Episode52-3:狼煙
「仲良しなんですね」
ふと青木が意味深な眼差しを東間に向ける。
隣では神坂も似たようなニュアンスで東間を見下ろしている。
「え?ああいや、別に……。仲良しっていうか、さすがにこんだけ一緒にいればさ」
「あんなに綺麗な御仁と"さすがにこんだけ"一緒におられるのですね」
「羊一様も隅に置けなくなりましたか」
「だからそんなんじゃないってば。ウルガノも朔もなか────」
「呼び捨て!?」
ウルガノも朔も、異性うんぬん以前に仲間である。
そう東間が弁解しようとしたのを遮って、神坂と青木は声を揃えた。
まさに目が点といった反応をする二人に、東間はようやく自分が墓穴を掘ったことに気付いた。
「ちが、これはアレだから!英語には敬称とかの文化ないから!」
「ゴリゴリに日本語を話しておられますが!?」
「それは二人と話してるからでしょ!」
珍しく感情的な神坂らに触発されて、東間もつい息巻いてしまう。
静かなロビーに三人の大声が響き渡ると、東間はハッと我に返った。
「とにかく、二人が想像してるようなことは何もないから」
「何を想像していると?」
「だから!その……。若い女の人と一緒だからって、色っぽいこととかは何もないの。
信頼はしてるし、向こうも少しはしてくれてる、と思うけど、それだけ。みんな女とか男とかの前に、大事な───仲間、だから」
本当は"友達"と言いたいところを自制して、東間はミリィ達全員を仲間と称した。
これで神坂らも引き下がってくれるかと思いきや、却って火に油を注いだだけだった。
「成長されましたね、羊一様」
コーヒーのマグカップをテーブルに置き、神坂は感慨深げに呟いた。
「は?なに急に」
「先程のやり取りからも窺えるように、羊一様と皆様は強い絆で結ばれているご様子。
そんな風に思い思われる相手が出来て、神坂は嬉しゅうございます」
青木もカップを置き、神坂に同調した。
「同感です。まさか羊一様の口から、"仲間"だなんて面映ゆい台詞を聞ける日が来ようとは」
「ダッ───、あれは言葉の綾で!友達なんて言ったら皆に失礼っていうか、おれだけが勝手に思ってるだけかもしれないから別の形容詞を使っただけで……」
弁解すればするほど東間はド壷に嵌まっていき、神坂らは笑みを深めていった。
観念した東間は赤ら顔で俯き、ふて腐れたように大きく紅茶を啜った。
「つか、こんなもん成長でも何でもないから」
「成長ですよ。ご立派に」
「どこがだよ。前と全然変わった実感ないし、相変わらず兄さんさんにも二人にも頼りきりだし」
東間の言う"兄さん"とは桂一郎を指している。
本人の前では名前だが、神坂らと話す時は兄さんと呼んでいる。
「ここに呼ばれたのだって、これから何させられるのかだって、二人はよく知らないまま来たわけでしょ?」
東間は紅茶のカップをソーサーに置いた。
「お願いしたのはこっちだし、今更も今更な話だけどさ。不満とかないの?」
東間達が何のために旅をしているか、近頃はどういった情勢にあるのか。
おおよそは東間自ら桂一郎に話してある。旅立った当初から続けている定時連絡の折に。
しかし、ここ数日は定時連絡どころか、短いメールさえ控えざるを得なかった。
だから桂一郎は、桂一郎を介して情報を得ていた神坂らは、まだ知らない。
東間達の身に迫る影の正体を。東間達が背水の陣で、研究所へ突入を試みようとしていることを。
このまま彼らを巻き込んでしまって、本当にいいのだろうか。
詳しい事情を明かさずに助けを求めるのは、彼らを騙したことにならないか。
作戦会議の時は反対しなかっただけで、東間自身は最初から乗り気でなかった。
東間と付き合いがある時点で、桂一郎らも無関係とは言えない。
そもそも片棒を担がせているのだから、とっくに巻き添えにはしている。
