Episode39-2:伴うもの
「この間、フレイレさんに話を聞いた時もそう。倉社さんの遺言を聞いた時もそうだった。
いつもボクは、目の前にある現実より、見えないチェルシーのことを考えてた。
チェルシーも同じような目に遭ってたらって、自分のことばっかり考えてた」
「……だから、余計に辛かった?
どうしても自分中心に考えてしまって、そんな自分を卑下する後ろめたさとで板挟みになるから」
「それもあるけど。本当はちゃんと分かってるんだ。
ここのもやもやが、どこから来てるのか」
左手で自らの胸倉を掴み、マナは一つ深呼吸をした。
「……あんまり、こんな言い方はしたくないんだけど。
出会った当初のチェルシーは、すごく控えめで、悪く言うと地味なタイプの子、だったんだ。
本人も全然目立たないって言ってたし、多分、学校の方でもチェルシーを知ってる人は殆どいなかったと思う。
……でも、ボクと仲良くなってから、少しずつ明るく、綺麗になっていった。
本当の自分をさらけ出すことを、嫌がらないでくれるようになったんだ」
マナと出会って、チェルシーは変わった。
顔付きも、服装も、声のトーンも。
出来るだけ自分を隠そうとする姿勢から、自分は自分なのだと前を向ける姿勢へと成長していった。
それはチェルシーにとってもマナにとっても喜ばしいことだったし、周囲にもたくさんの良い影響をもたらした。
おかげで学内にも友達が出来たのと、笑顔でマナに報告していた彼女の姿は、紛れも無い真実だった。
けれど。
「ボクはそれを、良い傾向だって喜んでた。
マナのおかげって言ってもらえるのが、ちょっとでもチェルシーの力になれたことが嬉しかった。
……でも、彼女がいなくなってから、こう思うようになった。
ボクと出会っていなければ、チェルシーはこんな目に遇わなかったかもしれないって」
"それ"は、はじめはちょっとした過ぎりだった。
数ある要因の一つに過ぎないものだった。
しかし、日が経つにつれて"それ"は肥大していって、今となっては"それ"だけがマナの胸の内で煙を上げている。
呼吸する度にむせ返りそうなほど、濃度の高い黒煙を。
「ボクが、彼女を変えたんだ。
驕りでも勘違いでもなく、事実としてボクが彼女を変えた。
もし、ボクと知り合ってなかったら、彼女はあのまま目立たない生徒として卒業していたかもしれない。
どこにでもいる地味な女の子として、誰にも関心を持たれなかったかもしれない」
落ち着いて語っていた声が徐々に上擦っていき、カップを持つ手も段々と震え始める。
しかしシャオは、大丈夫かと口を挟むことなく、黙ってマナの言葉に耳を傾けた。
「でもボクが、変えてしまった。
ボクが、本当はすごく素敵な子なんだってことを皆に教えてしまったから、悪い奴にも目をつけられた。
ボクが余計なことをしたせいで、いじめっ子よりもっと恐ろしい連中を引き寄せてしまったんだ。
ボクではなく、彼女の方に」
言葉尻に一つの雫が床に落ちる。
直後にまた一つ、二つと音を立てて落ちていき、マナの足元に小さな水溜まりを作っていく。
今日に至るまで、マナの涙は幾度か見る機会があった。
少し前にウォレスと密談をした際や、つい先程キオラの話を聞いた際。
他の誰もが冷静でいる中で、いつもマナだけが申し訳なさそうに泣いていた。
だが、マナが涙を流す理由は、常に誰かの不幸を忍んでのことだった。
故に、こうして自分に対する思いから涙を溢れさせるのは、シャオの知る限りでは初めてだった。
「──それは違うよ、マナ。
君が悪かったことはなにもない。悪いのは彼女をさらっていった連中だ。
責任感が良くない方に働いて、焦点が合わなくなっているだけさ」
ここへ来てようやくシャオは否定の言葉を返した。
しかしマナは、違う違うと首を振って、溢れる涙を左腕で拭った。
「でも、ずっとなんだ。一度そうかもしれないって思ったら、全部そっちに偏って。そればっかりで頭がいっぱいになるんだ。
……ニコのことだってそうだ。彼は、ボクのためにってチェルシーのこと調べてくれた。
ボクが、いつまでもめそめそしてたから、心配して。それで一生懸命原因を探そうとしてくれて、そのせいでまた悪いやつらに目を、」
「マナ!」
自らを責め立てる言動ばかり繰り返すマナを見兼ねて、シャオはたまらずベッドから立ち上がった。
そして歩み寄っていくと、マナは恐る恐る顔を上げてシャオを見た。
「しゃ、お。ぼく、まいにちねむれないんだ。
ぼくが寝てるあいだに、チェルシーがもっとひどい目にあってたらって思うと、ねむれないんだ」
「………マナ、」
「眠れても、毎晩チェルシーやニコが夢にでてくる。
