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オルクス  作者: 和達譲
Side:M
3/326

Episode01-2:王子より咎人に告ぐ



男は困惑していた。

というのも、つい先程まで最期の審判が下される時を待っていたというのに、今の自分は何故か檻の外にいるのだ。


目の前に聳え立つのは、大きな白い収容所。

玄関を出る最初の一歩を踏み出すまで、自分もこの中にいたとは思えないほど、目下の状況は男にとって現実味のないものだった。



突然の来訪者は、魂の回収に来た死神などではなく、ただの人。

聞こえてきたのは、己の終末を告げる鐘の()ではなく、格子の鍵を開ける音。


あの赤毛の青年。

彼こそが、男を檻から解き放った張本人だというのだ。



収容所を出る際に、看守は男に言った。"お前は運がいいな"と。

それは島に送られて僅か数日で出所できたことを言っているのか、しかし看守は腑に落ちた顔をしていた。


自分という大罪人が、相応に罰されぬまま再び世に放たれようというのに。

嫌に納得した様子でそれを許した看守が、男には酷く不気味だった。


なぜ、自分だけ。

自分はまだここでなにもしていないし、されていない。

こんなことが、以前にもあったのだろうか。ここは地獄の入口ではなかったのか。

芽生えた疑問は尽きることなく、湧き出る謎には際限がなかった。


こうなればもう、考えるだけ時間の無駄というもの。

結局答えを導き出せなかった男は、やがて考えることを放棄した。




**


背筋を伸ばし、首を回して骨を鳴らす。

五日ぶりの外の空気を思い切り吸って、男は緩やかな歩調で歩き出した。


現在時刻は午後の2時。天気は晴れ時々曇り。

晩夏の爽やかな風に吹かれつつ男が向かうのは、青年と待ち合わせた場所だ。


途中までは、行き先を変更するべきか悩みもした。

素直に言うことを聞いてやる義理もなし、いっそこのまま行方をくらましてやろうかと。


だが、男がそれを実行に移すことはなかった。

ここで逃げ出したところで、結局は無意味になることを理解していたからだ。


島を出るためには船が必要であり、船に乗船するためには、乗船許可証を持った人間に同行してもらわなければならない。

つまり男が本当の自由を得るためには、あの青年の言うことを聞くしかないのである。


それに、彼には聞きたいこともあった。

一体どんな思惑があって、自分を選び、自分を解放したのか。

その訳を知るまで、自分は娑婆には戻れない。

どちらにせよ、男は青年の存在を無視できないということだ。



「(さっきのと、もう一人……?)」



収容所の正門を抜けると、長い階段を下りきったところに青年の姿があった。

青年は男に気付くと、人懐っこそうな笑みを浮かべて来い来いと手招きをした。



「思ったより早かったな。看守のオッサンとはちゃんとお別れしてきたか?」



飄々とした口ぶりで話し掛けながら、青年は男の二の腕を軽く叩いた。

返事の代わりに男が頷くと、青年の背後からもう一人若い男性が顔を出した。



「へえ、これが噂の」



八二分けの茶髪に、ナイロールのスクエアフレーム眼鏡。

ダークグレーのスリーピーススーツに身を包んだその男性は、赤毛の青年と同じほどの年頃に見えた。

青年の方がいくらか幼い顔立ちをしているが、肌つやや背筋の伸び具合は両者とも若々しい。



「やっぱり写真で見るのとは違うね。でかいし、迫力ある」



男性は青年の隣に並び立つと、腕を組んで男の全身をじろじろと眺めた。

初対面の相手に対しては不躾ともいえる態度だが、男性からはどこか洗練された気品のようなものが感じられた。



「(赤毛のと比べると、眼鏡の方が幾分育ちが良いんだな)」



ぼんやりと思案した男もまた、静かに男性の目を見つめ返した。




「ま、詳しい話はこのあと船の中でするとして。まずは自己紹介だな」



改めて男の正面に立った青年は、ようやく自らの名を名乗った。



「オレの名前はミレイシャ・コールマン。ミリィでいいよ。

歳は22。お前を探してここまで来たんだ、よろしくな。

あ。ちなみにその服は、オレからの最初のプレゼントね。

お前くらいのサイズ探すの大変だったんだから、大事にしてよ」



