Episode04-3:境界線
カエデ区に足を踏み入れた一行は、ミカド区とは180度違う近代的な街並みを目にすることとなった。
街中の至る所で出没する、精巧なAI搭載ロボット。
現実と大差ないほど鮮明に映し出される、3Dホログラム。
まるで近未来を具現化したような光景は、ある意味ではプリムローズやミカド区以上に観光向きと言えるテクノロジーの終点だった。
それでも一行は脇目を振らず、シャノンが用意してくれた地図を頼りに、某高層マンションへと向かった。
「────どうするよ」
「俺に聞かれても」
ところが。
マンションに到着したまでは良かったものの、そこから先が全く進展せず。
一行は悪い予感通りのアクシデントにぶち当たってしまったのだった。
「んー……。一応もっかいだけ通信し直してみっか?」
「いや、執拗に迫ったら余計拗れそうだ。
さっきからコンシェルジュの人達こっち見てるし」
「マジだ。オレら不審者だと思われてんのかな」
トーリに言われてミリィが受付窓口の方を見てみると、コンシェルジュや事務員達がひそひそと内緒話をしていた。
ヴァンは一人肩を落とし、申し訳なさそうに呟いた。
「多分俺の見た目のせいだな」
「お前のせいじゃねーからそんな顔すんな」
このマンションに拠を構えているという問題のハッカーの名は、東間羊一。
祖父母の代からフィグリムニクスに暮らす日系人で、自宅マンションからは殆ど出てこない変わり者であるという。
ミリィ達との交渉も通信越しに行われ、本人は頑なに姿を現そうとしなかった。
交渉自体もAIに代弁させていたくらいなので、他者とコミュニケーションを取るのが余程苦手な人物なのだろう。
おかげでミリィ達は、東間羊一の顔どころか、声さえも確認できず。
一方的に通信を切られたせいで、エントランスに立ち往生する羽目になってしまったのだった。
「ハァ……。にしても予想以上に酷いね。取り付く島もない。
偏屈な奴って本当手に負えないよ」
「お前が言うのか……」
「え?」
トーリの溜め息まじりのぼやきに対し、ヴァンは小声で突っ込みを入れた。
トーリは敏感に反応したが、遮るようにミリィが仕切り直した。
「とにかく。本人が駄目なら、外堀からじわじわ埋めていくしかない。
ミスタートウマはクロカワの主席と交流があるらしいから、今度はそっちを当たってみよう」
本人に応じる意思がない以上は、やむを得ない。
尊厳を無視するような手段は採りたくなかったが、こうなったら否が応でも会わなくてはならない状況を用意するまで。
そうと決まれば即行動。
ミリィの一声で一行はミカド区へと蜻蛉返りし、今度は現主席の黒川桂一郎と接触するため、クロカワ邸へ急いだ。
**
再びタクシーに乗り込み、30分。
ミカド区クロカワ邸前までやって来た一行は、屋敷の壮重さに圧倒されつつも、高い塀に据え付けられたブザーを鳴らした。
するとインターホンから若い男性の声で、"話は聞いているよ"との返答があった。
これは事前にシャノンがアポイントを取っていたためである。
その後、監視カメラ付属の装置でミリィ達の全身をスキャン。
話にあった本人であることが確認されてから、厳かに門は開かれた。
敷地内は純和風な景観となっており、黒塗りの門の向こうには石畳の道が続いていた。
玄関に行き着くまでにも、軽く10メートルはありそうな距離だ。
道の左右には青々とした芝生、手入れの行き届いた盆栽、美しい錦鯉が泳ぐ池などがある。
柵で囲われた一角には、秋田犬、甲斐犬、柴犬が仲良く放し飼いにされている。
秋田犬はミリィ達全員を威嚇して吠え、柴犬はウルガノに対してのみ尻尾を振り、甲斐犬は誰にも興味がなさそうに欠伸をした。
品種の異なる日本犬を三匹も飼うなんて、桂一郎は相当な犬好きであるようだ。
やがてミリィ達は屋敷の前に並び、ミリィが代表して扉をノックした。
少し待つと扉は開かれ、穏やかな物腰の青年が中から現れた。
「───ようこそお越しくださいました。
安全のため、先程は皆様のお手を煩わせてしまいましたこと、私の方からお詫びさせて頂きます。
数々の御無礼、何卒ご容赦くださいませ。
