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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
288/326

Episode47-5:呼んだ?



「残念だけど、コイツの言っていることは本当だよ」



思わず口をつぐんだアンリは、久しぶりに声の聞こえてきた隣を見遣った。

そこには、何もかもを悟ったようなシャオの横顔があった。



「このカジノにしても、先に話に出た無法地帯にしても。何なら、ガオ州全体が睨まれたことだって一度や二度じゃない。

でもコイツらが汚名を被ることは絶対にない。そうなる度にコイツらは、関係各所に賄賂という名の口封じを施してきたからね」


「賄賂?」


「女か薬か……。時には一生遊んで暮らせる大金をキャッシュで手渡したり、目に見えない力を働かせて相手の令名をでっち上げてやったりね。まあ色々だよ。

そいつが今一番に欲しているものをぴたりと言い当て、それを直ぐに用意することが出来る。コイツらのヤバいとこはそこ」



まるで始終を見てきたかのような口ぶりで話すシャオに、納得のいかないアンリは食い下がった。



「だとしても、全員が全員そうなわけじゃないだろ。仮にも一度は正そうと思って乗り込んできたなら────」


「ところがどっこい。どんなに崇高な思想を掲げていた奴でも、コイツの手練手管を前には、一日と経たずに堕落を免れない」



コイツ、と蓮寧の顔をシャオは顎で示した。

とても目上に対してとは思えない不躾な振る舞いだが、当の蓮寧はシャオに何を言われても余裕の笑顔を崩さなかった。



「人間ってやつは、結局二つに一つなのさ。

余すほどの資産を有していても、決して世助けのためには費やさない奴がいれば。飢えるほどの貧しさを強いられていても、決して盗みを働かない奴もいる。

君やバシュレー家のシャノンくんなんかは、外身と中身が一致した珍しいタイプなんだ。全くいないわけじゃないが、数は限られる。皆が皆そういう美徳な生き方を出来るわけじゃない」



