Episode52-14:約束
「なら、私と来るかい?」
シャオの突拍子もない呟きに、再びジャックの動きが止まる。
「来るって、どこへ?」
「どこへでも。熱心なストーカーに追われながらの逃避行が嫌じゃないなら」
「なんでアンタが、私を」
「他に行く当てないんだろ?まさか以前のような、その日暮らしの浮浪生活が恋しいとでも?」
「それはないけど……」
「ご両親の元へ帰りたい?」
「……それもないけど。
だからって、なんでアンタと私が一緒にって話になんのよ」
平静を取り戻したついでに、ジャックはわざと音を立てて、シャオの項の毛を切った。
シャオはぴくりと肩を揺らしたが、乱暴にするなとは怒らなかった。
「君のことだから、どうせ自分なんかとか思ってるんだろ?」
「ハ?」
「自分がいなくても地球は回るし、マナもジュリアンも、アンリもみんなも、自分がいなくたって何ら支障はないから、だから自分はいらないとかウジウジ悩んでるんだろどうせ?
そんで、そんなことないよってみんなが言ってくれても、同情されてるだけとか色々邪推して、結局いた堪れなくなるんだろどうせ?」
「……別に。そんなんじゃないわ」
シャオに図星を突かれたのが悔しくて、ジャックは露骨に不機嫌な声と表情になった。
そんなジャックに気付きつつ、シャオは続けた。
「その点、私と一緒なら、いつでも彼らに会わせてあげられるし、彼らに関わる言い訳になるよ」
「あら、アンタはみんなと関係を続けるつもりなのね。てっきり一匹狼に戻るのかと」
「事後を平穏に過ごせているかも気になるし、多少なりとも情はあるからね。
たまに会って飯食うぐらいはしたっていいだろ」
「ふーん……」
「もちろん、君が自分で彼らと関わることを選ぶんなら尊重するが、卑屈な君にはそれくらいの距離感がベストなんじゃないか?」
「うーん……」
シャオが許されるなら、私もたまにはお茶するくらい。
段々と欲が出てきたジャックだったが、決断するには足りなかった。
「みんな、君のことを好きだと思うよ」
「え?」
仕上げに入るべく、ジャックがシャオの正面に回った時だった。
ふとシャオが視線を上げて、ジャックと目を合わせた。
「少なくとも君が思っているよりは、みんな君を好きだよ。
"定期的に連絡を取って"、"たまにお茶をしたい"くらいには」
また図星を突かれた。
自らの短絡思考が恥ずかしくなったジャックは、強引にシャオを俯かせた。
シャオは何故か嬉しそうに、今度は声に出して笑った。
「乱暴だなあ」
「うるさい。大人しくして」
縦にした鋏が少しずつ、シャオの毛先を削っていく。
だんだん慣れてきたのか、ジャックの手際も良くなった。
「仮に、私がそれで良くっても、アンタが私といるメリットないでしょ」
「あるさ」
「なによ」
「シャノンくんの誕生パーティー。忘れたとは言わせないよ」
シャノンの誕生日、ならびに、プリムローズの主席就任記念日を祝うため催されたパーティー。
そこでシャオは、ジャックに告白をした。遠回しで皮肉っぽくて、愛の囁きとは受け取りにくい、ぶっきらぼうな告白を。
当時のジャックがあまりに狼狽したので、以来シャオは迫るのをやめた。ちゃんとした返事はいつくれるのかと、蒸し返すような真似もしていない。
ただ、無かったことにもしていない。忘れてしまったわけでもない。
まるで昨日のように覚えているのは、シャオもジャックも同じ。
「私は君が好きだよ。君が思ってるより、ずっとね。
好きな人と一緒にいられるんなら、これ以上のメリットはないだろう?」
力づくで抗うことも可能だったが、シャオは敢えて俯いたままでいた。
卑屈で初心なジャックが、余計な意地を張らなくていいように。
「前に、特定の相手は作らないみたいなこと言ってなかった?」
「言ったね。けど君は特別」
「私が誰を好きなのかも、とっくに知ってるでしょ?」
「知ってるね。けど君が相手なら、身を引くなんて澄ました真似はしないよ。どうしても無理だと、君自身が拒まない限りは」
「どうして、私なのよ」