ミレイシャ・コールマン様、トリスタン・ルエーガー様、ヴァン・カレン様、ウルガノ・ロマネンコ様。
───のご一行様で、間違いありませんでしょうか?」
短く切り揃えられた黒髪に、獣のような大きな瞳。
袖を通したスーツには皺一つなく、余計な装飾品も一切身に付けていない。
加えて腰には刀を帯びた青年は、堅い敬語で抑揚なく話すと、胸に手を当て頭を下げた。
「ええ。間違いなく本人ですよ。
それで君は……。黒川氏本人じゃあ、ないよね」
「はい。自分は桂一郎様の側近をしております、神坂と申します。
桂一郎様は客間にてお待ちですので、ご案内します」
神坂と名乗った青年に連れられて、ミリィ達は客間へと向かった。
そこは日本家屋の中であるにも関わらず、一室だけクラシックな洋間となっていた。
暖色系で統一された空間の中央には、深紅の大きなソファーが二つ。
内の一つには男性が腰掛けており、彼はミリィ達が部屋に入ると同時に顔を上げた。
「やあ、よく来てくれたね。
なにもないところだけど、どうぞ寛いでいってくれ」
そう言って立ち上がった男性は、ミリィ達に着席を促して微笑んだ。
彼こそが初代主席、"黒川貴彦"の実の孫。"黒川桂一郎"。
クロカワ州の現主席に当たる人物である。
歳は30代半ばほど。
緑青色の着流しに墨色の羽織を纏い、足元には雪駄を履いている。
肩につくほどの黒髪は緩やかなうねりを帯び、優しい眼差しの側には泣き黒子が浮かんでいる。
簡素な出で立ちながらも、桂一郎の佇まいからは雅さが感じられた。
「どうも。急にお伺いしてすみません。失礼します」
「失礼します」
ミリィとトーリが桂一郎の向かいのソファーに座ると、桂一郎の脇に控えていた長身の女性が鋭い目付きで二人を見た。
神坂と同じくスーツ姿で、彼と同じ程のおかっぱ頭。
同様に刀を帯びているところからしても、彼女もまた桂一郎の側近であることが窺える。
そんな彼女に対し、ミリィ達の背後に控えるヴァンとウルガノも負けじと睨み返した。
「さっきはごめんね。一見さんには必ずお願いしてることなんだ。念のためにね。
どうか気を悪くしないでほしい」
「構いませんよ、全然。こちらこそ、大所帯で押しかけて申し訳ない。
お会いできて光栄です、ミスタークロカワ」
ミリィ達が着席したのを確認して、神坂も女の隣に並んだ。
こうして相対すると、まるで用心棒を伴ったギャングの密談のようである。
「ですが、少し意外でした。
あれほど入念にチェックされるということは、それがこの屋敷にとって必要な儀式、ってことになりますよね?
クロカワは清潔で治安のいいイメージだったんですが、実状はもう少し厳しいんですか?」
先に仕掛けたミリィは、礼儀は弁えつつも遠慮なく桂一郎に切り込んでいった。
確かに、世界遺産のような古風な屋敷に、剥き出しの監視カメラが幾つも設置されているのはミスマッチと言える。
だがミリィが真っ先に気になった箇所は他にあった。
「そうだね……。昔と比べれば、ちょっとは変わった人も増えたかもしれないね。
それでも、街の治安には最大限気を配っているつもりだよ。おかげさまで大きな事件もない」
「変な輩が増えたっていうのは、他の州から溢れた国民を受け入れるようになってからですか?」
ミリィの直球な発言に、神坂と女が反応する。
音もなく刀の柄に指を掛けた二人は、合図を送れば直ぐにでもミリィに斬りかかっていきそうな雰囲気だった。
彼らの敵意を感じ取ったヴァンとウルガノも、素早く反応して各々隠し持った銃に触れた。
しかし銃の携帯は、あくまで護身用として許可されたこと。
仲介してくれたシャノンの面目を潰さないためにも、実戦に持ち込むなど断じてあってはならない。
故にヴァンもウルガノも警戒こそすれ、本気で構えることはしない。
それは神坂らの方も同じようで、指の添えられた刀が抜かれる気配はなかった。
一同の間に緊迫した空気が流れる。
ミリィの隣に座るトーリは心配そうに成り行きを見守るが、当のミリィは何故か全く臆していなかった。
「………うーん。君は迷いのない人だね。なにか特別な事情があるものとお見受けするよ」
ミリィの不躾な言動にも、桂一郎は笑みを崩さずに応えた。
「確かに、さっき君の言った通り。
