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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
259/326

Episode41-6:ヴァン・カレン



例の件があってから五日後の夜。

俺は密かにフラウの元を去った。


行く当てはなかった。

記憶も戻っていなかった。

新天地でやりたいことも、なりたい自分にも特に見当がなかった。


ただ、これ以上あいつの側にはいられないと、いてはいけないと思った。

だから離反した。


あいつの行いを本気で抑止しようと思うならば、恐らく刺し違えるほどの覚悟が必要となる。


いや、実際に息の根を止めない限り、あいつは際限なく人を、子供を殺し続けるだろう。


とどのつまり、俺はその現実と向き合うことから逃げたのだ。


フラウの思想に賛同は出来ず、かといって殺してでも止めようという勇気もない。


ならば、二度と相見えぬよう、袂を分かってそれぞれの道を行くしかないと。


客観的に見ると酷く無責任な選択だが、あの時の俺はとにかく、二度と子供が殺される様を見たくなかったのだ。


そのためなら、根本的な解決にならずとも、悪質な傍観者のレッテルを貼られようとも構わないほどに。




「頼まれてたパスポートと免許証、持ってきてやったぜ」


「ああ。代金はこれで足りるか」


「……おう。ちゃんと"本物"の紙幣だな。まいどあり。

にしてもお前さん、まだ若いだろうに。

こんなもん使わねえと飛行機にも乗れねえなんて、一体どんな悪さやらかしたんだ?」


「関係ないだろ。途上国にはよくあることだ。

一応はそれで飯を食ってるなら、無駄口利いてないでさっさと巣に戻れ」


「ははは。手厳しいねえ。

ま、お前らみたいなのがいるおかげで、俺らの商売も成り立ってるわけだからな。

今の無礼は水に流してやるよ」




生まれは不明、育ちはスラム。

これまでに生業としてきた仕事は人殺しの代行。


通常であれば、こんな怪しさ全開の輩は海を渡るどころか、国境を越えることさえ許されないだろう。


だが、それはあくまで"通常"であればの話。

フラウから身分詐称のノウハウを仕込まれていた俺には、国境などあってないようなものだった。



偽造パスポート、偽造国際免許証の入手。

外国語の習得、嘘八百の経歴とプロフィールの裏付け。


時に闇市で買収し、時に一から創作したそれらは俺の一部となり、俺の人権を保証してくれた。


全ては、フラウの教えあってこそ。

フラウの教育を受けていなければ、そも俺はあの街から出ることさえ出来なかったかもしれない。



フラウの支配下から逃れるため、フラウの教えに従って立ち回る。


よくよく考えると矛盾している気もするが、そのことに気付いたのは随分後になってからのことだった。




「報酬は言い値で払おう。やってくれるか?」


「報酬の前に、まず相手とあんたの関係を詳しく教えろ。

引き受けるかどうかはそれから決める」




スーダン、トルコ、パキスタン、インド、タイ、北京、ブラジル、メキシコ、アメリカ……。


これまでに渡り歩いた国家は数知れず、気まぐれに試した日雇いの種類は三桁にも上った。


しかし、一度(ひとたび)手持ちが底を付けば、すぐに安易な手段に手を出した。


どれほどの激務も、阿漕な商売も、対価にすれば人一人分の命には遠く及ばない。


要するに、一日汗水垂らして働くより、一時間で他人を殺した方が合理的に稼げるということだ。




『な、なあ。あんた、――――に頼まれたんだろ?

聞かなくても分かるよ。俺をここまで怨んでるやつなんざあいつしかいねえ。

……いくら貰ったんだか知らねえが、俺がその倍の額をあんたに払うよ。

だから、逆にあいつを殺してくれよ。

俺は命を拾い、あんたは予定していた以上の金を手にする。悪くない話だろ?

