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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
234/326

Episode35-3:冥王クリシュナ


最初に照準を合わせたのは、ガスパールだった。

これといった理由はない。ただ、今いる位置から一番近くにいたのがガスパールだった。

だから、最初の標的としてガスパールを選んだ。


幅をとらない華奢な肩幅、一際小柄な背丈。

ずりずりと踵を引きずって歩く足音。ハーブティーのような爽やかな香り。

浅く繰り返される、過呼吸ともとれる息遣い。


これらの特徴を目印に、頭のある高さを狙って一気に腕を伸ばす。

丸い後頭部が掌に触れたら、そのまま壁に向かって叩き付ける。

果物のジュースでも作るみたいに、力を乗せて、押し潰す。


直前に叫び声が聞こえた気がしたけれど、それは一瞬のこと。

すぐに骨が砕ける音に変わって、次に響くのは汚い水温だ。

脳みそが撹拌される音と、血が飛び散る音が混ざった音。


ああ、実にあっけない。実に脆い。

この中にはきっと色んな情報が入っていたんだろうけど、潰れてしまえばただの液体。

ただの首なし死体だ。


割れた頭蓋がどんな風に砕けたのか。

飛散した血飛沫がどんな形の模様を描いたのか。

すぐに見られないのが残念だけど、伝わった感触から大体の状況は分かる。


今この瞬間に、確実にガスパールは死んだってこと。

それから、素手で人骨を砕くのには、やっぱり無理があったってことだ。


文字通り骨が折れる、ってことはなかったみたいだけど、それに等しい衝撃が来た。

利き腕の肘から肩にかけて、力を乗せた部分が満遍なく痺れて、痛む。


いくら治りが早いといっても、皮膚の柔らかさも骨の固さも、キオラの体は人並みだ。

この分だと、今の一撃だけで脱臼したかもしれない。


けど、痛いのは平気だ。こいつらのおかげで随分慣らされたからね。

溶けた鉄の中に放り込まれるくらいでないと、怒りで沸騰した頭は痛みを認識しない。


傷の方だって、ほら。一瞬で脱臼した肩が、一瞬で元通りだ。

お前らの所業を許すつもりはないけれど、この再生能力は度重なった実験の賜物。

やられた分だけやり返せるなら、今この瞬間だけは感謝してやってもいいくらいだ。


お前らが僕らを化け物に育てたおかげで、こうして力を振るうことができるんだから。



さて、一人仕留めたからといって、満足してはいられない。


次に狙うのは、そうだな。

少し趣に欠けるけれど、手間を省く意味でも出来るだけ壁際に近い奴がいい。


条件に当て嵌まる奴は…。あそこにいるあいつかな。


でかい図体にやかましい足音。

古臭いポマードの香りに、野太いテノールの声。


スピロス。

立派なのはガタイだけで、しきりに助けを求める様は実に愛らしいじゃないか。


ただ、ガスパールと違ってタッパがある分、普通に腕を伸ばしても頭に届くか怪しいな。

上手くいくかは分からないけど、ここは少し距離を取ってみるか。


忙しなく動き回るスピロスの気配を逃さないよう、意識を集中させる。

そして、太い腰がやや下がったタイミングを見計らって、一気に走り出す。


ガスパールにやった時より高い位置から腕を振り下ろして、でかい頭を叩き付ける。

壁にではなく、今度は床に。


すると、先程と同じような感触が掌に伝わってきた。

ちょっと不安だったけど、どうやら上手くいったみたいだ。



死ぬほど憎いやつを殺す時、人間って死ぬほどヤバい力が出るものらしい。

理屈では有り得ないことだとしても、常軌を逸した激情が常識を凌駕してくれる。


僕らの激しい怒りの前には、体格の差なんてさしたる問題ではないってことが今証明された。

この中で一番頑丈そうなスピロスを仕留められたのだから、他の全員も確実に殺せるはずだ。



二度目の脱臼と二度目の再生が済んだら、さっさと次の標的へ。

次が終われば、次の次の標的へ。


余韻に浸っている暇はないが、それでもいい。

確実に、着実に、命が潰える瞬間を深く脳裏に刻みながら、休む間もなく殺し続ける。


痛みはある。そうせずに済むのなら、痛くない方法でやりたいとも思う。

でも、素手でやることに意味があるのだと、心の底から思っている。


客観的な事実としてじゃなく、肌を通した実感として噛み締めたいから。

確かに僕が殺したんだって、何度でもこの時の情景を反芻したいから。

だから、腕の一本や二本持って行かれたくらいで、怯んだりするものか。


なにがあろうと止まらない。なににも僕は止められない。

この世ならざる存在に作り替えられた僕が、この世の理に縛られる道理はない。



"フォレット!フォレット応答しろ!"

"そっちでなにが起きてるんだ、砕けるような音は一体なんだ!?"


引っ切り無しの絶叫に紛れて、レイニールが必死に呼び掛けてくる声も聞こえる。

一人倒れる度に聞き取りやすくなっていくその声が、心底皮肉で滑稽で、愉快でウザい。


"ッ分からん!早く部屋を開けてくれ!"


