Episode37-4:アルターエゴ
後日、六月の下旬。
次のターゲットをヘンドリックに決めた僕は、予め下準備をして本番に備えた。
変装用の服やウィッグ、新しい拷問道具や凶器を用意して、何日の何時であればヘンドリックが一人きりになるのか、入念なリサーチを行った。
結果、妻が友人と長期の旅行へ出掛け、ヘンドリックが自宅に一人でいる期間を導き出すことができた。
後日。予定通り妻が外出し、三日が経った頃。
ヘンドリックへの届け物を持った僕は、正面からクラウゼヴィッツ家の自宅を訪問した。
何故このような大胆なアプローチを選んだかというと、ヘンドリックの妻が夫の不在中によく通販を利用していたからだ。
なので、今回も妻が頼んだ商品を届けに来た体で、運送会社の社員のふりをして訪ねることにした。
日が落ち、自宅周辺に人気がなくなったタイミングを見計らって、徒歩でクラウゼヴィッツ家に向かった。
妻と二人暮らしをする分には大きすぎるほどの敷地を有した、庭付きの三階建ての家だ。
門に備え付けのインターホンを押すと、通信越しにヘンドリックが何用かと尋ねてきた。
僕はすかさず、妻宛ての荷物を届けに来た旨を説明した。
するとヘンドリックは、自分が門のところまで取りに行くと予想外のことを言い出した。
僕は少し驚いたが、冷静にそれを断って、こちらから玄関先まで伺うと返した。
理由として、荷物の中身が重いからと話すと、ヘンドリックは納得して門を開けてくれた。
広い庭を渡り、玄関先で数分待つと、私服姿のヘンドリックがドアを開けた。
格好はブランド物のポロシャツにスラックスだったが、ブラウンの髪は寝起きのようにボサボサで、無精髭も手入れがされていないままだった。
研究所で会う時はいつも清潔な風貌なのだが、プライベートでは意外とだらしが無い男のようだとこの時思った。
「こんばんは。こちらがご注文の品になります」
ファーストコンタクトは、正直少し緊張した。
キオラの持っていない服を着て、キオラと違う毛色のウィッグを被って、頭には帽子、靴には高いインソールを仕込んで、出来るだけ変装はしていったけれど。
どうやったって顔立ちは変えられない上に、キオラ自身運送業の手伝いをしているから。
だから、顔を合わせた瞬間に正体を看破されたら、大きく予定が狂って失敗する可能性もあった。
「ふーん。妻宛てだそうだが、うちのはよくこういうのを利用しているのか?」
しかし、思いの外ヘンドリックは僕の顔に注意を向けなかった。
実際に妻が利用している会社と同じロゴの入った包みを用意していったから、それを見て完全に信用したのだろう。
妻と違い、ヘンドリックはそういった世俗には疎い方だったから。
「ええ。奥様にはよく贔屓にしてもらってますよ」
「毎回君が配達しているのか?」
「そうですね。ここら一帯は僕の担当になってます」
「そうか。若いのに見上げた根性だな」
「ありがとうございます」
受け取りのサインを貰っている間も何気ないやり取りが続いたが、それにも特に突っ込みは入らなかった。
声色や表情を変えることには自負があったから、そういう細かい細工のおかげで功を奏したのかもしれない。
「……はい、サイン頂戴しました。
なんでしたら、リビングの方までお運びいたしましょうか?」
「なんだ、そんなに重いのかこれは」
「ええ。持ってみますか?」
「……!確かにこれは、結構重いな。
中身はなんだと言っていたか」
「ダイエット器具だそうですよ。
必要のものが一式揃ったセットらしいので、余計に重いのかもしれません」
「またあいつは余計なものを…」
受け取りのサインをもらい、試しに荷物の重さを確認させてやると、ヘンドリックはぶつぶつと面白くなさそうに文句を言った。
恐らく、妻に自分の給料を無駄遣いされていると思ったのだろう。
