表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オルクス  作者: 和達譲
幕間
321/326

Episode52-9:再会



「君のお母様───鷺沼藍子が、君を連れて研究所を去った後。程なくして、私も雲隠れをした。

自分の身を守るためと、君達の行方を追うために」



研究所にはたくさんの同僚がいた。全員が叡智に溢れた一廉(ひとかど)の人物だった。

だが彼らは同僚であっても仲間ではなかった。彼らは賢いばかりで心を持っていなかった。


しかし一人だけ、瞳に生気を宿した女性がいた。

彼女だけが心を持ち、人間として立って歩いていた。

彼女も同じ目をこちらに向けていた。自然とよく目が合った。


互いに互いの器を計っていた。

互いが互いに人を感じていた。

互いのみが唯一だった。




「だが、見付からなかった。見付けられなかった。

地を這うほど、血眼になるほど必死に探しては徒労に終わった」




同僚であり仲間であり、たった一人の友だった。

足りないものを補い合い、余したものを譲り合い、風が吹いても雪が降っても支え合った。

どちらかが道に迷ったなら導く。道を誤ろうとしたなら止める。

この目の黒いうちは、君を畜生道には落とさせまい。

信頼はいつしか執着となり、執着はやがて惰性となった。




「だから、もう、生きてすらいないのかもしれないと思ったんだ。この管理された狭い国で、なんの痕跡も残さずに生き続けられるはずがない。

早々に研究所へ連れ戻されたか、用済みと葬られたか。いずれにせよ、藍子の方は無事では済まないだろうと」




気付いた時には遅かった。

彼女は文字通りの"奇跡"を生み出した。大役を果たしたと皆が喝采した。

母を"望んだ"彼女は喜び、母を"叶えた"彼女は困った。

偽りの我が子を抱いた場面が、彼女の気付きの時だった。




「だから、途中でやめたんですか」




霧のように消えてしまった。

足元に地獄ありと、忠告を最後にいなくなった。

奇跡を失った皆は悲嘆に座し、彼女を失った私は後悔に頽れた。


どうして、もっと早くに。

拙い一つ覚えは、未来の己から投げられた督促だった。




「本人を前にこんなことを言うのは忍びないけれどね。私の目的は、あくまで藍子だったから。

藍子の生を望めないならと、次第に及び腰になっていった」




何度も探した。

彼女を、彼女と共に消えた奇跡を。

だが二人は見付からなかった。痕跡どころか気配すら追えなかった。




「そうして時間が流れていって、あの一報が私の耳に入ってきた」




もしかしたら、もう死んでいるのかもしれない。

彼らに先を越されたのなら、彼女が無事であるはずがない。

奇跡を生かす価値はあっても、彼女を生かす理由は彼らにない。

元より人柱扱いだった彼女は、彼らにとっては無用の長物だ。




「プリムローズで起きた強盗殺人事件」




気力は日に日に失われ、体は段々と言うことを聞かなくなった。

彼女と生きて再会すること、彼女の役に立つこと。

指標はいつしか願望となり、願望はやがて妄想となった。




「被害者は30代女性。犯人の身元は未だ不明────」




今も何処かで、ひっそりと暮らしているなら構わない。

同じくお尋ね者となった己が無理に合流するより、女性二人だけの方が身を潜めやすいということもあるだろう。


諦めつつも、一縷の希望だけは捨てられなかった。

若いシングルマザーと街中で擦れ違う度、どうしようもなく胸が逸った。




「そのニュースを目にした時に初めて、私は藍子が生きていたことを知ったんだ。

"倉杜花藍"と名前を変えてね」




もしいつか、またいつか会えたなら、今度こそ支えになりたい。

そして、いつかいつかと先延ばしにしてきた想いを伝えたい。




「後悔したよ。もっと本気で取り組んでいれば、もっと前に辿り着けた。

電波越しの訃報なんかじゃなく、生身の再会をできたはずだった」




待ち望んだ"いつか"は唐突にやってきた。

テレビ画面に映った顔は笑っていて、懐かしい面影を残していた。

やっぱり生きていたんだと、喜びに天を仰いだだろう。

死亡のテロップが流れるのが、写真より先でなかったなら。




「驕りかもしれないが、私なら君達二人を救えたのではと、そう思わずにいられなかった」




勘違いだったなら、他人の空似であったなら、どんなに良かったか。

生きていたのだ。己が無為に食い潰した昨日を、彼女も生きていた。

絶対に助けられた自信はない。己が側にいたところで、死亡者が二人三人と増えただけかもしれない。

