Episode50-3:最後の晩餐
チェスラフ・マジーク。25歳。
チェコ・プラハで生まれ育った、聡明で機知に富んだ青年。
彼は決して目立つ人物ではなかったが、彼を知る者は誰しも彼を高く評した。
派手さがない代わりに誠実で、要領が良くない代わりに努力家で。
人の意見に柔軟に耳を傾ける一方、自身の理念や正義は貫く意志もあって。
慎ましい印象とは裏腹に、その実は同年代の模範ともすべき人格者であると。
大人になったチェスラフは地元の大学に進学し、経済学と民俗学を専攻した。
彼の友人知人らは、頭の良いチェスラフならば、アメリカの有名大学も簡単にパスできるはずと期待していた。
だがチェスラフ自身はそうせず、学問に重きを置かなかった。
確かに勉強は好きだけれど、それ以上に自分は地元が好き。地元の文化や人々が好き。
だから、もっと地元を盛り上げるための仕事をしたい。
お世話になった人達に恩返しを出来るよう、故郷をより良い街にしたい。
予てより胸に秘めていた、人の役に立ちたいという義侠心と、地元に残りたいという愛郷心。
その二つを両立できる仕事とは何ぞやと考えた結果、観光業というビジネスに思い至ったわけだ。
しかし、チェスラフの夢は道半ばにて頓挫する。
本人の情熱が途絶えてしまったのではない。
授業の難しさに付いていけなくなったのでもない。
大学には問題なく通えていたし、描いた理想は現実に近付いていた。
なのに叶わなかった。彼の灯火はゴールまで届かなかった。
目指していたゴールそのものが、彼の世界から失われてしまったから。
神隠し。不帰を司る幻。
よりにもよって神を名乗る卑賎の輩に目を付けられたせいで、チェスラフは強制的に社会から退場させられたのだ。
何者でもなくなったチェスラフを待ち受けていたのは、この世の地獄とも言うべき終点だった。
生体実験。
遺伝子操作。
異種族交配。
人権も尊厳も、愛情も思いやりも、ここにはない。
人が人を人として扱わない。
人が人を生かすために殺し、殺すために生かす。
人が人であるが故に、人ならざる暴虐が平然と行われる現実が、そこにはあった。
チェスラフはただ、巻き込まれただけだった。
人より少し賢かっただけで、人より少し地味だったせいで。
勝手が良く足の着かない、軽便かつ有用な人材だと選定されてしまった。
今まで頑張ってきたこと選んできたこと、全てが裏目に出た答えが、神隠しだった。
研究所に放り込まれたチェスラフに与えられた役割は、遺伝子の提供だった。
特別な生命体を作り出すためのプロセスの一環。
料理に例えるなら、事前の下拵えや味付けのようなもの。
ある意味最も重要で、ある意味取るに足らない工程の一つとして、チェスラフの個性はカウントされた。
必要の採取が終えると、もう用済みとばかりに、チェスラフの身柄は別の部署へ回された。
生身の人間をマウスやモルモットのように扱う、開発途中の新薬を治験するための場所へ。
そこでチェスラフは告げられた。
お前の務めはもう済んだ。
搾りかすとなったお前に残された最後の使い道は、お前が一個の器として機能するかに懸かっている。
機能すれば生き、機能しなければ死ぬ。
死にたくなければ、死ぬ気で生にしがみつくがいい。
成功率の極端に低い博打を強いられるというのは、処刑を宣告されたのと、ほぼ同じこと。
有り体に言うなれば、チェスラフはこの時、廃棄されたのだ。
必要なものを全て搾取した以上、チェスラフ自身の値打ちはゼロになった。
かといって元いた場所へ戻してもやれない。
どのみち処分するしかないのなら、せめてリサイクルが可能かだけでも確認してやろうと。
こうしてチェスラフは、数多いる被験者達に混じって、新薬とは名ばかりの激物を投与された。
被験体ゼロツー、倉杜朔の存在の一部を。
結論から述べると、チェスラフの治験は成功した。
当時参加させられていた、一般の被験者達。その成功例とされた三名の内の一人が、チェスラフになった。
他者のDNAを体内に取り入れる。
文字に起こすと然して危険はなさそうに思えるが、実情は全く違った。
なにせ、自分以外の何者かが自分の中に住み着こうと、乗っ取ろうと暴れ回るのだ。
その苦痛たるや、全身を八つ裂きにされるに近い、熱した鉛を飲み下すに等しかった。
そんな耐え難い行為を繰り返した末に、朔のDNAはチェスラフのDNAと融合。
チェスラフは命からがらに生き延びたのだった。
チェスラフを含む三名の成功例は、後に別々の道を辿った。
内の二名は研究所にて引き続き管理され、チェスラフは記憶を改竄されて世に放たれた。
研究所側は、せっかく生み出した成功例を自ら手放す真似をしたのだ。
一体どうして。
なんのために。
自分はこれからどうすれば良いのか。
否応なしに放り出されたチェスラフは、暫くのあいだ当て所なく国内を彷徨い歩いた。
自分の名前も年齢も、今自分が立っている土地が何処なのかも、何もかも分からないまま。
やがて流れ着いたプリムローズの町で、チェスラフは彼と出会った。
シャノン・エスポワール・バシュレー。
チェスラフにとって命の恩人ともなる人物に。
チェスラフの姿を一目見たシャノンは、彼を行き場のないホームレスと哀れみ、自らの屋敷に招いた。
他に頼りのなかったチェスラフは、シャノンの申し出を喜んで受け入れ、彼の庇護下に置いてもらうことを一先ずの突破口とした。
シャノンはチェスラフに尋ねた。
君の名前は?出身地は?生年月日は?
記憶を失くしていたチェスラフには質問の殆どが答えられず、事情を察したシャノンも深くは追及しなかった。
ただ、一つだけ。
思考せずともチェスラフの口を衝いて出た言葉があった。
ヘイリー。
自分の名前は、ヘイリー・マグワイア。
この日からチェスラフ・マジークは、ヘイリー・マグワイアとなり。
バシュレー家の専属執事として邁進する日々を、約三年に渡って送ったのだった。
時折脳裏を掠めるデジャヴや、誰とも知れない謎の声に頭を痛めながら。




