Episode40:今の内に弾を込めておくといい
11月15日。PM1:07。
一旦自宅へ戻ったキオラと入れ違う形で、アンリに呼び出されたミリィ一行がベシュカレフの宿へと集まった。
指定された合流場所は、昨夜アンリとキオラが宿泊していたツインルーム。
そこへミリィが先導して訪ねると、中ではシャオやマナを含めた面子が顔を揃えて待っていた。
ただ、少し前に別れた時と比べて、彼らの纏う雰囲気は暗く重々しいものであった。
「四日ぶりだな。まさかこんなに早く再合流することになるとは思わなかったが」
「そりゃこっちの台詞だよ。
重要な話があるって言ってたけど…。なにがあったんだ?」
アンリ達の表情を見て事態の深刻さを察したミリィは、挨拶もそこそこに早速用件を尋ねた。
しかしアンリはすぐには事情を明かさず、やって来たミリィ一行を迎え入れると静かにこう告げた。
「それはこれから順を追って話すよ。
ただ、その前に聞いてほしいテープがあるんだ。
全員となると少し狭いが、適当に掛けてくれるか」
ミリィ達は不思議そうに顔を見合わせたが、それぞれ空いているスペースを確保してアンリの動向を見守ることにした。
「テープがどうとか言ってたけど…。なにを記録したものなんだ?」
「聞けば分かる」
全員が落ち着いたのを確認すると、アンリは部屋の中央に持ってきたテーブルの前で足を止めた。
テーブルの上には旧式のレコーダーが置かれており、既に電源も入った状態に設定されている。
それをアンリが慣れた手つきで操作していくと、内蔵されたスピーカーから男性の声が聞こえてきた。
"AD2024年、11月12日。午後5時40分。
被験者、キオラ・シャムシュロヴァ・グレーヴィッチ。
同席、ヨダカ・ヴィノクロフ、アンリ・F・キングスコート、他数名。
担当、ヘイズ・ダヴェンポート。
これより、被験者ミスグレーヴィッチを対象としたヒプノセラピーを行います"
事務的な前口上を述べたのは、先日キオラの退行催眠を行ったヘイズだった。
その奥では微かにアンリやキオラの話し声も響いており、音声越しにもなにやら緊迫した空気が伝わってくる。
どうやらこれは、本番の直前から回され始めた音声記録のようだ。
"お願いします"
間もなく、意を決したキオラの一言を皮切りに、例の壮絶な一部始終が再び幕を開けたのだった。
―――――
"──いやだ。ここにいたくない"
"──駄目だ。完全に意識が向こうにいってしまって、こちらの声が聞こえていない"
"──俺はここにいる!キオラ!!
そっちは君のいるべき世界じゃない!!気を確かに持て!!"
絶えず響き渡るキオラの絶叫。
聞くからに焦りが窺えるヘイズやヨダカの息遣い。
そして、苦しむキオラをなんとか助けようと、切羽詰まった様子で何度も彼女に呼び掛けるアンリの声。
終始ノンストップで流れ続けた当時の模様は、初見のミリィ達に凄まじい衝撃を与えた。
途中に口を挟む者が一人としていなかったのが、その証拠だった。
"だから、もう私は、あなたとは一緒にいられない"
やがて、1時間弱に渡ったテープが停止すると、今度はアンリ自ら補足の説明を行った。
どうしてキオラは生まれたのか。
どうしてキオラは過去の記憶を失っていたのか。
加えて、フェリックスとキオラ、ゴーシャークと呼ばれる研究チームの関係性についても。
決して多くを語ることはなかったものの、その手短な話しぶりにさえアンリの漲るような怒りは孕んでいた。
「───以上が、先日の退行催眠によって判明したゴーシャークの実験内容と、キオラが自ら話してくれた生い立ちだ。
質問があれば随時受け付ける。現時点で聞きたいことはあるか?」
一通りこれまでの顛末を伝えると、アンリは確認するように部屋全体を見渡した。
けれど、アンリの呼び掛けにすぐに顔を上げたのは、既に事情を知っていたシャオ達だけだった。
ミリィもトーリもウルガノも、メンバーで一番分別のつくバルドでさえ、皆青白くなった顔を俯けて黙っている。
唯一下を向いていないヴァンもまた不愉快そうに眉を寄せており、この結果がいかに彼らにショックを与えたかは明白だった。
「……悪いけど、さすがにすぐは飲み込めない。
だってこんな、……っあまりに、突飛すぎるっつーか。
ショックでかすぎるだろ、何もかも」
しばらくの沈黙を置いて最初に口を開いたミリィは、浅く腰掛けたベッドの上で重い息を吐き出した。
キオラがフェリックスと密接な関係にあったこと、例のプロジェクトと無関係でないだろうことは、以前からミリィ達も承知していたことだった。
だが、まさかこれほどの過去があったとは誰も想像していなかった。
少し前にシャノンの誕生パーティーで相見えた彼女は、殺人や拷問などといった悪事とは無縁な女性にしか見えなかったから。
「受け止めるのに時間を要するのは仕方ない。
だが、これが事実だ。彼女を中心に、例のプロジェクトも神隠しも始まった。
全て、最も近いところに眠っていたんだ。
彼女が、俺達の旅の答えだ」
まるで人事のように言うアンリに、ミリィもつられて顔を上げる。
「フェリックス、は死んだからもういないとして…。
じゃあ、ゴーシャークとかいうチームの残党と、あんたの幼馴染みは今どうしてるんだよ。
まさかまださっきみたいな実験続けてんのか」
「いや、キオラを対象とした実験はここしばらく行われていないそうだ。
なにせ、主体となる面子の半数以上を失ったわけだからな。
仮に意欲があったとしても頭数が足りない、もしくはそれだけの精神的余力がないといったところだろう」
「なら幼馴染みの方は?」
「詳しいことは分からん。
ただ、さっきも説明した通り、ヴィクトールはキオラの半身と協定を結んでいる。
残存のゴーシャークが沈黙を始めたのも、キオラがああして表で生活できているのも、恐らくは全てヴィクトールの差し金なんだろう。
でなければ、生命の危機を感じてとっくに国外逃亡なりしているはずだ。
ゴーシャークもマグパイも、キオラに怨まれて然るべき連中は漏れなくな」
クリシュナがゴーシャーク抹殺計画を始動して以降、キオラを対象とした実験の再開目処は一度も立っていない。
だが、存命のメンバーは今もキングスコートの研究所で密かに活動を続けているという。
同僚が軒並み姿を消している中で未だ静観を貫く、というのも妙な話だが、そこはヴィクトールが上手くやり込めているのだろうとアンリは言う。
何故なら、彼はクリシュナの盟友であると同時に、キオラに対して個人的な想いも寄せているのだ。
ともすれば、彼女にとって不利に成り兼ねない事態をむざむざ引き起こさせるはずもない。
「……なるほどな。
とにかく、少なくとも幼馴染みとキオラさんは敵対してないってことは分かったよ。
でも、あんたとは別段仲良しってわけじゃないんだろ?
