Episode48-2:神が隠し賜うもの
「リンチ、オレにもお茶ちょうだい」
「すぐに」
ずかずかとリビングに入ってきたミカは、リンチに一声かけてキッチンカウンターに背を凭れた。
二つ返事で了承したリンチは、ミカ愛飲の紅茶を用意するため、ニルギリの茶葉を食品棚から取り出した。
ミカの登場に驚いているのはアンリ一行だけなので、それ以外の面子は既に彼の存在を承知していたようだ。
となるとミカは、一体いつから此処に居座っていたのか。
「どうして、貴方が此処に……」
とりあえずの疑問をアンリが投げる。
ミカはカウンターに肘を掛け、冷めた目でアンリ一行を俯瞰した。
「そりゃあ関係者だからでしょ。この状況で高見の見物決め込むほど無責任じゃないよ」
「そうかもしれませんが……」
当作戦に於いて、実際ミカは関係者の一人だった。
ここで時系列は昨夜に遡る。
蓮寧の招待に応じることを決めたアンリは、後にエヒト・キルシュネライトに連絡した。
"とある経緯で高蓮寧に謁見することになったのだが、万一の保険になりそうなアイデアはないか"。
アイデアという名の支援をさりげなく求めるアンリに対し、エヒトは考えた末にこんな提案をした。
"自分の友人のミカ・ロードナイトにお願いすれば、彼がスラクシンのライナスに口を利いてくれるかもしれない"。
"スラクシンは言わずとしれた軍事の要。最悪命のやり取りに発展した場合にも、ライナスの助力を受ければ百人力を得たも同然だ"。
こうしてエヒトは当日の内にミカとコンタクトを取り、私的にスラクシンの軍事力を借りられないものかと嘆願した。
尋常には有り得ない無茶な頼みではあったが、エヒトに心酔するミカは要請を快諾。
直ちにライナスに口添えし、ライナスの部下を現場に派遣してもらうこと、ライナスの別荘を避難場所として良い約束を取り付けた。
つまり此処にいるリンチとタイタス、手術を行った医師達は、皆ライナス傘下の軍人。
このコテージは、ライナスのプライベートな別荘だったというわけだ。
実質のサポートはライナスの働きによるところが大きいが、そもそもミカが動いてくれなければ元も子もない話だった。
本人も言う通り、関係者として踏ん反り返るには十分な理由がミカにはあるのだ。
「当作戦の概要については、貴方も内聞になったはずです。
最悪、こちらまで戦火が及ぶ危険もあったというのに、そんな場所に一国の主が堂々と……」
「はい終わったよ」
「ありがとうございます……」
アンリの手術が終了し、ウォレスが手を洗いにバスルームに立つ。
少し遅れてシャオの手術も終了し、一行の手当ては全員分完了した。
ウォレス以外の医師達は一処に集まり、一行のデータを直筆でカルテに起こす作業を始めた。
「それくらいオレだって分かってるよ。
自分から綱渡りに出るような命知らずをやらかすと思うの?」
「では……」
「此処にいるリンチとタイタスは、あくまで護衛要員。
君達の言う作戦とやらにライナスが割いた人員は、こんなもんじゃないんだよ」
アンリの疑問に対し、ミカは何の感情も覚えていなさそうな調子で答えた。
返答自体は逐一丁寧であるものの、目線は一度もアンリに合わせていない。というより、誰にも意識を向けていなかった。
あくまで目先の問い掛けに口で答えるだけの姿は、まるで透明人間と話しているかのようだった。
「お茶が入りました」
「ん」
リンチの煎れたレモンティーを受け取ったミカは、砂糖を加えてスプーンで掻き混ぜた。
「此処まで無事に辿り着けたのは、こうして静穏に骨休め出来ているのは、都合の良い幸運や奇跡が働いたからじゃない。君達が通ってきたルート全部に警護役が配置されてるんだよ。
来るまでずっとリンチが誰かと連絡を取り合ってたろ?あれは君達がどの道を選んで来るかを知らせるためだよ。
五体満足でガオを抜けられたのは、君達の機転と手腕かもしれないけど。スラクシンに入ってからは、単に君達が頑張ったで済む話じゃない。
深追い待ち伏せ闇討ちを仕掛けられないように、ライナスとライナスの部下が強固に守ってくれてるおかげなんだよ。そこんとこ、ちゃんと分かってる?」
ここでミカはアンリに一瞥くれるも、目が合うなり直ぐに逸らしてしまった。
シャオやジャックらはアンリ達の問答に横槍を入れず、ホットミルクを片手に成り行きを見守っている。
「ということは、この別荘周辺にも……」
「いるよ、いっぱい。
そもそもこの別荘地自体、ライナスの部隊が所有してるものだから。
