Episode48:神が隠し賜うもの
数時間に及ぶ逃走劇を経て、アンリ一行は何とかスラクシン州まで逃げ延びた。
ここまでの追っ手やトラップを回避できたのは、前述の通りシャオ達の手柄。
そこからスムーズに州を跨ぐことが出来たのは、タイタスとリンチのおかげ。
厳密に言うと、タイタスとリンチの属する組織、延いてはその後ろ盾となる権力のおかげである。
そして更に移動を続け、時刻が日付を跨いだ頃。
一行を乗せた車は、スラクシン州郊外にある閑静な住宅地までやって来た。
「───着きました。ここです」
リンチのナビゲートにより目的地に辿り着いた一行は、とある屋敷の軒先に車を停めた。
隣には既に黒のSUVと白のミニバンが停められており、内のどちらかが家人の物と思われる。
「ここに、例の……?」
窓から覗く周辺一帯の景色を見て、アンリはやや腑に落ちない反応をした。
というのも、ここはタイタスとリンチが頭目と仰ぐ人物が所有する家なのだ。
これといって特筆すべきところのない、白塗り二階建てのコテージ。
見たところ一等地ではあるようだが、建物自体のスケールはそれほどでもない。
来客用を含めた駐車スペースと庭には十分な広さがあれど、お金持ちの家によくある立派なプールやガレージなんかは見当たらない。
全体的な雰囲気を言うと、良い意味で庶民的、悪い意味で有力者らしからぬ地味な家という印象だ。
「はい。こちらは首領の別荘となっておりまして、好きに使って良いと言付かっております。
専属の医師も呼び付けてありますので、お怪我の治療も中で」
アンリの呟きに答えながら、タイタスは率先して車を降りた。
シャオ達の車からは、リンチが最初に降りた。
「私が屋敷の者に知らせて来ますので、皆さんは足元に気を付けていらして下さい」
そう言うとリンチは、屋敷で待つ家人達に一行の到着を知らせに行った。
残ったタイタスはアンリに肩を貸し、他のメンバーに声を掛けつつリンチの後に続いた。
「───リンチです。開けてください」
先を行ったリンチがドアベルを鳴らすと、間もなく家人が玄関から出てきた。
「ご苦労様です。予定より随分遅かったですね」
「申し訳ない。念のため迂回して来ましたもので」
出迎えてくれたのは、ロマンスグレーの髪と口髭が特徴的な初老男性。
白衣を纏っていることからも分かる通り、先程タイタスの説明にあった医師の一人である。
例の頭目が、アンリ達のためにと個人的に呼び付けていたのだ。
「それは長旅を────」
リンチと医師が軽い立ち話をしている最中、リンチの背後からアンリ達が遅れてやって来た。
アンリ達のただならぬ様子に気付いた医師は、一瞬にして表情を引き締めた。
「こいつは大変だ。準備は済んでいますので、さあこちらへ」
医師に促され、一行は挨拶もそこそこに屋敷に上がらせてもらうことにした。
「すみません。厄介になります」
「失礼します」
タイタスに支えられたアンリが先頭、その後ろにシャオやジャックら他のメンバーが列をなす。
玄関脇のドアを抜けると、広々としたリビングダイニングがあった。
リビングには二人の中年男性の姿があり、彼らもまた同様の白衣を纏っていた。
「お待ちしてました。怪我の状態を見せてください」
「ある程度の処置は済んでいるようですね……。では、縫合が必要な方はこちらに」
「軽傷の方はこちらへ」
重傷のアンリとシャオは、リビングのソファー。
軽傷のジャックと銀髪の男は、ソファー向かいのラウンジチェアにそれぞれ座らせられ、医師達三人がかりでの手術が始まった。
無傷のマナとジュリアンは、リンチとタイタスと手分けして、一同に配る飲み物や着替えの用意に取り掛かった。
「つか、ニイチャンは?ここで待ち合わせって聞いてたんだけど」
医師に手術を任せきりにして、銀髪の男は大きな声で一同に尋ねた。
アンリ一行は首を傾げたが、キッチンで飲み物の準備をするリンチが代表して応えた。
「そういえば姿が見えませんね。今はどちらに?」
「ああ、あの方でしたら先程バスルームに立たれて────」
リンチの問いに、アンリを担当する医師が返答しようとした時。
一人の男性が何食わぬ顔でリビングに顔を出した。
「アーララ。やけに騒がしいと思ったら、もうお着きでしたか」
聞き慣れた声と馴染みのある喋り方に、アンリ一行の視線が入口ドア前に集まる。
そこに立っていたのは、ここに居る予定はなかったはずの人物だった。
「ウォレスさん!」
「ニイチャン!」
アンリの驚いた声と、銀髪の男の膨れたような声とが重なる。
「えっ。にいちゃん……?」
銀髪の男の予想外の発言に、事情を知らないアンリ一行は先程とは違う意味で驚いた。
当のウォレスはというと、平常通りな顔で肩を竦めた。
「ああ、そういやまだ紹介してなかったでしたっけ。
こいつ、私の従兄弟なんですよ」
こいつ、と銀髪の男を指差すウォレス。
アンリ一行の視線が銀髪の男へ移ると、注目された銀髪の男は剽軽に笑った。
「ユーガス・フレイレっていいまーす。
フリーの傭兵やってるんで、入り用の時はまたヨロシク」
ユーガス・フレイレ。26歳。
フリーの傭兵にして、ウォレスの実の従弟。
一見して血縁とは思えないキャラクターの両者だが、鋭い目付きと獣じみた犬歯は共通している。
髪と瞳の色が同一であることや、どこか人を小馬鹿にしたような雰囲気からも、同じルーツを持っているだろうことは窺い知れよう。
