらにせよ、少女には酷な結末が待っている。
もしかしたら、いっそ死んだ方がマシと思えるほど辛い目を見たかもしれない。
「どんな人なのか、はやく会ってみたいな」
あと少し、もう少しだけでも早くに気が付いていれば。
もっと確実に行動できていれば、自分が彼女を救えたかもしれないのに。
少女を助けようとして、けれども届かずに取り零してしまったジュリアンの気持ちが、マナには痛いほどよく理解できた。




