Episode52-11:凸凹
PM5:47。3階ゲストルーム内。
窓際でひとり守衛を務めていたバルドは、ふと腕時計に目を落として立ち上がった。
「(今のところは静穏だが……。索敵に出られないのがもどかしいな)」
重要なポストに就くミリィやアンリなどの中心メンバーを除いて、警戒体制は引き続き順繰りに行われている。
本日のバルドは午後の6時までが担当なので、そろそろ次の者に場所を明け渡さなくてはならない。
「(俺の次はリンチだったか)」
必要の荷物を回収し、バルドは部屋のドアを開けた。
その先にいたのは、バルドが頭の中でちょうど思い浮かべていた人物だった。
「───と、いたのか」
バルドはとっさに足を止めた。
鉢合わせになったリンチは、少し驚いて会釈した。
「すみません。お声がけしようと思ったんですが、間に合いませんでした」
「タイミング被ったみたいだな」
どうやらリンチの方も、部屋を訪ねようとした矢先だったらしい。
ドアをノックする既のところで、バルドが出てくるのが一息早かったわけだ。
「この後はどうされるんですか?」
「特に決まってないよ。リーダーの指示を仰ぐだけさ」
「働き詰めで平気ですか?こんな雑事は我々に任せてくだされば────」
「なに言ってんだよ。俺達はもう、一個のチームなんだから、上下も主従もないだろ。
適任者が適当の配置につくのが道理ってもんだ」
「さすが、大黒柱と慕われるわけですね」
「やめろやめろ堅苦しい。あと任せたぞ」
「はい。お疲れ様です」
立ち話を切り上げ、バルドは部屋を後にした。
「あ、待ってください!」
リンチも一度はバルドを見送ったが、部屋に残された"あるもの"に気付いて声を上げた。
「どうした?」
バルドが振り返ると、リンチは待機を求めるジェスチャーをして部屋へ入っていった。
バルドは首を傾げつつも来た道を戻り、リンチの行動を遠目に眺めた。
「お引き留めしてすみません。これ、貴方のですよね」
廊下まで折り返してきたリンチは、ボルドーカラーのカードケースを手にしていた。
バルドは上着の内ポケットをまさぐり、中に仕舞っていたものの所在を確かめた。
「いつの間に……。悪い、気付かなかった」
リンチの言う通り、このカードケースはバルドの私物。
守衛の最中、なにかの拍子で落としてしまったようだ。
「こっちは間に合って良かったです」
「ああ、ありがとう」
リンチから受け取ったカードケースを、バルドは大事そうに親指の腹で撫でた。
まさか紛失しかけるなんて散漫が過ぎると、胸中で反省しながら。
「……?リンチ?」
「えっ?ああ、いえ。なんでも」
妙な気配を感じたバルドはリンチに呼び掛けた。
はっと我に返ったリンチは、居た堪れなさそうに顔を背けた。
「あー……。見ちまったか」
思い当たる節のあったバルドが追求すると、リンチは怖ず怖ずと肯定した。
「すみません……。開いて置いてあったもので」
「そう何度も謝らなくていい。別に隠してるわけじゃないんだ」
リンチに人様のプライベートを覗き見する趣味はない。
ただ、カードケースは開かれた状態で床に落ちていた。意図したのではなく、たまたま目に入ってしまったのだ。
間に挟まれていた、一枚の家族写真を。
「俺の家族のことは、もう話してあるよな」
「ええ……」
バルドはカードケースから写真を抜き取ると、リンチに差し出した。
本人に隠す気がないならと、リンチは今度こそ写真を直視した。
「左に立ってるワンピースの女性が、妻のディアマンテ。俺の膝に座ってる女の子が、娘のグリゼルダ」
「はい」
「どちらも俺の留守中に殺された。もうこの世にいない」
メンバー全員の経歴は、一時的な助っ人に過ぎないリンチにも明らかにされている。
バルドが元軍人であることや、バルドの家族がシリアルキラーに殺害されたことも含めて。
だが、あくまで話に聞く分だけなので、詳しい事情は知らない。
バルドがいかに優れた軍人であったか、バルドはいかに家族を愛していたかなんて。
故に、まざまざと事実を突き付けられた今。
バルドの家族が実在する人間であったことを痛感したリンチは、いくら割り切った関係といえども同情の念に堪えなかった。
