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オルクス  作者: 和達譲
幕間
323/326

Episode52-11:凸凹



PM5:47。3階ゲストルーム内。

窓際でひとり守衛を務めていたバルドは、ふと腕時計に目を落として立ち上がった。



「(今のところは静穏だが……。索敵に出られないのがもどかしいな)」



重要なポストに就くミリィやアンリなどの中心メンバーを除いて、警戒体制は引き続き順繰りに行われている。

本日のバルドは午後の6時までが担当なので、そろそろ次の者に場所を明け渡さなくてはならない。



「(俺の次はリンチだったか)」



必要の荷物を回収し、バルドは部屋のドアを開けた。

その先にいたのは、バルドが頭の中でちょうど思い浮かべていた人物だった。



「───と、いたのか」



バルドはとっさに足を止めた。

鉢合わせになったリンチは、少し驚いて会釈した。



「すみません。お声がけしようと思ったんですが、間に合いませんでした」


「タイミング被ったみたいだな」



どうやらリンチの方も、部屋を訪ねようとした矢先だったらしい。

ドアをノックする(すんで)のところで、バルドが出てくるのが一息早かったわけだ。



「この後はどうされるんですか?」


「特に決まってないよ。リーダーの指示を仰ぐだけさ」


「働き詰めで平気ですか?こんな雑事は我々に任せてくだされば────」


「なに言ってんだよ。俺達はもう、一個のチームなんだから、上下も主従もないだろ。

適任者が適当の配置につくのが道理ってもんだ」


「さすが、大黒柱と慕われるわけですね」


「やめろやめろ堅苦しい。あと任せたぞ」


「はい。お疲れ様です」



立ち話を切り上げ、バルドは部屋を後にした。



「あ、待ってください!」



リンチも一度はバルドを見送ったが、部屋に残された"あるもの"に気付いて声を上げた。



「どうした?」



バルドが振り返ると、リンチは待機を求めるジェスチャーをして部屋へ入っていった。

バルドは首を傾げつつも来た道を戻り、リンチの行動を遠目に眺めた。



「お引き留めしてすみません。これ、貴方のですよね」



廊下まで折り返してきたリンチは、ボルドーカラーのカードケースを手にしていた。

バルドは上着の内ポケットをまさぐり、中に仕舞っていたものの所在を確かめた。



「いつの間に……。悪い、気付かなかった」



リンチの言う通り、このカードケースはバルドの私物。

守衛の最中、なにかの拍子で落としてしまったようだ。



「こっちは間に合って良かったです」


「ああ、ありがとう」



リンチから受け取ったカードケースを、バルドは大事そうに親指の腹で撫でた。

まさか紛失しかけるなんて散漫が過ぎると、胸中で反省しながら。



「……?リンチ?」


「えっ?ああ、いえ。なんでも」



妙な気配を感じたバルドはリンチに呼び掛けた。

はっと我に返ったリンチは、居た堪れなさそうに顔を背けた。



「あー……。見ちまったか」



思い当たる節のあったバルドが追求すると、リンチは怖ず怖ずと肯定した。



「すみません……。開いて置いてあったもので」


「そう何度も謝らなくていい。別に隠してるわけじゃないんだ」



リンチに人様のプライベートを覗き見する趣味はない。

ただ、カードケースは開かれた状態で床に落ちていた。意図したのではなく、たまたま目に入ってしまったのだ。

間に挟まれていた、一枚の家族写真を。



「俺の家族のことは、もう話してあるよな」


「ええ……」



バルドはカードケースから写真を抜き取ると、リンチに差し出した。

本人に隠す気がないならと、リンチは今度こそ写真を直視した。



「左に立ってるワンピースの女性が、妻のディアマンテ。俺の膝に座ってる女の子が、娘のグリゼルダ」


「はい」


「どちらも俺の留守中に殺された。もうこの世にいない」



メンバー全員の経歴は、一時的な助っ人に過ぎないリンチにも明らかにされている。

バルドが元軍人であることや、バルドの家族がシリアルキラーに殺害されたことも含めて。


だが、あくまで話に聞く分だけなので、詳しい事情は知らない。

バルドがいかに優れた軍人であったか、バルドはいかに家族を愛していたかなんて。


故に、まざまざと事実を突き付けられた今。

バルドの家族が実在する人間であったことを痛感したリンチは、いくら割り切った関係といえども同情の念に堪えなかった。



