Episode52:狼煙
PM10:21。
キーコードの検分が終わり、作戦会議が一時中断となって間もない時分。
某SNSの某アカウント上にて、以下のやり取りが行われた。
『───久しぶりにポチタマに会いたい』
『帰ってくるの?』
『まだ当分帰れそうにないからだよ』
『それは残念。良ければ二匹ともそっちに連れて行こうか?』
『いいの?』
『いいよ。彼らも寂しがっていることだしね。他に何か持ってきて欲しいものはある?』
『お菓子』
『何のお菓子?』
『いつものやつ全部。有りったけ。誕生日にしか食べないやつも』
『よっぽどお腹が空いてるんだね。了解したよ────』
それから数時間が経過し、PM3:18。
ゲストハウスに二人組の来客が見えた。
東間はテラス側の裏口まで赴き、来客の対応に当たった。
「───遅くなりました、羊一様」
よくよく周囲を警戒して東間がドアを開けると、出迎えられた来客は厳かに頭を下げた。
神坂│暁文。
黒川桂一郎の側近の一人にして、かつては東間の目付け役でもあった男性。
黒川家に属する使用人達の筆頭に立つ、実質的リーダーだ。
神坂の後ろでは、二人目の来客も同じように東間に頭を下げている。
青木マユリ。
彼女も桂一郎の側近で、神坂と並ぶ立場にある。
秘書としての側面が強い神坂に対し、彼女は揉め事を処理する用心棒的な側面が強い。
当初にミリィ達が黒川邸を訪れて以来なので、彼らの登場はおよそ二ヶ月ぶりとなる。
皺一つない黒スーツ、揃いのおかっぱ頭は健在。
堅苦しい言動も変わらずで、半年近い再会となる東間を前にしても毅然とした態度を崩さない。
平素と異なる点があるとしたら、一つだけ。
鞘から抜けないよう施してあった、刀の締め具が外されていることだ。
「頼んだやつ、持ってきてくれた?」
「はい。車のトランクに積んでございます」
「よし。一先ずの鬼門は抜けたな」
「すぐに御運び致しますので、羊一様は中でお待ちを」
「手伝う」
東間は袖を捲り、神坂達の持参した荷物を自分も一緒に運ぶと言った。
すると神坂は東間の前に立ち塞がり、首を振った。
「なりません。我々だけで」
「わざわざ来てもらったんだから、せめて軽いのだけでも」
「なりません。御身の立場を弁えて下さい」
「こんな時に上下もクソもな────」
「主従云々ではなく、そんな形をして無茶はやめろと言っているのです」
せっかくの厚意を無下にしてでも、神坂は東間に安静を求めた。
ある程度の事の顛末を、神坂らも知っているからだ。
先の銃撃戦で手傷を負ったこと、何者かに命を狙われ兼ねない状況にあること。
加えて目の前にいる本人が顔面蒼白、節々に包帯を巻いているとなれば、力仕事を頼もうなどとは誰も思わない。
故にこれは主従からの進言ではなく、一人の友人としての気遣いである。
「……わかった。じゃあ、よろしく頼みます」
神坂の意図を汲んだ東間は、申し訳なさを感じつつも運搬の手伝いは諦めた。
「承知しました。それと────」
「?」
「黒い髪も、よくお似合いですよ」
「……ありがと」
神坂と青木は中庭に停めたワンボックスカーから荷物を降ろし、手分けしてゲストハウスへ運び入れた。
**
ここで一度、冒頭に遡る。
例のSNSは一体、誰と誰がやり取りしたものだったのか。
正解は東間と桂一郎。
互いに隠し持った裏アカウントにて、二人は別人に成り済まして情報を伝え合っていたのだ。
万一敵の目に引っ掛かった場合にも企てを悟られぬよう、予め設定しておいた暗号を用いて。
まず"ポチ"と"タマ"。
これは言わずもがな神坂と青木で、"会いたい"とは則ち派遣要請を意味する。
"お菓子"は東間の仕事道具で、ハッキングに必要な機器類。
中でも"誕生日にしか食べないやつ"は、普段使いはしないものの正念場に欠かせないスパコンを指す。
今度の作戦でヘッドクォーターを担う東間に言わせれば、成功の要となる代物だ。
つまり東間は、神坂と青木に必要品を持たせて自分の元へ寄越すようにと、桂一郎にお願いしたのである。
今日中に間に合えば重畳の予定が、僅か五時間で到着してくれたのは嬉しい誤算だった。
**
客室から拝借した机と椅子をセッティングしたところに、例の機器類を配置していく。
最後に動力源を確保すれば、ロビーの一角に東間の仕事部屋が再現した。
敵襲の可能性を考慮して、窓からは適度な距離のある位置。正面玄関の手前、作戦会議を行ったスペースの真後ろだ。
恙無ければ明日、ここで研究所へのハッキングを試みることになる。
代表の東間と、まだ姿の見えない協力者と、合わせて三人で。
