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オルクス  作者: 和達譲
幕間
320/326

Episode52-8:再会



「───すまないね。妙なことに巻き込んで」


「あ、いえ……」



こうなったのは自分のせいではないが、我関せずのままでは埒が明かない。

考え直したウォレスは、朔に少しだけ歩み寄る姿勢を見せた。



「君さえ嫌でなければ、せめてそのお茶がなくなるまでは、ゆっくりしていくといい」


「ありがとう、ございます……」



怖い人なのかと思いきや、意外と優しい声で話してくれるんだな。

朔もまたウォレスに対する印象を改め、当初よりは楽に呼吸できるようになった。



「あの」


「なんだ?」


「ユーガスさんとは、ご兄弟とか、なんですか」



気になっていたが触れられなかったことを、朔は勇気を出してウォレスに尋ねた。

ウォレスは首を傾げそうになって、直後に理解した。



「ああ、顔か。確かに似ていると言えば似ているかもしれないな」


「あ、顔……」


「違ったか?なら髪の色?」


「いえ、あの、見た目もよく、似てると思います」



顔立ちや髪の色に共通点を見出だしたものとウォレスは思ったが、朔が感じたのはそこじゃなかった。

なのに直ぐ明言しないのは、ウォレスとユーガスの失礼に当たる内容だからか。言語化するには難しい要素を含むのか。



「共感覚、というやつか?」



思慮の末、ウォレスは一つの答えを導き出した。



「知ってるんですか?」



朔の表情が晴れる。ご明察だったようだ。



「ああ。腐っても学者だからね。

アンリ君にも話を聞いた。連れの中に、不思議な力を持つ女の子がいると」


「アンリさんが……」



朔の素性については、前以てアンリからウォレスに伝えてある。

ゼロツーと呼ばれていたこと、早老症に似た体質であること、共感覚(シナスタジア)という特殊能力を持つこと。

そして倉杜花藍の、鷺沼藍子の愛娘だったことも。



「まあ、知識はあっても、当事者と実際に会うのは初めてだがね。

それで君は、私とアイツのどこをどう見て、兄弟と思ったのかな?」



朔は拙いながらも懸命に、自分の視界がどうなっているかを表現した。



「えと、人にはそれぞれ色があって……。その人が自分で持ってるってよりは、わたしがその人に対して持ってるイメージ、なんですけど。

親子とか兄弟とか、血縁にある人同士は、だいたい同じ色をしてることが多いんです」


「つまり私とユーガスも同じ色なんだね?」


「はい。お二人とも緑ベースで、ユーガスさんがちょっと黄色っぽくて、ウォレスさんは茶色がかってます」


「ほう。ちなみに今は?常時見えているものなのか?」


「いいえ。あんまり見過ぎると疲れちゃうので、普段は見ないようにしてます」


「そんなことが出来るのか?」


「出来るように訓練したんです。さっきはびっくりして、集中が切れちゃったんですけど……。

今は普通に、みんなさんが見ているあなたと同じあなたを、わたしも見てるはずです」


「なるほど」



ウォレスとユーガスのオーブが判明したのは、階段前での出会い頭。

驚いた瞬間に"二つ目の瞼"が開いてしまったせいで、朔は意図せず彼らの続柄を知ることとなった。

緑系のベースで他に該当するのは、メンバー中だとシャオやトーリが顕著だ。言われてみれば全員、性格的に通ずるところがあるかもしれない。



「どう、ですか?間違ってたらごめんなさい」


「そうだな。厳密には少し違うが、当たっているよ。ユーガスは私の従弟だ」


「じゅう……。あ、いとこさん」


「兄弟に間違われたのも一度や二度じゃないから、気にしなくていい」



ここへ来て初めて、ウォレスは自分用のパイフェに口を付けた。

お菓子をつまむ気になる程度には、朔と二人きりの空間に慣れたようだ。



「ていうことは、あなたがウォレスさん、でいいんですよね?」


「私の話もアンリ君から聞いたのか?」


「はい。助っ人に来てくれる人だって」



トレーをベッドに下ろした朔も、自分のマドレーヌに齧りついた。

ウォレスは食べ終えたパイフェの包みをゴミ箱に捨て、浅く咳ばらいをした。



「他には何か言っていたか?」


「ユーガスさんのお身内さんで、有名な学者さんで、今はキルシュネライトに住んでる……?でしたか?」


「合ってる。他には?」


「他は……。それくらい、だったと思いますけど……」




ウォレスの素性についても、アンリから朔に伝えてある。

研究所で働いていたこと、FBプロジェクトに携わっていたこと、キルシュネライトで隠遁生活を送っていること。

だが花藍の同僚で、友人でもあったことは知らない。

その辺りは秘匿にしておいてくれと、ウォレス自ら関係各所に口止めしたのだ。


ずっと隠し通せるとは思っていないし、望んでいない。

どんなに残酷でも、いつかは真実を語ってやるべきと分かっている。

ただ、今ではない。決戦を控えた今この時に、幼い少女の心を掻き乱す真似をしたくない。


故にウォレスはアンリに頼んだ。

状況が一段落するまで、自分の腹が据わるまで。それまではどうか、追求されてもはぐらかしてほしい。

然るべき時が来たら、当方で罪を白状するからと。




「そうか。ならいいんだ」



どうやらアンリは約束を守ってくれたようだ。

ウォレスは心中で安堵の息を吐いた。


朔は今一度、二つ目の瞼を開き、ウォレスの纏うオーブを確かめた。

セピア混じりのシトロングリーン。漣のように穏やかな波形。

話しぶりからも窺えるように、怖面に反して実は人間味のある人なんだ。



