Episode52-7:再会
数分後。
必要分をトレーに積んだ朔が二階へ戻ってきた。
目印となるため部屋の前で立っていたユーガスは、息を潜めて迎えた。
「おかえり~。火傷とかしてない?」
「平気です。───どうかしたんですか?」
朔もつられて小声になる。
「ちょっとね。ドア開けるから、中まで運んでくれる?」
「あ、はい」
気遣う割に、ユーガスは朔のトレーを代わりに持ってやろうとはしなかった。
朔に一つ目配せをしてから、ユーガスがドアを開ける。
部屋に向かって一歩踏み出した朔と、中にいたウォレスが振り返ったのは同時だった。
二人の目が合った瞬間、ウォレスは先程以上に驚いた反応を見せた。
「おまたせ~。荷解き終わったぁ?」
朔の背後からユーガスがひょっこりと顔を出す。
ユーガスの言う通り、ウォレスは荷解きを済ませて一息ついていたところだった。
「おま───、なんのつもりだ」
「なにって、お茶煎れてもらったんだよ。ウェルカムドリンクに丁度いいっしょ?」
「だからって何で────」
「さあさあ入って入って~」
「えっ?あ、はい……」
ウォレスからの文句には聞く耳を持たず、ユーガスは朔の背を優しくも強引に押しやった。
朔は歓迎ムードでないことを感じつつも、ユーガスに抗えず入室した。
「で、なんだっけ?お茶が何味でお菓子がどこ産だっけ?」
ユーガスは右手でドアを閉め、左手で壁際のサイドテーブルを指差した。
朔はサイドテーブルの上にトレーを置き、持ってきたものの説明をした。
「えっと……。これがパイフェ、マドレーヌ、ダックワーズ。お茶はダージリンです」
朔の隣に並んだユーガスは、ふんふんと頷きながらトレーを覗き込んだ。
「は~ん。マドレーヌとかってフランスだっけ?」
「起源はフランスですけど、これを作ったのはクロカワの、日系の人がやってるお店だそうです」
「へー。日本って寿司と天ぷらだけじゃないんだねえ」
早くも打ち解けた雰囲気のユーガス達を、ウォレスは視界に入れようとすらしなかった。
我関せずの佇まいで、事が済むのを冷やかに待っている。
「どれが良いですか?余ったやつをわたしが、もう一人の方のところに持って行きますから」
今すぐここを立ち去る理由がほしい。お役御免になりたい。
いよいよ居た堪れなくなった朔は、二人分のお茶をテーブルにとりあえず下ろした。
「もう一つは朔ちゃんの分だよ」
「わたしの……?」
ユーガスは笑みを携えたまま、さりげなく朔の背後へ回った。
朔が勝手に逃げられないよう、退路を塞ぐために。
「せっかくだし一緒にお茶してこうよ」
「え?」
「は?」
朔とウォレスの疑問符が重なる。
ウォレスの方は疑問符に加えて苛立ちも混じっている。
「一緒にって、ここでですか?」
「そ」
「で、でも、ウルガノさんを置いてきてますし、わたしだけ一抜けしちゃうのは────」
「そうだぞユーガス。彼女にだって彼女の都合があるだろう。無理を言って困らせるな」
遠慮する朔にウォレスも加勢する。
ユーガスはウォレスに一瞥だけくれて、尚も朔に迫った。
「そのウルガノさんがオッケー出してんだから、急いで戻る必要はないのよーん?」
「ウルガノさんが良いって言ったんですか?」
「うん。さっき擦れ違ってね。もう人数少ないから自分だけで足りるって」
「そう、なんですか」
他に言い訳を思い付かなかった朔は黙り込んだ。
ウォレスはユーガスをきつく睨んだが、ユーガスは素知らぬふりをした。
「野郎二人でお紅茶におクッキーなんてぞっとしねーからさ、付き合ってよ。ね?そんなに時間とらせないし」
「……少しだけ、なら」
「やったー決まり~」
ユーガスの強引なアプローチに屈した朔は、とうとう首を縦に振った。
ウォレスは朔に聞こえないよう溜め息をついたが、今更追い出すことも出来なかった。
「朔ちゃんはどのお菓子がいーい?」
「わたしは残ったやつで……」
「はら~、謙虚だね~。
んじゃー、おれコレにすんね。朔ちゃんはコレで良い?」
「はい」
ユーガスはダックワーズとパイフェを手に取り、余ったマドレーヌを朔に渡した。