ここは言わば駆け込み寺。どこからか逃げてきた子らを匿ってあげることがある」
「主様」
「いいんだよ、神坂くん、青木くん。
彼らは悪い人じゃない。聞けばバシュレー君の親友だっていうしね。
……私は、自分の目で見たものを信じるよ」
桂一郎が低く右手を挙げると、青木と呼ばれた女と神坂はゆっくり警戒を解いた。
ヴァンとウルガノも漸く殺気を鎮め、張り詰めた空気は徐々に戻っていった。
するとタイミング良く、外から扉がノックされる音が聞こえてきた。
桂一郎が返事をすると、初老の男性の声で用件が伝えられた。
「お話し中のところ、失礼致します。
お飲み物を御用意しましたので、お配りしてよろしいでしょうか」
「ああ、入っていいよ」
桂一郎が入室を許すと、先程の声の主がアンティークのティーワゴンと共に一同に近付いてきた。
男性はテーブルに人数分の湯呑みと和菓子を並べると、最後に一礼して去っていった。
神坂達と違って自己紹介はなかったが、彼も黒川家に属する召し使いの一人である。
「───話を戻すけど……。
実はクロカワは、国内で最も孤立した州になりつつあるんだ。
他所からは一線を引かれているというか……。軽く村八分にされた状態でね」
「それは初耳です」
「だろうね。このことを知ってるのは、極少数の関係者だけだから。
……といっても、心配には及ばないよ。そこまで露骨に嫌われているわけではないからね。
みんな形式上は普通にお付き合いしてくれるよ」
「訳を伺っても?」
「いいよ。
ただ、ここから先は大きな声では言えないから……。触れ回らないと約束してくれるかい?」
「もちろん。こちらこそ、根掘り葉掘り突っ込んじゃって恐縮です。
空気読めないってよく言われますけど、これでも秘密は守る主義ですよ」
冗談っぽく肩を竦めるミリィに、桂一郎は無邪気に声を上げて笑った。
「なるほど。それならこちらも、安心して口を滑らせることが出来るわけだね」
先程桂一郎の言った通り、クロカワは他州との交流が深くない。
表向きには修交を繕っているが、実のところは殺伐とした不和が生じているのだ。
桂一郎曰く、頼み込めば何処も最低限は応じてくれるものの、困った時に率先して助け舟を出してくれるような相手はいないとのこと。
実質は、ほぼ孤立無援状態なのだそう。
「黒川貴彦……。
クロカワ州初代主席にして、今は亡き私の祖父はね。フェイゼンドニクス建国以前から、ある計画に参加していたようなんだ」
「それって、泰平のための慈善事業とかってやつですか?
シグリム建国の基盤にもなったっていう」
「それもそうなんだけど、秘密裏に行われていた活動が他にもあったみたいでね。件の慈善事業と、今言った秘密の活動と、両方に祖父は名を連ねていたそうだ。
今から約30年前……。この国を立ち上げた14人の富豪の話は、君も知っているよね?」
「ええ。国内の教材にも載ってるくらいですしね。もはや伝説ですよ」
「じゃあ、彼らが同盟を組んだ訳は知っているかい?
そもそも彼らは何処で知り合い、なにで繋がっていたのか。
権門勢家が肩を並べて、唯一無二のお宝をわざわざ分配するような真似をしたのは何故か」
彼らが結託して島を買い取ることが決まった際、それぞれが投資した額に応じて、現在の領地が分配されたという。
つまり、投資した額が高い者ほど、広い領地を有することができた。
クロカワが全14州のうち最も狭い領地であるのも、反対にキングスコートが最大であるのも、結局は金による結果なのだ。
しかし、キングスコートが首都として定められたのには、金以外にも理由があった。
「キングスコート州初代主席、フェリックス・キングスコート。彼こそが、他の13人を束ねた中心人物。実質的なリーダーだ。
彼が立案した計画に賛同する形で、14人は同盟を結んだ。後にそれが形となり、この国は生まれた」
桂一郎の言葉を聞いて、ミリィは食べていた和菓子の器をテーブルに置いた。
「つまり、同盟には裏があったってことですか?
教材には載せられないような、知られざる建国秘話が」
「ああ、ごめんね。ここまで引っ張っておいてなんだけど、実は私も表向きの話しか知らないんだ」
「え……。そうなんですか?
