Episode46:大理石に地雷原
11月18日。PM8:48。
ミリィ一行がバシュレー家別邸にて匿われている頃、アンリ一行はガオ州某所にある高級バーラウンジの個室に集まっていた。
ここは国民限定エリアに指定された施設の一つであり、通常は国民証所持者でなければ立ち入ることができない。
国民証を持っていないマナ達は、アンリとシャオの連れということで特別に入店を許可された。
「───どうする?これから」
対になったビロードのソファーが二脚。
内の上座に腰掛けたシャオは、天井のシーリングファンを仰ぎながら誰にでもなく尋ねた。
部屋の間取りはやや手狭だが、内装やインテリアは高級と名が付くだけあって豪奢な仕様となっている。
一見すると、以前バレンシアと対面した際に用いたカジノのVIPルームに類似しているかもしれない。
「そうだな」
シャオの右隣に座るアンリは、自らの腕時計に目を落として溜め息を吐いた。
「なんにせよ、決断は急がないとな」
するとアンリの焦りに追い撃ちをかけるように、据え付けの壁掛け時計が夜9時を告げる鐘の音を発した。
**
今から数時間前のこと。ブラックモア州で大きな銃撃事件があった。
発生場所は、ブラックモア州現主席サリヴァン・ブラックモアJrのアトリエ付近。
幸いJrとその関係者に直接の被害はなく、巻き込まれたブラックモアの民達にも大きな怪我はなかった。
ただし現場には身元不明の重傷者・並びに死傷者が複数残されており、周辺家屋も損壊を免れなかった。
事件の発端であるとされる被疑者のグループは、目下逃走中として所在不明。
犯行動機や素性等の詳しい背景も明らかになっておらず、国はブラックモア州を中心として究明を急いでいる。
以上が、事件発生間もなくから全国で緊急報道されているニュースの概要である。
一昨日からガオ州に滞在しているアンリ達がこれを知ったのは、少し前の午後6時。
偶然立ち寄ったチャイニーズレストランにて、据え付けのテレビを観ながら夕食をとっていた時のことだった。
「あれから何か進展はあったか?」
アンリの視線が向かいのソファーに座るマナへ移る。
マナは上着のポケットから私物のスマートフォンを取り出すと、手早く画面を操作していった。
「いや。やっぱりまだ────」
"まだ続きの報告は来ていない"。
マナがそう言いかけた刹那、タイミングよくマナのスマートフォンが振動した。
「───と。ごめん。今メッセージきた」
「シャノン君か?」
「ううん。今度はトーリくん」
アンリに返事をしながら、マナは届いたメッセージの内容に目を通した。
マナの左隣に座るジャックも身を寄せ、マナと共に画面を覗き込んだ。
マナから少し離れた右隣では、ジュリアンがマスクの隙間にストローを差し込んでオレンジジュースを飲んでいる。
緊迫した空気が続いたために喉が渇いてしまったらしい。
「手術、大体済んだって。全員ちゃんと無事だって」
トーリからのメッセージをマナが噛み砕いて伝えると、ジャック以外のメンバーは安堵の溜め息を吐いた。
実は一行が例のニュースを知った直後、マナの携帯にシャノンから電話がかかってきたのだ。
突然のことに驚きつつマナが通話に応じると、シャノンは驚くべき事実を告げた。
今メディアで騒がれているブラックモア州の銃撃事件は、ミリィ達を中心に勃発したもの。
逃走中のグループというのもミリィ達のことで、バシュレー家は別邸を拠点に彼らを匿うことにした、と。
つまりシャノンは、ミリィ達の身に起きたことを当事者に代わって伝えるべく、急ぎアンリ一行に連絡してきたのだった。
伝達の相手にマナを選んだ理由は、万一の事態を想定してのこと。
ヴィクトールらも把握しているアンリの番号は傍受の恐れが考えられたので、それを防ぐためだった。
「とりあえず良かったね。弟くんに大事なくて」
「……そうだな」
シャオの裏表のない言葉に対し、アンリは同意しつつも奥歯を噛んだ。
確かに結果としては大事にならなかったかもしれない。
だが彼らが二度目の襲撃に遭い、大きな怪我を負わされたのは事実だ。
それを思えばこそ、アンリはミリィ達が命を拾ったことに対して手放しには喜べなかった。
「でも、世間的には大事でしょ。どうやって切り抜けるの?」
会話の途切れた隙を見てジャックが口を開いた。
返事に困ったアンリが押し黙ると、本日何度目になるか分からない沈黙が室内に満ちた。
「このタイミングであのお誘いは、どう考えても罠としか思えない。
最終判断は君に委ねるけど、私は暫く様子見するのをオススメするよ」
シャオが声を潜めて言うと、一同の視線はアンリに集中した。
アンリは膝に置いていた自分のスマートフォンを手に取ると、ある人物からのメール画面を今一度確認した。
「俺も、冷静に考えてその方がいいと思うよ」
そもアンリ達がガオ州にやって来たのは、ブラックモア州に向かったミリィ達と同様。
現地の主席に会うためである。
ミリィ達はブラックモアのサリヴァンJrに。
アンリ達はガオの蓮寧に。
それぞれ疑惑の人物と接触し、FIRE BIRDプロジェクトに関与しているのか否か情報を聞き出す。
どちらが誰を担当するかも含め、全ては先日の話し合いの折に決定したことだ。
しかし現在。