夢のなかの二人は、ずっと止まったままなんだ。最後に見た日と同じ服を着て、何日経っても変わらない姿をしてる。
……昔撮ったムービーとかで、声は思い出せても。もう、チェルシーの髪の感触も、においも思い出せない……っ!」
更にぼたぼたと涙を零すと、マナは持っていたカップを無意識に落としてしまった。
力無く滑り落ちていったそれは、ゴトンという落下音を響かせた後、やや温くなったミルクの余りを床に散らした。
同時に、内側からなにかが外れたように、マナの体はへなへなと力が抜けていった。
シャオはとっさに彼女を抱き止めると、自分の力では立っていられなくなったマナの腰を腕で支えてやった。
「こわい…。こわいよ、しゃお」
シャオの胸板に額を押し当てたマナは、自分の顔を両手で覆ってひくひくと嗚咽した。
「はやく、たすけにいきたいのに。なんでぼく、まだここにいるの。
はやくしないと、ちぇるしー、もう、」
「………」
「どう、しよう。
チェルシーが死んでたら、どうしよう……っ!」
チェルシーのいない日々が始まってから、マナは彼女と再会することだけを目標にひた走ってきた。
いつかまたその姿を目にすることが叶うなら、どんな形であろうと受け止めようと、そう覚悟しながら。
けれど、こうして彼女の残り香りを追い求めている間にも、相反する予感は絶えずマナの首を締め続ける。
酷い拷問や辱めを受けているかもしれない。
救出できても彼女の心は救えないかもしれない。
もう、彼女は死んでいるかもしれないと。
忙しなく足を動かし続けても、大きく前に進むことはできず。
寝る間を惜しんで探し続けても、リミットの短縮には繋がらず。
四六時中彼女のことを考えても、彼女の無事の証明にはなりえない。
随分前から、理解はしていたことだったのだ。
世間から姿を消して一年余り。
彼女の命をこの世界に繋ぎ止めておくには、あまりに時間が経ち過ぎていると。
「こんな時、ジュリアンやルエーガー君だったら、もっと気の利いた言葉をかけてやれるんだろうね」
一方シャオには、この旅における明確な目的がない。
名前のあるものを探しているアンリ達と違って、シャオにはこれという渇望も信念もない。
故にこそ、こうして限界を感じ始めているマナに対して、シャオはかけてやる言葉が見付からなかった。
マナ、ジュリアン、そしてトーリ。
大切な誰かを失い、再び取り戻そうと躍起になっている彼等にしかその痛みは共有できないし、彼等だって互いの心情を完全に理解することはできない。
誰かに対する想いの深さは、所詮当人にしか測りようがないのだから。
ただ、共有できないシャオにも分かることがあるとすれば、一つだけ。
この旅において最も焦りや恐怖を感じているのは、恐らくこの三人であるということ。
もしかするとそれは、中核にいるアンリやミリィ以上に。
「──ふう。こんな台詞、俺の口から言う日が来るなんて思いもしなかったけど。
マナ。君の辛さは君にしか分からないことだが、それでも君は一人ではない。
君が戦おうとしているのは我々共通の敵だ。孤独じゃないんだよ、君も、俺も。
……君の想い人が無事である確証はなくとも、君が歩みを止めない限りは、選択肢が一つになることは決してない。
君が諦めない限りは、生きているかもしれないという可能性もゼロにはならないんだよ」
仲間がいる。
君は一人じゃない。
だから、諦めるな。
シビアを通り越して歪んだ価値観を有するシャオには、どれも口が裂けても言いたくない台詞だった。
かつての自分に仲間などいなかったし、そんな綺麗事で解決できる災厄などありはしないと思ってきたから。
それでも、今この場ではそうだとはっきり言い切った。
こんな優等生ぶった台詞は自分には不似合いだと知りながら、それでもマナに強く告げた。
そこに心が伴っていれば、例え綺麗事でも確かな意味が宿ることを、彼等との旅を経て学んだから。
「だから、自分のせいにして悪い方に完結するのはやめなさい。
いつかは必ず答えに行き着くのだから、今はそのための準備を頑張ればいいんだ。もっと善処しておけば良かったと後悔しないためにもね」
そう言ってマナの頭を撫でると、シャオはいつになく優しげな笑みを零した。
「……それに、こうして涙を流せるようになったってことは、その分だけ君が進化してるってことでもあるんじゃないかと、私は思う。
大丈夫。我々は着実に前に進んでいるよ」
最後にマナの頭頂部に一つキスを落とすと、シャオはマナの頬を両手で持ち上げて強引に上を向かせた。
シャオと目を合わせたマナは、掠れた声でうんと返すと、涙でぐしゃぐしゃになった顔で小さく頷いた。
『I'm waiting for you to come.』




