Episode52-13:約束
PM5:00。
シャオのゲストルームにて、シャオとジャックはいつものように口喧嘩をしていた。
「───ウー、さむさむ」
「こんな細っそい腕してたら、そりゃあ寒いでしょうよ。私と変わらないんじゃないの」
「ちょっと冷たい手で触んないでよ!デリケートなんだから!」
「はいはい」
「切る時も極力、肌に触れないようにしてよ」
「はいはい」
「あと鋏は一番右のやつにしてね。他のはちょっと切れ味悪そうだから。それから────」
「ホンッッット注文多いわねアンタ」
肌着にズボン姿のシャオが椅子に座り、その背後にジャックが立つ。
脇に寄せたテーブルには鋏や手鏡など一式の道具が並び、足元には先日発行された新聞紙が敷かれている。
「第一、なんで私なのよ。こういうのはもっと、手先の器用そうな人に頼むべきでしょ。マナとか」
「マナはほら、なにかと忙しい立場だから」
「なに、私は暇だって言いたいの」
「そんなんじゃないってば。
器用とかじゃなく、私は君に切ってほしいんだよ」
「……おかしなヤツ」
これからシャオは、ジャックに散髪をしてもらうのだ。
無論、ジャックが率先して名乗り出たのではない。シャオがどうしてもとお願いし、ジャックが付き合わされているだけのこと。
いつぞやにウルガノがシャノンに散髪をしてもらった時とは大違いである。
「で?どのくらいまで短くすりゃいいの?」
諸々の準備が完了し、ジャックは自分の長袖を捲り上げた。
「バッサリいっちゃって構わないよ」
「バッサリってどのくらいよ」
「今の君くらい」
「……それ本気で言ってる?」
「本気だとも」
髪型のリクエストを確認したジャックは、シャオの予想外の返答に驚いた。
出会った当初と比べると少しは伸びたが、それでも今のジャックは短髪だ。対照的に長髪のシャオが彼女と同じ長さになるには、50センチは切らないといけない。
「だって、伸ばしてたんじゃないの?」
「伸ばしてたよ」
「シャンプーとかだって高いのしか使わないし」
「まめに手入れしてたね」
「なのに切るの?今更?」
ましてやシャオは、自らの髪質にも拘る伊達男にして、常に最短最良のルートを求める合理性の鬼。
こうも思い切ったイメージチェンジを、よりにもよって手先の不器用な素人に任せるなど、彼に限っては狂気の沙汰である。
ジャックが訝るのも無理はない。
「命のやり取りが必要な場面に、美しい髪もクソもないだろ。
名残惜しけりゃまた伸ばせばいいんだし、今は見た目よりも、機能性重視だよ」
激しい戦闘に発展した場合を想定して、動きやすい身なりに整えておく。
シャオ自身の動機は、意外にも単純なものだった。
結局のところ、シャオが見た目に拘る理由はビジネスに過ぎないのだ。
情報屋として働く上で、美丈夫であった方が何かと都合が良い。だから鍛えるし清めるし、パックも脱毛もする。
美しくなりたいと願いつつ諦めてしまったジャックとは、まさに対極の理念である。
「別に、結わえておけば邪魔にならないのに」
ジャックはどこか寂しそうに、シャオの髪を一房持ち上げた。
「ずいぶん食い下がるね。そんなに私の髪が好きだった?」
「自意識過剰。あとで"やり過ぎ"だの、"イメージと違う"だの、文句言われても困ると思っただけよ」
「困らせないし、困らないよ。
散切り頭にされても文句なんか言わないから、さっさと始めてくれ」
豚毛の櫛を使って、ジャックがシャオの髪を梳かす。
滑らかな手触りと、艶やかな濡羽色。後ろ姿だけを見ると、まるでハリウッド女優のよう。
「(確かに、私の方が惜しがってるかもしれないわね)」
先程のシャオの指摘を反芻したジャックは、言い得て妙だったかもしれないと密かに納得した。
「じゃ、ほんとにバッサリいくからね」
「いいよ。───あ、その前に。もう一個注文」
「なによ?」
「切った髪、五本くらいに束にしたいから、先にゴムで纏めといてくれる?」
「いいけど……。なんで?」
「ヘアドネーションだよ」
「ヘアドネーション……?」
いよいよカットに入る直前で追加されたリクエスト。
