Episode41-3:ヴァン・カレン
「フラ、ウ」
「こっちはもう済んだってのに、仕事の早いお前からはなんの音沙汰も無しだからよ。
なにかトラブルでもあったのかと心配したぜ」
いつもの調子で飄々と現れたフラウは、バキバキと首の骨を鳴らしながらこちらに近付いてきた。
どうやら、あちらの方はもう片付いたようだった。
俺が三人、フラウが二人担当であったこともあるが、俺が10分以内に仕留められなかったことなどこれが初めてだった。
「……で?どうしたんだよ。
10分前までの威勢はどこへいった?お前らしくない」
なんてことはなさそうに肩を叩いてきたフラウに、俺は強烈な違和感と不安感を覚えた。
「どう、もこうも…。
ターゲットの姿が見えないから、仕事をしようにも始められなかったんだ」
急に渇き始めた喉で事情を説明すると、フラウは浅く怪訝な笑みを零した。
「お前、本当にどうしちまったんだよ。
ターゲットなら目の前にいるだろ。なあ?」
そう言ってフラウは青シャツの少年に歩み寄り、少年に向かって声を掛けた。
突然不可解な言葉をかけられた少年は、困った様子で俺とフラウの顔を見比べた。
その光景を目の当たりにした瞬間、俺は指先から全身が凍り付いていくような感覚を覚えた。
「……本気で言ってるのか?まだほんの子供だぞ」
「だからどうした?命の重さに大人も子供もない。
まして自分の勘定もできない輩など、重さ自体あってないようなものだ。違うか?」
何故、もっと疑問を持たなかったのだろう。
事前に段取りを相談した時に、納得がいくまで言及しなかったのだろう。
ターゲットの背丈を聞いた時点で、もしや相手は子供なのではないかと、うっすら感じていたのに。
何故、たまたま小柄なのが揃っただけかと、よく考えもせず解釈してしまったのだろう。
俺には前例がなくとも、フラウもそうであるとは限らないのに。
何故、フラウも子供は殺さないものと、楽観していたのだろう。
いつから俺は、自分に都合の良い部分しか、見えなくなっていたんだろう。
「……嫌な予感的中」
絶句した俺を見て何かを察したらしいフラウは、再び少年に向き合った。
「なあオマエ。いいこと教えてやろうか?」
「いいこと…?どんな?」
「お前のためになるいいことだよ。知りたいだろ?」
「……でも、おれ交換できるものとかなにも、」
「対価ならもう持ってるだろ?
ほら、いいから耳貸しな」
急に突拍子もないことを言い出したフラウは、その場にしゃがみ込んで少年に手招きした。
少年は不思議そうにしながらも、芝に手を付いてフラウの口元に耳を寄せていった。
「……おい、フラウ。やっぱり───」
お前の間違いなんじゃないのか。
そう俺が言いかけた刹那、フラウの両腕が少年の細い首に回った。
直後、こちらを向いていた少年の顔が、なにかが外れるような音と共に勢いよく後ろへ捻れた。
「"ここの主人は猛獣を飼ってるから気を付けな"
……って、遅れてくる友達にも伝えとけ」
最後に少年の耳元で囁くと、フラウは抱えていた少年の頭を離してやった。
支えを失った少年は、途端に芝の上に倒れ込んだ。
フラウの上斜視よりも更に上向いた瞳の奥に、空虚な闇を宿して。
「あ、」
反射的にまた息が詰まった俺は、緩やかに立ち上がるフラウをただ見ているしかできなかった。
今自分の目の前でなにが起きたのか、なにが行われたのか。
本能的にはすぐに理解したのに、痺れた脳は手足に動けと命令を出さなかった。
いや、出せなかった。
一瞬で呼吸の仕方を忘れるほど、一瞬の出来事で俺の思考は止まってしまったようだった。
「結局はさあ、スピード勝負なんだよ」
大きな独り言を言いながら、フラウは次に緑の上着を着た少年の元へ向かっていった。
俺は、首と目だけを動かして、フラウがこれから始めようとしていることを黙って見ていた。
