Episode52-5:空目
「ボク、最初にジュリーと会った時言ったよね。発破かけるようなこととか、偉そうなこと、いろいろ」
「………。」
「ボクが焚き付けたから、ボクが一緒に行こうよって強引に誘ったから、ジュリーは付いて来てくれたのに。
言い出しっぺのくせに、ボク、自分のことばっかりだったよね。ジュリーやマノンのこと気にかける余裕もなかった。
……表に出さないでくれるだけで、そこらへん、ジュリーも色々思ってたんじゃない?」
チェルシーもセレンもマノンも、一つの終着点にいる気がしていた。
笑って会えるかはさておき、最後には顔触れが揃っているはず。漠然と、そんな自信があった。
現実はそう上手くはいかなかった。
三名のうち二名にしか光明が現れなかった。
マノンだけが桁違いに不運なのではない。チェルシーとセレンが奇跡だったのだ。
シビアに考えれば、マノンこそ一般的なケース。
突如として消息を絶った某が、事実上に世間から葬り去られる。
何年、何十年と我が子の帰りを待ち望み、志半ばにして倒れた父母が歴史にどれだけいただろう。
"───あなたはもう、その誰かになる力をなくしてしまったの?"
マナは段々と怖くなった。
自分が連れ出した先に、彼の求めるものは無いかもしれない。
自分が選ばせた道は、酷い遠回りだったかもしれない。
芽吹いてしまったが最後、もう以前のようにジュリアンと通じ合えなくなってしまった。
どちらの方が安穏で過酷だとか、どちらにせよ辛い運命であるとか、そういう問題ではないのだ。
なんであれ、ジュリアンの貴重な時間を奪ってしまったこと。
正しいプロセスを経ていれば、既にマノンと再会を果たしていたかもしれないこと。
前向きな"もしも"を考える度に、マナはフェリックスと同等の大罪を犯したように感じてならなかった。
「チェルシーとセレン、さんが居るって分かったのは、すごくラッキーなことだ。すごく、良いこと。
良いことなんだから、マナがそんなこと、考える、考えなくていい」
「でも、この国のどこにもマノンがいなかったら、無意味になるんだよ。
今までジュリーが頑張ってきたことも、これから頑張ろうとしてることも」
「意味はあるよ。この国で見付からなかったとしても、"この国にはいなかった"って答えは出る。
可能性一個消せたんなら、ちゃんと意味だよ」
"それに"と一度区切って、ジュリアンは続けた。
「マノンの名前がないって分かった時、おれはがっかりするのと同じくらい、ほっとした」
「どういう意味で?」
「神隠し、ってやつじゃないなら、マノンはそういう、人体実験とかってやつには巻き込まれてないってことになる。
悪い風に考えたら、もう死んでるんじゃないかとか、実験より酷いことされてるとか、色々あるけど。
良い風に考えたら、普通に暮らしてるかもしれない。子供のいない、お年寄りの夫婦とかが、養子として引き取ったりしてるかもしれない」
ジュリアンの言い分も有り得なくはない。
仮にそうだとすれば、マノンはチェルシー達より遥かに幸運ということになる。
そもそも人攫いに遭ったのは酷い不運だけれど、奴隷や道具扱いを強いられていないなら、せめてもの幸いだ。
「だから、マナ達と比べて、マノンやおれの方が不幸とか、そんなことはない。現実にどうだったとしても、比べることじゃない。
マナ達はマナ達の、自分の心配をするべきだ」
「……わかった。ありがとう」
冷静に諭してくるジュリアンに、マナは安堵すると同時に感心してしまった。
ジュリアンのことだから、マナに対して怒ったり恨んだりしていないのは予想できた。
驚きなのは、ジュリアンの精神的な成長ぶりだ。
マナに促されてやっと重い腰を上げたのが、今や逆にマナを励ましている。
見通しのつかない現状を悲観するのではなく、明るい展望を見出だそうとしている。
姉と弟のような関係だったのが、兄と妹になったり、父と娘になったり。
決して軽んじていたわけではないが、歳の差とは侮れないものだとマナは実感した。
「マナこそ、決まってるのか?チェルシーと会えたら、なにしたいか」
紅茶を飲みながら、今度はジュリアンがマナに尋ねる。
「そうだなぁ……。チェルシーがどんな状態かにも依るけど……」
「良い風に考えよう。チェルシーも元気で、笑って再会できたら」
また沈み始めたマナを、ジュリアンは懸命に持ち上げた。
マナはジュリアンの気遣いに感謝して、意図的に口角を上げた。
「じゃあ、まずはハグする。思いっきり。苦しいよって、チェルシーがギブアップするまで」
「その後は?」
「"ごめんね"と"ありがとう"。
遅くなってごめんねって謝って、生きててくれてありがとうって言う」
「その後は?」
「本当に無事なのかどうか、いろいろ検査とかしてもらって……。
本当の本当に何ともないって分かったら、故郷に帰って、ご両親と会わせてあげる。
体は何ともなくても、心は死ぬほど傷付いてるはずだから。みんなで協力して、チェルシーを支える」
「チェルシーのご両親、と、今でも知り合いなのか?」
「時々連絡とってるよ。こっちの事情は殆ど話してないけどね。ずっと心配してくれてる」
「そうか。ご両親と、みんなと、どんなことするんだ?」
「普通のこと。ごはん食べたり話したり。普通の日常を分かち合いたい。
あ、美術館にも行きたいな」
