Episode45-2:予期せぬ来訪者
11月19日。AM11:14。
長らくゲストルームで眠りに就いていたミリィは、外で遊び回る幼子達の声でようやく目を覚ました。
のっそりと体を起こす動きは酷く重そうで、目の下にはくっきりとした隈が出来ている。
これではまるで死人のような有様だが、それもそのはずだ。
昨夜の手術で輸血が行われたとはいえ、ミリィが失った血は輸血された分を上回るのだから。
「(そうか。オレ、またあいつに迷惑かけたのか)」
何度か瞬きを繰り返すことで、ミリィは自分の置かれた状況を思い出した。
昨日、ブラックモアで二度目の奇襲に遭い、メンバーは総じて深い傷を負った。
後にバシュレー家の別邸まで運ばれた一行は、夜通し医師達による手当てを受けた。
バンの車内で施した応急的なものではなく、救急病院と遜色ない設備のもとでだ。
おかげで、メンバー全員命を落とさずに済んだ。
こうしてミリィがベッドで休むことが出来ているのが、大事に至らなかった証拠だ。
だがミリィは、メンバーの誰も失わなかったことを喜ぶと同時に、悔しさに似た複雑な気持ちだった。
いくら協力関係にあるとはいえ、また親友の元に厄介事を持ち込んでしまった、と。
「(とにかく、いつまでも横になってるわけにはいかねえな)」
一先ず気持ちを切り替えると、ミリィは借り物の寝巻き姿のままゲストルームを出た。
すると、ミリィが扉を開けると同時に、背の高い人影がミリィの前を立ち塞いだ。
既に普段着に着替えたヴァンだ。
どうやら、ミリィが部屋を出ようとしたタイミングに、逆に中へ入ろうとしたところだったらしい。
「────。おはよう」
一瞬驚いて目を丸めてから、ヴァンはミリィに挨拶した。
ミリィも同じく驚いたが、貧血のせいでまともに思考が働かず、しばらく黙ってヴァンを見詰めてしまった。
「お、はよう」
「少しは眠れたか?」
「ああ、うん。まあ」
「そうか。ならいい」
とつとつと喋るミリィに対し、淡々と頷くヴァン。
一見するといつも通りに見える彼だが、その瞳には微かに疲労の色が滲んでいた。
「シャノンが飯の支度をしてくれてるんだが、食えそうか?」
ヴァンの言葉通り、階下のダイニングからは食欲をそそる料理の香りが上っていた。
それに気付いたミリィは、昨日被弾した自分の脇腹を撫でて口ごもった。
「……食欲は、ないけど。
でも、食える時に食っとかねえと、治るモンも治らねえ、よな」
「そうだな。せめて汁物くらいは腹に入れておいた方がいい。
シャノンも心配している」
「だよな。行くわ」
ミリィが頷くと、ヴァンはなにも言わずにミリィに肩を貸し、二人は共に廊下を進んでいった。
だが途中、思うことがあったミリィは歩みを止めずにヴァンに話しかけた。
「お前の方は、大丈夫なのか」
「なにがだ?」
「なにって、傷だよ。
オレを庇ったせいで、何発か撃たれたんだろ。痛まないのか」
至って平然としているヴァンではあるが、その体は無傷なわけではない。
昨日銃撃戦になった折に、彼も2発被弾しているのだ。
それも、ミリィの盾となったせいで。
故にこそミリィは、自分がもっと機敏に動けていればと、直面した当時からずっと責任を感じていた。
「別に大したことない。お前や東間と違って撃ち所も悪くなかった」
「でも───」
「俺は自分の役目を果たしただけだ。お前が負い目を感じる必要はない。もう終わったことだ」
本人も言う通り、ヴァンの仕事はミリィを守ることにある。
しからば、ヴァンがミリィの代わりに撃たれるのは自然なことだ。
そもそも、こういった事態になる可能性を踏まえた上で、ヴァンはミリィのボディーガードになる契約を飲んだのだ。
