Episode45-4:予期せぬ来訪者
「………その前に、一つ話は変わるンだけド。
前にトリスタンがウチ来た時、マックス・リシャベールについて情報がほしい言うてたよナ?
あれから何か進展はあったのカ?」
アリスがトーリに話し掛けると、トーリは首を振ってミリィを見た。
「いや。リシャベールについては、残念ながらまだ。
それなりに目星を付けてはいるんだが…。今ひとつ信憑性には欠けるかな。
どれも推測の域を出るほどじゃない」
「そうカ……」
トーリに代わってミリィが答えると、アリスは想定内といった様子で頷いた。
「その件なンだガ…。
実は、トリスタンが帰った後、こっちもこっちでリシャベールの再調査することにしたンだ」
「もう関わりたくないんじゃなかったのか?」
「そのはずだったンだけどネ。
ワタシがやらんでも、ミリィ達はやる思うたら、任せっぱなしじゃイカンて気になったンだヨ。
アンタ達にばっかり綱渡りさせちまうと、こっちまで余計な火の粉もらいそうだったからヨ」
「要するに、心配だから手伝ってくれたってこと?」
「………。そういうことにしといてやる」
ミリィが顔を覗き込むと、アリスは照れ臭そうに目を逸らした。
「で、だ。
数年前の調査で、リシャベールがキングスコートの医療機関に縁があるちゅうことまでは突き止めタ。
だから今回は、フェリックス・キングスコートとヴィクトール・ライシガー、彼らのどちらかにリシャベールが関係してるものと仮定して動いタ。
縁があるってことは当然、あの世界のトップとも通じているはずと思ってナ」
数年前にアリスが独自で調査を行った際、リシャベールはキングスコートの医療機関に繋がりがあるらしいことが判明した。
そこで此度のアリスは、ヴィクトールとフェリックスも射程圏内に加えた上で、リシャベールの再調査に打って出た。
"キングスコート"と"医療"が絡んだ人物となれば、前述の二人と接点がある可能性は高い。
故に、フェリックスらの素性を一から洗い直せば、何かしらリシャベールについての情報も浮き彫りになってくるはずだと。
「そうしたら、ライシガーの方から埃が出たンだ」
「どんな?」
「ライシガーがフェリックスの弟子に引き抜かれたのと同時期に、ライシガーの出身地であるドイツで気になる事件があったンだ。
地元で有名なギムナジウムで起きた殺人事件だヨ」
ここで一旦区切ると、アリスは足元に置いていた私物の鞄を膝に置いた。
中から取り出したのは、B5サイズのクリアファイル。
それに閉じていた数枚の書類をアリスがテーブルに広げていくと、ミリィとウルガノも一枚一枚並べるのを手伝った。
「そしてその事件の被害者の名が、マクシム・R・シャヴァール」
書類の全てが重ならないよう並べられると、内の一枚にアリスは指を差した。
アリスの口から出た耳馴染みのある響きに、ミリィは反射的に動きを止めた。
「シャヴァール……?」
「そう、シャヴァール。マクシム・R・シャヴァール。
……よく似ているだろウ?いっそ同じと言ってもいいくらイ」
アリスがテーブルに広げた書類は、当時ドイツで発行された新聞記事の一部だった。
中でも、例の殺人事件を取り分け大きく扱った出版社のものだ。
その内アリスが示した一枚には、事件の被害者である少年達の写真が小さく掲載されていた。
これによると、被害少年達は地元で名の知れたギムナジウムに通う学生であったとのこと。
そして、この少年達の一人というのが、マクシム・R・シャヴァール。
奇しくも、マックス・リシャベールとよく似た名前の持ち主だった。
「ライシガーの故郷で、ライシガーがフェイゼンドやって来たのと同時期に、ライシガーと交流があるかもしれないリシャベールとよく似た名前の少年が死ンだ。
……ここまで来れば、掘り下げないわけにはいかないだろウ?」
「行ったのか?ドイツへ」
「ああ。少し前までなら、自分の足で現地へ赴くことはなかったンだけどネ。
……今回ばかりは、ワタシが自分で行くことにしたンだ」
一瞬苦い表情になるアリス。
過去に部下を二人も失くした経験から、近頃は自らの足で情報収集に出ることが多くなったという。
「現地に到着してからは昔気質のやり方で、靴の底を擦り減らして情報収集に当たったヨ。
被害者の身内、友人、被害者が通っていたたギムナジウムの現役生、引退職員……。一人一人に話聞いて回っタ。
最初はみンな、そンな昔のことは覚えてないとカ、話したくないとかって相手にしてくれなかったンだけどネ。
一人だけ、詳しいこと教えてくれた人がいたンだ」
事件のあったドイツ某所に降り立ったアリスは、ジャーナリストを装って関係者に話を聞いて回った。
だが、忌まわしい記憶を振り返るのが嫌なのか、単純に関心がないだけか、多くの者は口を閉ざすばかりだった。
