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オルクス  作者: 和達譲
Side:A
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Episode06-2:物知りな蛇と、物静かな猫



翌日。

アンリとの面会を承諾してくれたらしい彼の人が、午後にシャオライの事務所へ来ることが決まった。

約束のきっかり10分前に事務所を再訪したアンリは、そこで予想とは真逆の人物と出会った。




「────来たね。まだ10分もあるのに、二人ともせっかちだなあ」



昨夜と同じ位置に腰掛けたシャオライが、煙草を吹かしながらアンリに声をかける。

昨夜アンリが座っていた位置には、見知らぬ少年の姿がある。


少年は振り返ってアンリと視線を合わせると、アンリの頭から足までをじっくり観察した。



「さ。時間も惜しいし、さっさと始めるとしよう」



シャオライに促され、ソファー脇にある革椅子にアンリは着席した。

すると少年から、"こんにちは"と丁寧に挨拶された。

アンリも挨拶を返すと、シャオライが煙草の火を灰皿に押し付けて仕切り直した。



「というわけで、彼が昨日話した神隠しの依頼人。

そんでこっちの兄さんが、今朝電話で説明した通り。

……珍しく若いお客さんが訪ねて来たと思ったら、同時に二人もだなんて───。なにかの予兆かね?これは」



シャオライが簡潔に双方の紹介をすると、少年とアンリは共に訝しい表情を浮かべた。


こんなに小さな子供が。

あどけなさの残る少年を前にして、アンリは困惑した。

片や少年の方も、思っていたより若い男が現れたことに内心驚いていた。




「正直、驚いたよ。

ピアソン。本当にこの子がそうなのか?」


「ああ、間違いないよ。君と同じように突然ここへやって来たんだ。大切な友人を捜してほしいとね」


「友人……?君の友人が神隠しに遭ったのか?」



アンリの問いに、少年は小さく首を振った。



「それはまだ分からない。けど───、……そんな気がしたから」


「そうか……。自力でここまで?」


「一応」




自らを"マナ・レインウォーター"と名乗った少年は、昨年夏に突如消息不明となったガールフレンドを捜して、単身アメリカから渡ってきたのだと語った。


消えたガールフレンドは公には死亡したものとされており、戸籍からも既に外れているという。

しかし、どうしても彼女の死が信じられなかったマナは、あらゆる手段を講じて事件の真相を探った。

やがてインターネットを通じて神隠しの存在を知り、これに巻き込まれて彼女は姿を消したのかもしれないとの結論に至った。


以来、数少ない手がかりを頼りに、たった一人でガールフレンドの行方を捜し続け、先日ようやく本格的な調査に乗り出すことを決心したという。




「───そうか……。その女の子は、君にとってよほど大切な人なんだな」


「うん」


「だが……。さすがに一人で異国を旅するのは危険じゃないか?事件について嗅ぎ回ってのことなら尚更だ。保護者は?」


「家族はいない。それに、ボクはもう18だから」


「18!?中学生じゃないのか……」


「だから、保護者がいなくても、自分のことは自分で何とかできる」



幼い見かけの割に、実年齢はそれほどでもなかったらしいマナ。

てっきり中学生か、高めに見ても高校生くらいだろうと想定していたアンリは、思わず大きく反応してしまった。

既に承知していたシャオライは、少し前の自分を見ているようだと声を上げて笑った。



「あなたの方はどうなの?あなたもボクみたいに誰かを探してるの?」


「いや。俺は特定の誰かを追ってるわけじゃない」


「なら、君は何のために神隠しを探る?見たところ雇われてるって風でもなさそうだし……。

ただ個人的に、正義感や探究心に突き動かされてとかだったら、さすがに笑っちゃうかも」



"もしくは某国のスパイとか?"。

小馬鹿にするような笑みを向けてくるシャオライを、アンリは冷静に見詰め返した。


今ここで、彼等に事実を打ち明けるべきか否か。

悩みどころだが、この情報屋は恐らく、こちらの手の内を全て明かさないと十分な働きをしてくれないだろう。

相手に信用してもらうためには、まず自分から誠意を示さなければ。


短く考えを纏めたアンリは、母の嘗ての面影を思い出しながら、ゆっくりと口を開いた。




「アンリ・ハシェ。昨夜はそう名乗ったが、実はこの名は母の姓でね。

両親は数年前に離婚していて、以降は母と共に暮らしてきたんだ」


「へーえ。それで?」


「旧姓はキングスコート。俺の父は4年前に他界した、キングスコートの元主席だ」




フィグリムニクス首都、キングスコート。

その初代主席であり、創立メンバーの13人を束ねる実質的リーダーだった男こそが、アンリの実の父親。

フェリックス・キングスコートなのである。


しかし、今から約4年前。

彼は病に倒れ、キングスコートの玉座は突如として空席となった。


キングスコートの民達は当然フェリックスの嫡男が後を継ぐものと思っていたが、離婚して間もなかった母の身を案じたアンリは、それを辞退。

自らは表舞台から去ることを選び、大きな権利や栄誉は他に譲った。


その後はフェリックスの遺言通りに着々と運び、キングスコートは再び元の平穏を取り戻した。

新しい主席にはフェリックスの一番弟子と言われていた男が指名され、彼は今も首都の(まつりごと)を取り仕切っている。



アンリが一通り説明すると、シャオライとマナは驚嘆に目を見開いた。

二人ともまだシグリムに滞在し始めて日が浅いため、アンリの正体に見当が付かなかったのである。




「───あー……。確かに見たな、そのニュース。

理想郷の王様が死んで、新しい(かしら)には随分と若い男が指名されたって。

あの時言っていた悲運の子息ってのは、君のことだったのか」


「ハシェ───。キングスコートさんは、この国の王様の、息子さんだったの?