「んでー?おれ結構ガンバったんだけど、誰がお駄賃払ってくれんのー?」
ウォレスとアンリと両方に向かって、ユーガスは子供のように語尾を伸ばして尋ねた。
ウォレスはシャツの袖を捲くってソファーの方に近付いていくと、アンリの目前で膝を折った。
「もちろん、そちらで出して頂けるんですよね?」
不敵な笑みを浮かべたウォレスが、医師と交代でアンリの手術を始める。
ウォレスの事後承諾極まりない態度に、アンリは思わず苦笑した。
「最初からそのつもりでしたよ。彼は命の恩人ですしね」
本来であれば、ユーガスの存在は計画の内ではなかった。
アンリ達の危機にユーガスが駆け付けられたのは、ウォレスが自主的に機転を利かせたおかげだったのだ。
つまりアンリ達が報酬を支払う義務はないのだが、ユーガスがいなければ今がないのも事実。
アンリとしてはむしろ、サプライズ的に助っ人を送ってくれたウォレスとエヒトに、望外の感謝の気持ちだった。
「そうは言っても、おれってばこっちの世界じゃ新進気鋭の花形だからね~。
そんなおれ様があんだけ働いてやったからには相当の────」
「金に糸目は付けない。君の言い値で構わないよ」
「エッ。なにそれ太っ腹~!気っ風の良い人ってだいすき~!ニイチャンと大違い~!」
「気が散るから"うつけ"な声で喋らないでくれるか。気が散る」
アンリのブルジョワ対応に大興奮のユーガスと、そんなユーガスを適当にあしらうウォレス。
元学者と傭兵というだけあって普段の接点は少ないものの、二人は打ち解けた間柄のようだった。
軽口を利き合う有様なんて、どこにでもある家族の日常会話そのもの。
命を落とし兼ねない戦場にあっさり身内を送り出す従兄と、それを快諾した従弟という不自然な前提を除いては。
「───リンチがホットミルクを作ってくれた。蜂蜜ほしいやつは言ってくれ」
「───タオルとガウンをお持ちしました。手当ての済んだ方からお使いください」
リンチの作ったホットミルクをジュリアンが、別室から持ってきたタオルとガウンをタイタスが配り歩く。
予め応急処置を済ませていただけあり、ジャックとユーガスの手当てはもうじき完了しそうだった。
アンリとシャオの縫合手術も、ミルクが冷めるまでには終わるだろう。
「(今度の出来事が、ミーシャ達に余計な悪影響を齎さなければいいが……)」
先刻までの修羅場が嘘のような、穏やかな休息。
ミリィ達の時にもシャノンが匿ってくれたので、兄弟の旅はつくづく周囲の人々に支えられて成り立っている。
「おろ、そういやマナはどうしたんだい。全然戻って来ないけど」
ふとシャオがホットミルクを片手に呟く。
先程タイタスと共にリビングを出ていってから、マナが姿を見せていないのである。
「さっき一緒に着替えを取りに行ったんじゃなかったんですか?」
「ええ。私がこちらのタオルとガウンを、マナさんには皆さんの替えの衣服を運んで頂くよう、お願いしたのですが────」
アンリとタイタスがマナの行動を確認し合っていると、タイミング良くマナがリビングに顔を出した。
少し前に登場したウォレスと、ほぼ同じシチュエーションである。
「あの、みんな………」
怖ず怖ずと一行の前に出てきたマナは、両手に来客用のルームウェアを抱えていた。
「マナ。急にいなくなるから、どうしたのかと思ったぞ」
「申し訳ない、私の説明が分かりにくかったでしょうか?」
アンリは不思議そうに、タイタスは申し訳なさそうに、マナに話し掛けた。
マナはぶんぶんと首を振ると、今まで何をしていたのか訳を話した。
「そんなことないです。部屋もすぐ分かったし、言われたところにちゃんと、これもありました。ただ……」
「ただ?」
「その帰りに、空いてる部屋から物音がして……」
リビングを出ていったマナとタイタスは、二手に別れて仕事に取り掛かった。
タイタスはタオルとガウンを用意するため、一階バスルームと頭目の私室へ。
マナは二階ゲストルームの一室から、来客用の着替えを取りに向かった。
着替えを回収したマナは、タイタスに一足遅れてリビングへ戻ろうとした。
するとその道中、廊下突き当たりにある別のゲストルームから、なにやら不審な物音がしたという。
まさか、振り切れなかった追っ手が秘密裏に侵入してきているのか。
あんなことがあったばかりで緊張していたマナは、不審者の有無を調べるためにも、そのゲストルームの中を確認してみたのだった。
「それで、中を開けて確認してみたら、そこに────」
マナが最後まで言い終える前に、階段を降りる足音が響いてきた。
気付いたマナはドアの前から退き、足音の正体が到着するのを待った。
やがて一同の前に足音の正体が現れる。
"その人"は、ウォレスと同じく此処には居るはずのない人物だった。
「なんだ、お友達が来るまで引っ込んでるんじゃなかったのかい?」
真っ先に反応したウォレスが、親しげに"その人"に話し掛ける。
"その人"は気怠そうに首の骨を鳴らし、起きぬけに近い低い声で唸った。
「こんなに下が騒がしいと、集中できるものもできないでしょ。
エヒトさんの本は流して読むもんじゃないし」
ボサボサの茶髪に、分厚いレンズのボストン眼鏡。
よれたシャツに使い古されたニットベスト、アイロンなど掛けたこともなさそうな安物のチノパン。
どこからどう見ても不健康なオタク、あるいは浪人生のような出で立ちをした彼は、ロードナイト州の現主席。
ミカ・ロードナイト、27歳だった。