だが今度ばかりは巻き添え程度では済まない。東間もろとも神坂らは命を落とすかもしれないし、延いては桂一郎にも皺寄せがいくかもしれない。
無論そうならないように万全は尽くすつもりだが、殺生沙汰に発展する可能性は極めて高い。
せめて当人らの意思を尊重した上で相談したかったと、東間は心中で葛藤し続けていた。
「ありませんよ。我々に羊一様からのお願いを断る理由はありません」
「だからそれが────」
心苦しさに東間は顔を上げるも、神坂は構わず続けた。
「強要されたとは思っていません。忖度でも野心でもありません。
主の命だから、逆らえないから従うのではなく、そうしたいからここにいるのです。私も青木も」
青木も静かに頷く。
「我々は主より伝え聞くのみでしたが、皆様は三綱五常を胸に邁進されているとのこと。
なれば自ずと想像もつきます。要するに我々は皆様の邁進をご助力致せば良いのでしょう?」
「我々がどこまでお役に立てるかは分かりませんが、皆様をお守りする盾として矛としてならば多少は機能するはず。
徹頭徹尾、使い倒して頂きたく参った所存です」
迷いなく言い切る神坂らに、逆に東間が狼狽えた。
「なんで、おれのためにそこまでしてくれんの」
「羊一様をお慕いしているからですよ」
「おれが間違ってるとは思わないの」
「羊一様は聡明な方です。御身がよくよく考えてお選びになった道に間違いがあるはずございません」
「みんなのことだって、二人にしたら所詮他人なのに」
「羊一様のご友人は我々の友でもあります」
「羊一様を外の世界へ連れ出してくださった皆様へ、一縷でも恩返しとなるならば喜んで手足となりましょう」
溜まっていたモヤモヤを東間が吐き出す度に、神坂と青木は見事受け止めてみせた。
受け止めて、無理に消化するのではなく昇華させた。
「……かなわないな、ほんと」
東間はソファーに深く沈み、首を仰け反らせた。
「まだ何も決まったことは言えないけどさ。もし全部うまくいったらどうしてほしいか、考えといて」
「我々が羊一様に何をしてほしいか、ですか?」
「お礼ということでしたら日頃より賜っておりますが」
「そういう日常のちょっとしたやつじゃなくてさ。もっとこう、一生に一度くらいのデカイやつ。
できるだけ叶えられるようにするから、考えといて」
「……わかりました」
「考えておきます」
見返りなど要らない。
そう喉元まで出かかった神坂らだったが、東間の温情は有り難く受け取ることにした。
「羊一様はどうなさるおつもりなのですか?」
「なにが?」
「"全部がうまくいったら"、の後ですよ。また以前のような生活に戻られるのですか?」
東間は考えた。
旅の終わり、自分はどうなるのか。どうするのかを。
今度の作戦が完遂したら一巻の終わり。
この一年間の出来事は過去となり、新たな始まりがやって来る。
いつかいつかと先延ばしにしてきた答えを出さねばならない時が、もう鼻先まで迫っている。
時期尚早な気もするが、迎えたい未来は話せる内に話しておいた方が良いかもしれない。
「そっか。これが終わったら、おれ達が一緒にいる理由もなくなるんだよね」
ふと東間の内に寂しさが湧く。
これを機に全く縁がなくなるわけじゃなくとも、もう今までのように隣にはいられない。
外国人のメンバーはそれぞれ、在るべき国へと帰るだろう。
ミリィやアンリ達シグリム国民も、本来の身分に沿った生活に改めるだろう。
展望が決まっていないのは自分だけ。
真っ暗な部屋で、モニターにかじり付いて過ごすばかりだった己の姿が、東間の脳裏に過ぎる。
「どうだろう。まだよく分かんないや。
ただ、前みたいな生活には戻らないかな。戻りたくない」
「不承不承だったのですか?」
「そんなこともなかったけど……。
みんなのおかげで、人と接するのも案外悪くないって思えるようになったから。だから、引き篭るのはもうやめる」