どこか悲愴を感じさせるシャオを前に、アンリはそれ以上反論する気がなくなった。

シャオはそんなアンリを一瞥してから、蓮寧に向かって中指を突き立てた。



「誤解しないで欲しいけど、俺はコイツを正しいと思ってるわけじゃない。

ただ、コイツの言っていることは間違いじゃないってのも、悲しいかな、また事実だ。

いつか我々が大義を成すことがあったとしても、コイツを奈落へ落とすのだけは難しいと思った方がいいよ」



とどのつまり蓮寧は、ある意味フェリックスと同種なのだ。

純粋な才能と人望を以って、畏敬の信奉者を集めたフェリックスと。

底無しの誘惑と脅迫を以って、服従の共犯者を揃えた蓮寧。

やり方も背景も異なれど、絶対的崇拝、絶対的信頼を獲得しているという点に於いては両者とも同じ。


裏切るなら、あの時の過ちを風の便りに流すだけ。

変わらぬ友好を誓うなら、お得意様として死ぬまで奉仕してあげましょう。

正念場にてそれを問われた時、誰しもが悩んだ末に後者を選ぶ。

保身のためにせよ、我欲のためにせよ、誰だって我が身こそが最も可愛いから。


法を司る者、法に準ずる者。

中には正義を、神仏を貴ぶ者もいた。

自らの一生を投げ売ってでも、お前達の悪辣非道を暴いてみせる。

そう言ってガオ一族の元を訪れた猛者が、過去に何人もいた。


だが、結果は皆同じだった。

自分が損をすることも惜しまない手厚い持て成し、相手に損をすることになると思い込ませる口八丁。

あらゆる手練手管を以ってして、ガオ一族はどんな敵対者もたちまち手中に納めてしまう。


自らの一生を投げ売ってでも、彼らの悪辣非道を暴くか。

自らの信念に背いてでも、彼らの口車に乗るか。

当初に掲げた大義名分は、いつしか真逆の色に反転し、その者を埋め尽くす。


決して逆らえない。決して反旗を翻せない。

一度でも甘い誘惑に負けてしまったなら、一度の反逆も許されない。

逆に従ったなら。永久に秘密を守ると誓うなら。

一度と言わず何度でも、望むままの快楽を与えてもらえる。

呪いにも似た契りは、いかな友情・愛情による絆にも勝る強固な結束となる。


もしガオ一族を本当に没落させたいのなら、彼等と同等の財・権力を有していなければならない。

そして彼等の甘言に決して惑わされない、不屈の精神も保たねばならない。

結論として、そんな者は世界に只一人もいないということなのだ。

少なくとも、今は。




「それでも」



シャオと蓮寧の視線がアンリに一点集中する。



「それでも俺は、諦めないぞ。こんな不条理が当然に成り立つ社会を、認めるわけにはいかない」



僅かに身を乗り出したアンリは、テーブル越しに蓮寧と向き合った。



「貴方を守る盾があるというなら、その盾を端から削ぎ落としていくまでです。

何年何十年かかったとしても、貴方の築いた破戒無慙な秩序を撤廃させてみせますよ。必ず」



アンリの宣戦布告を聞き入れた蓮寧は、優しく微笑んで答えた。



「やれるものならやってみてください。

貴方一人が喚いたところで、せいぜい市井の浅ましい淑女達がファンクラブを立ち上げるくらいですよ。

そうなったら、ボクも加入させてもらいましょうかね。昼行灯の王子様ファンクラブに」



一先ずの応酬に決着がついたところで、部屋は水を打ったような静けさに包まれた。


アンリ、シャオ、蓮寧。

全員が腹に一物抱え、懐には悪意を忍ばせながらも、表向きはビジネスライクなスタンスを通す。

それぞれ異なる人生を歩んできた三者だが、二面性の強い部分は共通していると言えるかもしれない。




「───ああ。ついお喋りに夢中になって、お料理が冷めてしまった。

続きはどうします?時間にはまだ余裕がありますし、他に聞いておきたいことなどあれば、お答えしますが?」



自らの腕時計に目を落としながら、蓮寧は話題を切り替えた。

アンリはシャオと目配せすると、根本的なことを質問した。



「今更な気もしますが……。そもそもの目的を、まだ伺っていませんでした。