このままでは収穫ゼロでドイツを後にすることになる。
やはり10年も前の事件を掘り起こすのは、部外者の自分には無理なことなのか。
諦めムードが漂う中、手ぶらでシグリムへ帰るべきか、アリスは一度諦めかけた。
そんな矢先、一人だけ事件の詳しい背景を語ってくれた人物がいた。
当時被害者の少年達と同じギムナジウムへ通っていた、彼らの同期生だ。
「その人は名をティムといって、この被害少年達と同じギムナジウム生だったンだけど……。当時、彼らから執拗ないじめを受けてたらしいンだ。
で、その筆頭だったのが、こいつ。マクシム・R・シャヴァール」
「じゃあ、被害者の少年達は全員、いじめっ子のグループだったってことか?」
「ただのいじめっ子じゃないヨ。テンプレート通りと言っていいくらい、彼らは筋金入りのワルだったそうダ。
生前は恐喝や窃盗で何度も警察の厄介になってたみたいで、遺体の解剖後には隠れて覚醒剤を服用してたことも明らかになったらしイ。
クラスメイトに対するいじめは、あくまでその一端だったちゅうわけサ。
……多分、誰にも認められない、構ってもらえない鬱憤が積もりに積もって、いつしか道を逸れちまったンだろウ。
言っちゃなンだが、今時はよく聞く話サ」
事件の被害少年達は、学校でも自宅でも居場所のない孤独な子供達であった。
成績不良、素行不良、単なるコミュニケーション不足…。
様々な要因により周囲からはみ出してしまった彼らを、周囲もまたどう扱ってよいか手に余していた。
しかしある時。
そんなはみ出し者の彼らを一つに束ねる人物が、他の学校から転校してきた。
それがマクシムだった。
以前在籍していた学校でも札付きの不良として名を馳せていたマクシムは、転校先のギムナジウムでも新たに徒党を組んだ。
メンバーに集められたのは、マクシムと同じ境遇にあった孤立した生徒達。
前述したはみ出し者で、落ちこぼれの烙印を押されて燻っていた少年達だった。
ある時は教師に歯向かい、ある時はクラスメイトに唾を吐き、ある時は年端もいかない下級生にさえ手を上げる。
威圧や恐喝といった横暴な手段で幅を利かせている瞬間だけ、彼らは周囲より優位に立った気分を味わうことができた。
やがて畏怖されるだけでは物足りなくなったマクシムらは、手頃なクラスメイトを捕まえて徹底的にいじめるようになった。
不運にもその対象にされてしまったのが、今回アリスに協力してくれたティムだった。
誰より控えめで大人しい少年だったティムは、不当な暴言や暴力を甘んじて受け入れることしか出来なかった。
周囲の人間もティムが標的にされていることを知りながら、我関せずのスタンスを通した。
下手にマクシムらの不興を買い、自分に矛先が向くのを恐れたからだ。
誰も助けてくれない。守ってくれない。
ギムナジウムを卒業するまでこんな日々が続くのか。
堪え難い苦痛と理不尽の中、絶望したティムは自ら命を絶つことまで考えた。
しかしティムが自殺を実行するより前に、マクシムらのいじめはぴたりと止まった。
ティム並びにマクシムらと同期生だったある少年が、たった一人ティムへのいじめを止めに入ったのだ。
「ティムが言うには、一度仲裁に入ったのをきっかけに、今度はその少年が標的にされちまったらしイ。
その少年は、ティムのようにただ大人しいだけじゃなかったから、マクシム達も気に食わなかったみたいでネ。仲裁に入った件を抜きにしても、いじめの内容は日に日にエスカレートしていったそうダ。
……でも、彼に対するいじめは長くは続かなかっタ」
ティムの時同様、その少年がマクシムらの標的になってからも、周囲は我関せずなままだった。
少年に窮地を救われたティムは、どうにかして自分も少年を助けてやれないかと考えた。
だが、繰り返し恐怖に晒された体は、マクシムらに盾突くことを許さなかった。
自分を救ってくれた少年が、自分を救ったばかりに酷い目に遭っていることを知っていても。
しかし少年に対するいじめは、ティムの時ほど長期には及ばなかった。
何故なら少年は、不当な暴力を受けた仕返しに、マクシムら不良少年達を全員手に掛けてしまったのだ。
「殺した……?理不尽の報復として?」
「詳しい経緯は不明ってことになってるが、現場にはいじめの主犯格四人の死体が転がってただけで、少年の方は軽傷だったそうダ。
多少揉み合う場面はあったンだろうけど、最終的には少年の圧倒的優勢で事が運ンだってことだろウ」
殺害現場となったのは、ギムナジウムの校舎裏。
ここは以前からマクシムらの縄張りで、彼ら以外が寄り付くことはまずない場所だった。
そこでマクシムらはいつものように集団リンチを行い、急に反撃に出た少年に殺された。
殺害方法は刃物による殺傷、及び撲殺。