「なんと……!それは素敵なお考え。私も大賛成です」
「主にお伝えすれば小躍りされるかもしれませんね」
前向きな思考になりつつある東間に、神坂と青木は心から喜んだ。
ただし手放しではなさそうだと、東間は目敏く見抜いた。
「なに?なんか引っ掛かる?」
「え?いいえ、純粋に嬉しい限りですよ。なあ?」
「ああ」
神坂らは口裏を合わせて誤魔化そうとした。
東間は起き上がり、前屈みに両手を組んだ。
「二人にはおれのこと何でもお見通しだろうけどさ。
おれだって、二人のこと何にも分からないわけじゃないんだぜ」
「………。」
「言ってよ。なに隠してる。おれには言い辛いこと?」
東間は優しいトーンで食い下がった。
神坂と青木は顔を見合わせ、後ろめたそうに眉を寄せた。
「本当は一段落ついてからお伝えしようと思っていたのですが……」
「なに?」
「先日、主宛てに美鳥様からご連絡がありまして」
「え……」
美鳥。東間の実の母の名前。
父の辰弥ともども経営コンサルタントとして活動し、夫婦で世界中を飛び回っている。
息子の羊一とは血縁こそあれ、親子らしい思い出は殆どない。
「なんで兄さん宛てに」
「羊一様の電話番号にもメールアドレスにも繋がらないからと、伝言を頼まれました」
「ああ……。今あの人の連絡先ブロックしてるから……。
もしかしてバレた?」
「申し訳ありません……」
"バレた"とは、東間が通っていた進学校を辞めた件だ。
ミリィ達と旅に出ていることも含め内密にするよう、東間は桂一郎に口止めしていた。
桂一郎も東間との約束を守ってきたが、さすがに隠し通せるものではなかったようだ。
「いや、いいよ。神坂が謝ることじゃない。どうせ母さんがしつこく迫ったんでしょ?」
「主は最後まで羊一様を庇い立てしていましたが、敢え無く」
「で?向こうの用件はそれだけ?」
「……来年の春に一度お帰りになるそうで、その時に大事なお話があると」
「話?なんの」
「お見合いの打診だそうです」
「おみ────」
辰弥の方は未定だが、美鳥は来年春を目処にシグリムへ一時帰国する用意があるのだという。
東間に縁談を持ってくるために。
「なん、なんでお見合いだよ。いつそんな話になった」
「今年に入ってから本格的に検討され始めたと聞いています」
「最近じゃん!つかなんでマジお見合いとか────」
「このままでは東間家の世継ぎが望めそうにないので、親としてお膳立てをしてやるのも務めの内だと仰っておいででした」
東間は驚きに目を見開き、怒りに奥歯を噛み締めた。
「なにが務めだよ。親らしいことなんか今まで一つもしてこなかったくせに……!」
「羊一様……」
「要するにあれだろ、おれは一族の面汚しだって言いたいんだろ。
だからせめて良いとこのお嬢さんと結婚させて、名前だけでもデカくしようって魂胆なんだろ」
苛立った声で捲し立てる東間に、神坂と青木は何も言い返せなかった。
フォローしようにも、東間の推測は的を射ているからだ。
「ごめん。二人に言うことじゃなかったね」
一息ついて東間は冷静さを取り戻した。
「その場では何て返したの?」
「本人の了承を得ずに、こちらだけで話を進めるのは些か横暴が過ぎないかと、主は何度も粘ったのですが……」
「母さんの方はゴリ押しする気ムンムンだったと」
「残念ながら」
「こりゃあ相手の目星も付いてそうだな……」
東間自身の意思は端から度外視のようで、美鳥は既に候補者選びにも乗り出しているという。
帰国する頃には恐らく何もかもが決定していて、東間には事後承諾という形で呑み込ませるつもりなのだろう。
なんなら候補者の女性を連れて帰って来るかもしれない。
最終的には当人同士の問題とはいえ、東間は両親に逆らったことがない。逆らえた試しがない。
席を設けられた後で"やっぱりやめたい"とゴネても、通用しないのは明らかだ。
「如何いたしますか?