「さあね。逆にこっちが聞きたいくらい、君でなきゃ駄目なんだよ」
いつになく真摯で誠実なシャオを前に、ジャックの心は揺れていた。
アンリが駄目ならシャオにと、すぐに鞍替えする気にはなれない。ならない。
だが、本気で好きだと言ってくれたのはシャオが初めて。こんなにも真っ直ぐに好意を向けてくれる人は、恐らく自分の人生で二度と現れないだろう。
「(なんなのよ)」
なぜ、自分なのか。
シャオライ・オスカリウスともあろう賢人が、なぜ自分のような性悪でなきゃ駄目などと血迷うのか。
分からない。シャオがどうしたいのか、自分はどうなりたいのか。
確かなのは、彼に対する最悪の第一印象は、とっくに払拭されたということ。
彼といる時間が最も気楽で、最も不快で、最も掛け替えのないものになりつつあるということ。
「なんなのよ、ほんと」
散髪が完了し、ジャックは鋏をテーブルに置いた。
もうそろそろ良いかとシャオが顔を上げても、ジャックはシャオから目を逸らさなかった。
「一応、考えといてあげるわ。アンタの気が変わらなければね」
ジャックはシャオのつむじを親指の腹でぐりぐりと押し、せっかく整えた髪をぐしゃぐしゃに撫で回した。
「何が何でも、生きなきゃならない理由ができたな」
シャオは喜びを隠すことなく、思い切り破顔した。
ジャックも照れを隠しきれず、僅かに耳を赤らめた。
「───ではでは、お手並み拝見といこうか。それ、ご開帳~」
体に付いた毛を払ってから、シャオは手鏡の中の自分と対面した。
全体的に短くなったのは勿論だが、なにより前髪が有る無しの差は大きい。
横に分けていたビフォーに比べて胡散臭さは半減、爽やかさがぐんと向上した。
厳ついタトゥーやピアスを抜きにすれば、まるで健康的なスポーツマンだ。
「ワ~オ。マジでいったね~」
「さすがに切りすぎたかしら」
「そんなことないよ。むしろ男前が増したんじゃないか?」
「まあ、今のが幾らか正常に見えるわね」
「惚れ直してくれていいよ」
「はいはい」
期待以上の仕上がりにシャオは大満足で、ジャックも手応えがある様子だった。
何も知らないアンリ達に披露しても、概ね高評価をもらえるだろう。
「いいよ、後は自分でやる」
「そう?」
道具を片付け始めたジャックを制して、シャオは立ち上がった。
「時間とらせて悪かったね。おかげで助かったよ」
「構わないわ。
私はこれからシャワーだから、他に用あるなら今言って」
ゲストハウスには計二つのバスルームがあり、男女別に分けて使用されている。
相談の末、女性陣ではジャックが今夜の一番風呂に決まった。午後の6時から7時までが彼女の割り振りなので、じきに頃合いだ。
「ないよ。ごゆっくり」
「そう。じゃあまた」
「途中まで」
「いらないわよ」
「いいから」
シャオと手短な挨拶を交わし、ジャックはその場を後にした。
シャオはジャックを部屋の外まで見送ろうと、彼女に付いて行った。
「セーラ」
ジャックがドアノブに手をかけたところで、シャオが呼び止めた。
ジャックが振り返ると、シャオは彼女に一歩近付いて、そっとキスをした。
手練れのシャオらしからぬ、触れるだけの、子供だましのようなキスだった。
「な────」
「お守り。お互い無事に帰れるように」
ジャックは驚いた。
突然キスをされたこと以上に、シャオからのキスが全く嫌でなかった自分自身に。
「縁起でもないわね」
ジャックの手の甲がシャオの頬を撫で、ジャックの指に嵌められた指輪がシャオの輪郭をなぞる。
武器の代わりにでもしてくれと、シャオがジャックに寄越した、お下がりのシルバーリング。
受け取った夜から、ジャックはこれを入浴時以外欠かさず身に付けている。
武器としてではなく、最初のお守りとして。
「その時は、あなたのお母様の話でも聞かせてちょうだい」
一言残して、ジャックは部屋を出ていった。
彼女のいなくなったドアに、シャオは弱々しく額を凭れた。
「バレたか」
シャオがジャックの本心を見抜けるように、シャオの本心を見抜けてしまうのもまた、ジャックなのである。