そんなにすごい人が堂々と町をうろついてたら、目立つんじゃない?」


「ややこしいから、アンリでいいよ。敬称もいらない。

確かに俺の立ち位置は───、言ってしまえば王子のようなものだったが。俺自身の知名度はかなり低いんだ。

俺が一族の嫡男だってことは、公には伏せられて育ったから」




キングスコートの学校制度は、中等教育を7歳の頃から受けさせるため、小学校は存在しない。

7歳から15歳までの8年間を中学校で過ごし、15歳から18歳までの3年間を高校で過ごすのだ。


アンリが父の姓を名乗っていたのは、中等教育を修了するまで。

キングスコート家の嫡男であることを秘匿にするようになったのは、ヴィノクロフ州の高校に進学が決まってからだった。




「高校を出た後は地元の医大に進んだが、名前はそのまま"ハシェ"で通したよ。

これを機に過去と決別して、全くの別人として生きてみようと思ってね」


「稀有な人だなあ、君は。キングスコートの名前を使えば何もかも思い通りだろうに。

敢えてそれを捨てるなんて、よっぽどのマゾのすることだよ」


「何もかも思い通りの人生に意味はないから、だよ。

15で父の元を離れてみて、ようやく自分のやりたいことが見付かったんだ。自分で思い描いた夢は、自分の力で実現させたい。

苦労してこそ価値があるものだろう」




幼い頃から自身の家柄に引け目を感じていたアンリは、キングスコートの家名に段々とコンプレックスを抱くようになっていった。


時に持て囃されたり、煙たがられたり誤解されたり。

近付いてくる者は皆"キングスコートのアンリ"として見るため、どこへ行っても腫れ物のように扱われる。

中にはそれを羨む者もいたが、アンリにとって自らの境涯は窮屈以外の何物でもなかった。


やがてアンリは心を病み、いつしか孤独を求めるようになった。

自分の生まれた街を、父の側を離れたいと思い立ったのも、今までの自分を無かったことにしたかったからだった。



"俺はもう、貴方のマリオネットじゃありません"。



変わりたい。

誰の力を借りずとも、自分一人で歩いていけるように。


父の目の届かない場所で過ごした三年間。

そこで漸く、アンリは本当に欲しいものを見付けた。


父と同じ医学の道は、生まれた時には既に決められていた進路だけれど。

確かな信念を手に入れた彼は、もう挫けなかった。

キングスコートの子息ではなく、アンリ・ハシェという一人の男として、成し遂げたい夢が出来たから。




「君の素性は大体わかったよ。

で?王子様と神隠しには一体どんな繋がりがあるのかな?」



なにかを考える素振りを見せてから、シャオライは改めて問うた。

アンリは徐に天井を仰いで目を閉じると、深呼吸をした。




「昨年、母が亡くなったんだ。自殺だった」




アンリの両親はもともと不仲で、いつ別れてもおかしくない冷え切った関係にあった。

正式に離婚が決まったのは、アンリが大学へ進学して間もない頃。

寄る辺を失った母イルマは、唯一の息子を頼る他なかった。

名実共にキングスコート家と決別することとなったアンリは、今度こそイルマと共に姓を改め、ヴィノクロフでひっそりと暮らすようになった。


だが、その僅か一年後。

アンリが19歳の時に、フェリックスは病に倒れ急死。

更にニ年後には、イルマも自死によって他界してしまった。

自宅の天井から首を吊っていた母を、最初に見付けたのがアンリだった。




「母の死後、遺品を整理している時に、本人の遺書のようなものを見付けた。

そこには俺に対しての謝罪と、意味深長な告白が綴られていた」




実は自分に、腹違いの弟がいるらしいということ。

その子はフェリックスと、一族の小間使いとの間に生まれた子で、表沙汰にはされなかったものの、屋敷では知らぬ者がなかったという。

当時まだ幼かったアンリを除いては。


フェリックスの子を身篭ったことを知った小間使いは、話が広がる前に我が子を連れて出奔。

フェリックスは長らく彼女達の捜索に当たったが、二人は結局見付からなかった。


しかし何よりイルマが不審を覚えたのは、夫の浮気でも小間使いの素性に対してでもなく。

フェリックスの執着の対象が、"女"ではなく"子"に向いていたことだった。


女に未練があるというならまだしも、子供嫌いのフェリックスが、ああも不義の証に関心を示すなんて。

平素であれば、まず有り得なかったのだ。




「嫡男の俺がいる以上、残念だが、小間使いの子として生まれる彼は一族の汚点にしかならない。