それでも、己が側にいたなら、違う未来があったかもしれない。

募るばかりだった後悔は、途方もない無念を連れてきた。




「これで友人を名乗っていたのだから、好い面の皮だ」




せめてもの幸いは、奇跡が達者であったこと。

母の愛を一身に受けて育った娘。名を朔と言うらしい。

きっと彼女に似て芯が強く、心根の優しい女の子に違いない。




「恨んでいたかい」




会ってみたい。会って話を聞いてみたい。

母となった彼女は、どんな女性だったか。母娘二人の所帯は、どんな様相だったか。




「いや。覚えてすらいないか。

恨まれているなんて、それこそ思い上がりだな」




会えるわけがない。会わせる顔がない。

名ばかりの友は最期まで手を差し延べなかった。臆病風に吹かれて穴蔵に篭ってばかりいた。




「私は彼女の覚悟に足る人間ではなかった」




だったら会うべきではない。会いたくない。

今更知り合ったところで、己は何も出来ない。何もしてやれない。

傷付けて傷付けられて、余計な煩わしさに頭を抱えるだけ。




「追い付けなかったのは当然だ」




会うべきじゃなかった。

会いたくなかった、のに。






『───私、この子を抱いた時、思ったの。』



生き写しと思った。

髪も目も、鼻も口も、睫毛の長ささえ、彼女と瓜二つ。

いっそ彼女の縮小版、彼女の幼少期を見ているようだった。



『───何でも出来る。何でもしてあげたい。』



反射的に藍子と呼ぼうとして、口をつぐんだ。

朔。この子の名前は朔。日本語にして、始まりの日、最初の月を意味する言葉。



『───この子のためなら、私は死んでもいいと思った。』



ああ、この子が朔か。

藍子が愛してやまなかった、命を賭しても構わないとまで言わしめた娘。

血が繋がっていないなんて嘘みたいだ。

だって、こんなにも懐かしい。こんなにも愛おしい。

ただの娘子(むすめご)に、こんな哀愁が湧くものか。



『───ねえウォレス。私達のやってることって、本当に正しいのかしら。』



仮初めの親子に過ぎないのに、なぜ彼女はこの子に対して、ああも強い母性を示したのか。

長らく疑問だったが、ようやく腑に落ちた。



『───みんなが平等に長生きできたら幸せでしょう。病気がなくなれば苦しむ人も居ないでしょう。』



それは彼女が使命を帯びていたから、情け深かったからではない。

彼女は紛れも無く人間だった。上でも下でもなく、右も左もなく、当代を見据えていた。

人間だからこそ、人類の幸福とは何かを見出だせた。



『───でも、病気の前になくすべきものが、世界には()だたくさんある。』



生も死も決して平等ではない。




『───差別が、貧困が、争いがなくならない限り、真の平等は訪れない。苦しみは絶えない。』



若くして死ぬ善人がいれば、老いても後ろ穢い悪人がいる。

揺り篭から墓場まで、誰もが何かしらの不条理を抱えている。


『───私達の作るべきは、誰もが死なない世界じゃなく、誰もが精一杯生きたと死ねる社会ではないの。』



それでも、命の在り方だけは平等だ。



『───私達に必要なのは、不老でも不死でもない。』



何人(なんぴと)も突然の不幸は避けられず、天寿まで元気でいられる保証はない。

いかなる善行も悪行も、いつかは必ず終わる。



『───永遠なんて要らないわ。』



"生死"とは"リセット"だ。

完璧に正しい存在も、絶対に間違っている概念も。

人の尺度では計れないのなら、選ばなければいい。

人の手に余るものを、人の手で作り替えてはいけない。



『───命を繋ぐこと。託すこと。愛すること。』



生まれては死ぬを反覆し、終えては始まるが回帰する。

成功したらば倣いに、失敗したらば戒めに。

悪しきを摘むため、善しきを紡ぐため。



『───きっと、この子が答えなのよ。』



我々は繰り返す。

本当の正しさを、本物の幸せを求め続ける。

そうして常命の果てに悟るのだ。

求め続けた道すがらに答えはあったと。他愛ない日常をこそ尊ぶべきと。


いつの時代も、どこの国でも、人が人を愛する気持ちだけは変わらないから。

父が母が、我が子を守る強さだけは間違いじゃないはずだから。


繋ぐこと、託すこと。

命の営みそのものが不滅であり、今を息衝く己こそが普遍の象徴。


永遠なんて要らない。

彼女はきっと、それを言いたかったのだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