我々の方から美鳥様へ口添えして、せめて猶予を引き延ばしてもらう程度なら可能と思いますが……」
「いい。こんな時に、おれの結婚がどうとかで騒ぎたくない」
「では、どうなさるので?」
青木と神坂が心配そうに東間の顔色を窺う。
東間は紅茶の残りを一気に飲み干し、音を立てて再びソーサーに置いた。
「今度おれの方から直接話つける。だから二人は───、兄さんも皆、これ以上余計な気を揉まなくていい」
「羊一様が構わないのでしたら、私共は見守らせて頂きますが……」
「大丈夫なのですか?今まで美鳥様に───。勝てたことは一度もないと記憶しておりますが」
「おい」
「だって本当のことだろう」
青木の率直すぎる言い方を神坂が注意する。
東間はうっすらとニヒルな笑みを浮かべた。
「二人にそう思われんのも当然だ。おれはずっと、父さんと母さんの言いなりだった。いつも誰かに命令されて、誰かに助けてもらわないと生きられなかった」
父と母の敷いたレールを辿り、一日一年と老いていくだけの人生。
変えたいと思うようになったのは、初めての挫折を経験した時。
変わったと思えるようになったのは、ミリィ達を失いたくないと自覚した時。
「けど」
誰かのシナリオ通りに生きるのは"楽"だった。
辛いことも悲しいことも匙一杯分が精々で、転んでも倒れても人のせいに出来た。
"どうせ"と"所詮"を口癖に繰り返せば、ぬかるみに足を取られはしなかった。
けれど、"楽であること"と"楽しいこと"は似て非なる。
辛いこと悲しいことが匙一杯分なら、楽しいこと嬉しいことも同じだけしか上限がない。
"どうせ"や"所詮"と失意を繰り返すたびに、迫り来る天井が酸素を奪っていった。
「相変わらず助けてもらってばっかでも、誰と付き合うかくらいは自分で決めたい。
自分で選んだ人達に、恩を返したり、好きだって言いたい」
大理石の床と、雑草だらけの野道と。
どちらを歩いても転ぶ時は転ぶし、走ろうとすれば走れる。
敷かれたレールから脱線しない保証もない。
だったら足元ではなく頭上を見よ。
毎日同じ天井か、毎日違う空か。
息を吸うのが楽なのは、内か外か。
「自分で犯した失敗は、自分でけじめを付ける。
もう逃げないよ、おれ。これからの人生、自分の足で歩いていきたいからさ」
ミリィ達と共に歩んできた日々は楽じゃなかった。
移りゆく天気に季節に振り回されては、裾を袖を汚した。
たくさん恥をかいたし傷付いたし、何度も挫けそうになった。
やっぱり古巣を出るべきでなかったと、来た道を恨めしく振り返ったこともあった。
それでも、引き返そうとはしなかった。
目まぐるしくて煩わしくて格好悪くて。
なのに嫌じゃないのは、みんなも一緒だから。
酸いも甘いも悪くないのは、みんなと一緒だから。
楽じゃないのに離れがたいのは、みんな一緒が好きだから。
自分の幸せよりも、この人に幸せになってほしい。
そう思える相手に出会って初めて、人は人の一生に価値を見る。世に生まれた意味を知る。
180度変わった東間の人生。
失っただけ得た宝があり、取り戻せないだけ取り返せた光があった。
とりあえずで付いていっただけの青年が、まさかこんなに掛け替えのない存在になろうとは。
あの時、ミリィの手を取ると決めた自分の決断が、東間にとって最も誇るべき選択となった。
「───小休止おわり!
まだまだやんなきゃなんない仕事溜まってるから、二人とも手伝ってくれる?」
決まりが悪いと感じたのか、立ち上がった東間は申し訳なさそうに笑った。
誰に恩を返したいか。誰に好きだと伝えたいか。
これからの幾年、誰と共に生きたいか。
「承知しました」
「御意に」
神坂と青木は頷き、東間の背中をどこまでも追い掛けていった。