形式上ではヴァンに文句を言う資格はないし、ミリィが心を痛める謂われでもない。
しかし、それでもミリィは、いざヴァンが自分のために傷付くとなると、自分が痛い方がよほど辛くないと思った。
「そんなつもりじゃねんだけどな……」
息だけで呟いたミリィの独り言は、ヴァンの耳に入ることなく空気に溶けていった。
―――――
二人が階下に降りていくと、ダイニングテーブルにバルドと朔の姿があった。
朔の膝にはゴンが乗っているが、普通のぬいぐるみのように動かないのを見る限り、今は電源が入っていないようだ。
片やバルドは、全身の至る所にガーゼを貼っていた。
トレードマークのスキンヘッドには、普段のターバンに代わって包帯が巻かれている。
ただ、見掛けの割に程度は軽いようで、朔と紅茶を飲む様子は元気そうだった。
「!ミリィ……!」
誰かが階段を降りてくる足音に反応したバルドは、足音の正体がミリィ達であることが分かると思わず席を立った。
同じく反応した朔は、驚いた拍子に飲みかけのカップを倒してしまった。
「ミリィ!?」
直後に慌ててキッチンから出てきたのは、腰エプロンを着けたシャノンだった。
彼は今の今まで調理の真っ最中だったのだが、耳聡くバルドの声を拾ったのだ。
「なかなか起きてこないから心配したぞ」
「ミリィ!具合は!?傷は開いてないかい!?」
心配そうにミリィ達へ駆け寄っていくバルドとシャノン。
ミリィは力無く笑うと、無事を証明するために空いた方の左手を低く挙げてみせた。
「ご覧の通りの体たらくだけどな。お蔭様でなんとか」
そこへ、零した紅茶を律儀に拭き終えた朔が、恐る恐る近寄ってきた。
先に気付いたバルドが行く手を開けると、シャノンも倣って横に移動した。
「ミリィ、起きてだいじょうぶなの……?」
ゴンをきつく胸に抱き、上目遣いでミリィの顔色を窺う朔。
ミリィは今度こそ笑顔を作ると、ヴァンから離れて朔の頭を撫でた。
「もう大丈夫だ。心配かけてごめんな」
朔は力強く首を横に降ると、一気に涙を溢れさせた。
「ごめ、なさい。ミリィ。わたしのせいでいっぱい、酷いこと、……っ」
言いながら朔は、次から次に溢れてくる涙を何度も拭った。
ミリィがヴァンに対して負い目を感じていたように、朔もまたミリィに負い目を感じていたのだ。
こうなったのは決して彼女のせいじゃないが、朔を中心に銃撃戦が広がったのは事実だから。
「君のせいじゃないよ、朔。
君も一所懸命戦ってくれた。怖かったのに、よく頑張ったな」
ミリィが朔を抱きしめると、朔はミリィの傷を気遣いながら、そっと抱きしめ返した。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
涙に濡れた声で、朔は繰り返し謝った。
ただ、ミリィと抱擁を交わしている間も、朔は絶対にゴンを手放そうとしなかった。
「───まだ予断は許さない状況だけど…。
一段落ついたところだし、今いる面子だけでも、とりあえずご飯にしようか」
朔に出番を取られたシャノンは、安堵した様子で肩を竦めると、ミリィにアイコンタクトをした。
「ああ、───」
ミリィはシャノンに謝ろうとして、ぐっと口をつぐんだ。
以前ちょっとした喧嘩になった際、卑下するように謝られるばかりなのは嫌だと、彼に言われたのを思い出したからだ。
「………ありがとう、シュイ」
ミリィが言い直すと、シャノンは満足そうに頷いて踵を返した。
「俺もなにか手伝う」
「おや、本当かい?じゃあ配膳を手伝ってもらおうかな。支度は大体済んでるんだ」
バルドにミリィを預けたヴァンも、シャノンと共にキッチンへ向かった。
残ったバルドは、ミリィと朔をダイニングテーブルまで連れていき、二人を隣同士に座らせた。
