Episode38:愛していると言ってほしい
最初のターゲット、レイニールを手に掛けた時。
憎くてたまらなかった顔が苦痛に歪んだのを見た時、未だかつてなかったほどの高揚を覚えた。
これでようやく第一歩だと。
これでこいつも思い知っただろうと。
無残な骸を見下ろした瞬間には、感嘆の溜め息が出るほどの達成感が全身を満たした。
けれど。
そんな快楽に酔っていられたのは刹那の一時であったと、思い知ったのは直後のことだった。
「さっさと眠っていれば、こんな悪夢を見ずに済んだのにね」
レイニールの遺体を車内に残し、身なりを整えて一人帰路についた時。
あれほど高ぶっていた気持ちがみるみる鎮まっていくのに、軽かった足取りがどんどん重くなっていく自分に気付いてしまった。
殺したくて殺したくて、八つ裂きにぶっ殺してやろうと思って、それを実現させたはずなのに。
思い描いていた通りにやったはずなのに。
奴らが死ねば、僕らはやっと自由になれると、そう思っていたのに。
なのに、なんだか。
期待していた感じと、違う。
ふと過ぎった不満は、紛れも無くフラットな本音だった。
「僕の名前はクリシュナ。
キオラ・シャムシュロヴァ・グレーヴィッチの肉体を共有する、もう一つの人格。
わかりやすく言うと、多重人格ってやつかな?」
なんで。どうしてだよ。
ちゃんとやったのに。
全部イメージ通りだったのに。
なのになんで、気持ちが晴れない。
空いた穴が塞がらない。
奴らに同じだけの苦痛を味わわせてやることが、同じだけの地獄を見せてやることこそがライフワークだと、僕の生まれた理由だと。
そう信じて、これまで機を待ってきたのに。
なのに、先に待っていたのがこんな虚しさだけなんて。
こんなのは、絶対にあっちゃいけないことだ。
だって、他の全てを押してでも賭けてきたことなんだ。
その報酬に逆に苦しめられることになるなんて、不条理にも程がある。
そうだろう。
「だから僕は、彼女が心底願っていても決して実現できないことを、代わりに叶えてやったんだ。
キオラが殺したいほど憎いと、心の中でいつも叫んでいたから、だから僕が引き受けてあげた。
奴らを殺したがっていたのは、彼女も一緒だ」
ああ、そうか。
もしかしたら、レイニールが相手だったから後味が悪かったのかもしれない。
最中にあんなことを言われたから、不覚にも動揺した気持ちが尾を引いてしまったのかもしれない。
その時はそう解釈して、僕は立て続けにヘンドリックとヴァーノンも殺していった。
でも、何人殺しても、どう殺しても、やはり空いた穴は塞がってくれなかった。
「誰も助けてくれない。誰も守ってくれない。
僕には親なんていないし、この世界に神様なんていない。
だから、僕がキオラの神様になってあげたんだ。誰も助けてくれないから、彼女は自分で自分の身を守るしかなかった。
痛いのも苦しいのも、感じているのは他人の自分だから。自分は関係ないから大丈夫だって、何度も自分に言い聞かせて、ずっと耐えていたんだ。いつもギリギリのところで保っていたんだ」
やがて、四人目のターゲットとなったラザフォードを手に掛けた時。
これまで頭を悩まされてきた喪失感の正体に、ようやく気が付いた。
後悔。
事後すぐに高ぶりが冷めたのも、もどかしい感覚に思考回路が麻痺したのも。
全てそれが原因だったのだ。
「じゃあ、愛してると言って」
諸悪の根源を、この世から消し去る。
その行為は、代償として僕に確かな達成感を与え、同時に生き甲斐を一つずつ奪っていった。
このまま全員殺してしまったら、自分はどうなるんだろうか。
全てを果たしたその後には、一体なにが待っているのだろうか。
そんな朧げな不安は、次第に漠然とした焦りに変わっていき。
いつからか、報復を続けることへの迷いとなって、純粋な殺意から悪意のみを取り去っていった。
「キオラはいつも、君のことだけ考えてた。君だけを見詰めていた。
キオラが心から愛していたのは、愛してほしいと望んでいたのは、ヴィクトールじゃなくて、君だったんだよ。アンリ」
憎しみの対象を失えば、次にどこへ矛先を向ければいいのかわからなくなる。
不透明な未来に希望がないことを悟れば、頼りにする目印も、ゴールもなくなる。
道半ばにして、気付くべきでなかったことに気付いてしまった。
彼らを殺しても、自分は決して救われないということに。
長年の野望を果たした先にあるものが、標を失った迷路であることに。
「私には、貴方を殺せない」
人の命を奪うというのは、同時に自分の命をも削られるということだ。
誰かを殺すというのは、同時に自分の尊厳をも破壊するということだ。
知らなかったんだ。
どれだけの悪徳を重ねていようとも、彼らも結局は人であったということを。
どれだけの血を浴びようとも、この痺れるほどの渇きは、飢えは癒されないということを。
知っていたけど、知らないふりをしてきたんだ。
殺人という罪が、いかに重いかを。