「おらよ」
「!」
ユーガスが乱暴に放り投げたパイフェを、ウォレスは反射的にキャッチした。
どの菓子が良いか選ばせなかったことも含め、ウォレスに諸々の決定権はないらしい。
「朔ちゃんはそっち座んなよ。おれらはこっち座るから」
「俺は────」
「いいから言うこと聞けって。お茶が冷めちゃうだろ」
朔に対する時とは雲泥なほど、ユーガスはウォレスに手厳しく当たった。
平素はむしろユーガスの方が軽んじられているのに、今日ばかりは立場が逆のようだ。
ユーガスを怒らせると厄介だと知っているウォレスは、不服ながらも従わざるを得なかった。
「失礼、します」
朔はユーガスに促されたベッドに腰かけ、トレーごと膝に乗せた。
ユーガスとウォレスはそれぞれお茶とお菓子を持ち、もう一方のベッドに間隔を空けて座った。
「いただくね~」
「……頂きます」
「どうぞ。わたしも頂きます」
ユーガスはダックワーズに、ウォレスと朔は紅茶に口を付けた。
「ん、おいしー。ダックワーズ?だっけこれ?」
「そうですね」
「こんなん食うの何年ぶりだろー。紅茶なんて飲むのも初めてだぁ」
「お嫌いなんですか?」
「機会がなかっただけだよ。仕事柄、優雅にティータイムなんてこいてる余裕なかったしねー」
意外にも綺麗にダックワーズを頬張るユーガスの横で、ウォレスは静々と紅茶を啜った。
ユーガス自身は覚えていないようだが、本当は少年時代にダージリンもアールグレイも嗜んだことがある。
毎日のティータイムを欠かさないほど、フレイレの一族は地元で知られた名家だからだ。
とどのつまりユーガスとウォレスは、所謂やんごとないお坊ちゃま。
指摘するのが面倒臭いだけで、ウォレスの方は当時を鮮明に記憶している。
お茶会と称しては一族が集まり、テーブルマナーを仕込まれていたこと。
自らはピアノを、弟はヴァイオリンを嫌々習わされていたこと。
その反動もあって、弟は傭兵などという危険な職に就いたことを。
「こっちの人のは?なんだっけ?」
こっちの、とユーガスはウォレス用のパイフェを顎で示した。
朔はウォレス本人に絡めてしまわないよう割り切って答えた。
「パイフェ、ですね」
「パイフェ~イ。聞いたこと有るよーな無いよーなだなぁ。
ど?うまい?」
「まだ食べてない」
「なんだよー。お茶は?」
「ダージリンの味だ」
「つれないなぁ。せっかく用意してくれたのにぃ。ねえ朔ちゃん?」
「いえ……」
なんとか間を執り成そうとするユーガスの気遣いも虚しく、ばつの悪い空気が部屋に流れる。
「………。」
他者の人間関係など今まで意に介してこなかったユーガスは、段々と苛立ちを覚え始めた。
頑なに歩み寄ろうとしない従兄と、賢いやり方が思い付かない自分自身に。
「───あ。そーいやおれ王子くんにお呼ばれしてたんだった」
ふとユーガスは棒読み窮まりない独り言を上げた。
"王子くん"とはユーガスが名付けたアンリの愛称である。
「そーゆーわけだから、おれ行かなくちゃ」
「ハア!?」
ユーガスは紅茶を一息に飲み干すと、ダックワーズの包みを空になったカップの底に落とした。
あまりの奔放さに、ウォレスはつい大きく反応してしまった。
「おま、ふざけんなよお前。元はと言えばお前が────」
「しょーがねーじゃん忘れてたんだもん」
「守衛は。途中だつってたのはどうした」
「他に二人も三人もいんだから、ちょっとくらい外しても平気っしょ」
ウォレスが来るまで守衛をしていたのは事実で、アンリから呼び付けられたというのは嘘。
要するにユーガスは、この微妙な空気が煩わしくなったのだ。
一言で言うならば"とんずら"、"戦線離脱"。あるいは"丸投げ"である。
「朔ちゃんは全然ゆっくりしてっていいからね。お茶まだ熱っついし」
「えっ?えっ?」
「おいユーガス────」
「ほなまた」
語尾にハートマークが付きそうなほど朗らかに、かつ一方的に言いたいことだけ言ってユーガスは退室した。
残されたのはユーガスの微かな体温と気配。そして猛烈な嵐に見舞われ茫然自失となった、朔とウォレスの二人だけ。




