Episode36-5:優しい君が壊れるまで
"赦すな"
"忘れるな"
"奴らの行いをなかったことにするな"
"なかったように振る舞う奴らを、いつまでものさばらせておくな"
"奴らをこのまま生かしておくな"
キオラが笑っている時。
泣いている時、怒っている時眠っている時。
いつもどんな時でも、僕の感情にジャミングしてくるものがいる。
憎しみ。そして怒り。
僕を僕たらしめる息吹の源。
僕を世に生み出した、いわば親のような概念の集合体。
それらは常に僕に囁きかけてきて、時に怒鳴り散らしてきた。
僅かでも僕が休もうとすると、その度に叩き起こしてきた。
お前が一息つく度に、彼女の闇は一寸広がっているのだと。
迷走している暇などないのだと。
忘れてはならない。
赦してはならない。
延々と繰り返される復讐者としてのモットーは、僕が僕で在り続けるための柱であり、同時に僕を悩ませる最大のでもあった。
忘れるものか。
赦せるものか。
僕自身、この根源を手放そうと思ったことはない。
根源を失えば、僕は本当の意味で無用の存在になるから。
でも、ゼロワンだった頃の彼女と、キオラになった今の彼女とを比べてみると、果たして僕の使命は彼女のストーリーに必要なファクターなのだろうかと。
いつからか、無性に不安に駆られるようになってしまった。
確かに、奴らをこのまま生かしておくことは、僕らにとっても世界にとってもあってはならないことかもしれない。
奴らの息の根を止めない限り、キオラは死ぬまで普通の人間にはなれないのかもしれない。
でも、考え方を変えれば、いつかは解放される時がくるかもしれないんだ。
肉体の成長に伴って、キオラの能力はどんどん上書きされていってる。
その進化は、やがてこれ以上ないほどの上限に至り、更なる高みへと引き上げることを不可能とするだろう。
つまり、近い将来キオラが進化の上限に達すれば、以降の実験も不要になる。
奴らの生体実験さえなくなれば、キオラだって人並みの人生を送れるようになるんだ。
例え過去は変えられなくても、確かな未来が約束されれば、もうキオラは苦しまなくて済む。
キオラが長年願い続けた、些細な平穏を愛おしいと思える日々が、やっと手に入る。
それに、そうなる前にヴィクトールが突破口を見付けてくれる可能性だってある。
今はまだ立場的に厳しいみたいだけど、ヴィクトールがフェリックスに並び立つほどの権威を得るのは時間の問題だ。
そうなれば、ヴィクトールの一声で全てを打ち切りにすることだって実現できるだろう。
最高、奴らを社会的に抹殺することだって夢じゃない。
あれだけ、奴らをこの手にかけることだけを切願してきた僕が。
奴らを手にかける以外に、キオラを幸せにする方法はないと思っていた僕が。
赤い髪の運命と出会ってからというもの、奴らを殺さなくてもいい未来を望むようになっている。
よりキオラが、健やかな人生を歩んでいけるためにはと、前向きな方法を模索しようとしている。
思えば、僕もキオラと笑っていたかったのかもしれない。
キオラとアンリが笑って過ごせる毎日を望んでいたのかもしれない。
辛いことは全部忘れて、今ある幸福にただ浸っていたかったのかもしれない。
殺したいほどの衝動を抱えていただけで、本当に人を殺すことを、僕もキオラも望んではいなかったのかもしれない。
「これは、なかなか壮観だな。
生身の人体をこうして解剖する機会など、そう巡ってくるものではない。
私のような社会的地位の高い者であれば、尚更な。
おかげでいいデータがとれるよ。君ほどの異形ともなれば、痛みで死ぬこともないようだからな」
「そんなに怖い顔で睨まないでください。私だって、望んでこうしているわけではないんですよ?
