Episode41-7:ヴァン・カレン
「ご機嫌いかがかな?伝説の殺し屋さん。王子様が、お前をさらいに来たよ」
その青年に出会ったのは、俺の名がヴァン・カレンとして界隈に轟き始めた頃だった。
「オレの名前は、ミレイシャ・コールマン。ミリィでいいよ。
歳は22。お前を探してここまで来たんだ、よろしくな」
血のような赤い髪に鷹のような目。
羚のような手足に野犬のような声。
見るからに普通ではなさそうな出で立ちをした彼は、そう言って俺を再び世に解き放った。
彼の罪人島に収容され、いずれ来たる極刑の瞬間を待ちながら過ごした五日間。
そのたった数日で起きた出来事は、これまでの俺の数十年を一瞬で覆すほどの天変地異だった。
「君のように、考え方はシビアだけれど、心を失っていない人がオレは好きだよ。本当さ」
青年は言った。俺が必要だと。
俺を檻から出すために、大枚を叩いてここまで迎えに来たのだと。
職業上、金で俺を買う輩は大勢いた。
だが、あんなに真っ直ぐな目で、はっきりと"俺"を欲しいと言った人間は、青年が初めてだった。
「オレに力を貸してよ、ヴァン。
オレには君が必要だ」
最初は打算なんだと思った。
腕の立つボディーガードが欲しいと本人が言ったのだから、それ以上でも以下でもない意味で俺を側に置きたいだけなんだと思った。
だから俺も、最初は打算で青年に付いていこうと思った。
小回りの利く盾が欲しいだけなら、こちらもそれに徹するのみ。
あくまで道具として俺を扱う気なら、俺もこいつを命綱代わりに利用するだけだと。
「───なあヴァン。銃の扱いもそうだけど、体術の方も相当なんだろ?
今後はなにが起きるかわかんねーし…。良かったらさ、オレにもやり方教えてくんね?
喧嘩は昔よくしたけど、やっぱ我流じゃ限界あるんだよ。
だからここは、プロの視点からも一つ。どう?」
だが、実際は違った。
明くる日も明くる日も、青年は俺に話し掛け、俺の名を呼び続けた。
時に友人を呼ぶように、飼い犬を愛でるように、一蓮托生の相棒に誓うように。
飽きもせず、何度も俺の名を呼んだ。
俺が自分で付けた適当な偽名を、さも本物の両親が名付けたもののように尊げに呼んだ。
「うげー。これピクルス入ってんじゃーん。オレあんま得意じゃないんだよなー。
……なあヴァン。代わりに食ってくれない?オレもお前の嫌いなやつ食ってやるからさ!
………ちぇー、やっぱそうか。なんでも食えるなら交換ってことになんねーな。
やっぱ自分で食うわ」
青年は俺を道具として扱わなかった。
ああしろこうしろと命ずるだけでなく、それに対する俺のリアクションに逐一耳を傾けていた。
並んで街を歩く時も、向かい合って飯を食う時も。
常に俺と同じ目線で話し、俺の歩幅に合わせ、俺の感情を測ろうと目を光らせていた。
却ってこちらが困惑させられるほどに。
「おらもっと背筋伸ばして!下を向かない!
……うん。やっぱお前はブラウンのスーツが一番似合うな。
じゃあシャツはこの色にして、ネクタイはー…。
…………。そんなこと言うなよ。せっかくお前もって誘ってくれたんだからさ。
ジョブキラーである前に、お前はオレの友人なんだ。
パーティーもダンスも、堂々と胸張って楽しめばいいんだよ」
俺を気に入ってくれ、かつ俺の存在を厄介がらないでくれた人は、今までに一人しかいなかった。
初めて俺に声をかけてくれたのが、笑顔を向けてくれたのが、フラウだった。
しかし、同じように見えて、青年とフラウはどこか違うようだと俺は思った。
似た笑顔でも、共通する言葉を紡いでも、青年のそれとフラウのそれでは意味が異なる気がした。
どうしてそう感じたのか、当初は分からなかった。
ただ、双方の違いに気付いた時。
何故フラウの時のように、青年のこともさっさと見捨てて逃げてしまわないのか、自分の不可思議な行動にも合点がいった。
「ボディーガードとして付き従えと最初に言った手前、今更矛盾したこと言うなって思うかもしれねえけど。
オレは、銃を持たないお前も、強くないお前でも、普通に好きだよ。人間としてな。
だからお前も、死んでもオレを守ろうなんて思うな。
自分がいなくても代わりはいると思うな。
お前が思ってる以上に、オレ達みんな、お前を大事に思ってんだからな。
急に死んだりしたら、悲しいだろ。普通に」
青年の笑顔には優しさがあり、言葉には心が伴っていた。
そこがフラウとは異なる点だった。
生まれて初めて、俺を俺として必要としてくれた人。
有能なジョブキラーだからではなく、従順な子分だからでもなく。
一人の人間として直に触れてくれた人。
たとえ身一つでも充分な話し相手になると、武器のない俺さえもを当たり前に受け入れてくれた人。
人間性に欠いた俺の人柄こそを、俺の最も美しい点だと言ってくれた人。
「ヴァン。
オレ、ちゃんと正しいこと、出来てるのかな」
一度は命を落としかけた身。
審判の時が先延ばしになることはあれど、どのみち俺の最期が悲惨であるのは間違いない。
たくさんの命を踏みにじった俺には、相応の死で自分の命を終える義務がある。
なれば、紙切れ同然のこの命、燃え尽きるまで彼に費やしてもいいだろうか。
どうせいつかは死ぬなら、せめて最期に一人くらい、俺の手で守る存在を作ってもいいだろうか。
その存在はお前だと言ったら、彼は困るだろうか。
「ヴァン。ちょっといいかな。
……余計なお世話かとも思ったんだけど、昨夜からあまり食事に手を付けてないよね?どこか具合でも悪いの?