今だって、万一にも鼠が紛れないよう目を光らせてくれてる。
でなきゃオレもこんなに大様にしてられないし、こんな時に来てない」
前述の部下を派遣する件について、現場に寄越されたのはリンチとタイタスの二人のみ。
しかし当作戦のため動員したのは彼らだけではなかった。
実際は数十人単位のスラクシン軍人、それもライナス直属の精鋭部隊が裏で関わっているという。
彼らが此処まで見守ってくれたからこそ、アンリ達は蓮寧の一味に深追いをされず。
この別荘の場所を割り出される心配も、出迎えた家人がスパイである警戒もしなくて済んでいる、らしい。
万一情報が漏れた場合にも、此処には鼠一匹侵入できないはずだとミカは語る。
何故なら、お隣りも更にお隣りも、お向かいも更にお向かいも、中にいるのはただのご近所さんではないから。
元来この住宅地は、ライナス率いる部隊が組織で買い取った土地だった。
日頃から信頼と連携を重んじる彼らは、プライベートでも極力繋がりを絶たぬよう心掛けている。
結論を述べると、厳重な装備を施した軍事エリート達が、今も近くでアンリ達の安全を確保してくれているということだ。
「君達の努力も認めないことはないけど、後でライナスにお礼くらい言っときなよ。
たった一晩でここまで用意すんのにどんだけ骨を砕いたか。なあタイタス?」
目の前を通り過ぎたタイタスに同意を求めてから、ミカはレモンティーを一口啜った。
タオルとガウンを配り終えたタイタスは、苦笑しつつもミカの言葉に頷いた。
「確かに、国の軍事力を私物化……。それも内内にとなると、主席の権限を以ってしても、容易ではありませんでしたね」
何か困ったことがあれば、遠慮せず頼ってほしい。
以前そう言っていたエヒトに甘えさせてもらった結果が、巡り巡ってミカとライナスに飛び火した。
口約束で実現できるレベルではない規模の支援を需給する、という形で。
「(元より大事件に発展させるつもりだった手前、こうも大きな力が働いたのは好都合だったが……。
さすがに一晩でこれらを用意させることになったのは、申し訳なかったな)」
アンリはまだ湯気の立つホットミルクに口を付けながら、内心で心苦しく思った。
「とはいえ、当作戦は国家の存亡にも関わり兼ねない重要なもの。
首領は貴方がたに正義ありと御判断なされた。ならば我々は、その意思に従うのみです。
骨が折れたとて、損をしたとは誰も思っておりませんよ」
タイタスが自分の信念を告げると、リンチも無言で頷いた。
アンリ一行はホットミルクで体を温める一方、彼らの親切に心も温まる思いだった。
「───あ」
不意にミカが何かに気付いた声を上げる。
「どうされました?」
「来た」
タイタスが聞き返すと、ミカは短く即答した。
なにが、と一同が顔を見合わせていると、程なくして乗用車のエンジン音が聞こえてきた。
やがて音はコテージのすぐ側まで接近し、軒先の駐車スペースにて静止した。
ライナスの部下が張り込んでいる以上、蓮寧一味の車である可能性はない。
この最中に一般人がたまたま通り掛かったはずもない。
となると、今乗りつけてきたのは。
「さすがは御大様。相変わらずの袋耳ですね」
新たな登場人物を出迎えるべく、リンチとタイタスが揃ってリビングを出ていく。
暫くして戻ってきた二人の背後には、スラクシンの頭目にして、ミカの無二の親友がいた。
「なんだ、いたのかミカ。人見知りのお前が珍しい」
軍人らしい清涼な短髪に、男らしい精悍な顔立ち。
モッズコートを羽織っていても分かる体格の良さと、ラフな格好からも滲み出る王者の風格。
ライナス・ゼイルストラ。34歳。
スラクシン州の主席にして、フィグリムニクスの軍事を総轄する、まさしく武勇の象徴たる人物。
そんな彼と正反対なミカが親友同士である理由を、当人以外は誰も知らない。
「(順番に登場しなきゃいけない決まりでもあるのか……)」
次から次に現れる大物達を見て、アンリ一行は同時に同じことを思った。
「もしかして、来たらまずかったか?」
微妙な空気を察したライナスが、マフラーを外しながら怪訝に首を傾げる。
ミカはライナスを特に歓迎するでもなく、普通に話し掛けた。
「さあ?ま、せっかく来たんだしゆっくりしていきなよ」
「ああ、ありがとう」
我が物顔で寛ぐミカを前にしても、ライナスは全く気にする素振りを見せなかった。
これが彼らにとっての日常であるらしい。
そんな彼らに対し、アンリ一行はまたしても共通の思考を持った。
お前が言うなよ、と。