「誕生日に行くはずだったってやつか」
「うん。彼女も覚えてるか分からないけど、覚えてなくても行きたいな。
……ニコのお墓参りにも、できれば、一緒に」
好きなものを好きなだけ食べさせてあげよう。
行きたいところに連れていってあげよう。
どんな話でも聞いてあげよう教えてあげよう。
そこには眩しいほどのチェルシーの笑顔があって、握った手は日向みたいに温かくて。
長い髪を撫でれば、フルーツ系の甘酸っぱいオーデコロンが香るのだろう。
なにもかもが想像に易い。
なにもかもが昨日のことのようで、明日にも実現できそうな気さえする。
そして悟る。
どんなに想像を広げても、実際の過去を思い出すのは、雲を掴むが如く困難になりかけていることを。
どんなに埋め合わせようと尽くしても、自分と彼女が失ってしまった空白の一年間は、二度と取り戻せないことを。
「(願わくは、最後は彼女と────)」
本当はもう一つ叶えたい具体的な夢があったけれど、それは胸に秘めておこうとマナは口を結んだ。
「楽しそうで、良いと思う」
「ジュリーは?」
「おれは、さっき────」
「"良い風に考えたら"、だよ。夢の話でいいなら、あるんでしょ?やりたいこと」
マナは先程と同じ質問をした。
ジュリアンは先程と同じ回答をしようとして、マナの例えに倣った。
「うーん……。途中までは、マナと大体一緒かな」
「ごめんねとありがとうと、体の検査?」
「うん」
「その後は?」
「その後は────、その後も、マナと同じかな」
「ご両───……。故郷に帰してあげる?」
"ご両親と会わせてあげる"と言いかけて、マナはマノンの境遇を思い出した。
ジュリアンは頷き、懐かしそうに目を細めた。
「院のみんな、今でもマノンの帰り、待ってると思う。
だから、連れて帰る。みんなきっと喜んで、怒ると思う」
「怒る?どうして?」
「おればっかり無茶してって、たぶん叩かれる」
「なるほど。叩かれた分だけ愛されてる証拠だね」
ジュリアンの身を案じ、泣きながら怒る子供達の姿が頭に浮かび、マナはくすりと笑った。
「みんな、元気にしてるといいなあ」
歳の離れた友人達に思いを馳せながら、ジュリアンは酷く落ち着いた声で呟いた。
この時のジュリアンの横顔を目にして、マナは本懐とは別に新たな決心をした。
「決めた」
「うん?」
「ボクも一緒にマノンのこと探す」
ジュリアンは息を呑み、またしてもマナの方を一瞥した。
「え……。でも、チェルシーは。みんなで支えてあげるんだろ?」
「うん。"みんな"で支える。ボクが無理な時はご両親が、ご両親が無理な時はボクが。
協力し合ってチェルシーを守っていく」
「なら、忙しくて無理だろう」
「忙しくても出来なくはない。やりたいんだ。どうにか都合して、ジュリーやマノンのための時間を作る」
「……嬉しいけど、そんなの、いつまで」
「いつまでも。とりあえずはマノンが見付かるまで。
マノンが見付かった後も、時々会いに行くよ」
「会いにきて、くれるのか」
「ジュリーが嫌でないなら」
この旅が終わったら、自分と仲間達の縁は切れるものとジュリアンは思っていた。
それぞれ目的を果たした彼らと別れ、自分は単独でマノン探しを続けるのだと。
目的が果たされても、皆ずっと友達でいられたら。
時々会って、久しぶりとか、お互い老けたねとか言い合えたら。
何度も願っては卑下した。
自分なんかと一緒にいてくれるのは、目指すところが同じだったから。
理由がなくなった後も繋がっていたいなんて縋ったら、みんな迷惑に違いない。
何度も遜っては切願した。
まさか、マナの方から望んでくれるなんて。
ジュリアンの胸にこれ以上ないほどの多幸感が満ち、俄然のやる気に燃えた。
「嫌なわけない。嬉しい。おれも、時々会いに行く」
「じゃあ、こっち来た時にチェルシーのこと紹介するね」
「マノンも、マノンにも会ってほしい」
「きっと直ぐジュリーを好きになるよ」
「マノンも、マナを慕うと思う」
「チェルシーとマノンも仲良しになれそうだね」
「友達と友達が仲良くなってくれるのは、いいな」
食い違う理想と現実。
マナもジュリアンも頭では分かっている。重々分かった上で、あくまで妄想の範疇をなぞっている。
現実を知ってしまったら、理想も描けなくなるから。
潰えていないうちに、せめてもの夢を見ていたいのだ。
「マナ」
「うん?」
「今までありがとう」
「え……。」
ジュリアンの改まった言葉に、マナは急な不安を覚えた。
「どしたの急に。縁起でもない」
「そうだけど、今のうちに言っておきたかった。明日、誰に何があるか分からないから、後悔しないように」
「……そっか」
マナは言い返したい気持ちをぐっと堪え、低い声で"そうだね"と答えた。
「きっかけは良くないことだったけど、お前達と出会えたことは良いことだった。
あと、これも良くない気持ちだけど……。こんな毎日がずっとだったらと、時々思ったりもした」
「ボクもだよ。成り行きで寄り集まっただけの面子が、こんなに大切な人達になるなんて、思ってもみなかった」
自然と顔が、肩が、指が動く。
今日初めて、ちゃんと目が合う。
「ありがとう、マナ。お前といられて、楽しかった」
「ボクもだよ。ジュリアン。一緒に来てくれて、ありがとう」
互いの瞳に、互い史上一番の笑顔が映った。




