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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
305/326

Episode50-4:最後の晩餐



「────シャノン様も、旦那様も奥様も。素性の知れない私を側に置いてくださった恩人です。

叶うならこの大恩報いるまで、末長くお仕えしたかったのですが……。

こうなってしまった以上は、致し方ありません」



チェスラフは自らの半生を語った。

判明した事実のみを端的に、人の書いた文章でも読むように。


だが表に出さないだけで、チェスラフの心の傷は未だ熱を持っている。

記憶を取り戻したことで、当時の疼きさえも鮮烈に呼び起こしてしまった。


自分は普通の人間ではない。

自分の身に降り懸かった出来事は、常人には理解し得ない怪奇だと。

ここまで至ったからには、もう以前のヘイリー・マグワイアとして振る舞うことは無理だった。




「このことは、当然シャノン君も……?」



チェスラフの顔色を窺いながら、アンリはチェスラフとミリィの両方に尋ねた。

チェスラフとミリィは顔を見合わせ、チェスラフが先に頷いた。

ミリィも頷き返すと、チェスラフに代わって今日までの経緯を説明した。



「シャノンにも現場に立ち会ってもらったから、あいつも大体は知ってるよ」


「現場?」


「記憶を戻すための儀式。

前にキオラさんがやったっていう、退行催眠だよ」


「お前が自分でやったのか?」


「最初はそうしようと思って、やり方だけ教えてくれってヨダカさんに電話した。

そしたら協力するって言ってくれたから、バシュレーの別邸まで来てもらった」


「じゃあヨダカさんの主導でか?ドクターではなく?」


「ドクターは忙しいから自分が代わりにって。例の装置作ったのは自分もだし、催眠かけるだけなら一人でも出来るってさ」



チェスラフが記憶を取り戻すきっかけとなったのは、少し前にキオラが体験したものと同じ。

退行催眠。ヒプノセラピーだった。


以前キオラがそれで成功した話を思い出したミリィは、チェスラフにも試してみたらどうかと考えた。

教示を求めたのは、前回の関係者でもあるヨダカ・ヴィノクロフ。

彼の個人的な連絡先は、頼れる味方の一人だからとアンリが教えてくれていた。


連絡を受けたヨダカは、ミリィの要請を快諾すると共に、こんな提案を付け足した。

ただ口頭でやり方を伝えるのではなく、自分も現場に赴いて指導した方が、成功率は上がるはずだと。



同日夜。

ヨダカは必要な機材を携えてバシュレー家別邸を訪れ、急ぎ退行催眠は実施された。

当事者のチェスラフ、術者のヨダカを中心に、チェスラフと深い縁のあるとされる朔やシャノンも立ち会わせて。


試行錯誤の末、退行催眠は辛くも成功。

チェスラフは失っていた記憶の八割を思い出し、自分が本当は何者であるのかを理解した。

チェスラフの酸鼻な過去を知ったシャノンは、驚きつつも変わらぬ態度でチェスラフに接した。

しかし当のチェスラフは、これ以上迷惑はかけられないと、専属執事の務めを辞任したいと申し出た。


申し出はシャノンの計らいによって保留となったが、今まで通りの生活に戻るのは難しい。