"ヘアドネーション"。様々な事情により髪を失った子供達へ、自らの人毛をウィッグの素材として提供できる寄付制度。
シャオが説明する前に、ジャックは自力で思い出した。
「ああ、病気の子供に自分の髪を分けてあげるとかってやつ?」
「それそれ」
「を、やるの?」
「そうそう」
「急にそんな善人みたいな……」
「なんとでも。どうせ死ぬなら最後くらい、人間らしい善いことしときたいでしょ」
からかってやろうとしたジャックの動きが止まる。
どうせ死ぬならとは、保存した髪を遺書代わりにでもしようというのか。
「死ぬつもりなの?」
「まさか。君も知っての通り、私は抜かりのない男なのさ。あらゆるパターンに備えて、先手を打つ」
「ヘアドネーション、も、先手の一つ?」
「まさしく。今までずーっと、人の道に外れたことばっかしてきたからさ。
こんな程度で罪滅ぼしになるとは思っちゃあいないけど、なんにもしないよりはね」
「ふーん……」
詳しく掘り下げたい好奇心を抑え、ジャックはシャオに言われた通りに髪の束を五つ拵えた。
「先に五本分切り離して、それから形を整えるわ」
「了解」
ジャックの持つ鋏が、一瞬ためらってからシャオの髪を切り始める。
まずは最初の一束を、やり方が間違っていないかシャオに確かめさせる。
「こんな感じ?」
「うん。いい感じ。
包んだりは私がやるから、そこ置いといてくれ」
「わかった」
そこ、とシャオはテーブルを顎で示した。
頷いたジャックは順調に作業を進め、出来上がった五束をテーブルに等間隔で置いた。
「既に結構短いけど、鏡いる?」
「いんや。楽しみは後に取っておくよ」
逐一状況を報告してくるジャックに、シャオは律儀だなと内心で笑った。
ヘアドネーションの件は済んだので、あとは細かい部分を調整するだけだ。
「さっきさ」
「うん?」
「あらゆるパターンにって言ってたけど、その後どうするかもパターンに含まれるの?」
「決着がついた後のことかい?」
「うん」
カットの手を止めずに、ジャックは何気なく問うた。
体勢的に振り向けないシャオは、ジャックがどういうつもりでいるのか分からなかった。
「もちろん、いろいろ考えてるよ」
「例えば?」
「まずは自分の進退かな。黒幕を倒したからといって、私個人が方々で買った恨みまでは清算できない。
もうしばらくは、色んなものから隠れたり逃げたりが必要になるだろう」
「国を出るの?」
「出る場合と出ない場合と、両方をシミュレーション済みさ」
「情報屋は?続けるの?」
「そこだけ断言できないかな。
金は十分集まったから、本当はいつ隠居しても良いんだけどねー」
「お早いリタイアだこと」
「少々駆け足が過ぎたかもね」
シャキシャキと小気味よい音が部屋に響く。足元に黒い塊が広がっていく。
こんな風に穏やかに、普通っぽい会話に興じるのは、シャオとジャックにとっては初めてだった。
「君は?」
「え?」
「決着がついたら、君はどうするつもりなんだ?」
聞き返されると思っていなかったジャックは、すぐには考えが纏まらなかった。
「わからないわ」
「わからない?どうして?」
「どうしてって、まだ無事に終わると決まったわけじゃなし……」
「現実的に可能かどうかは置いといて、こうなったらいいなーって望みくらいはあるだろう?あれ食いたいでも、どこ行きたいでも」
「望み……」
実際に叶えられるかは別として、旅が終わったら自分はどうしたいか。
ジャックは改めて思案して、やっぱり答えられなかった。
「わからないわ」
正直に白状してしまえば、望みはある。
どんな形でも構わないから、アンリの側にいること。
でも自分は彼の恋人じゃなければ、友達でもない。自分は彼といられて幸せでも、彼は自分といるメリットがない。
だから、旅の終わりが縁の終わり。
一行で唯一、目的も目標もなかった自分には、これ以上彼と、彼らと関わる資格がない。
自分が迎えられるエンディングは、悲しいかな別離のみ。
どんなに分不相応を弁えても、報われない横恋慕と知っていても、ジャックは未だにアンリへの想いを断ち切れずにいる。
故にこそ、彼の不在を前提にした未来など眼中になかった。