「君は、所帯があるんだったか」
「……妻と、娘が一人」
バルドは写真を自分に向け、愛した妻と娘の姿を懐かしんだ。
「娘か。いくつになるんだ?」
「今年で8歳になります」
「そうか」
8歳。うちの子も亡くなる前は、そのくらいの年齢だったか。
ポラロイドに収まるグリゼルダと、会ったこともないリンチの娘のイメージが、バルドの中で重なる。
「君は誠実な男だから、こんな助言は必要ないだろうけどな」
写真を挟んだカードケースを上着のポケットに仕舞い直し、バルドは続けた。
「どんなに愛しても、どんなに努力しても、"終わり"ってやつは、いつ何時やって来るか分からない。
女房に愛想尽かれて家を出ていかれた、なんてのは、まだ良い方だ。まだ、挽回できるチャンスがあるんだからな」
「はい」
「事故や病気は挽回できないし、避けきれるものじゃない。ましてや事件に巻き込まれるなんて、並の人間は夢にも思わないだろう」
「はい」
「俺は妻も娘も愛していたし、自分なりに大事にしていたつもりだった。
それが突然奪われた。自分の驕りが招いた不幸だと気付くには、ややかかったな」
「そんなことは────」
「事実だよ。俺達の暮らす世界だけは平和で、そうそう危険は迫ったりしない。
なまじ、自分が修羅場を経験済みなもんだから、それ以外の場所は無条件に安全と錯覚していたのかもしれない。
最善を尽くそうとするばかりで、最悪の想像力に欠けていたんだ」
ミリィ達との出会いを経て、改善された部分もある。
だが根本的な闇や傷は、絶えずバルドの心身を蝕んでいる。
あの頃の自分がもっと賢ければ、最悪の未来は防げたかもしれない。
眠る時も食べる時も、仲間内で他愛ない雑談をしている時も。
一瞬忘れた後に、終日押し寄せる。後悔と嫌悪とで、思考が視界が埋め尽くされる。
たとえ仇を討っても、いつか新しい家族を作ることがあっても。
バルドの背にのしかかる十字架は、永遠に離れはしない。永遠に背負い続けることを、バルド自身も望んでいる。
「リンチ」
バルドは真剣な面持ちで、リンチの肩に手を乗せた。
リンチは自分より長身のバルドに、しっかりと目線を合わせた。
「悪魔も死神も、絵本に出てくるような怪物も、姿は違えど実際に存在する。
奴らから家族を守りたいのなら、俺達にできることは一つだ」
「戦うことですか」
「違う。まず考えることだ」
バルドの言葉の真意が分からず、リンチはうっすらと眉を寄せた。
「銃があれば戦えるし、側にいれば庇ってやれる。
だが銃がない時、側にいられない時はどうする?どんなに俺達が強くなっても、俺達で戦えない時は、どうやって皆を守る?」
「考える……。自分でも、家族でも」
「そうだ。たくさん話し合って色んなことを経験して、一緒に考えて悩んでおけば、蓄えになる。
蓄えがあれば、怪物に襲われても逃げきれたり、怪物に狙われないよう立ち回れたりして、助けになる」
バルドはリンチの胸板を拳で叩くと、静かに微笑んだ。
「自分一人で戦おうとしなくていい。無理に聡い必要もない。
ただ、父であり夫である前に、同じ世界に生きる同じ人間として接してやれ。奥さんとも嬢ちゃんとも、いっぱい話をしろ」
「はい」
「あと、たまには休め。休んで、家でゆっくり過ごしたり、どっか遊び行ったりして、思い出作れ」
「はい」
「大事にな」
「……はい」
また余計な老婆心を、とバルドは苦笑した。
片や、リンチの受け取り方は違った。
「(そういや、しばらく遠出してなかったな)」
いち軍人として大人として、そして家長として先輩に当たる、バルドの経験則。
努力だけでは賄えないことがあり、愛だけでは救えないものがある。
「(たまには海でも連れてってやるか)」
今後はもっと広い視野を以て、世界と繋がろう。
リンチは改めて身の引き締まる思いだった。
「(───朔……?)」
リンチと別れたバルドが階段を下りていくと、二階の廊下を朔が歩いていた。
どこか元気のない様子に気付いたバルドは、心配して朔に近寄っていった。
「朔」
「あ……」
バルドの声に反応した朔は、目元を赤く腫らしていた。
またもや老婆心が発動したバルドは、そっとしておくよりも首を突っ込む選択をした。