そう言うと青年は、おもむろに右手を男に向かって差し出した。

男も恐る恐る自分のものを青年に差し出すと、青年は男の手を取って半ば強引に握手した。


青年ことミリィの言うプレゼントとは、いま男が着ている服装のことを指している。

黒のジャケットにアイボリーのカットソー、カーキのパンツに丈夫そうなミリタリーブーツ。

どれも新品のようで、下ろし立ての香りが微かに残っている。


男は今一度視線を下げて自分の全身を確認し、再びミリィの顔を見た。

だが、いくら凝視しても彼の心中は読めず。

彼が自分にここまでする理由が、男には分からなかった。




「そしてこっちが───」



ミリィがもう一人に向かって目配せすると、今度は眼鏡の青年が男に近付いた。



「僕はトリスタン。トリスタン・ルエーガー。今はトーリって呼ばれてる。

歳はこの人より一つ上で、生まれはオーストリア。

今後のことはどうなるか分からないけど、一先ずはよろしくね」



トーリと名乗った眼鏡の青年は、ミリィの方を横目で一瞥してから男に向かって右手を差し出した。

先程ミリィがしたのと同じように。


ミレイシャとトリスタン。

初めて会う二人の若者と順番に握手を交わし、男は益々不思議な気分になった。


今まで生きてきて、こうして誰かと触れ合ったことなどなかった人生だった。

ましてや今日が初対面で、男の方は二人のことをなにも知らない。



「(こんな得体の知れない相手と握手をするなんて、かつての自分だったら有り得ないことだな)」



感慨深げに目を細めた男は、自らの掌をしばらく見詰めた。




「───看守から、あんたが俺を解放したと聞いた。

一体なにをしたんだ?なんのために、こんなことをした」



気持ちを切り替えた男が初めて口を開くと、ミリィとトーリは驚いて目を見合わせた。

トーリはミリィに説明を任せ、ミリィは不敵に笑って男に告げた。



「買ったのさ。金でね。

お前を探してここまで来たって、さっきも言っただろ?

噂のジョブキラー、ミスターヴァン・カレン」



ミリィの言葉に、今度は男・ヴァンの方が目を丸めた。



「どこまで知ってるんだ、俺を」


「そうだな、大体のことは。お前有名人だし。

ヴァンっていう名前が本名じゃないことも知ってる」



ヴァンの周囲をくるくると周りながら、ミリィは饒舌に話し続けた。



「ヴァン・カレン。他にもいくつか通り名があるみたいだけど、一番有名なのはこれ。

年齢は32歳。けどこれも確かじゃない。国籍も同じく不明。

白い髪に褐色の肌、ファンタジーのエルフみたいに尖った耳で、死んだ魚みたいな目をしてるのが特徴。

お気に入りのハンドガンはデザートイーグル。でも銃は滅多に使わない。そんなものなくても簡単にターゲットを始末できるから。

……と。それから、これはただの噂だけど。

どんなに金を積まれても、女と子供は絶対に殺さないっていう、優しい殺し屋だって…。

どう?オレの情報。頑張って予習してきたんだ。答え合わせしてよ」



言い終えると同時に正面の位置に戻ってきたミリィは、顔の前で人差し指を立てた。

ヴァンは僅かに眉を寄せたが、ミリィからは悪意を感じなかったので腹を立てたりはしなかった。



「合ってる。最後以外はな」


「へえ?じゃあ、あの噂はデマなんだ?」


「確かに、女子供は頼まれても殺さない。だがそれは、あくまでそういう依頼は受けないってだけだ。

仕事の妨げになったり、必要な時には殺すこともある。

俺はただの殺し屋だ。優しくない」


「……なるほど。

パーフェクトな回答だよ、ヴァン。気に入った」



低い声で淡々と語るヴァンを見て、ミリィも薄ら笑いを引っ込めた。



「オレも殺生は嫌いだ。けど、今はそんな甘いことも言っていられなくなった。

殺したくなくても、そうしなければならない時には、やるしかない。躊躇いはこちらの命取りになる。

その点、君は理想だよ。ヴァン。

君のように、考え方はシビアだけれど、心を失っていない人がオレは好きだよ。本当さ」



真っ直ぐに見据えてくるミリィに対し、ヴァンはばつが悪そうに目を逸らした。



「別に、好かれなくていい。

俺が聞きたいのは、あんたが俺になにを望んでるのかってことだけだ」



ヴァンの素直な反応が嬉しかったミリィは、一つ手を打って無邪気に笑った。



「よくぞ聞いてくれた!

