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オルクス  作者: 和達譲
幕間
326/326

Episode52-14:約束



「なら、私と来るかい?」



シャオの突拍子もない呟きに、再びジャックの動きが止まる。



「来るって、どこへ?」


「どこへでも。熱心なストーカーに追われながらの逃避行が嫌じゃないなら」


「なんでアンタが、私を」


「他に行く当てないんだろ?まさか以前のような、その日暮らしの浮浪生活が恋しいとでも?」


「それはないけど……」


「ご両親の元へ帰りたい?」


「……それもないけど。

だからって、なんでアンタと私が一緒にって話になんのよ」



平静を取り戻したついでに、ジャックはわざと音を立てて、シャオの項の毛を切った。

シャオはぴくりと肩を揺らしたが、乱暴にするなとは怒らなかった。



「君のことだから、どうせ自分なんかとか思ってるんだろ?」


「ハ?」


「自分がいなくても地球は回るし、マナもジュリアンも、アンリもみんなも、自分がいなくたって何ら支障はないから、だから自分はいらないとかウジウジ悩んでるんだろどうせ?

そんで、そんなことないよってみんなが言ってくれても、同情されてるだけとか色々邪推して、結局いた堪れなくなるんだろどうせ?」


「……別に。そんなんじゃないわ」



シャオに図星を突かれたのが悔しくて、ジャックは露骨に不機嫌な声と表情になった。

そんなジャックに気付きつつ、シャオは続けた。



「その点、私と一緒なら、いつでも彼らに会わせてあげられるし、彼らに関わる言い訳になるよ」


「あら、アンタはみんなと関係を続けるつもりなのね。てっきり一匹狼に戻るのかと」


「事後を平穏に過ごせているかも気になるし、多少なりとも情はあるからね。

たまに会って飯食うぐらいはしたっていいだろ」


「ふーん……」


「もちろん、君が自分で彼らと関わることを選ぶんなら尊重するが、卑屈な君にはそれくらいの距離感がベストなんじゃないか?」


「うーん……」



シャオが許されるなら、私もたまにはお茶するくらい。

段々と欲が出てきたジャックだったが、決断するには足りなかった。



「みんな、君のことを好きだと思うよ」


「え?」



仕上げに入るべく、ジャックがシャオの正面に回った時だった。

ふとシャオが視線を上げて、ジャックと目を合わせた。



「少なくとも君が思っているよりは、みんな君を好きだよ。

"定期的に連絡を取って"、"たまにお茶をしたい"くらいには」



また図星を突かれた。

自らの短絡思考が恥ずかしくなったジャックは、強引にシャオを俯かせた。

シャオは何故か嬉しそうに、今度は声に出して笑った。



「乱暴だなあ」


「うるさい。大人しくして」



縦にした鋏が少しずつ、シャオの毛先を削っていく。

だんだん慣れてきたのか、ジャックの手際も良くなった。



「仮に、私がそれで良くっても、アンタが私といるメリットないでしょ」


「あるさ」


「なによ」


「シャノンくんの誕生パーティー。忘れたとは言わせないよ」



シャノンの誕生日、ならびに、プリムローズの主席就任記念日を祝うため催されたパーティー。

そこでシャオは、ジャックに告白をした。遠回しで皮肉っぽくて、愛の囁きとは受け取りにくい、ぶっきらぼうな告白を。


当時のジャックがあまりに狼狽したので、以来シャオは迫るのをやめた。ちゃんとした返事はいつくれるのかと、蒸し返すような真似もしていない。

ただ、無かったことにもしていない。忘れてしまったわけでもない。

まるで昨日のように覚えているのは、シャオもジャックも同じ。



「私は君が好きだよ。君が思ってるより、ずっとね。

好きな人と一緒にいられるんなら、これ以上のメリットはないだろう?」



力づくで抗うことも可能だったが、シャオは敢えて俯いたままでいた。

卑屈で初心なジャックが、余計な意地を張らなくていいように。



「前に、特定の相手は作らないみたいなこと言ってなかった?」


「言ったね。けど君は特別」


「私が誰を好きなのかも、とっくに知ってるでしょ?」


「知ってるね。けど君が相手なら、身を引くなんて澄ました真似はしないよ。どうしても無理だと、君自身が拒まない限りは」


「どうして、私なのよ」