………そう。なら良いけど、なにかあったら我慢しないで言ってよ。
君の体はもう君一人だけのものじゃないんだからさ」
「おはようございます、ヴァン。お早いお目覚めですね。
……ええ。ウォーミングアップに、軽いストレッチを。そちらは?
………そうですか。お互い、もう身一つで動ける立場じゃありませんし、考えることは一緒ですね。
今後とも、気を引き締めていきましょう」
一人、また一人。
青年に続くようにして、気安く俺に触れてくる稀有な人々。
見返りを求めず愛想を尽かさず、朝におはようと、夜におやすみと声をかけてくる者達。
ピンチには背中を預け合い、傷付けば背中を摩り合う。
全ての感情を共有し、時に分け合って肩を並べる盟友達。
仲間なんて、俺にはもうできないと思っていたのに。
俺を輪に入れてくれる物好きなど、フラウ以外にはいないと思っていたのに。
自分のペースを狂わせる存在など、やっぱりいない方が気楽でいいと思っていたのに。
「わ!びっくりした。いたなら声かけてよ。
……おれは…、別に。どうもしないよ。なんとなく、外の空気吸いたくなっただけ。
……なんで隣に来るの?大丈夫だってば。後でちゃんと戻るから。
……はあ。ま、アンタうるさくないし、別にいいけど」
「お、ヴァン!いいところで会ったな。これから呼びに行こうと思ってたんだ。
……おう。さっきルームサービスで頼んだんだ。一緒にどうだ?
……そう固いことを言うなよ。お前も、あいつらの前じゃ飲むに飲めないんだろ?
たまには大人の男同士、気楽に晩酌といこうや」
そうか。
仲間って、こういうものなのか。
知らなかった。
その言葉の本当の意味を。
変わるという意味の本質を。
誰かと共にする食事が、いかに楽しいかを。
誰かと共に目覚める瞬間が、いかに愛おしいかを。
誰かに好いてもらえる喜びを。
やっと知った。
やっと分かった。
人間とは何のために生きるのか。
俺にとっての幸せとはなんであるのか。
単に行動を共にするだけでは足りない。
喜び悲しみ、痛み慈しみさえもを共にすることで、ただの群れに過ぎなかった集団は初めて仲間となるのだ。
教えてくれたのは、出会って間もない継ぎ接ぎだらけのチームだった。
「白髪のおじさん、ミリィのともだちなんでしょ?
……ミリィ、みんなと仲良しに見えて、たまにすごく寂しそうな顔する時あるから。
だから、そういう時はおじさんも、ミリィと一緒にいてあげてね」
過去は消えない。
けれど、未来は作っていける。
必要とあらば、俺はまた人を殺すだろう。
だが、もう自分のための殺生はしない。
自分が生きるための殺しはしない。
彼が好きだと言ってくれた自分を、これ以上おとしめるような真似は、もうしたくない。
「おいヴァン!
早くしろよ、置いてくぞ!」
これからは、あいつを、みんなを支えるために、この力を使いたい。
罰が下れば受ける。
いつぞやの復讐者が立ちはだかるなら、逃げも隠れもしない。
だからいつか、みんなが俺を必要としなくなるまで。
俺の体が、報いを受けて灰になるまで。
それまでの間、彼らと共に過ごしたいと願うことを、どうか許してほしい。
『Love the life you live. Live the life you love』