問題の多いチェスラフを匿い続ければ、バシュレー家にもどんな危険が及ぶか分からない。

故にチェスラフはミリィ一行に一時的に加わり、ほとぼりが冷めるまではバシュレー家と距離を置くことになったのだった。



「確かに、かける側は一人でも足りるかもしれんが……。

大丈夫だったのか?効果には個人差があるとはいえ、辛い体験を反芻するのは心身共に相当の負担があるはずだ」



通常の退行催眠ならば、普段使わない類のエネルギーを消費する分、軽く疲労する程度で済む。

だがキオラやチェスラフのように、悪い意味で特殊な記憶を引き出す場合は違う。

いっそ忘れたままでいたかったと思うほどの苦痛を伴う恐れがあるのだ。


それをアンリは心配していた。

あのキオラでさえ正気を取り戻すに苦心したのだから、一般人の彼ならもっと綿密なセラピーを要するのではと。



「そりゃあ二日も経てば、今は平気に見えるかもしんねえけど……」



ミリィがチェスラフを一瞥する。

チェスラフはミリィに苦笑を返し、アンリには会釈を返した。



「お気遣いありがとうございます。

当時は私も混乱して、皆さんに大変なご迷惑をおかけしてしまいましたが……。

今は何とか、大丈夫です。おかげさまで、気持ちの整理もついてきました」



チェスラフの隣に座る朔が、チェスラフの膝の上で結ばれた拳にそっと触れる。

気付いたチェスラフは朔に微笑みかけ、拳を解いて朔の手を握った。



「オレ達はキオラさんの時には立ち会ってないし、平均とか、普通の人の反応とかも知らないから、比べようがねえけど。

オレ達の目には、あれは、尋常じゃなかった。

でもヨダカさんは、キオラさんの時はもっと酷かったって言ってて。

実際に見た人が、これよりもっとって言うなら、キオラさんはどんだけ───」



途中で言葉を詰まらせたミリィにつられて、一同の表情も暗くなる。


あれは、キオラの退行催眠の結果が出た時だ。

最中の様子は、音声データを介してミリィ達にも伝えられた。


だがミリィ達は現場に居合わせていない。

キオラの叫び声は聞いても、キオラの苦しむ姿は見ていない。現場の張り詰めた空気を肌で感じていない。


さぞ大変だっただろう。

可哀相な目に遭ったのだろう。

想像は出来ても、想像の域は出なかった。



そして今回。

キオラとほぼ同じ体験をしたチェスラフの姿を、ミリィ達は目の当たりにした。


トーリもウルガノも、ヴァンも東間もバルドも、朔もシャノンも。

居合わせた全員にとって、"あれ"は背筋の凍る光景だった。


自分の過去を思い出しただけで、あんなに辛そうな人を。

ただ側で眺めていただけの自分達でさえ、あんなに辛いだなんて。


そこで初めて、ミリィ達も実感したのだ。

あの時感じた仮初めの恐怖は、まだ序の口。

キオラの内に秘められた闇の深さは、自分達の想像の遥か上をいくことに。




「いや、いい。とにかく、一応は上手くいったんだ。

いつかヨダカさんには、………みんなに、お礼、しないとな」



いつか平穏が訪れたら、世話になった全員に礼がしたい。

その気持ちは、ミリィ達もアンリ達も同じだった。


けれど、願うような"いつか"は本当にやってくるのか。

ちゃんと感謝を伝えられる日を、果たして自分達は迎えられるのだろうか。

その気持ちもまた、みな同じだった。




「彼女はどうなんだ?