「さあね。逆にこっちが聞きたいくらい、君でなきゃ駄目なんだよ」



いつになく真摯で誠実なシャオを前に、ジャックの心は揺れていた。


アンリが駄目ならシャオにと、すぐに鞍替えする気にはなれない。ならない。

だが、本気で好きだと言ってくれたのはシャオが初めて。こんなにも真っ直ぐに好意を向けてくれる人は、恐らく自分の人生で二度と現れないだろう。



「(なんなのよ)」



なぜ、自分なのか。

シャオライ・オスカリウスともあろう賢人が、なぜ自分のような性悪でなきゃ駄目などと血迷うのか。

分からない。シャオがどうしたいのか、自分はどうなりたいのか。


確かなのは、彼に対する最悪の第一印象は、とっくに払拭されたということ。

彼といる時間が最も気楽で、最も不快で、最も掛け替えのないものになりつつあるということ。



「なんなのよ、ほんと」



散髪が完了し、ジャックは鋏をテーブルに置いた。

もうそろそろ良いかとシャオが顔を上げても、ジャックはシャオから目を逸らさなかった。



「一応、考えといてあげるわ。アンタの気が変わらなければね」



ジャックはシャオのつむじを親指の腹でぐりぐりと押し、せっかく整えた髪をぐしゃぐしゃに撫で回した。



「何が何でも、生きなきゃならない理由ができたな」



シャオは喜びを隠すことなく、思い切り破顔した。

ジャックも照れを隠しきれず、僅かに耳を赤らめた。




「───ではでは、お手並み拝見といこうか。それ、ご開帳~」



体に付いた毛を払ってから、シャオは手鏡の中の自分と対面した。

全体的に短くなったのは勿論だが、なにより前髪が有る無しの差は大きい。

横に分けていたビフォーに比べて胡散臭さは半減、爽やかさがぐんと向上した。

厳ついタトゥーやピアスを抜きにすれば、まるで健康的なスポーツマンだ。



「ワ~オ。マジでいったね~」


「さすがに切りすぎたかしら」


「そんなことないよ。むしろ男前が増したんじゃないか?」


「まあ、今のが幾らか正常に見えるわね」


「惚れ直してくれていいよ」


「はいはい」



期待以上の仕上がりにシャオは大満足で、ジャックも手応えがある様子だった。

何も知らないアンリ達に披露しても、概ね高評価をもらえるだろう。



「いいよ、後は自分でやる」


「そう?」



道具を片付け始めたジャックを制して、シャオは立ち上がった。



「時間とらせて悪かったね。おかげで助かったよ」


「構わないわ。

私はこれからシャワーだから、他に用あるなら今言って」



ゲストハウスには計二つのバスルームがあり、男女別に分けて使用されている。

相談の末、女性陣ではジャックが今夜の一番風呂に決まった。午後の6時から7時までが彼女の割り振りなので、じきに頃合いだ。



「ないよ。ごゆっくり」


「そう。じゃあまた」


「途中まで」


「いらないわよ」


「いいから」



シャオと手短な挨拶を交わし、ジャックはその場を後にした。

シャオはジャックを部屋の外まで見送ろうと、彼女に付いて行った。



「セーラ」



ジャックがドアノブに手をかけたところで、シャオが呼び止めた。

ジャックが振り返ると、シャオは彼女に一歩近付いて、そっとキスをした。

手練れのシャオらしからぬ、触れるだけの、子供だましのようなキスだった。



「な────」


「お守り。お互い無事に帰れるように」



ジャックは驚いた。

突然キスをされたこと以上に、シャオからのキスが全く嫌でなかった自分自身に。



「縁起でもないわね」



ジャックの手の甲がシャオの頬を撫で、ジャックの指に嵌められた指輪がシャオの輪郭をなぞる。

武器の代わりにでもしてくれと、シャオがジャックに寄越した、お下がりのシルバーリング。

受け取った夜から、ジャックはこれを入浴時以外欠かさず身に付けている。

武器としてではなく、最初のお守りとして。



「その時は、あなたのお母様の話でも聞かせてちょうだい」



一言残して、ジャックは部屋を出ていった。

彼女のいなくなったドアに、シャオは弱々しく額を凭れた。



「バレたか」



シャオがジャックの本心を見抜けるように、シャオの本心を見抜けてしまうのもまた、ジャックなのである。



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