Episode41-5:ヴァン・カレン
「───あんたは、それを承知の上で、あんなことを繰り返していたのか。
その末路を知っていながら、仕事と称して子供を殺していたのか」
とうとう我慢のいかなくなった俺は、大股でフラウの元まで近付き、フラウの胸倉を掴んで立ち上がらせた。
しかしフラウは、俺が手を出しても顔色一つ変えず、ただじっと俺の目を見つめ返した。
「……なにをそんなにカッカしてる?今更な話だろ。
お前だって、順調に俺と同じ道を来てるじゃないか。
やり口は違えど、やってることは一緒だ」
「やってることは一緒でも、俺は女子供を殺したことはない。この先もない。
お前のように、幼子の命を虫のように扱う真似は、俺はしない」
出来るだけ声量を抑えながら、俺は燻っていた不満をフラウにぶつけた。
するとフラウは、胸倉を掴む俺の手をきつく握り締め、凶悪な笑みを携えながら俺の顔を覗き込んだ。
「俺はしない?お前と俺は違う?
笑わせないでくれよ。命の重さに子供も大人もないと言っただろ」
「だとしても、なんの罪もない少年を、」
「罪があるか否かとは誰が決める?お前か?俺か?依頼主か?
女子供を相手にしないだけで、お前はこれまでに幾人もの命を奪ってきた。
その幾人の中に、本物の"悪党"とやらは果たして何人いたんだ?」
食い気味にまくし立てながら、フラウは一層笑みを深くして俺を睨んだ。
「なにも違わないんだよ。俺もお前も。
他人の価値を決定する権利なんて、人間誰にもないんだからよ」
そう言ってフラウは、力付くで俺の手を振りほどいた。
勢いあまって体勢を崩した俺は、一歩二歩と後ずさりなから、頭の中で先程のフラウの台詞を反芻した。
確かに、俺はこれまでに何人も殺してきた。
太った男、痩せた男、醜い男端正な男。
あらゆる大人の男達をこの手にかけてきた。
だが、女と子供は差し出されても、どれほどの対価を約束されても、決して手を出さなかった。
人殺しなどという卑劣な行いを生業とする中で、せめてもの慈悲として貫いてきたのがそれだった。
そうすることで、俺は俺の、せめてもの尊厳を保ってきたつもりだった。
大人と子供。男と女。
どちらがより弱い存在であるかと聞けば、殆どの者が後者と答えるだろう。
だから俺は、大人の男しか殺さなかった。
なにかの妨げになったり迷惑になったり、あんなやつ殺されても構わないと人に囁かれていた輩だけを、ターゲットとして認めていた。
だがこれは、思えば"こちら側"の尺度であり、あくまで俺の物差しに過ぎない見識だった。
行きずりに執拗に迫る物乞いも、商売人の邪魔をして憂さを晴ら野次馬も。
他者を蹴落とすことで自らが成り上がろうとする野心家も。
一般に好まれはしないだけで、悪党と呼ぶには粗末な連中だった。
それを俺は、いてもいなくてもいい存在と勝手に決め付け、殺せと示す指に疑いを持たなかった。
なにか、事情があっただけかもしれないのに。
本心ではこんなことしたくないと思っていたかもしれないのに。
彼らにも、女や子供がいたかもしれないのに。
いつの間にか俺は、他人の都合など考慮しなくなっていたのだ。
一歩違えていれば、あの庭で終わっていたのは俺だったかもしれない。
そんな当たり前のことさえ忘れてしまうほどに。
「……生きた年月のみで言うなら、年若い方が優遇されるのは自然なことだ。
生まれたての赤子と往生した老体、どちらかを犠牲にしろと迫れば、多くは後者を選ぶだろう。
だがそれは、所詮本人以外の意思だ。
たとえ人質があろうと、条件を付けられようと、進んで死にたがるやつなんていやしない」
途中から芝居がかった調子で、尚もフラウは喋り続けた。
「"俺はもう十分に生きた。なればこの命と引き換えに未来ある若者を生かそう"
……なんて。口では殊勝な台詞が言えても、本心じゃ納得なんかしちゃいない。
代わりに他人が死ぬならその方がいい。誰に疎まれようと憎まれようと、自分が助かる道があるならそちらに手を伸ばしたいと思う。
それが人間。そんなもんが人間だ。
分かったか?―――。お前のやってることはちっとも崇高なんかじゃない。
生への執着は子供より大人の方が強いんだよ。
つまりお前は、強く生きたいと願う生き物にこそ銃口を向けていたのさ。