あんたのことは誰にも言わない。今日あったこともなかったことにする。

だから、……ッた、頼むから、命だけは───』




その日の晩飯を食うために人を殺し、銃弾を補填するために人を殺し、返り血を濯ぐために人を殺す。


特別な事情も、ドラマチックな経緯もなにもない。


ただ、最も簡単な仕事だから殺す。

なんてことはない日々の足しにするため、金に換えるために人を殺す。


明日また人を殺すため、今日も人を殺す。

それだけの行為。それだけの殺生だ。


相手の尊厳など知らない。

ジョブキラーを差し向けるほどの恨みとはいかほどのものか、そんなものは考えるまでもない。

考える必要性を感じない。


確かなのは、俺の空腹を満たすため、俺の垢を落とすために、目の前にいるそいつは死ぬのだということだけ。




「悪いが、その相談は聞いてやれない。

あいにくと俺は、一日に一人しか殺さないと決めている」




そうして血みどろな日々を費やしていくうちに、ふと思った。


何故、自分はここにいるのか。

こんなことをしているのかと。



そもそもの発端は、フラウという男から離れたくて独り立ちしたことから始まった。


外国へ渡ったのも名前を変えたのも、今までとは違う生き方をしてみたかったから。


フラウの側を離れさえすれば、俺も毒気が抜けて、治安のいい街に馴染めると思っていたからだ。



なのに、どうしてだ。


どうして、気付いたら俺の手はグリップを握っている。

頸動脈を絞めている。


あれほどフラウの在り方を否定していたくせに、何故今の俺は、あいつと同じことをしているのだ。




『どうして…っ。どうして僕がこんな死に方しなきゃならないんだ!』


『なにも知らないくせに、金を渡されたからって俺を殺すのか…?

それでも貴様は人間か!』


『こんなことしても、あんたは一生幸せにはなれないぞ。

今まで、何人殺したのか知らないが。

いつか必ず、殺した分だけ報いを受けることになる』




労せず手に入れた金は、ステーキに換えても女に換えても味気がなく。

たどり着いた安住の地は、銃声が聞こえなくなった代わりに、俺の名を呼んでくれる者もない。


誰にも関心を持たれていないはずなのに、常に誰かに見張られている気がする。

誰の足音がなくとも、常に銃が手元にないと心許ない。


どこへ移っても、どんなに良いベッドで寝ても、悪夢に登場するのはかつて殺めた者達ばかり。

いかに難を逃れようと、屁理屈をこねようと、この身に染み付いた死臭は未来永劫消えることはない。



これのどこが変化だというのか。

新しい自分だというのか。


結局俺は、散々偽善を並べておいて、変われていない。

変わろうとしていない。


既に汚れているから、今更善人ぶったところで無意味だと。

程度の低い言い訳を繰り返すばかりで、善人になろうと努力さえしていないじゃないか。




『『『人殺し』』』






なにも変わらない。俺もお前も。


フラウの言っていた通りだ。

俺のやっていることは、ただの人殺し。

俺という人間は、ただの殺しの道具だ。


必要とされていると都合よく解釈していた。

俺にしか出来ない仕事をしているんだと思っていた。

俺が悪役になることで救われる人間もいるはずと思い込んでいた。


本当は、なにもかも全て虚無だ。

必要とされているのは俺の技能であって俺じゃない。

誰にでも出来ることを偉そうに振りかざしていただけで、演じるまでもなく俺は悪人だ。




「そう。二階建ての、グレーの外壁の一軒家だ。

やり方は任せるが、くれぐれも怨恨による殺害とは悟られないように。

あくまで突発的な、間抜けな強盗がミスを犯して殺人に至った風に装ってくれ」




一度でいいから、誰かに心から求められてみたかった。


ジョブキラーとしての俺じゃなく、一個人としての俺を愛してくれる手を、握り返してみたかった。



なんと愚かな。

なんと残酷な。


これほどに血生臭い男を誰が愛そうか。

誰が触れようか。


あの日道端で目覚めた時には、既に俺は死神だった。

いつか記憶が戻る日が来ても、もうこの身は人には戻れないだろう。




「角地にある、SUMMERSKILL(サマーズキル)というバーで落ち合うんだな?

………分かった。じゃあ先に行って待ってる」






罪人島。

世界指折りの重犯罪者のみが収容される監獄島。

人ならざる者どもが、せめて最期に人として葬られる場所。


そこへ送られたことは、ある意味俺にとって救いだったのかもしれない。




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