表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
299/326

Episode49:ビター



11月19日。PM4:30。

キングスコート州、サクソン地区。

アンリ一行が蓮寧との会食に臨もうとしている時分、キオラはとある高層マンションの前にいた。



「(やっぱり、今からでも連絡した方が……)」



スマホ画面に表示されたアンリの連絡先に目を落としつつ、キオラは一人眉を寄せた。

何故キオラがアンリへの連絡を躊躇っているのかというと、二つ理由がある。


一つは、今日アンリ達が蓮寧と会うことを、キオラも承知しているから。

既に約束の時間も迫っているので、忙しい最中に水を差すような真似は極力控えておきたいのだ。


そしてもう一つが、このマンションに居を構えている人物。

ヴィクトールから直々に、今日二人で会うことを誰にも明かしてはならないと警告されているからだった。



今から数時間前のこと。

キオラのスマホにヴィクトールからメッセージがあった。


"二人だけで話したいことがある。時間と場所は追って伝える。

強制はしないが、他言無用でお願いしたい。

もし余計な干渉が入ったなら、相手の無事は保証できない"。


一見すると要領を得ない淡泊な文面だったが、普段の彼を知っているキオラには大略の見当が付いた。


恐らくヴィクトールは、こちらの手の内を殆ど見抜いている。

アンリ達の旅の目的も、アンリとキオラの関係がどのように変化したのかも。

もしかすると、キオラが過去の記憶を取り戻したことさえも。


全て把捉の上で、ヴィクトールは敢えてキオラを誘っている。否、試しているのだ。

自分には、今すぐにでも君達を破滅させられるほどの力と用意があるのだと。


キオラにだけは優しかったヴィクトールが、彼女にまで恐喝めいた物言いをするのは初めてのことだった。

故にこそキオラは彼の本気度を感じ、彼の警告に従うべきか否かを決め兼ねていた。



「(いや、アンリ達はこれから正念場だ。

私の個人的な用事で茶々を入れるわけにはいかない)」



悩んだ末、キオラはスマホをコートのポケットに仕舞い直した。

この先なにが待ち構えているにせよ、直ちにアンリとコンタクトを取るのは止めにしたようだ。



「(仮にヴィクトールに私を嵌める意図があったとしても、こっちだって黙ってやられたりはしない。

体格差で劣っていようと、いざという時には全力で切り抜けてみせる)」



今のキオラは、もうかつてのような薄幸薄弱な女性ではない。

自身が何者であるかを思い出した彼女には、過去に学んだ武術の心得も備わっている。

たとえヴィクトールが強行手段に出たとしても、やり返せるだけの手腕と知恵が。


一つ深呼吸をして決心したキオラは、一歩一歩を確かめるようにしてエントランスへ向かったのだった。




**


エレベーターで階層を上がってきたキオラは、ある一室の前で歩みを止めた。


803号室。

ここがヴィクトールの部屋であり、彼の本来の拠点。

まだシグリムに越して来て間もない頃に、フェリックスから与えられたという住まいである。

キオラがここへ来るのは今回が初めてではないが、訪ねるのは久方ぶりになる。


しばらく無言でドアを見詰めた後、キオラは備え付けのドアホンを鳴らした。

少し待つと、ゆったりとした足音と共に、オートロックモニターで顔を合わせた人物が中から現れた。



「来たね。入って」



ヴィクトールは和やかにキオラを出迎えた。

対してキオラは俄に背筋の粟立つ感じを覚えた。


まるで楽しいお茶会にでも招かれたかのような温かい雰囲気。

しかし自分がここにいるのは、他ならぬ彼から問答無用のアプローチがあったからだ。

なのに表面的には平素通りに振る舞うヴィクトールを、キオラは初めて生理的に不気味だと思った。



「お邪魔します」



自らの緊張と動揺を悟られないよう、キオラも平素通りに努めて部屋に上がった。



「今日はあまり太陽が見えないけど、体調の方はどうだい?」



廊下を先導するヴィクトールが、後ろを振り返らずに尋ねる。



「悪くないよ。寒いのは応えるけどね」



ヴィクトールの広い背中を見詰めながらキオラは返した。


互いに何気ない体を装いつつ、互いに腹を探り合っている。

逆境や困難に人一倍強いキオラでも、親しいと思っていた相手を改めて疑ってかかるのは、相当な精神力を要した。



リビングドアを抜けると、清潔で広々としたワンルームがキオラを迎え入れた。


あまり使われていなさそうなダイニングキッチン、寛ぐには格調高すぎるコーナーソファー、潔癖を感じさせるクイーンサイズベッド。

壁沿いの本棚には医学と心理学の専門書が並び、せっかくの掃き出し窓は厚いカーテンに覆われている。


全体が黒とグレーで統一されたこの空間を例えるなら、いわゆる"殺し屋が住んでいそうな部屋"。

本棚とテレビがあるだけで辛うじて生活感はあるが、来客が長居したくなるような気安さは一つもない。

良くて"無駄"がなく、悪くて"ゆとり"がないのは、ある意味ヴィクトールの人間性を具象化しているとも言える。