どれだけ長く生きようと、理不尽な死に恐怖しない人間などいるものかよ」
言葉尻に乱れた衿元を正すと、フラウは残っていたミルクを一気に飲み干した。
俺は、フラウの言い分に返す言葉がなくなり、ただその場に立ち尽くす他なかった。
あの中に、悪党と呼べる者は何人いたか。
端からこの男は、正義や悪といった定義には焦点を当てていなかったのだ。
単純に殺しが好きだからそうするのではない。
自分が生きるために必要な手段だから、そうしているだけ。
それは最早悪ではなく、恐らく罪でもないのだろう。
彼がああしてミルクを飲み干した間にも、俺がこうしてぼんやりしている間にも。
きっと別の地域では、誰かが絶えず死んでいる。
フラウの手で殺されるよりずっと惨たらしく、死して利益が発生するよりもっと不毛な形で、なんの意味もなくただ戦火に巻き込まれて命を落としている者が、どこかにいる。
結局、何故死ぬかではなく、どう死ぬかの世界だったのだ。
ただ俺が、覚悟も信念もなかっただけ。
まだどこかで自分は正常だと、せめてもの善性を残した人間だと、思っていたかっただけ。
もうとっくに自分はまともでないことを、認めたくなかっただけだ。
「───じゃあ、どうして、あの時俺を拾ったんだ。
手をかける必要はなくとも、世話してやる義理もなかったのに。
何故あんたは、俺をここまで生かしてきた」
しばらくぶりに口を開くと、出てきた声は存外掠れていた。
フラウはこちらに目をやると、ふいに優しい顔をして微笑んだ。
「お前が、求めるような目で俺を見たからさ。
今にも死にそうな面で、唯一動かせる目玉だけを俺に向けた。
だから助けてやった。今際に救われた恩ってのは、そいつの一生を縛るものだからな。
頼られた分だけ、必要とされた分だけ、俺は金よりもっと融通の利かないものを相手から搾取する。
常にイニシアチブを握ってるってのはいいもんだ」
俺を無償で世話したのも、金持ち共から無茶な仕事を引き受けてやるのも。
全ては、金銭よりもっと厄介で、価値のあるものを手に入れるため。
精神的、社会的優位性をとることで、誰も自分に歯向かえないようにするため。
要するに、俺がフラウの子分にしてもらえたのは、フラウの子分になるためだったということだ。
命を救った相手というのは、誰しも絶対的に逆らえないものだから。
「……けど、お前を大事に思ってるのも本心なんだぜ?
お前以外にあんなことさせてるやつはいないし、お前を殺せと言われたら、俺はお前を殺せと言ったやつを殺すよ」
不気味な笑みを浮かべながら、フラウは少しずつ俺に歩み寄ってきた。
俺は自然と後退りしていき、やがて壁に背がついた。
「俺が一度でもお前に手を上げたことがあったか?役立たずと罵ったことがあったか?
なあ、本当は分かってるんだろ?俺が本当は優しい男だって」
あと一歩で触れられる距離まで近付くと、フラウはぎょろりと目を見開いて俺を見た。
その瞬間、いつもの上斜視が正常な位置に並んで、瞳の奥に俺の驚いた顔を映し出した。
「お前は俺に恩がある。俺はお前を弟のように思ってる。
他人は殺すが、俺とお前は互いを殺さない。
それでいいじゃないか。どこの誰が死のうと、俺達が死なない限り、俺達の世界は無事なんだからさ」
厳密に言うと、恐らくフラウは破綻者なのではない。
徹底した排他主義。
誰しも必ず持つ利己的な考えを究極に至らせたもの。
どれほどの悪人も、どれだけの悲惨も、自分に矛先が向かなければ構わない。
そんな偏った思想が凝固して手足の生えたものが、フラウという男なのだ。
ようやく分かった。
こいつの在り方も、俺の立ち位置も。
俺はフラウに逆らえない。
無慈悲に子供を殺す様を目の当たりにしても、俺がこいつに救われた事実は消えない。
だから、俺はフラウを殺せないし、フラウの完成された価値観を改めさせることもできない。
俺には永遠に、こいつを変えることはできないのだろう。
だが。
フラウの的を射た思惑の中で、一つだけ誤っているものがあった。
逆らえずとも、この先もずっと侍ってやる気もない。
育ててもらった感謝はあれど、やはり先の行いは俺の範疇を越えている。
つまり、俺はもうあんたを"師"と仰げない。
あんたがその名で俺を呼ぶのは、これきり最後ということだ。