凶器に使用されたナイフからはマクシムの指紋も検出され、元々はマクシムの私物であったことが明らかになった。
つまりマクシムが脅かす目的で取り出したナイフを、少年が奪って犯行に使ったということだ。
「そのあと、たまたま現場に通り掛かった教員が通報したことで、少年は逮捕されタ。
裁判が始まってからは、ティムや一部の生徒が情状酌量を求めたことで、しばらく正当防衛か過剰防衛って線で進んだらしいガ……。
最終的には、殺害の手口があまりに残忍だったってことで、重い刑罰が課されたそうダ」
裁判の末、少年が課された刑罰は禁固50年。
未成年が起こした事件の割には重い結果となった。
ティムや一部の生徒が懸命に庇い立てしたにも関わらず、少年にこのような判決が下った理由は二つ。
マクシムらへ加えた暴行のやり口が、度を過ぎたものであったこと。
そして、少年が正当防衛を理由にマクシムらを殺害したという決定的な証拠がなかったことだ。
少年がマクシムらに手酷くいじめられていたことは、事件の起きる随分前から周知の事実だった。
だが、事件当日にも少年がいじめ行為を受けている現場は誰も目撃していなかった。
物的証拠や証言があっても、必ずしも少年が正当防衛の末に殺害に至ったとは限らないと判断されたのだ。
「当の少年は特に言い訳をすることもなく、全て自分がやったことと認めて罰を受け入れタ。
残された少年の家族は、町を追い出されるようにして夜逃げ。最後まで少年を庇い続けたティムも、負い目から登校拒否をするようになり、卒業を前にギムナジウムを自主退学することになっタ」
少年の家族は、事件後間もなく国外へ逃亡したとされ、現在の消息は不明。
ドイツに残ったティムは、事件のことで一層塞ぎがちになり、ギムナジウムを自主退学。
以来しばらくは引きこもりのような生活を送っていたが、最近自宅でウェブ関係の仕事を始め、少しずつではあるが立ち直り始めているという。
ここまでのアリスの話を聞いて、ミリィは一つ疑問を覚えた。
「なあ、アリス。最初はヴィクトールと関係があるかもしれないと思って、その事件を調べに行ったんだよな?
リシャベールと似たシャヴァールって少年が被害者ってことは分かったけど……。
肝心のヴィクトールはどこに出てくるんだ?」
ミリィの問いに口をつぐんだアリスは、無言のまま鞄から何かを取り出した。
新聞記事の次に出てきたそれは、一枚の写真だった。
「まさか」
薄々嫌な予感がしていたミリィは、アリスの不審な様子を見てあることを確信した。
「加害少年の名前は、ヘルメス・クラレス。
ギリシャ系の移民で、ギムナジウムでの成績は常にトップだったらしイ」
そう言ってアリスは写真を新聞記事の上に置いた。
写真に写されていたのは、15歳前後のうら若い男女達だった。
数十人に渡る大人数で横三列に並んだ彼らは、カメラに対して一様に真面目な顔を向けている。
その足元には庭のような芝生、バックには校舎のような大きな建物が見える。
どうやらこの一枚は、ある学校の上級生達を撮影した集合写真であるようだ。
「これがマクシム。これがティムで、こっちの彼がヘルメスだ」
アリスが写真に指を指すと、ミリィ、ウルガノ、シャノンは一斉に写真を覗き込んだ。
他のメンバーも、離れた場所から様子を窺っている。
「こいつって────」
写真には、マクシムを含めた被害少年達、ティム、そしてヘルメスの姿がそれぞれ写っていた。
マクシムは、逆立った赤毛に鋭い目付き、がっしりした体格で、いかにも不良といった怖面な見た目をしている。
ティムは、華奢な体つきにブルネットの肌と髪で、大人しい気性を絵に描いたような見た目をしている。
ヘルメスは、ヘーゼルの髪に白い肌で、均整のとれた顔立ちをしている。
こうして見比べてみると、マクシムとティムは人目でキャラクターの分かる風貌をしている。
マクシムが自信に満ち溢れた表情で仁王立ち、ティムがぎこちない笑みを浮かべて肩を竦めている様子を見ても、二人のギムナジウムにおける立場は窺い知れよう。
片やヘルメスは、ただ一人感情を失くしたような無表情で、誰とも寄り添うことなく呆然と立っている。
集団から少し距離を置いて孤立した姿は、まるで誰の目も映らない透明人間か亡霊のようだ。
「今と比べるとかなり差があるけど、顔立ちはそれほど変わってなイ。
……ヘルメス・クラレス。この頃はそんな名前だったが、今の彼はヴィクトール・ライシガーと名乗っていル」
「ってことは────」
「うん。恐らくはこのヘルメスが、ヴィクトールの正体だヨ」
アリスの突き止めたヴィクトールの正体とは、ドイツの某ギムナジウムで起きた殺人事件の加害者。
フェリックスの傘下に加わるまでのヴィクトールは、同じ年頃の少年達を手にかけた殺人犯だったのである。