「君は、所帯があるんだったか」


「……妻と、娘が一人」



バルドは写真を自分に向け、愛した妻と娘の姿を懐かしんだ。



「娘か。いくつになるんだ?」


「今年で8歳になります」


「そうか」



8歳。うちの子も亡くなる前は、そのくらいの年齢だったか。

ポラロイドに収まるグリゼルダと、会ったこともないリンチの娘のイメージが、バルドの中で重なる。



「君は誠実な男だから、こんな助言は必要ないだろうけどな」



写真を挟んだカードケースを上着のポケットに仕舞い直し、バルドは続けた。



「どんなに愛しても、どんなに努力しても、"終わり"ってやつは、いつ何時やって来るか分からない。

女房に愛想尽かれて家を出ていかれた、なんてのは、まだ良い方だ。まだ、挽回できるチャンスがあるんだからな」


「はい」


「事故や病気は挽回できないし、避けきれるものじゃない。ましてや事件に巻き込まれるなんて、並の人間は夢にも思わないだろう」


「はい」


「俺は妻も娘も愛していたし、自分なりに大事にしていたつもりだった。

それが突然奪われた。自分の驕りが招いた不幸だと気付くには、ややかかったな」


「そんなことは────」


「事実だよ。俺達の暮らす世界だけは平和で、そうそう危険は迫ったりしない。

なまじ、自分が修羅場を経験済みなもんだから、それ以外の場所は無条件に安全と錯覚していたのかもしれない。

最善を尽くそうとするばかりで、最悪の想像力に欠けていたんだ」



ミリィ達との出会いを経て、改善された部分もある。

だが根本的な闇や傷は、絶えずバルドの心身を蝕んでいる。


あの頃の自分がもっと賢ければ、最悪の未来は防げたかもしれない。

眠る時も食べる時も、仲間内で他愛ない雑談をしている時も。

一瞬忘れた後に、終日押し寄せる。後悔と嫌悪とで、思考が視界が埋め尽くされる。


たとえ仇を討っても、いつか新しい家族を作ることがあっても。

バルドの背にのしかかる十字架は、永遠に離れはしない。永遠に背負い続けることを、バルド自身も望んでいる。




「リンチ」



バルドは真剣な面持ちで、リンチの肩に手を乗せた。

リンチは自分より長身のバルドに、しっかりと目線を合わせた。



「悪魔も死神も、絵本に出てくるような怪物も、姿は違えど実際に存在する。

奴らから家族を守りたいのなら、俺達にできることは一つだ」


「戦うことですか」


「違う。まず考えることだ」



バルドの言葉の真意が分からず、リンチはうっすらと眉を寄せた。



「銃があれば戦えるし、側にいれば庇ってやれる。

だが銃がない時、側にいられない時はどうする?どんなに俺達が強くなっても、俺達で戦えない時は、どうやって皆を守る?」


「考える……。自分でも、家族でも」


「そうだ。たくさん話し合って色んなことを経験して、一緒に考えて悩んでおけば、蓄えになる。

蓄えがあれば、怪物に襲われても逃げきれたり、怪物に狙われないよう立ち回れたりして、助けになる」



バルドはリンチの胸板を拳で叩くと、静かに微笑んだ。



「自分一人で戦おうとしなくていい。無理に聡い必要もない。

ただ、父であり夫である前に、同じ世界に生きる同じ人間として接してやれ。奥さんとも嬢ちゃんとも、いっぱい話をしろ」


「はい」


「あと、たまには休め。休んで、家でゆっくり過ごしたり、どっか遊び行ったりして、思い出作れ」


「はい」


「大事にな」


「……はい」



また余計な老婆心を、とバルドは苦笑した。

片や、リンチの受け取り方は違った。



「(そういや、しばらく遠出してなかったな)」



いち軍人として大人として、そして家長として先輩に当たる、バルドの経験則。

努力だけでは賄えないことがあり、愛だけでは救えないものがある。



「(たまには海でも連れてってやるか)」



今後はもっと広い視野を以て、世界と繋がろう。

リンチは改めて身の引き締まる思いだった。






「(───朔……?)」



リンチと別れたバルドが階段を下りていくと、二階の廊下を朔が歩いていた。

どこか元気のない様子に気付いたバルドは、心配して朔に近寄っていった。



「朔」


「あ……」



バルドの声に反応した朔は、目元を赤く腫らしていた。

またもや老婆心が発動したバルドは、そっとしておくよりも首を突っ込む選択をした。



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