席に着いたところで、ミリィはふと気付いたことをバルドに尋ねた。
「そういや、他のメンバーは?てっきり先に来てるもんだと思ったのに」
バルドはミリィの向かいの席に座ると、背後のキッチンの方を一瞥してから答えた。
「ああ、トーリと東間はまだ寝てるよ」
「ウルガノは?」
「二人の側にいる」
「え…。どういうことだ?」
「見張りというか見守りというか…。とにかく二人に付いてるよ。
一応山は越えたとはいえ、いつ容態が急変するとも分からないからな。念のためだとよ」
「同じ部屋にいるのか?」
「ああ。トーリと東間の部屋に、ウルガノが居着いてる」
まだ姿を現さないウルガノ、トーリ、東間の三人については、実は今同じ部屋に集まっていた。
元々はトーリと東間がダブルのゲストルームで同室だったのだが、そこにウルガノも加わったのだ。
彼女自らの申し出で、万一彼らの容態が急変した場合、すぐに対応できるようにと。
ただ、ベッドは二つしかないため、ウルガノは備え付けのソファーで仮眠をとっている。
「バルドさんはわたしと一緒にいてくれたんだよ」
「そうなのか?」
「うん。眠るまでお話してくれて、眠る時も近くで寝てくれたの。ね」
「ねー」
朔が同意を求めると、バルドもそのように返した。
特に怪我は負っていなくとも、朔はまだ子供の上、目下敵に付け狙われている立場。
そこで朔にも控え役を付けることになり、同性のウルガノ以外ではバルドが適任ということになったのだ。
父親の経験があるバルドは子供慣れしているため、朔もすっかり打ち解けた様子だ。
「そっか。ウルガノもバルドも、自分を差し置いてサポートに回ってくれたんだな。
二人だって十分手負いなのに…。ありがとな」
「おう。ただ、サポートしたのは俺とウルガノだけじゃないぜ」
「え?」
意味深な笑みを零すと、バルドはキッチンの方に向けて親指を立てた。
「あいつだって、一晩中お前に付いてたんだぞ。気付かなかったか?」
「全然……。つか、オレが起きた時にはいなかったし」
「あー。多分入れ違いだったんだろ。さっき丁度メリアに呼び出されてたから。
……それまでは、本当にずっと付きっ切りだったんだよ。
碌に食事もとらない、便所にも立たないで、寝ずにお前の番をしてた。
よっぽどお前が心配だったんだろうな」
ミリィ自身は気付いていないが、ミリィの側にはヴァンがずっと控えていた。
シャノンを始めとした他の面子も入れ替わり立ち替わりでミリィの部屋を訪れたが、ヴァンだけは片時もミリィの側を離れなかった。
夜中も早朝も、一切眠らず休憩をせず、トイレに立つこともせずに。
ミリィが目覚めた瞬間にいなかったのは、たまたまメリアに呼び出されていただけで、あの時までは一度も部屋から出ていなかったのだ。
「本人はあまり恩に着せるようなことは言いたくないみたいだが…。
まあ、そういうことだから」
バルドが話し終えると同時に、ヴァンがキッチンから戻ってきた。
その両手には、オムレツとサラダの入った大皿がそれぞれ乗せられている。
「───ん?なんだ。こうやって運んじゃいけないのか?」
ミリィの視線に気付いたヴァンは、自分のやり方に間違いがあるのかと首を傾げた。
バルドは敢えて二人の間には立たず、ヴァンの見当違いな発言に小さく喉を鳴らした。
「………いや。間違ってない」
「そうか。後でなんとかソースと、なんとかドレッシングとかいうのを持ってくるから、まだ手は付けないでくれ」
皿をダイニングテーブルに並べると、ヴァンは次の料理を運ぶためキッチンに戻っていった。
側にいてくれていた礼をヴァンに伝え損ねたミリィは、むず痒そうに頭を掻いた。




