Episode06:物知りな蛇と、物静かな猫
西暦2024年。7月28日。PM8:13。
フィグリムニクス・ガオ州某所の薄暗い路地裏。
寂れた飲み屋や煙草屋、薬屋などが建ち並ぶこの通りで、唯一明かりの灯っていない二階建ての建物が、男の新しい仕事場だった。
「────お前がピアソンか?」
夏の夜。
星の見えない空を仰ぎながら一人、男はコンクリート張りの外壁に背を預けて煙草を吹かしていた。
するとそこへ、見知らぬ青年が死角から現れた。
闇に紛れた漆黒のスーツ姿。
月明かりに照らされた青年の髪は、人の血と同じ色をしていた。
「やあ、こんばんは。
私の通り名を知っているということは、お兄さんは"そっち"のお客かな?」
「そうだ。お前を訪ねて此処まで来た。
……住所を捜し当てるのには、かなり手間取ったがな」
「おっと、それは申し訳ない。
しかしまぁ、こっちにも色々と事情があるんでね。あまり目立つ場所で商売はできないのさ」
男は赤毛の青年をぼんやりと眺め、彼の顔に向かって楽しそうに煙草の煙を吐きかけた。
「こういうの、いかにも情報屋のアジトっぽくていいだろう?」
青年は男の裏の顔を知っていた。
且つ、それを目当てにわざわざ此処を訪れたという。
何故か。
この青年も何がしか、人には言えないような秘密を抱えているからだ。
こんな色男でも、情報屋の力を借りねばならない事情があるなんて。
つくづく、人は見かけによらないものだ。
失礼なことを考えながら、男は厭らしい微笑を浮かべて青年を見詰めた。
まるで品定めでもするような目を向けてくる男を、青年もまた冷静に見詰め返した。
フィグリムニクスには、腕利きの情報屋が三人存在すると言われている。
少し前までは二人だったが、近頃もう一人名が加わったのだという。
その新参というのが、青年の目の前にいる、この男。
シャオライ・オスカリウス。通称ピアソン。
中には彼を"オスカー"と呼ぶ者もいるが、情報屋としては前者の通り名の方が有名である。
黒のタンクトップに同色のスキニーパンツと、夏らしくラフな格好をした彼の二本の腕には、トライバル模様のタトゥーが隙間なく彫られている。
加えて、両耳に溢れんばかりのピアスを施した姿は、確かに名にある通り。
ピアスをジャラジャラ付けているから、その分だけ穴が空いているから、ピアソン。
誰が命名したのかは不明だが、安直な由来であることには違いない。
「(イヤリングも十分派手だが、どちらかと言えばタトゥーの方が目を引くな。
こんな目立つ見た目をして、よく情報屋が務まるものだ)」
予想以上に如何わしい外見をしたシャオライに対し、青年は表に出さないながらも警戒心を強めた。
「今日はもう営業時間を過ぎているか?店じまいだというなら日を改めるが」
「いいや構わないよ。今夜は暇だったからね。
ちょうど話し相手が欲しいと思っていたところだし、一杯やりながらゆっくり相談しようじゃないか」
靴底で煙草の火を消したシャオライは、中身の少ないペットボトルに吸い殻を入れ、建物の入口に向かって歩き出した。
青年はシャオライの後ろに付くと、彼の背中に向かって声をかけた。
「シャオライ・オスカリウス。
お前は知っているか?"神隠し"と呼ばれる不帰の現象を」
青年ことアンリの発言に一度は足を止めたシャオライだったが、質問の内容には答えずに歩みを再開させた。
その様子を見て、一応の掴み所はありそうだと、アンリは密かに目を細めた。
「建物自体は新しそうなのに、管理の方は随分粗放なんだな」
シャオライを追い掛ける途中、アンリはふと思い付いたことを口にした。
一見デザイナーズオフィス風に見えるこの建物は、よく見るとあまり清潔な外観をしていないのだ。
所々に蔓や苔が覆っていて、いかにも近寄りがたい雰囲気を醸している。
「そりゃそうさ。あんまり小綺麗にしていたら、通りすがりがうっかり迷い混んでくるやもしれないからね」
先に建物の中に入ったシャオライは、アンリも続いたのを確認してから扉を閉め、施錠した。
入って直ぐの応接スペースには、二つ対になった革製のソファーと、間にガラスのテーブルが一つ設置されている。
脇には小さめの冷蔵庫と簡易金庫、それから大きな観葉植物が幾つか並んでいる。
他に、これといった家具やインテリアは置かれていない。
一階を事務所として使用し、二階の方に居住スペースを設けているようだ。
微かに肌寒さを感じさせる、コンクリート打ちっ放しの壁も。
時折明滅する切れかけのライトも、カタカタと不審な音を立てるシーリングファンも。
客人を招き入れるに適しているとは言えない環境だが、情報屋の根城としては、ある意味似つかわしいのかもしれない。
「適当に掛けてくれるかい」
アンリに着席を促したシャオライは、冷蔵庫からウォッカとウイスキーのボトルを取り出してテーブルに並べた。
アンリは入り口側のソファーに腰掛け、シャオライが落ち着くのを待った。
シャオライは次にグラスと氷も持ってくると、アンリの向かいに座って大きな溜め息を吐いた。
「───フー……。にしても兄さん、私が誰だか忘れちまったわけじゃあないよね?