オレが君に望む……というか、これはもう既に決まったことなんだよね。

悪いが君の意思は尊重しない。強制だ」



明るい調子で言ってはいるものの、ミリィの言い分は実に一方的で身も蓋もないものだった。



「(こんな若僧に、言われたい放題だな)」



ヴァンは内心不服を覚えたが、金で買われた以上は仕方がないとも観念していた。


経緯(いきさつ)はどうあれ、彼は自分の命の恩人。

その恩に報いるためにも、というのは建て前にしろ、どの道もう今までのような生活には戻れないのだ。


人の口に戸は立てられぬ。

逃げおおせた先で再び自由を得たとしても、そんなものは所詮仮初めの自由に過ぎない。

いずれは誰かに自分の罪を看破されるだろうし、密告されればまたここに送り返されるはめになる。


となれば、ヴァンに残された生き方は最早一つしか残っていなかった。



「(せめてほとぼりが冷めるまでは、この若僧に従ってやるのも悪くないか)」



前向きに考え直して、ヴァンはミリィの次の言葉を待った。




「オレ達は今、あるものを探して旅をしている。

そこへ辿り着くためには、まず世界中に散らばったヒント。鍵を集めなくちゃならない。

そしてその鍵の一つが、君だ」



ミリィがヴァンの胸板を指差すと、ヴァンは不思議そうに首を傾げた。



「俺?」


「そう。詳しい事情は後回しにするが、とにかく我々には君が必要なんだよ。

さっき言った鍵としても、純粋な戦力としてもね」


「……それで、具体的に俺はなにをすればいい?」



ミリィは目一杯口角を上げると、ヴァンの胸板を拳で叩いた。



「オレのものになれ、ヴァン。

オレを守り、オレに従い、いついかなる時もオレの側を離れるな。

引き換えにオレは、お前を生かしてやる。お前の自由を貰う代わりに、お前に安息を与えてやる。

そしていつか、共に見てやろうじゃないか。集めた鍵で開かれる扉。その向こうには、一体どんな化け物が待ち構えているのか。

……何故お前がここにいるのか。どうしてオレと出会ったのか。

最後には必ず教えてやる。お前が知りたいと思ったことすべて。


だから、オレに力を貸してよ、ヴァン。

オレには君が必要だ」



この青年は、まだまだ青二才の年頃で、うら若く瑞々しい顔をしているくせに、既に天地の全てを知り尽くしたかのような風格があった。

ミリィの独特なオーラに圧倒されたヴァンは、彼の言葉に沸々と全身が滾らされるのを感じた。


"君が必要だ"


殺し屋だった自分。

これまで手にかけた人間は数知れず。

そんな彼に、ただの殺しの道具に過ぎなかったヴァンに、そのような言葉を贈った者は終ぞいなかった。


こんな10も年下の男に、心躍らされている。

少し悔しい気もしたが、それでもヴァンは己のすべてを青年に預けてもいいと直感した。

いつか来る別離の時まで、彼に従い、彼に付いて行こうと。


どうせなら、自分を必要としてくれる人に仕えたい。

機械のように殺し続けてきたヴァンにとって、生まれて初めて人間らしい感情が芽生えた瞬間だった。




「よく分からんが、あんたの言う扉の向こうってやつ、俺も少し見てみたくなった。

だから、付いて行くよ。この借りを返すまではな」



頷いたヴァンの表情は、当初と比べて幾分晴れやかになっていた。



「ん」



ミリィはまた嬉しそうに笑うと、ヴァンの目の前に拳を突き出した。



「………?」


「これは約束事を交わす時にする……、言うなれば儀式みたいなもんだよ。

ほら、同じように拳だして」



ヴァンが首を傾げると、ミリィは照れ臭そうに行動の意味を説明した。


そして二人は互いの拳を打ち付け合い、契約はここに成立。

ミリィとヴァンは期限のない契りを結んだのだった。




「───で、そろそろいいかな?一応僕もいるんだけど」



いつの間にか階段の手摺り部分に座っていたトーリは、少し不貞腐れた口ぶりでミリィ達に話し掛けた。

ミリィはごめんごめんと謝りながら、トーリに近付いてハイタッチをした。



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