「質問、してもいいですか」



まさに聞いていた通り。

予想を確信に変えた朔は気合いを入れるため、程よく冷めた紅茶をゴクゴクと飲み干した。



「私に答えられる範囲なら」



ウォレスも紅茶を飲み切り、空になったカップをベッド脇のチェストに退けた。



「じゃあ……。今までどうしてたのか、教えてもらってもいいですか」


「スラクシンにいたよ。そこの主席の厄介になっていた。

途中までアンリ君達も一緒だったんだが、本人から聞いてないか?」




遡ること数日前。

ライナスの別荘でアンリ一行と別れたウォレスは、本来ならキルシュネライトに帰る予定だった。

だが情勢は悪化の一途を辿っており、いつ何処が修羅場となるか定かでない。

ましてやウォレスはお尋ね者の身で、命を狙われているという意味ではアンリ以上に危うい立場にある。

ウォレス自身が立ち回れても、周りに災難が及ぶかもしれない。パトロンのエヒトなどは筆頭だろう。


そこでライナスは、もう暫くスラクシンに留まったらどうかとウォレスに提言した。

自分達の側にいれば守ってやれるし、最新の情報も入ってくる。

なにより恩人のエヒトを巻き込まないためには、終極を迎えるまで関わりを絶つべきだと。


了解したウォレスはスラクシンに留まり、ライナスの別荘から本宅へと移動。

頃合いを探りつつ静観し、後にアンリからの招集を受けた。

ゲストハウスに向かう道中も厳戒態勢で、ライナスの部下が数人がかりで警護に当たった。

乗ってきた車も、注意を引かないためにとライナスの私物が貸し出されたそうだ。




「それは聞いたんですけど、そうじゃなくて……」


「もっと前の話か?」


「はい。迷惑じゃなければ」


「いいけど……。君のような女の子が面白いものじゃあないよ。独り身のおじさんが引きこもってただけだからね」


「面白いとかじゃなくていいんです。聞きたいんです。

おかあさんと別れた後、どういう風に暮らしてたのか」



"おかあさん"。

懸念していたワードが不意に飛び出した。

ウォレスは心臓を鷲掴みにされたような衝撃に襲われた。



「おかあさん───は、君のお母さんが、ってことかい」


「はい。倉杜花藍です。本名は鷺沼藍子って言うらしいですけど、わたしは最近まで知りませんでした」



"わたしは最近まで知らなかった"。

まるでウォレスの方が、花藍の本名に馴染みがあるような言い方。


アンリは約束を守ってくれたんじゃなかったのか。

ウォレスの背筋に嫌な汗が滲み、せっかく温まった体温がみるみる下がっていく。



「その話も、アンリ君から聞いたのか」


「いいえ」


「なら、なぜ」



アンリに落ち度はなかった。

なのに朔は、花藍とウォレスが旧知の仲であると確信していた。


アンリでないなら、他の誰かの仕業か。

動揺のあまり、ウォレスは初めに上げて然るべき要因を失念していた。

朔には共感覚や早老症の他に、まだ類い稀なる特性があることを。



「昔、おかあさんから聞いたことがあるんです。仲の良かった友達の話。

その人は、見た目はちょっと怖いけど、本当はすごく優しくて、いつもおかあさんの味方をしてくれたって。その人だけは、おかあさんのどんな相談にも乗ってくれて、おかあさんは、その人にだけは、どんな話も出来たって」



聞きたくない。彼女が自分をどう思っていたかなんて。

彼女の娘の口からだけは、聞きたくない。


ずっと封じてきた思いが弾けてしまいそうで、ウォレスは肺に喉に目頭に神経を集めた。

感情的にならないように、悟られないために。



「その友達とやらが私だと?」


「はい」


「さすがに根拠が足りないんじゃないか?職場は同じだったかもしれないたが、当て嵌まりそうなやつは他にいくらでも────」


「根拠なら他にもあります。だってあなたは、あの頃から殆ど見た目が変わってないもの」


「は?あの頃って、いつ」


「わたしが生まれた時です。ほとんどの人が祝福していたのに、あなただけはそうじゃなかった。

あなただけ、ずっと険しい顔でわたしを見てました」


「……当時を覚えているのか」


「思い出したんです。途切れ途切れですけど」




朔のもう一つの特性と言えば、異常なまでの記憶力だ。

きっかけを与えてやれば、どんな記憶でも呼び戻せる。

たとえ、まだ自意識の芽生えていない幼児期、生まれたての赤ん坊だった頃でさえも。



「さっき、あなたの顔を一目見た瞬間に」



ずっと忘れていた。気がしていた。

ウォレスとの邂逅が教えてくれた。

"自分はこの人を知っている。そんな気がする"と。


萌芽してからは、あっという間だった。

いつぞやに相対したウォレスの記憶が、次々に朔の内側で花開いていった。


花藍に寄り添うウォレス、花藍と語らうウォレス、花藍を見詰めるウォレス。

いつもどこか深刻そうであるのは、朔が生まれた後だから。

朔の存在が花藍に悪影響を齎すのではないかという懸念があったから、ウォレスは花藍にも朔にも明るく接してやれなかったのだ。

もし花藍が妊娠する前を覗き見れたならば、二人の睦まじい姿がそこにあったかもしれない。





「そういえば、記憶力が桁外れているなんて話もあったな。

まさかこれほどとは恐れ入った」



もはや言い逃れは出来なそうだ。

朔の揺るがない決意を前に、ウォレスは観念した。



「大体のことは、アンリくんが君に教えた通りだよ」



胸中を明かす気になっても、ウォレスは朔を見詰め返せはしなかった。

ぼんやりと俯く先には、膝の上で組んだ手と、履き慣れた革靴が並んでいる。



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