貴方は、貴方を含めたガオの一族は何故、コードFBに加担しているのですか。

もはや手にしていない物はないと言っても過言じゃないはずでしょう。リスクに見合うだけのメリットがあるとは、とても思えない」


「ふむ。そうですね……」



蓮寧は腕を縦に上げると、先程の腕時計が自然と目に入るようアンリ達に見せつけた。

腕時計には大きな宝石が幾つも散りばめられており、これ一つで家が建つほどの高級感をまざまざと表していた。



「確かに我が一族は、今生にして万物を手にしたと言っていい。

ですがそれは、あくまで"今生に於ける万物"に過ぎません」


「というと?」


「正直を言いますと、飽きたんですよ。

幼少の頃より贅の限りを尽くしてしまうと、触れる物みな日に日に褪せて見えてくる。

ここの料理だってそう。贔屓にしているとは言いましたが、何度も口にすれば食傷を覚えてくる」



箸を一本だけ手に取った蓮寧は、肉料理の一切れに先端を突き刺して持ち上げた。

目に余る無作法であることは言わずもがな、直接注意する者はここにはいない。



「貴方も一応は名家の出なら、一つ二つ経験があるでしょう。

何でも手に入る人間は、裏を返すと何も得ることが叶わない。

何でも好きに出来るからこそ、何事にも本気で心動かされない。

つまらないんですよ、何もかもが。既存する何かでは、ボクはもう満たされない」



端の先から毟り取る形で、蓮寧は先程の肉を豪快に口の中へ放り込んだ。

子供じみた音を立てて咀嚼する姿は、まるで砂を噛むように味気無さそうだった。



「だから、この世にはない神秘を追い求めるようになったと?」


「当たらずとも遠からず、ですね。

今までにない未知を求める気持ちは認めますが、だからといって今の在り方をやめるつもりは毛頭ない。

お金はいくらあっても良いですし、強くて美しい人は何人でも側に置きたいですからね」



箸をテーブルに置き、蓮寧は椅子の背もたれに力無く寄り掛かった。

そのままずりずりと天井を仰ぐと、シャンデリアのまばゆい光が蓮寧の顔を照らした。



「ボクはただ、純粋に驚いたり楽しんだりしたいだけなんですよ。

この、爛れるほどの虚無感を少しでも紛らわせてくれるなら、どれほどの投資も惜しまない。どんな無茶も無様も許します。

だから貴方のお父上にも手を貸した。空想じゃない新世界を見せてくれると、彼は約束してくれましたから」



姿勢を戻した蓮寧は、自らの掌に走る幾重もの横線を俯瞰した。



「残念ながら、本人は志半ばにしてリタイアされてしまいましたが……。夢はまだ潰えていない。

たとえ完遂はされずとも、そこに至るまでの道筋を特等席で観覧できるのは、実に心が躍りました」



開いていた掌をぎゅっと閉じると、蓮寧は嬉しそうに目を細めた。



「貴方は、あくまで己の慰みのために、あんなものに助勢しているのですか。

人の一生に食傷を覚えると言いながら、対極の永遠に興味を示すとは。矛盾もいいところです」



芝居がかった調子の蓮寧とは対照的に、アンリは鼻にかけた声で一蹴した。

蓮寧は閉じた拳をまた開くと、その手を自らの心臓に宛がった。



「痛いところを突きますね。言われてみれば、それもそうだ。

しかし同時に、永遠を手にしないと見えないものも有るはずと、ボクは思うのです。

鬼が出ようと蛇が出ようと、ボクに新鮮な水火を齎してくれるというなら、それもまた一興」



高蓮寧とは一体何者なのか。

彼は何を生き甲斐に生きているのか。

いくら尋ねたところで、誰にも分かるはずがない。

何故なら蓮寧自身が、己の正体も生き甲斐も無自覚のまま、惰性で営みを続けているのだから。


漠然とそのことに気付いたアンリは、それ以上蓮寧のパーソナルな部分に踏み込むのをやめた。

彼の中核が何であれ、彼が金に貪欲な悪魔で、自分達とは敵対関係にあるのは確か。

そこだけ分かれば、容赦しないには十分だと。




「そうですか。どうやっても我々は相容れないようだ。これ以上の問答は不要でしょう」


「ふふ、化けの皮が剥がれてきましたね?