「───如何でしょうか?」
「うん。形だけはバッチリ。あとは問題なく動いてくれるかどうかだな」
一仕事終えた神坂は、手を叩いて煤を落とした。
東間は機器の並んだ長机に向き合い、それぞれが正常に動作するかのチェック作業に入った。
するとそこへ、席を外していた青木が戻ってきた。
機器の運搬及び配置が完了する直前、彼女は神坂らを置いて一人ロビーを離れたのだ。
個人的な荷物がまだ残っていて、それを取りに車まで引き返していたらしい。
「羊一様。こちらの荷物は如何いたしましょう」
青木は両手に下げた紙袋を低く掲げた。
東間は作業の片手間に青木の方を一瞥した。
「それは?」
「お菓子です」
「は?」
「お菓子です。文字通りの、甘くて美味しいやつ」
思わず手を止めた東間は、紙袋に改めて目を凝らした。
カラフルなものからエレガントなものまで、種々のデザイン性を持った計四つの紙袋。
いずれにも見覚えのあった東間は、ますます怪訝に眉を寄せた。
「いや、お菓子っていうのは暗喩っつか、合言葉であって────」
「存じております。しかしながら、文字通りのお菓子もご所望かもしれないと主が」
青木の言う通り、紙袋の中身は"本物"の"食べる"お菓子。
東間の頼んだ必要品には含まれていないが、どうやら桂一郎の計らいらしい。
「……ピ────」
「"ピクニックじゃないんだから"と羊一様は仰るでしょうが、腹が減っては何とやらと先人は申します。
正念場に臨むのであれば、尚のこと糖分は必要になるはず」
「と、主が?」
「左様」
東間の軽口を遮って、青木は桂一郎からの伝言を淡々と述べた。
望むべくもなかったサプライズだが、桂一郎の言い分も一利ある。
なんにせよ、持ってきてしまったものを今更返すわけにはいかない。
「内容は?」
「作業の片手間にも召し上がれるようにと、焼き菓子を中心に取り揃えてございます」
「ナマモノじゃないんだね?」
「はい。常温でも障りありません」
「いつ買ったの?」
「ご連絡を頂いて直ぐに。主てずからメーカーに発注なさり、豊川らが店舗まで受け取りに伺いました」
東間からの要請を受けた後、神坂と青木は東間の自宅まで機器を回収しに。
その他の使用人達は、桂一郎が注文した菓子を受け取りに各店舗まで走ったという。
クロカワからキングスコートまでは、最短でも三時間弱かかる。
その上で前述の"用"を足してきたとなると、"用"に費やせたのは一時間強が精々だ。
桂一郎の気遣いは勿論嬉しいが、また自分のために使用人達の骨を折らせてしまったのか。
喜ぶに喜べない東間は、微妙な気持ちでいっぱいの頭を抱えた。
「はあ……。わかった。ありがたく受け取るよ。皆にも今度お礼言わなきゃな」
「して、どうします?今お召し上がりになりますか?」
「うーん……。とりあえず、どっか適当に置いといて。
常温で良いなら───、そこのテーブルにでも」
「御意に」
そこの、と東間は作戦会議に用いたテーブルを指差した。
青木は言われた通りの場所に紙袋を置き、神坂の隣に並んだ。
「御一統様はどちらに集まっておられるのですか?屋敷には揃っておいでなのでしょう?」
タイミングを待っていたのか、今度は神坂が東間に尋ねた。
確かに屋敷内を巡れば誰かとは鉢合うが、みな己の持ち場についている真っ最中。
今現在ロビーには東間達三人しかいない。
「いるっちゃいるけど、みんな自分の役割があって忙しいからね。
二人には悪いけど、ちゃんと紹介するのは後回し」
「承知しました」
ウルガノとトーリは皆より一足早く、神坂らとの再会を済ませている。
ちょうど手が空いたところだからと、運搬作業を手伝いに来てくれたのだ。
ただし、その時にも"お久しぶり"の挨拶などは無かった。
面識のないアンリ達に至っては、擦れ違っても会釈をする程度だった。
そいつは誰か、こいつは誰だ。
あちらは尋ねて来ないし、こちらも逐一弁明しない。
いわゆる暗黙の了解というやつだ。
なにやら見知らぬ顔があるが、部外者ではなさそうだ。
身内の誰かであるなら、名前が上がった協力者の一人だろう。
そこまで分かれば構わないと、全員が割り切っている。
猫の手も借りたい時に現れた助っ人を訝る謂れはない。求めに応じて駆け付けてくれたならば尚更だ。
神坂らも気持ちは同じ。
東間と共に戦い、東間と共に傷付き、東間の側にいてくれた一蓮托生の仲間。
ならばミリィ達も、等しく仕える対象。
人柄は自ずと見えてくるし、名前は誰かが呼んでいるのを耳にすれば覚えられる。
体面的な素性や経歴は、それこそ瑣末な問題だ。