「可哀相とか意味があるとかないとか、そんなもんは秤にかけたところで時間の無駄だ」
近付いてくる足音に気付いて、緑の上着の少年が何事かと顔を上げた。
たった今、その足音の人物に仲間が一人やられたことには気付かずに。
「人の一生なんてのは、どいつも大概くそったれなんだからよ!!」
歩みを止めずに再び腕を伸ばしたフラウは、先程の勢いを残したまま緑の上着の少年も殺した。
少年にしてみれば、どうやって自分は死んだのかすら分からないほど、あっという間の出来事だったことだろう。
せめて恐怖や痛みがなかっただけマシと見るべきか。
神に祈る時間さえなかったことを哀れむべきか。
少年の声も名前も知らなかった俺には、少年の儚い最期をどう捉えていいか分からなかった。
「ひっ……!」
間近で仲間が殺されたのを目にした最後の一人は、短い悲鳴を上げると慌てて立ち上がった。
しかし、あまりの恐怖に足が竦んでしまったのか、少年の赤いスニーカーはなかなかその場から動かなかった。
精々後退るのが精一杯で、小さな足は浅く芝を削っていくだけだった。
「さて」
そこへ、体勢を整えたフラウが、全員始末するべく最後の少年の元へ歩み寄っていった。
バキバキと肩の関節を鳴らしながら歩を進める姿は、最早お前に逃げ場などないと少年に宣告しているかのようだった。
「まっ、───待てフラウ!!!」
最初の二人を見殺しにしてようやく我に返った俺は、思わず大声で制止をかけた。
すると、同じく我に返ったらしい少年が、俺の声を合図に勢いよく踵を返した。
だが、フラウもフラウで同時に走り出したため、少年の不意打ちはすぐに命懸けの追いかけっことなってしまった。
追うは大人、逃げるは子供。
双方の歩幅の差は言わずもがなで、いずれ少年がフラウに捕まるのは目に見えていた。
「待てと言ってるだろ……っ!」
俺もとっさに地面を蹴り、二人より一拍出遅れて走り出した。
先行きのことを考えている余裕はなかった。
ただ、彼だけは、せめて最後の一人だけは、みすみす死なせてはならないと思ったのだ。
「だ、ッれ、か、ぁ!!」
短い追いかけっこの末、とうとうフラウの手は少年の首根っこを捕らえた。
少年は懸命に逃れようともがいたが、フラウの圧倒的な筋力を前にはどんな手も通用しなかった。
このままでは、間に合わない。
俺がフラウを羽交い締めにするより前に、フラウの腕が少年の首を折ってしまう。
心中でそう悟った刹那、視界に映る二人の動きが急にスローモーションになったように見えた。
「───ッフラウ!!!!」
喉笛が裂けそうなほどの声を張りながら、俺は二人に向かって思い切り手を伸ばした。
この際、もうなんでもいい。
どんな形になろうとも構わない。
みっともなかろうが不毛だろうが、これ以上目の前で子供が殺される様を、ただ見たくなかった。
「────!」
最後に見たのは、こちらに振り向いた少年の顔だった。
恐怖と絶望に暮れた中にも、微かな希望を見出だしたような、本能的な顔。
この人なら自分を救ってくれるかもしれない。
そんな淡い期待を孕んだ顔で、少年は最期に俺を見た。
そして、次の瞬間には瞳の中の光が失われていくのを、俺は見た。
「そう何度も人の名を呼ぶなよ。
なにかが減った気がするだろ」
俺の指が少年に届いた頃には、少年はもう息をしていなかった。
間に合わなかった。
たった今死んだ、赤いスニーカーの少年も。
その前の、緑の上着の少年も。
その前の青のシャツの少年も。
俺が、もっと早くに反応していれば。
思考が止まる前に動き出していれば、全員救えたかもしれないのに。
成長した俺の肉体を以ってすれば、力付くでフラウを抑えることだって出来たはずなのに。
気付いた時には既に遅く、ふと見下ろした足元には、幼い少年達の骸が散乱していた。