レイニールの呼び掛けに辛うじて応える声。


やや滑舌の甘い喋り方。

若作りな甘いコロンの香り。

いざという時に限って思考が甘くなる、頼りがいがありそうで実は甘ったれな男。


声を発すれば、自分はここにいると知らせているようなものだと、聡いお前なら分かるはずだろう。

ヨーラン。


"早くここから出せ!早くしないと、"


一番部屋から出たがっていたようだから、ヨーランの頭は扉にぶち撒けてやった。

ヨーランが黙ったと同時に、通信機の向こうも静かになって、あちらにいるレイニール達のリアクションが目に浮かぶ。



息を潜めて待っていた期間は、まるで永遠のように長く感じられたのに。

実行する今この時は、すべてが嘘だったんじゃないかと思うほど儚い。

それこそあっという間に、絶命の瞬間が刹那となって消えていく。


たった今レイニールを仕留めたから、残るメンバーはこれで一人だ。


エメリー。かつてキオラの世話役だった男。

ヴィクトールと役目を交代するまで、キオラが拠り拠としていた良心の一柱。


良心の皮を被った、偽善と卑劣の化身。



"ぁ、ぁあ、あ、かみさま…"

"だれ、か、ぁ、だれか、たすけて…だれか、"


すっかり静まり返った室内に、エメリーの孤独な声が残響する。

おかげではっきりと位置を特定できるが、エメリーの方からは僕の居所が分からないはずだ。


光を没収された闇の中。

次の瞬間なにが起きるか。どんなものが降り懸かってくるのか。

予測できない状況と、助けを望めない孤独。


これで、少しは理解できたかな?

今まで、キオラがどんな思いでこの部屋に閉じ込められていたのか。

どんな思いで、お前達に救いを求めていたのか。許しを請うていたのか。


分からないなりに理解してもらわないと、僕が"代理人"になった意味がない。


謝る必要はない。神に懺悔する必要もない。

ただ、己の罪を自覚して、己の生を後悔して、己の理に食われながら、己の業で果てればいい。


虫みたいな息を漏らしながら、普通の人間みたいに死んでくれれば、僕は満足なんだ。




"……ゼロワン、そこにいるんだろう"

"皆を襲っているのは、君なんだろう。違うかね"


すると、通信機からまた声が聞こえてきた。

喋っているやつは相変わらずレイニールだけど、喋っている内容はさっきまでと違う。


まあ、そのうちバレるだろうとは思っていたけど。

それにしては、指摘されるのが遅かったな。


"君の気持ちは分かる。だが話を聞いてほしい"

"我々はなにも、君を不幸にしたかったわけではない"

"我々なりに志を持って、正義に則って行ってきたことなのだ"


"虐げられてきた君には度し難い言い分かもしれないが、それでも言わせてくれ"

"これは、世界のための行いなんだ"

"より世界を発展させるための過程として、君はここで被験体になる役目を与えられた"

"君は選ばれた人間なんだよ。世界のために身を捧げるなんて、こんなに名誉なことはないはずだ"


僕が返事しないのをいいことに、レイニールは一方的に喋り続けた。


正義。発展。名誉。

見栄えのいい言葉が陳腐な順に並んでいて、僕の生理的な笑いを誘う。


この演説って、やっぱりあれなのかな。ウケを狙ってる。

だとしたら、効果はそこそこ出てるよ。

だって、ちょっとでも気を抜くと、今にも吹き出してしまいそうだから。


"だから、どうか慈悲を与えてくれないか"

"今更虫のいい話だとしても、彼も一人の人間に違いないんだ"

"彼が倒れれば悲しむ者がいるし、困る者だっている"


"それに、そんなことをしても君の苦しみが癒えるわけじゃない"

"後に残るのは、人を傷付けた虚しさだけだろう"


"これからは、我々も出来る限り君の意見を尊重する"

"今回のように強制しないし、君が苦しんだ分だけ償いもする"


"だから頼む。我々に贖罪のチャンスを与えてくれないか"


最後は一際力の入った声で、レイニールはそう言い切った。


慈悲。一人の人間。

慈悲?一人の人間?

誰が?誰の?誰に向けて?

なんで?なにが?なんのために?


だめだ。面白い。こんなに面白い演説は聞いたことがない。

下手なコメディアンよりよっぽどユーモアがあるよ、レイニール。


ああ、慈悲。慈悲か。

そんな言葉をお前が知っていたとは知らなかった。

まさかお前に、僕の業を説かれる日が来るだなんて、想像もしなかった。


熱い。ああ熱い。熱くて熱くてたまらない。

全身に浴びた返り血が熱い。

充血した目玉が熱い。

損傷と再生を繰り返す腕が熱い。

熱いと感じる脳が熱い。


焼け爛れそうなこの衝動をどう発散すればいいのか。

その答えは一つしかない。


ずっとこの日を待っていた。

お前らの顔が恐怖に歪むのを。

お前らの声が苦痛に裂けるのを。

お前らの未来を、この手で余さず摘み取るのを。


毎日毎日飽きもせず、何度も夢見て想像して。

いつかに見るだろう光景を思い描いて、いつかに訪れるだろう瞬間のために準備してきた。


復讐って、なんて甘美でやりがいのあるライフワークなんだろう。

僕の世界を作り上げた奴らを、僕の手が殺しているだなんて。

まるで本物の神様みたいだ。


全身を満たす高揚、幸福、万能感。

この日のために生きてきたと言ってもいいくらい、僕の心が全霊の喜びを叫んでいる。






なのに、どうしてだろう。

溺れるほどの命を浴びたのに、酷く喉が渇くのは。


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