……ああ、ごめんなさい。生憎と私には、貴女の心を見通す力が備わっていないんです。
気に食わないことがあるのなら、明瞭に口頭で訴えてくれないと。
それが出来るのなら、ですが」
「いくら叫ぼうが無駄だ。我々に慈悲を求めるだけ不毛だからな。
恨むなら、己に生まれついた己こそを恨め。お前に命を分けた親を憎め。
ああ失敬。お前に親はいないんだったな。これは無神経なことを言ってしまった」
浮上する度に沈み、沈んだ果てにまた浮上する。
何度も何度も、前向きと後ろ向きを行ったり来たりして。
忘却と激昂を繰り返して、憎悪と寛容を、絶望と希望を重ね合わせて。
そうして相反する思いを蓄積させていくほどに、僕は日に日に疲弊していった。
キオラのためと赦そうとしたなら、それ以上の憎しみを奴らが植え付けてきて。
奴らのせいでと滾らせたなら、更にそれ以上の愛おしさをキオラが与えてくれて。
赦すべきか赦さざるべきか。
キオラのために、僕はどちらを選ぶべきなのか。
少しずつ力を手に入れて、少しずつ彼女と対等になって。
あともう少しだけ、僕の意識がキオラに慣れたなら、僕の復讐者としての全能が覚醒する。
僕らの本懐を果たす期が満ちる。
そうやって、今まで耐え忍んできたのに。
なのに、まさか、こんなにも。
直前になって、その決意が揺らぐなんて。
僕らの本懐は本当に本懐なのかと、迷う日が来るだなんて。
少し前まで、考えたこともなかったのに。
「まるで飢えた鯉みたいだな」
骨の芯まで凍てつく雫が、大きな水槽の中に一分の隙なく満ちた時。
水中に歪むキオラの視界に、並んだ奴らの顔が映った。
笑っていた。
今にもブラックアウトしそうなキオラを見て、出してくれと水槽を叩く悲痛な訴えを見て、心底可笑しそうに笑っていたんだ、奴らは。
世界のため、人類のため進化のため栄華のため存続のため。
尤もらしい詭弁を並べて、奴らは結局楽しんでいただけだった。
結局は、自らの愉悦のために僕らを弄んでいたに過ぎなかった。
"だれか"
"あんり"
愛した彼が、実は魔王の息子だったと知っても。
何度それを思い出しても。
キオラは決してアンリを憎まなかったし、憎もうともしなかった。
瀬戸際で助けを求めることもしなかった。
ただ、思い出すだけだった。
もしかしたらこのまま死ぬかもしれないと感じたから。
だから、大好きな彼の顔を思い浮かべることで、最期の瞬間だけは愛に包まれていたいと、幻影に縋ることだけを自らに許していた。
苦しい。冷たい。寒い。こわい。
キオラの苦痛も恐怖も、僕には全部分かる。
だって、君は僕だし、僕が君だから。
文字通り、痛いほどに君と全てを分け合ってきたから。
『誰か』
「俺は君の味方だよ。どんな時もね」
『だれか』
「君が辛い時には、きっとすぐに駆け付けるから」
『だれでもいいから だれか』
「だから君も、辛くなったら気後れせずに、俺を呼んで」
「君が一言、側にきてくれと言ってくれたなら、俺は喜んで迎えに行くから」
呼んでるよ、ずっと。
何度目になるか忘れるくらい、ずっと前から君の名前を呼んでいるよ。
なのに、どうして君は、僕らとは違う世界で生きてるの。
辛い時には駆け付けるって、迎えに行くって言ったじゃないか。
どんな時も彼女の味方だって言ったじゃないか。
味方をしてくれるなら、彼女のためを願うなら。
何故、愛してくれないのか。
君が一言、愛していると言ってくれたなら、キオラの世界は完結したのに。
僕だって、真っ直ぐにキオラの未来だけを願っていられたのに。
君とのハッピーエンドへ走って行けと、背中を押してやれたのに。
嘘つき。嘘つき嘘つき嘘つき。
出来るはずもない約束をして、果たす気のない望みを持たせて、結局お前は助けにこない。
僕のキオラを愛してくれない。抱きしめてくれない。
どうせ愛してくれないなら、半端に優しくしないでほしかった。
孤独なキオラに、愛なんて教えないでほしかった。
『せめて最後の賭けだったのに』
二股の道が裂けていく。
より明確に、より離れた終着点を目指して。
『誰かに期待するのが間違いだったんだ』
散々揺らいで崩れかけた先に、やっぱり変わらない最後が見える。
霞んでいた視界がクリアになってようやく、今までの自分が見ていた景色は幻だったと思い出す。
『僕らの敵は魔王だった。
その息子と相いれることを、冥王の僕が許すわけにはいかない』
忘れていたのは、僕のほうだった。
『ここまで、長い寄り道だったな』
どうしたって彼女は化け物で、僕は化け物に付き纏う影にしかなれない。
どんなに勇猛なもののふも、化け物を人に戻す呪文は知らない。
叶わぬ恋に胸を焦がしても、その熱は僕らの闇まで燃やしてはくれない。
人への再起を願っても、まじないをかけた魔女は既に死んでいる。
愛のキスで解き放ってくれる王子も、こちらを振り向いてはくれない。
『保証のない未来に賭けるより、今に全霊をかけた方が、きっと賢い選択だよね』
怒れ。憎め。赦すな。殺せ。
薄れかけていたあの声が、今となってはこんなにも懐かしい。心地好い。
間違っていたのは僕だった。
でも、二度と迷わない。
大ボスのフェリックスが自然死で途中退場してしまったのは口惜しいけれど、僕らの本命はあくまで奴らだ。
奴らを好きなように食わせてくれるなら、魔王の討伐なんてどうしたって構わない。
僕は、ゴーシャークの奴らを殺す。
誰のためじゃない。殺したいから、ただ殺す。
既に化け物に出来上がっているのだから、今更業を重ねようと大して変わらないはずだ。そうだろう?
口先だけの見かけ倒し、華やかな見た目とは裏腹の木偶の坊。
キオラの王子様に成り損ねた、所詮そこらの徒人さん?
『Any bird that cries at night』