一足早くに当初の目的を果たしたミリィ達に対し、アンリ達は未だに何の収穫も得られていなかった。
というのも、ほぼ毎日アトリエに篭っているサリヴァンJrと違い、蓮寧は日ごと滞在地が変わるうえ非常にアポイントが取り辛いのだ。
ビジネスのため、社交のため、時にはプライベートな娯楽のため。
様々な理由により多忙を極める彼の神出鬼没ぶりは、国内外問わず有名な話。
そんな相手に会いたいと思うならば、公式に呼び付ける以外にまず方法はない。
アンリにはフェリックスの子息という肩書きがあるが、家督を手放した時点で権威はほぼ失ったも同然。
ましてや今度の謁見要請は、あくまでアンリ個人が私用として願い出ているもの。
とどのつまり、知り合うメリットのない今のアンリがどう口説いたところで、蓮寧が簡単に応じてくれるはずがないのだ。
こうしてアンリ達は予想以上の苦戦を強いられ、全く目処が立たないままガオ州で一夜を明かす羽目となったのだった。
ところが。
ミリィ達の事件が起きて間もなく、今度は蓮寧の方からアンリの携帯に連絡があった。
その際に送られてきたメールには、こんな内容が綴られていた。
"───夜分に申し訳ありません。
先日から打診頂いている件についてですが、やはりお受けしたく考えております。
真に勝手ながら、場所と日時はこちらが指定させて頂く形でも宜しいでしょうか───"。
なんと、あれだけアンリのアプローチを拒んでいた蓮寧自ら、やっぱり会いたいと申し出てきたのだ。
ついこの間まで取り付く島もなかったというのに、これは一体どういう風の吹きまわしか。
本人の心中は測りようもないが、タイミングから考えて例の銃撃事件と無関係とは思えなかった。
おまけに場所と日時はあちらの希望に合わせるという条件付き。
ただでさえアウェーな状況なのに、更にイニシアチブまで奪われてしまっては、こちらは圧倒的不利となる。
もしかすると出先でミリィ達の二の舞、最悪それ以上に危険な目を見るかもしれない。
正当な交流か、卑劣な罠か。
行くべきか、行かざるべきか。
出来れば熟考と準備を済ませた上で決断したいところだったが、蓮寧が都合できるのは明日の午後のみだという。
どちらを選択するにせよ、アンリにはもう殆ど悩む時間は残されていないのだ。
「だが、見方によっては、またとないチャンスでもあるんじゃないかと俺は思う」
飲みかけのジントニックを一口飲み、意を決した様子でアンリは言った。
シャオは自分のモヒートをマドラーで回しながらアンリに続きを促した。
「というと?」
「俺達もここ数日でほとほと実感させられたが、蓮寧は正攻法じゃまず捕まえられない相手だ。
この機を逃せば一生会えない可能性もあるほどにな」
シャオの眉間に浅く皴が寄る。
「そりゃそうかもしれないけど……。だからって、リスクを犯してまで直接会うメリットが本当にあるのか?
あいつが白か黒かなんて、今すぐでなくともいずれは露顕することだろ?
騒動が起きる前ならまだしも、確実に危険が待ってると承知で懐に飛び込もうなんて。正気の沙汰じゃないよ」
いつになく後ろ向きなスタンスのシャオ。
だが今回の件に不安を感じているのは他のメンバーも同様だった。
蓮寧がアンリをどうするつもりにせよ、無事で帰す気がないだろうことは想像に難くない。
それを重々わかった上で誘いを受けるのは、普通に考えて自殺行為だ。
なのに何故、アンリはそこまでして蓮寧に会うことに固執しているのか。
「確かにお前の言い分は尤もだが、考えてもみろ。
今までは、ミーシャ達も含めて全員無事だったろ?多少危ない目を見た場面はあっても、特定の誰かに命を狙われるほどのことはなかった」
「これまでは意図して見逃されてきたんじゃないかって話?」
「そうだ。俺とミーシャが嗅ぎ回っていることは疾うに把握していただろうのに、あいつは……。彼らは、直接釘を差して来ようとはしなかった。俺達は脅威になりえないと軽んじていたからだ。
それが今頃になって、人目を憚らずミーシャ達を襲撃した。長らく沈黙していたのを破ってまで、このタイミングで仕掛けてきたのには意味があると思わないか?」
シャオのモヒートの中で、溶けかけの氷が音を立てて割れる。
「いよいよあちらサイドも本腰入れざるをえなくなったほど、我々が追い詰め始めたと?」
「かもしれん。
どのみち、今度の騒ぎは当分沈静しない。ミーシャ達をあんな目に遭わせておいて、俺達だけ都合よく放っておかれるとも思えない。
最悪、ミーシャも俺も犯罪者か何かに仕立てあげられる恐れもある。そうなれば諸とも詰みだ」
今はまだ身元不明という扱いだが、ミリィ達が襲撃事件の加害者として摘発されない保証はない。
仮にそうなった場合、たとえシャノンらが抗議しようとも潔白を証明するのは難しいだろう。
何故ならシグリムの法制は、半分以上ヴィクトールが握っているようなものだからだ。
物理的な襲撃は返り討ちに出来ても、社会的に抹殺する手立てを打たれたら絶体絶命。
今やミリィ達の命運は、ヴィクトールの判断に委ねられているも同然なのである。
「だったら、この窮地を好機に変えるしかない。
奴らが俺達を纏めて突き落とす気でいるなら、奴らも一緒に引きずり下ろしてやるまでだ」
「どうやって?」
ここでまたアンリはジントニックを一口飲み、グラスを空にした。