流石そちらのを従えているだけある」



そちらの、と蓮寧がシャオを見遣ると、シャオは嫌そうに鼻を鳴らした。



「最後に、もう一つだけお聞きしてよろしいですか」


「いいですよ?最後と言わず、いくらでも」



椅子に浅く座り直したアンリは、この質問を最後に帰るつもりで蓮寧に問うた。



「貴方は、ヴィクトールの真の目的をご存じですか」



何となく掘り下げるのを伏せていた人物。

ヴィクトールと付き合ってきた年月は、蓮寧よりもアンリの方がずっと長い。

しかし蓮寧は、親交こそ浅いものの、アンリは知らないヴィクトールの裏の顔を知っている。

そういう意味では、より深いところでヴィクトールを理解しているのは蓮寧の方かもしれなかった。



「真の、とは?」


「彼はフェリックスの一番弟子であり、一番の理解者でした。

故にこそフェリックスの意志を継いだ、というのは理解できますが、どうもそれだけじゃない気がするんです」



フェリックスの意志を継ぐため、代わりにプロジェクトの指揮を執ることとなったヴィクトール。

彼にはフェリックスに対して大きな借りがあったというし、その恩返しの意味で現在に至るというのは筋が通っている。


だが、本当にそれだけなのだろうか。

突き詰めればそれ以外にも、もっと根本的な理由があるのではないか。

随分前からアンリにはそんな気がしてならなかった。



「永遠の命も、まして名誉などには食指の動かないはずの彼が、ああまでしてフェリックスの遺産を守ろうとするのは何故なのか」



アンリの知るヴィクトールとは、徹底した完璧主義でありながら、完璧という観念に価値を見ていない男だった。


やれと言われたことは卒なく熟す。

そうした方が体裁の良さそうなことも自然に振る舞ってみせる。

まさに非の打ち所のない生き方をしているのに、彼自身そんな自分に全く興味がない。


誰に褒められても認められても、愛していると言われても。

ありがとうと笑顔で応じる裏では、何も感じていない。


人は何のために生まれ死ぬのか。

誰しも一度は抱く疑問を彼は覚えたことがなく、いつ死んでも生まれなかったとしても構わないとすら思っている。


そんな空虚で偶像のような男こそが彼であると、アンリは思っていた。

故に彼が、ああまでしてプロジェクトに固執する訳が理解できなかった。


自分に興味がないということは、自分の人生に興味がないということ。

延命も往生も望んでいない彼が永遠を作り出したところで、彼自身にメリットは全くないはずなのに。



「ふむ……。確かにあの方は、ボク以上に世界に興味がなさそうですしね。人並みの感情さえも持ち合わせがないようにお見受けします。

そんな御仁が、師に対する忠義のみでここまでするというのは、ちょっと信じられないですね」



思い当たる節があるのか、蓮寧も納得した様子で唸った。



「まあ、だからどうということもないのですけど。

我々は同盟者ですが、不必要な干渉は致しませんから。あの方の胸の内までは、ボクの知るところではありません」


「そうですか……」


「こんな遠回りなことをせずとも、せっかく幼馴染みなのですから、直接お聞きになったらよろしいじゃありませんか。

互いの旗色がはっきりした以上、もう腹を探り合う必要はないでしょう?」



真意は不明だが、蓮寧はヴィクトールについては詳細に語る気がないらしい。

今まで散々浮ついた態度でいた蓮寧が、初めて他者に義理立てをした瞬間だった。



「そうですね。尤もそれが実現した時は、貴方も含めて手が後ろに回る時ですがね」


「それはそれは。また一つ楽しみが増えましたね」



アンリとシャオは互いに頷き合うと、同時に席を立った。



「さすがに長居が過ぎました。そろそろお暇させて頂くことにします」



アンリは蓮寧に頭を下げ、シャオはナプキンで自らの歯列と口回りを雑に拭った。

敵対心剥き出しなのは最初から、ここまでいくと単純に当てつけである。



「おや、もう発たれるのですか。残念だなあ。もっとゆっくり話がしたかったのに」



ちっとも残念じゃなさそうに蓮寧も席を立った。



「ふふ。ですが久々に、楽しい一時を過ごすことが出来ました。

いつかまた、こうして食事をご一緒したいものですね。今度はフレンチでも」


「ははは。面白い冗談です」



アンリと小気味のよい会話をしながら、蓮寧はまた二度手を叩いた。

先程のように扉が開くと、控えていた洋が姿を現した。



「下までお送りします。さ、行きましょうか」



円滑過ぎるほど無事に終局した、此度の蓮寧との会食。

幸い料理に細工は施されておらず、これといった罠も仕掛けられていなかった。


しかし、安心するにはまだ早い。

ラムジークのレヴァンナ、ブラックモアのサリヴァンに謁見をしに行ったミリィ達は、事が済んだ後で襲われたのだ。

ならば蓮寧だって、一度は油断させた隙を突いて奇襲をかけてくるかもしれない。

殺す気がないなどと口では言っていても、その言葉が嘘でない保証はない。



「ええ。失礼します」



アンリはシャオに目で合図し、シャオも瞬きをして応えた。

この後の展開、どちらに転ぶことになるか。

いざとなって頼りになるのは、今は姿のない仲間達だけである。






『I knew it.』


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