込み入った話は人気のないとこでコソコソやんなきゃ。いつどこで誰が聞き耳をそばだてているか知れないんだよ?」
聞き耳のジェスチャーを入れつつ、シャオライはアンリの無防備さに苦言を呈した。
「ああ、すまない。つい気が急いでしまってね。先に君の反応を見ておきたかったんだ。
俺もそんなに暇じゃないからね」
上等な身なりに、品のある佇まい。
アンリの姿を一目見た瞬間に、こいつは金持ちの坊ちゃんに違いないとシャオライは確信した。
だが、今の発言といい、妙な隙の無さといい。
確かに金持ちには違いなかろうが、どうやら虫も殺せないほど無垢というわけでもなさそうだ。
アンリに対する第一印象は、シャオライの中で直ちに訂正されることとなった。
"お前は知っているか?"。
実はアンリは、"先の一言"でシャオライを試していた。
三人いるという情報屋の中で、彼が自分と秘密を共有するに相応しい人物か、協力を仰ぐだけの価値があるかを。
腕がいいから、というだけでは足りない。
例の事件に関して、相手も疚しい事情を抱えている方が信用できる。
だから、最初に軽く吹っかけた。
一瞬でも動揺する素振りを見せたなら黒、神隠しとは何のことだと首を傾げるようなら白、といった具合に。
「お上品な顔をして、案外食えない男ってか?こわいねぇ」
真っ直ぐに見詰めてくるアンリに、シャオライは面倒な奴に目を付けられたなと、聞こえないよう舌を打った。
「ハー、やれやれ。神隠しについて依頼してくる奴ってのは、どうしてこう厄介そうなのばかりなんだろうねぇ」
シャオライの細長い指が、ウイスキー用の氷をアイスピックで容赦なく砕く。
「俺以外にも事件の話を聞きにきた人間がいるのか?」
「そうだよ。まさに三日前にね」
シャオライの手がぴたりと止まる。
「もしかして、そいつと兄さん、裏で繋がってるってことはないよね」
じっとりと睨んでくるシャオライに、アンリは内心驚きつつ否定した。
たった三日前に、同じものに目を付けた人物がここを訪れた。
このタイミングは果たして偶然なのだろうか。
無論、アンリと彼の人の間に面識はないし、心当たりもない。
しかし、彼の人も私情で事件を追って来たのだとすれば、双方とも目的が同じである可能性がある。
少なくとも、彼の人も興味本位で調査に乗り出しているわけではないことだけは確かだ。
「本当に偶然だっていうなら、運命的なタイミングだね」
渋い顔で考え込み始めたアンリを見て、シャオライはニヤリと不敵に笑った。
「その子、まだここいらに停留して、私の調査の結果を待ってるはずだけど……。
連絡、してみるかい?タイミングが良ければ会ってくれるかもしれないよ」
これは思いがけない展開だが、もし彼の人と自分の目的が同じであるなら、是非とも話を聞いてみたい。
シャオライの提案に、アンリは頷いた。
「そういえば、兄さんと彼は雰囲気が似ているかもしれないね」
ウイスキーのボトルを開けながら、シャオライは呟いた。




