Episode44-3:来る者拒まず、去る者逃がさぬ
「───私の敬愛するフィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホは、死してようやく世間の評価を得た方でした。
……ゴッホだけではない。セザンヌも、あのピカソでさえ、生前より没後になってからの方が、その価値を認められている。
悲しいことに、芸術作品というのは年月を経た方が良いとされがちなのです。
熟したワインが美味であるのと同様にね」
サリヴァンの視線の先、本棚の上段にあるものをミリィも辿ってみた。
そこには、ゴッホを始めとした画家達の伝記等が並んでいた。
「だが私は、尊き先人達の儚き最期まで踏襲したくはない。
私の名が世に轟いていく様を、造詣のない幼子でさえもが当たり前に私の名を口にする世界を、私はこの目で見たいのです。
……だからこそ、私は彼らの掲げた野望に便乗した。
永遠に生きたいなどと途方もないことは言いません。
ただ、自分の造った作品が、100年後どのように姿を変えるのか。
私はそれが見たいだけなんですよ」
サリヴァンがFIRE BIRDプロジェクトに協力している一番の理由。
それは偏に、自分の作品の未来を見てみたいからだった。
いつの日か自分の描いた絵が、自分の名前が、彼の偉人達のように語られることがあるかもしれない。
だが、その日が100年後200年後であったなら、現代を生きる者達は世紀の瞬間に立ち会えない。
則ち、これ以上ない名誉と栄光を、当の本人は賜ることができないのだ。
だからこそサリヴァンは、寿命というリミットから解放される力を望んだ。
自分の作品が、いかにして人々の記憶に刻まれていくか。
後に生まれる者達に、どのようにして語り継がれていくのか。
その経緯を、歴史を、直に己が目で確かめるために。
「───なるほど。貴方の目的はよく分かりました。
ただ、一つ腑に落ちないことがあります」
「なんです?」
「先程、犯罪者になるならそれはそれで構わない、と仰いましたよね?
矛盾していませんか?自分の作品の未来が知りたいというなら、芸術家生命を守るためにも、出来るだけアクシデントは避けたいと思うはずでしょう。
なのに何故、貴方はちぐはぐな破滅願望のようなことを?」
サリヴァンは一度深呼吸をすると、再びミリィ達の方に向き直った。
「そうですね。私が一番に理想とするのは、先程も言った通り、この目で己が未来を確かめることにあります。
……ですが、彼らの野望が成就するまで、と待っていられる時間は、生憎と長くないんですよ」
「……?どういうことですか?」
ふと視線を下げたサリヴァンは、自らの胸元に掌を当てた。
「今、私の体には癌が巣くっています。胃癌です。
これは4年前に摘出した膵臓癌から転移したものでね。
今のところ治療は投薬と放射線だけで済んでいますが、どれも快方に向かうまでの効果は期待されていません」
「……手術は」
「しましたよ。一度目はね。
ただ、元来私は心臓が丈夫でなくてね。前回の膵臓癌を摘出した際に、医者に言われたんですよ。
今後転移するようなことがあれば、二度目の手術は難しいと。
……おまけに、今はこの歳です。
いくら人に若いと言われても、中身は相応に老いが進んでいる。
どの道、何度も体を開くことはできないんですよ。残念ながら」
サリヴァンの胃から癌が検出されたのは、今から半年程前のこと。
この胃癌は、四年前に摘出された膵臓癌から転移したものであるとされている。
しかし、前回の膵臓癌は手術によって取り除けたものの、今回の胃癌ではそれが出来そうにないという。
元来、サリヴァンは心臓が弱く、幼少期から制限された暮らしを送ってきた。
画家を志すようになったのも、外で遊べない代わりに絵を描く機会が多かったことがきっかけだった。
加えて、現在のサリヴァンは老体の身。
いくら見た目が若々しいとはいえ、体力や筋力は歳相応に衰えてきている。
つまり、切除するのが確実と分かってはいても、サリヴァンの脆弱な体はもう大きな手術を行うことができないのだ。