もし彼の母親が逃亡をせず、屋敷に残ることを選んだとしても、きっと母子共に迫害される生活が待っていただろう」


「それを懸念して、身重ながら一人で旅立ったと?」


「ああ。……だが、どうやら他にも理由がありそうなんだ。

またフェリックスの話に戻すが、あの人が医学博士であったことは、二人とも知っているか?」



マナとシャオライは頷いた。



「今時彼を知らない人間なんて、生まれたての赤子くらいのものだろうよ。

よほどの無知でも馬鹿でも、彼の成し遂げた偉業は、一度は耳にしたことがあるはずさ」


「目の病気に効く薬を作った人だよね?悪くなった視力を元に戻したり」


「あとハゲの特効薬ね。今はツルツルのタコでも、フサフサだったあの頃を取り戻せる最強の毛生え薬」


「もうちょっと他に言い方ないの……」




茶化した物言いをするシャオライを、マナがじっとりとした目で見詰める。

認識には多少差があるようだが、二人ともフェリックスがどのような人物であるか、大まかには把握しているようだ。



二人の言葉通り、フェリックスは視力回復と育毛促進の薬を開発し、現在に至るまでの富裕を成した学者だった。


特に前者は手術を要さないことから希代の大発見と言われ、副作用も初期に軽い目眩が起こる程度であったため、視力に不安のある人間はこぞって求めたとされる。


前述の影響から、近年までポピュラーだったコンタクトレンズは、瞬く間に旧世代の遺物と化した。

眼鏡も、高価な薬には手を出せない庶民らが使う道具、または純粋なファッションアイテムとして安価で流通するようになっていった。



やがてフェリックスは、培ってきたもの全てを投じて、この国を建ち上げた。

以降も毎日のように研究に没頭し、新薬の開発に努めたとされる。


だが、終生傾倒し続けた研究とやらが、具体的に如何様なものであったのか。

アンリがいくら尋ねても、フェリックスは決して教えてくれなかった。


唯一明かされていたのは、"世界のためになるものを作っている"、ということだけ。

幼かった頃のアンリは、父は病気に苦しむ人達のために、純粋に頑張っているのだと信じていた。




「息子の俺はそうとして、妻のイルマにさえ研究の内容は一切知らされていなかった。

それでも、あの人が隠れて何かをしている気配は、ずっと感じていたんだ。俺も母も」


「ふーん……。続けて?」


「……ここからは、あくまで俺の所感なんだが。

フェリックスは、研究の被験体となる人間を、世界各地で募っていたんじゃないかと思う」




平たく言うと、臨床試験。

本当に新薬を開発していたのなら、効能や欠点を調べるためにも、実際に人体に投与して経過を見る必要がある。

それはどの企業でも普通に行われていることで、法律的にも倫理的にも問題はない。


アンリが引っ掛かったのは、試験に参加したとされる被験者達の末路と、遺書に残された母の言葉だった。



仕事に掛かり切りで、家族とも滅多に顔を合わさなかったフェリックス。

そんな彼に会うため、イルマとアンリは機会を窺っては、彼の職場に度々足を延ばしていた。


そこでフェリックスは、見覚えのない青少年を稀に引き連れていることがあった。

従者でも同僚でもなければ、親しい友人でもなさそうな素性の知れない者達だ。


彼らを伴ったフェリックスは、いつも病院の奥へと消えていった。

その先で何が行われていたのかは不明だが、それきり彼らの姿を見かけることは二度となかった。




「効果の高い薬は、その分人体に与える影響も大きい。一般に流通させるまで、何度も改良を重ねる必要がある。

……故に、本当に彼らが被験体として利用されていたのだとすれば────」


「その後姿を見せなくなったのは、テストの段階で命を落としたから。か?」



横から注釈を入れたシャオライは、二本目の煙草を口に咥え、火を付けた。

マナは二人の会話に口を挟まず、難しい顔で耳を傾けている。



"あの人が隠しているものを暴こうとしては駄目。気になっても、見ないふりをして"。

"出来ることなら、なにも知らないまま、あの人の幻影から離れなさい"。

"フェリックスという男は、人の命など、どうとも思っていない人間なのだから"。



紙面に綴られた、母の最期の言葉。

今まで母親らしいことを殆どしてこなかった彼女が、初めて息子の身を心から案じた瞬間。


それを見て、当時のアンリは確信した。

父・フェリックスはきっと、人のためになることと、人の道に背くことを並行して行っているのだと。


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