「とりあえず座って。コーヒーでいいかい?」



キオラをカウンター席に促し、ヴィクトールはキッチンの中へと入っていった。



「あ、いや私は────」


「砂糖なしのミルク多めが好きだったよね?」


「そうだけど……」


「そろそろ来る頃と思って準備しておいたんだ。すぐ出来るから掛けていてくれ」



お構いなく、と遠慮しようとしたキオラを無視して、ヴィクトールは否応なしにコーヒーの用意を始めてしまった。


芳しいブルーマウンテンの香りが、猜疑心と共にキオラの鼻孔を刺激する。

ヴィクトールの言う通り、キオラはミルクがやや多めのコーヒーを好んでいる。

彼の振る舞うコーヒーを、彼の部屋で頂いたことも何度かある。


だが今回ばかりは状況が違う。

露骨に足元を見てきた相手の出す物など、滅多に口にしたくはない。

キオラは尚も断ろうとしたが、聞く耳を持たないヴィクトールに、もう何も言えなかった。



「(いつも通りなようだけど、やっぱり何か変だ。

彼のペースに飲まれないようにしないと)」



キオラがカウンター席の上座に腰を下ろしたのと同時に、コーヒーのドリップが完了した。

ヴィクトールは色違いのマグカップをシンクに置き、熱々のコーヒーを注いでいった。

黒いカップがヴィクトール、白いカップがキオラ専用だ。



「こっちに呼ばれるのは久しぶりだけど、屋敷の方はいいの?」



キオラはコートを脱ぎ、隣の席に畳んで置いた。



「ああ。いつも通り、使用人に手入れを任せてきた。

あちらで会っても良かったんだけど、屋敷は広過ぎて落ち着かないからね。

今日は二人きりで静かに過ごしたいと思っていたし、部屋の方に呼ばせてもらった」



白いカップにだけミルクが加えられる。

ヴィクトールはブラックコーヒーを好むため、黒いカップには何も足されない。



「君としては、あちらの方が馴染みがあって良かったかな」


「私は別に、どこでも構わないよ」



フェリックスの没後、キングスコートの本邸はヴィクトールの資産となった。

本来相続される予定にあったアンリが権利を放棄したためだ。


時にヴィクトールは本邸にて知人を持て成したり、普通に一日を過ごしたりしている。

今のように私事で空けたり、マンションの方で寝泊まりしたい場合には、使用人達に屋敷の手入れを任せているという。




「どうぞ。熱いから気を付けて」


「……ありがとう」



白いカップをキオラに差し出してから、ヴィクトールは彼女の二つ隣の席に腰掛けた。

ヴィクトールは着席するなりコーヒーに口を付けたが、キオラはカウンターに置かれた自分のマグカップを触りもしなかった。



「飲まないのかい?」



なかなか落ち着こうとしないキオラを見兼ねて、ヴィクトールが催促する。

キオラは尤もらしい言い訳を何パターンか考えて、一番自然と思われる理由で飲食を断ろうと口を開いた。



「何かおかしなものが入っていたらと思うと気後れするかな?」



キオラが返事をするより前に、ヴィクトールは重ねて告げた。

正にそれを案じていたキオラは、思わず息を呑んだ。



「別に、そんなこと思ったりは───」


「いいんだ。君が警戒するのも無理はない。

俺がそうさせるようなことを言ったんだから」



和やかな態度のまま、ヴィクトールはしれっと毒々しい言葉を吐いた。



「けど君なら、妙な薬や毒を飲んでしまったとして、参る体じゃないだろう?」



か弱い女性として知られているキオラを真逆に断言できるのは、彼女の正体に通暁した者しかいない。

つまりヴィクトールは、キオラの記憶が戻った何かしらの証拠を掴んでいるということだ。



「どうしても気になると言うなら、カップを交換しようか。

ああ、君のを俺が毒味した方が早いかな?」



粋なジョークのつもりか、ヴィクトールは妙に明るいトーンで言った。

キオラは生唾を浅く飲み込み、首を振った。



「いや、いい。飲むよ」


「そう?口には合うはずだよ。君の好きな豆にしたからね」



仮にコーヒーに異物が混入していたとして、ヴィクトールの言う通りキオラの体に影響する可能性は低い。

彼女は過去の生体実験を通して、あらゆる毒物に慣らされているからだ。


唯一効き目がありそうなのは、記憶を改竄するという件の劇薬だが、あれは注射器を使って血液に直接送り込むもの。

実証はなくとも、経口摂取なら本来の効能は発揮されないだろう。


一抹の不安は残しつつ、キオラも自分のコーヒーに口を付ける。

味自体は特に問題なく、覚えのある美味しいコーヒーだった。



「ヴィクトール」


「うん?」


「どうして今日、私を呼んだの。

貴方は何を、どこまで知っているの」



気持ちを切り替えたキオラは、今日の用向きを改めてヴィクトールに尋ねた。


恐喝めいたアプローチも、現実味の有りすぎる冗談も。

分かっていてやっているのなら、こちらも回りくどく詮索するのはやめる。

この後ヴィクトールと刺し違えても構わないくらいの覚悟で、キオラは意を決して切り出したのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