「だったら、どうせ死ぬ命、どう果てようとも構わないと?」
「その言い方は、半分正解で半分違います。
どうなろうと構わないのではなく、いずれ来たる最期を待つだけの身であるなら、いっそ大罪人として裁かれた方が面白く死ねるんじゃないかと思ったんですよ。
著名な芸術家の正体が無慈悲なサイコパスであったと知れれば、下手に清廉であるより箔が付きそうですしね」
100年後の未来を生きたい、などと口では言いながら、同時に破滅願望も抱えているらしいサリヴァン。
だが、彼のこれは自暴自棄ではなく、言うなれば保険のようなものだった。
全身に病魔が巣くう前にプロジェクトが完遂したなら、出来上がったワクチンを使って寿命を延ばすことができる。
反面、プロジェクトが完遂する前に病魔に飲み込まれたなら、サリヴァンはただの画家として生涯を終えることになる。
後に人気が語り継がれることはあれど、本人の敬愛するゴッホには到底及ばない有象無象の一人として。
故にサリヴァンは、後者の道しか自分には残されていないのなら、せめて鮮烈な最期を遂げたいと思っていた。
"人気の画家"や"有名な芸術家"、ましてや"父の七光り"として家名を響かせるくらいなら、
"悪党"や"罪人"の二つ名を個人的に刻まれて死んだ方が、まだマシだと。
その方が、何年先の未来でも、自分が一時代の寵児であったことを、世界が覚えていてくれるはずだと。
「……気持ちは分からないでもないですが、だからといって罪のない人々を肥やしにしていい理由にはならない。
自分の力で成し遂げたならともかく、意図して作られた伝説に意味があるとは思えません」
「意味ですか。いつの時代も若人が口にする台詞は青いですね」
病気が彼を変えたのか、元々そういう性格なだけなのか。
終始淡々と話し続けるサリヴァンは、まるで感情を持ち合わせていないかのようだった。
「あなたのイメージする芸術家の在り方がどうであるかは知りません。が、現実なんてこんなもんです。
どれだけ大層な夢を掲げていようが、作品が売れないことにはどうにもならない。
我々は皆、承認欲求の奴隷のようにして生きている。
認められない限り、評価されない限り、我々の渇きは決して癒えることはない」
「それは……」
「インターネットというツールが根付いた現代では、誰しも自由に自作を披露するチャンスがある。
紙に一から絵の具を乗せ、画廊まで売り込みに行かなければ埃を被っていた昔とは違う。
……しかし、だからこそ、見てもらえるだけでいいなんて殊勝な姿勢でやっているやつは、もう殆どいない。
今時、ネームバリューにこだわらない作家なんて、生き残れないんですよ」
サリヴァンの作品は、既に世界から評価されている。
その地位は今や、近代美術を代表する画家の一角だ。
けれど、そんなサリヴァンにも越えられない壁があった。
それが、実の父サリヴァン・ブラックモア。
彼の息子として生まれた時点から、Jrであるサリヴァンはサラブレッドとして扱われる運命にあった。
いかに努力しようと、高く評価されようとも、最後には"あの人の息子だから"という偏見で帰結する。
Jrとして名を継承した以上、サリヴァンの人生には、死ぬまで父の栄光が付き纏うのだ。
こうしてサリヴァンは、誰より承認欲求が強く、自己肯定感の低い芸術家になってしまった。
そしてこのコンプレックスは、"父を知らない者達"による評価を得ることで、初めて消化される。
平たく言うと、父の知名度が落ちた未来の世界でしか、自分の真価は発揮されない。
と、本人は思っている。
「………少し、喋り過ぎましたね。
普段黙っていることの方が多いものですから、なんだか疲れました。
勝手で申し訳ないですが、そろそろ終いにしてもらっていいですか?」
語り終えると、サリヴァンは本当に疲れた様子で、組んだ足を下ろした。
ミリィは、そんなサリヴァンの姿を見て、こんなことを思った。
抑揚なく己が思想を説く姿は、サリヴァンの狂気の一端を感じさせるものだった。
だが同時に、父親の存在に縛られた彼の生き方は痛々しくもあり、どこか自分と通ずる部分があった気がすると。