まさか、その重たい荷物の中に、これから自分を苦しめることになる拷問器具が仕舞われているなどとは、発想の外だったに違いない。
「いや、せっかくだが、家には上がらないでいい。
悪いが知人以外は上げないようにしているものでな」
ただ、さりげなく家に上がっていいかという問いには、きっぱりとしたノーが返ってきた。
さすがにそこまで無用心というわけではなかったらしい。
「そうですか。では足元お気をつけて」
「ああ。ご苦労だったな」
だが、駄目なら駄目で、やり方などどうにでもある。
荷物を受け取ったヘンドリックが、礼を言ってドアを閉めようとした瞬間。
その一瞬の隙に玄関へ体を滑り込ませ、狼狽えるヘンドリックの腹を拳で突き上げてやった。
鳩尾に完全に食らったヘンドリックは、すぐにその場に倒れてあっけなく失神した。
一応手加減はしたつもりなのだが、思っていたより彼は軟弱な体質だったようだ。
しかし、失神してくれたなら余計な手間も省けるというもの。
さっさと玄関の鍵を閉め、ヘンドリック本人の足を引きずりながら、ヘンドリックが落とした荷物を抱え直してリビングへ向かった。
ヘンドリックにとっては自分の城であり、僕にとっては晴れの舞台となる団欒の空間へと。
―――――――
お楽しみ中は、さるぐつわを噛ませて極力声を抑えてもらった。
レイニールの時のように絶叫が聞けなかったのは残念だが、万一にでも外野が集まらないようにするためだ。
動けないように全身を縛り上げ、恐怖に支配された目玉をライターで炙ってやったり。
手足の指先に一本一本針を通してやったり。
レイニールの時と比べると短い時間ではあったけれど、満足度で言えば今回の拷問もそれなりに楽しめたと思う。
そして、痛みによるショックと出血を繰り返し、力尽きたヘンドリックが静かに息を引き取った後。
僕は持参してきた白い紙を取り出して、あるメッセージを認めた。
どうしてこんなことをしようと思い立ったのか、正直に言って僕自身にも分からなかった。
冷静に考えてみれば、いずれ自分の退路が絶たれる危険もあったし、なにもメリットがないことも理解していた。
それでも、僕はここにメッセージを残していこうと思い立った。
残りのゴーシャークに向けてではない。
後にここへ来るだろうヴィクトールの手の者にでもない。
これらの所業を最も知られたくなかったはずの、アンリ一人に向けてだ。
あの日、腹違いの弟について話を聞かされた時。
いつもの笑顔を纏った裏に、確かな決意が宿っていたのを僕は見た。
多分アンリは、生前のフェリックスの在り方についてなんらかの疑惑を持っている。
そしてその疑惑は、例の弟とやらとなにかで繋がっていると、一縷の確信を持っている。
仮にそうだとすると、最近活発に行動範囲を広げている訳も、どんな手を使ってでも弟と接触したがっている訳も合点がいく。
だから、アンリ宛てのメッセージをここに置いて行くことにした。
フェリックスの裏の顔を突き詰めていけば、いつかは僕らの正体にもたどり着くと思ったから。
いつか、このメッセージに手が届いた時、それが自分に向けられたものだと気付いてくれると思ったから。
"オルクス"
お前が育ったこの国は、僕らの犠牲の上に華を咲かせているんだってことを、知ってほしいと思ったから。
"こんな俺に心から笑いかけてくれるのは、後にも先にもきっと君だけだよ"
もしかしたら、本当の本当は、彼に見付けてほしかったのかもしれない。
他の誰でもなく、彼に、僕を止めてほしかったのかもしれない。
こんなことをしなくても、君を癒す方法はあると、道を照らしてほしかったのかもしれない。
だって、その証拠に。
誰の呼吸も聞こえなくなった今、誰かに抱きしめてほしくてたまらないから。