お前の側にいる以上、彼女だって無関係じゃない。どこまで伝えた?」



彼女、とアンリは朔を見た。

ミリィは直ぐに答えようとしたが、朔の方が早かった。



「知ってます。ぜんぶ」


「全部?」


「はい、ぜんぶ。

チェスさんのことも、お母さんのことも、わたしのことも。

皆さんが知ってるのと同じだけのことを、わたしも知ってます」



朔は冷静だった。

彼女の凛々しさには誰もが意表を突かれたが、彼女自身は決して強がっていなかった。

事実を事実として聞き入れた上で、ちゃんと自分の速度で飲み込んだのだ。



「本当に何もかも話したのか」



アンリは再びミリィに尋ね、ミリィも再び自分が答えようとした。



「ミリィ」



ふと、アンリでも朔でもない人物が名前を呼ぶ。

ミリィが振り向くと、トーリがじっとこちらを見詰めていた。

ここは本人に任せてやれ、と言うように。


ミリィは了解の意を込めて、黙って口をつぐんだ。

朔はミリィとトーリの呼吸を受け取ってから、自分の思いを言葉にした。



「わたしが話してほしいって頼んだんです。

わたしだけ何にも知らないのは嫌だし、わたしが皆のお荷物だってことも分かってるから」


「そんなこと────」


「ううん。いいの。わたしがそうなりたくないって思ってるだけだから」



フォローしようとしたミリィを遮り、朔は微笑んだ。


元より大人びた少女ではあるが、今の朔は実年齢を優に越えて見えるほど落ち着いている。

子供の成長は早いものとはいえ、普通たった数日でここまで見違えるだろうか。



「(以前会った時より格段に発達している……?)」



恐らく、ただの成長や発達ではない。

人より何倍もの早さで寿命の進む彼女だからこその変化。


早老症。プロジェリア症候群の側面。

朔は一人だけ異なる時間軸を生きている。

皆より遅くに生まれ、皆より早くに老いていく。

もしかしたら、ここにいる誰より先に命が尽きるかもしれない。


未来に進めないキオラと、今を生きられない朔。

時の流れに拒まれるは、人造人間の宿命か。




「朔はまだ子供だから、同じように催眠にはかけられなかった。

ただ、チェスラフと知り合ってから確実に変化してきてる。

本当はどこの生まれなのか、花藍さんは何故亡くなったのか。話したのはオレ達でも、すぐに飲み込めたのは朔自身に受け皿があったからだ」


「まだぼんやりとしてるから断言は出来ないですけど、最近ちょっとずつ思い出せるようになってきたんです。

わたしがまだ赤ちゃんだった時のこととか、研究所はどんな場所だったかとか。

もう少しすれば、多分もっと鮮明に」




幼い体には危険だとして、朔には退行催眠を行えなかった。

ただ、チェスラフが朔に得も言われぬシンパシーを感じていたように、朔もチェスラフに出会って変わった。

外部から働きかけずとも、自力でルーツを辿れるようになってきたのだ。


チェスラフは朔に、朔はチェスラフに。

互いに影響し影響されて、自分の正体を捉え始めている。

朔に至っては赤ん坊の頃の記憶も戻りつつあるので、いわゆる幼児期健忘が覆る前兆かもしれない。




「記憶が戻ってきたのはいいとして、体の方は?異変とかないの?サイキック的な力が目覚めたり」



シャオの指摘に朔は首を振り、チェスラフは少し考えて答えた。



「これも退行催眠の影響なのか、夢見は良くないですが……。そういった意味での変化は特に。健康面にも問題ありません」



そういえば、と言うように区切ってチェスラフは続ける。



「お話に出たキオラさん、は優れた治癒力をお持ちだと聞いたので、そちらの共通点はどうかと、試しに小さい傷を付けてみたりしたのですが……。一日経っても、この通りです」



チェスラフは左手を低く挙手してみせた。

薬指の腹には絆創膏がしてあり、そこを刃物で薄く切ってみたのだという。

今までにも負傷した経験はあったが、記憶が戻ってから体質も変わったのか確かめるために。



「わたしも」



チェスラフに倣って朔も左手を挙げ、絆創膏の貼られた薬指をアンリ達に見せた。

こちらも昨日つけてみた傷がまだ治っていないらしい。


オリジナルの朔でさえとなると、二人はキオラのような身体的特徴は有していない可能性が高い。

気になるのは朔のオーブを視る能力だが、これもチェスラフには発現していない。

"まだ兆候がないだけ"なのか、"全く素質がない"のかを判断するには、もう少し時間を置く必要がありそうだ。




「だってさ。せっかく痛い思いしてもらったそうだけど、彼女と彼らは全く別物らしいよ」



シャオが意味深に告げると、アンリは何やら残念そうに俯いた。

話の登場人物が多いのでややこしいが、今シャオの言った"彼女"とはキオラを指し、"彼ら"とはチェスラフと朔を指している。


両者の違いが明白になったことで、何故アンリは落胆するのか。

ミリィはアンリの一挙一動に目を見張り、なかなか腹の内を明かそうとしない兄に痺れを切らした。



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