「君が死んだら、キオラが悲しむ。
もう、キオラが泣いているところを、僕は見たくないんだ」
満たされないもどかしさに、もっともっとと同じことを繰り返しても。
当時の光景を反芻しても、奴らの滑稽な死に顔を思い出してみても。
もう二度と、以前のような快楽は湧いてこない。
二度と、この時が永遠に続けばいいなどという愉悦は込み上げない。
腐っても、僕は人だ。
化け物じみていても、人でなしでも、突き詰めれば正体は人間だ。
だから、人間が人間を殺したから、なにもかもが変わってしまったように感じるんだ。
自分自身も、自分の目に映る世界そのものも、なにもかも。
「僕らは化け物だ」
『化け物だろうが、関係ない』
報復を成功させた僕に世界が与えた報酬は、ほんの一時の達成感と、果てのない罪悪感。
今更やめておけばよかったと悔いたところで、この肩には既に五つもの命が碇を繋げている。
止めてくれる人がいなければ、褒めてくれる人もいない。
殺人鬼の称号は非難と恐怖の的にしかならず、手に入れた死の数に名誉や栄光は付与されない。
一歩、二歩と歩みを進める度にどこへ向かおうとしているのか分からなくなって。
一度、二度と振り返る度になにに追い掛けられているのか思い出せなくなって。
ふと立ち止まれば、過ぎ去った過去と現実が並んで行く手を阻んでくる。
死んだ者達が死ぬまでお前を見張っているぞと、彼らの声を借りて囁きながら。
「人を殺した。罪人だ」
『そんなもの知るか。君の正体がなんであろうと、俺の気持ちは変わらない』
楽しくないよ。
全然、楽しくない。
最中だって、楽しくなんかなかった。
楽しいと思いながら殺した奴なんて、一人もいなかった。
「もう、遅いよ」
キオラ。
どうして僕は生まれたのかな。
どうして君は、僕に命を分けたのかな。
君にできないことを代わりに果たすことが使命だって、ずっと信じてきたよ。
馬鹿だよね。
君がやっても報われないことを、僕がやっても中身は同じなのに。
君は、ずっと前から知っていたんだね。
彼らを手に掛けることが本懐なんかじゃないって。
君は、君が幸せになれるただ一つの方法を、ちゃんと知っていた。
だから、自分だけ我慢する道を選んできたんだ。
それ以外に活路がなかったんじゃなく、そうすることに意味を見出だしたから。
なのに僕は。
君の尊い信念を理解しようとせず、独りよがりな正義感だけを絶対と思い込んで、君を共犯とすることを厭わなかった。
ただ、君に褒めてもらいたかっただなんて。
勝手なことを言ったら、きっと怒るだけじゃ済まないよね。
「教えるよ、全部。
君の父親が何者だったのか、どうして僕らは生まれたのか。
僕らが見てきた世界はどんな色をしていたのか、全て話す」
後悔はしている。
血染めのキオラが鏡に映る度、なんて恐ろしいことをやらせてしまったんだと戦慄してきた。
ただ、反省はしない。してはいけない。
キオラにとって害悪にしかならない存在は摘み取るべきと、動機自体は今でも間違いじゃないと思うから。
「夜明けと共に、僕はキオラの中に帰る。
けど、僕はこれで消えるわけじゃない。少しの間、彼女の影の中で眠るだけだ」
でももし、そうせずに済む方法があるなら。
彼らを殺すことなくキオラを自由にできる方法があるなら、今度はそっちに賭けてやってもいい。
僕個人の意見としては、やっぱり当然の贖いとして全員あの世に送ってやるべきだと思うけど。
真の目的は、なによりキオラを救うことにあるから。
これ以上キオラの手を汚さずに掬い上げることが叶うなら、多分そっちの方がいい。
「それから、一つ約束をして」
アンリとヴィクトールと、僕。
この内の誰の意見が正しいのかは誰にも分からない。
けれど、僕達の求めるものは恐らく共通している。
キオラに確かな安寧と幸福を与えること。
そして、自分だけがキオラの心を手に入れることだ。
いずれキオラが、アンリかヴィクトールのどちらかの手を取ったなら、僕もそっちに味方をする。
味方をした方が正しいと定めたやり方に加勢する。
逆に、キオラがどちらの手も取らなかったら。
僕は、僕の正しいと思ったやり方でキオラを解放する。
例えキオラ自身の意思を無視することになろうとも、ゴーシャークを全員始末することで清算する。
そう決めた。
だからそれまで、キオラが最後の審判を下す時が来るまで、次の機会はもう少しだけ待ってやることにする。
六人目以降を生かすか殺すか、導くのは彼ら次第だ。
「この先なにがあっても、キオラを一人ぼっちにしないって」
今こそ、僕という歪みごと受け入れるだけの度量を見せてみろ。
キオラのことを愛しているなら、キオラを死なせたくないのなら。
例え、キオラを殺すことになってでも、お前が止めに来い。
お前が楔となってくれるなら、僕は、全ての闇と共に彼方へ消えたって構わない。
『I can't run away anymore.』