実の孫なのに、便宜上のことしか教わらなかったと?」
「うん。あの人は最期まで口を割らなかったよ。私にも、息子である父にもね。
何故なら、祖父は途中で辞退したから。例の計画とやらに参加していたことを、後々には恥じたんだよ」
フィグリムニクスを立ち上げた14人の富豪達には、慈善事業を行う団体に属するという繋がりがあった。
この団体を創立した人物というのが、他ならぬフェリックス・キングスコート。
残りの13人は、彼の正義に賛同する形で傘下に加わったのである。
創立者のフェリックスは既に落命してしまったが、件の慈善事業団体は今なお存続している。
フィグリムニクスは国家を上げて、その活動を支援しているという。
桂一郎の祖父である貴彦が同盟に加わった理由もまた、紛れもない善意が起点だった。
桂一郎曰く、もう一つの計画とやらに参加していたのも、それが世のため人のために繋がる行いだと信じていたからだった。
いつの日かきっと、自分達の願いが世界に幸福を齎してくれる。
フェリックスの掲げた正義に強く感銘を受けた貴彦は、彼と共に泰平の実現を目指して努力した。
そして、なにかを知ってしまった。
これまでの信念が、希望が、全て覆るほどの重大な何かに気付いてしまった。
自分の信じた"もう一つの善意"が、悔やんでも悔やみきれない結末を招くことになろうとは。
当時の貴彦は思ってもいなかったのだった。
「厳密にいつ祖父が計画を降りたのかは不明だけれど……。恐らくは、国を設立して四・五年が経過した頃じゃないかと思う。
それまでは変わらずに活動を続けていたらしいから、脱退はかなり急なことだったんだろうね」
「そのせいで他州から不興を買い、今もやや疎外にされた状態が続いていると?」
「断言はできないけどね。
……祖父は本当に、死の淵までこのことを案じていたよ。私にも、父にも、迷惑をかけてすまないと。
そして、"絶対に探ろうとするな"とも言っていた。世の中には知らない方がいいこともあるとね」
桂一郎の最後の一言は、ただ己の過去を想起して口にしたものではなく。
ミリィ達に対しての忠告のようなニュアンスも含んでいた。
世の中には知らない方がいいこともある。
ミリィ達の思惑を桂一郎は知らないが、彼らが何か危ういものに触れようとしている気配は薄々感じたようだ。
「えー、ゴホン。私も随分と長い独り言をぼやくようになったな。
さっきのはおじさんの戯言だから、どうか気にしないでくれ。
……じゃあそろそろ、君達の用件を聞かせてもらおうかな。
ここへ来たのは、なにも私とお喋りがしたかったからじゃないんだろう?」
お茶を一口飲んでから、桂一郎は咳ばらいをして話題を切り替えた。
中途半端なところで話を終いにしたのは、これ以上は教えられないということなのか。
本当に、その先のことまでは知らないだけか。
いずれにせよ、日本人ははぐらかすのが上手いなと。
桂一郎と見つめ合いながら、ミリィはニヤリと笑った。
「実はさっき、カエデ区の東間羊一氏に会いに伺ったんですがね。残念ながら追い返されてしまったんですよ」
「ああ、羊一くん。ごめんね、あの子人見知りだから」
東間の名前が出ただけで、桂一郎はミリィ達の言わんとしていることを察したようだった。
「つまり君達は、どうしても彼に会いたいんだね?直接顔を合わせて話がしたいの?」
「そうですね。出来れば」
「わかった。そういうことなら、私の方から取り成しておくよ。
ただ、羊一くんの方にも都合があると思うから……。話し合いの機会は多分、明日以降になってしまうと思うけど……。そこは大丈夫かな?」
「ええ。気長に待たせてもらいますよ。
今夜はそこらで適当に宿を取りますから、お手数ですが、なにかあればこの番号に」
桂一郎に約束を取り付けてもらうことを約束し、今日のところはこれにてお開きとなった。
ミリィと桂一郎は互いに連絡先を交換し、一行は桂一郎に礼を言って屋敷から出た。
事前に予約しておいた宿屋に向かう道中、ミリィは上機嫌に今日一日の思い出話を。
ウルガノとヴァンはミリィの話に相槌を打ちながら、ボディーガードとしての労をねぎらい合った。
そんな中トーリは、ミリィの社交性を内心で羨ましく感じていた。
自分が彼の立場ならきっと、ああも上手くは話を続けられないだろうし、込み入った内情に切り込んでいくのも躊躇いを覚えてしまうだろう。
ましてや、ミリィと桂一郎は今日が初対面。
にも関わらず、桂一郎は人を選ぶような重要な秘話さえ、まだ出会って間もないミリィに引き出されるまま、あれよあれよと語ってしまった。
東間羊一との間を仲介してほしいと頼みに行くだけの予定だったはずが、結果的に思わぬ収穫を得たのだ。
「(それもこれも、ミリィ自身に特別なカリスマがあって成せたことか)」
そうトーリは考えた。
だが実際には他にも理由があることを、ミリィ以外の誰も気付いていなかった。
『A sad coward.』