今はまだだんまり決め込んでるみたいだけど…。もしキオラさんの記憶が戻ったことを向こうも知ったら…」
ミリィの呟きを聞いて、隣に座っていたトーリも初めて会話に参加した。
「そもそも、彼の目的は一体なんなんでしょう?
親しい人のサポートを買って出る、というのは友人として自然な行動かもしれませんが、彼の場合あまりに度が過ぎています。
例えそこに好意があろうとなかろうと、あそこまで徹底してキオラさんを支持するのには、もっと理に適った動機や思惑があるとしか思えない。
……もし、今回のようなきっかけがなく、実際にキオラさんがゴーシャーク全員を手にかける事態を引き起こしていたら。
それが実現された時、彼はどうするつもりだったんでしょう?」
トーリのもっともな問いに難しい表情を浮かべたアンリは、一歩後ろに下がって壁に寄り掛かり、腕を組んだ。
「問題はそこなんだ。ヴィクトールの真の目的が全く見えてこない。
……純粋にフェリックスの意志を継いでワクチンの開発に終始しているのであれば、こちらも少しは対処できそうなものなんだが…。
下手に大人しい分、裏でなにかとんでもないことを企んでいそうで恐ろしいよ」
今のところ、ヴィクトールがアンリやミリィに対して直接危害を加えたことはない。
目の前で殺戮行為が繰り返されていたのを黙認し続けた、というのも許されざる話だが、ヴィクトール自身がそれらに加勢した事実はない。
彼だけは、幼子の命を無惨に摘み取ったことも、キオラの身体に傷を付けたこともないのだ。
そう考えれば、ゴーシャークの方がよほど罪深いし、非道に身を落とした悪人と言えるだろう。
しかし、なればこそ、彼が未だに研究の指揮を執っていることが謎なのである。
真にキオラの安寧を望むなら、キオラを愛しているのならば、彼女を本当の意味で自由にしてやるのが最善のはずだ。
無謀な研究とも凄惨な実験とも縁を切らせ、彼女が自ら選択できる人生を与えてやるのが、せめてもの償いであるはずだ。
なのに、彼はそうしない。
フェリックス亡き今、フェリックスと同等の権利を手に入れた彼には、彼女を解き放つ力がある。
なのに、彼はそうしないのだ。
"この意味、賢い君なら解るよね?"
もし。
ヴィクトールの真の目的が、ワクチンの開発でもハイタカの排除でも、フェリックスの座を踏襲することでもなかったとしたら。
頑なにキオラを手放そうとしない理由が、単にキオラにいてもらわないと困るから、であったとしたら。
彼は、キオラに深く関わりのある、キオラなくしては成り立たない何かを成し遂げようとしていることになる。
彼女の脅威を使っての世界征服か、はたまた誰にも彼女を渡したくないだけか。
真意は本人のみぞ知るところだが、誰かがキオラを独占するような事態になれば、最早混沌は避けられない。
キオラの記憶を復元したことが露呈した場合にも、ヴィクトールは黙っていないはずだ。
最悪、今度こそアンリ達を危険因子と見做して、命を狙った攻撃を仕掛けてくる可能性もある。
そうなれば、どちらか一方が倒れるまでエンディングは訪れない。
どちらかがキオラを手にするまで、アンリとヴィクトールは互いに銃口を向け合うだろう。
誰にも結末は分からない。
それでも、遅かれ早かれ、どんな形であれ、ヴィクトールとの対決の時は必ずやってくる。
いつかはそうなることもあるかもしれない、と覚悟してきたのだから、今更彼を倒すことに疑問を呈する者はいない。
ただ、所詮は他人に過ぎないミリィ達と違って、アンリはヴィクトールと直に縁を持つ身。
ミリィ達にとっては架空に等しい存在でも、アンリにとってヴィクトールは生身の知人だ。
故に、改めてヴィクトールを最後の敵と見据えた今。
アンリの胸中では一抹の迷いが生じていた。
たとえそこに情がなくとも、一応は友人として接してきた相手と今度こそ敵対しなければならないのか、と。




