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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
233/326

Episode35-2:冥王クリシュナ



最初に感じたのは、どうしようもない気怠さだった。


けれど、それは無理もないことだ。

たった今まで衰弱状態にあったのだから、その身を乗っ取れば当然僕の感覚にも影響が出る。

一つの肉体を共有している分、こういったマイナスな要素も分け合っていかなくてはならない。


でも、自分の意思で目覚められただけあって、この程度の不具合なら許容の範囲内だ。

漲る怒りが、憎しみが、力となって全身に込み上げてくる。

人間、本気を出せば火の中も歩けるってことさ。



しばらく待つと、入口の方からセキュリティが解除される音が聞こえてきた。

それから程なくして、複数の足音が部屋に入って来る音も聞こえた。


入口から漏れる光が室内に差し込むと、真っ暗だった空間に一筋の白が渡る。

でも、首が動かないせいでそっちに目を向けられない。

確認しなくても状況は分かるから、別にこのままでも構わないんだけど。



間もなく、部屋の明かりが点灯して、瞼の向こうがまばゆい白で覆われた。

暗闇に目が慣れすぎたせいで、開眼しなくても若干眩しいくらいだ。


けど、これも想定の範囲内。

気をつけなくちゃいけないことは、出来るだけ呼吸をしないことと、血圧を上げないこと。

それと、なにがあっても絶対に表情を変えないことだ。



"これより解体作業を始める"

"各員所定の位置につき、自分の担当箇所に当たってくれ"


部屋に入ってきた誰かが淡々とそう告げた。

この若干鼻にかかった声はヨーランだ。


そういえば、今日の指揮はあいつだったってことを今思い出した。



今度は、複数の足音が部屋中に散らばっていった。


さっきのどたどたした重そうなのはスピロス。

爪先を床に擦るようにして歩いているのはガスパール。


最後に僕の側で立ち止まったのは、細かい足の運びからしてエメリーだな。

前から思ってたけど、こいつ歩き方が変じゃないか?まあどうでもいいけど。



全員の気配が所定の位置で立ち止まると、いよいよ装置の解体作業が始まった。


僕の、いやキオラの体から管が外され、配置された機材が退かされて、着々と作業が進められていく。


さすがに重要な被験体とだけあって、扱う手つきは丁重だ。

けど、手際が良すぎる点は却って癪に障る。


今まで何度もこなしてきたことだし、もう慣れたものだよ。

みたいな感じで遠慮なく触ってくるところがムカつく。

まあそれも今日で終わりなわけだし、いいか。我慢我慢。



そして、ストレッチャーに触れたエメリーの手が、拘束具のベルトを二カ所ほど外した時だった。


突然、研究所全域に渡って、けたたましいサイレンの音が響き渡った。


このサイレンは緊急警報の一種だったか。

意味はなんでもいいけど、僕にとってはこのタイミングで鳴ったってことが重要だ。

これがないと、スムーズに計画を実行できないから。



"全く、こんな時に間の悪いことですね"

不機嫌そうに短く舌を打ったのはエメリーだ。


僕は前から知っていたけど、今のをキオラが見たらびっくりするだろうなあ。

お綺麗なのは見た目だけで、中身は意外と品のない奴だから、こいつ。


"この時間にラボで体制を変えるなんて話は聞いていない"

"封じ込めでないのなら、今回もほぼ誤作動のようなものだろう"

"措置も直に解除されるはずだ。今のうちに出来るだけの解体を済ませておく"


エメリーに続いて、ヨーランのまくし立てるような声も聞こえた。

口ぶりは冷静だけど、こっちも相当苛立ってるみたいだ。

面白い。もっと感情的になれ。


でも、連中が返事をする前に、またしても部屋の中で異変が起こった。


先程とは逆に、瞼の向こうが黒で塗り潰されていく感覚。

どうやら今度は、室内の明かりがぷつりと落ちてしまったようだ。


"なんだこれは"

"どういうことだ、こんな話は聞いていないぞ"

"これも先程のサイレンと関連しているのか"


連中の慌てた声が室内に残響する。


ああ、心地好い。

こいつらの声は耳障りとしか思ったことがなかったけれど、こんな風に惨めを晒してくれるなら毎日でも聞いていたい。

起床のアラームにでも使ったら、きっと良い気分で目覚められそうな気がする。


"おい、レイニール!"

"レイニール、そこにいるんだろう!"


がやがやと煩い喧騒の中、冷静に発言したのはヨーランだ。


レイニールに呼び掛けてるってことは、今回のサポート役はあいつが筆頭なのか。


残りのメンバーが誰なのかは知らないけど、観客は多ければ多い方がいい。


その方が僕も楽しいし、精々厚いガラスの向こうから指をくわえて見ているといいさ。

今までだって、キオラの悶える様を興奮しながら鑑賞していたんだから。そうだろう?



"この停電はそちらのミスなのか"

"予告なく電気が落ちるなんて話は聞いたことがない"

"ミスならミスで、さっさと明かりを戻してくれ"


なるほど。ヨーランはこの停電を先程のサイレンと結び付けているらしい。

まあ、なにも知らなければそう考えるのが自然かな。


でも、残念だったね。お前の推測はハズレ。

さっきのサイレンも、今度の停電も、別に脅威の検出が原因で起きたことじゃないから。


言うなれば、お前達の命が終わるカウントダウンだよ、蛆虫ども。



"停電は我々のミスではない"

"こちらの方でも急に電気が落ちたんだ"

"辛うじて音声は通じるようだが、監視カメラを含めた全ての操作が不能になっている"


通信機を通して、レイニールの声が天井から降ってくる。


音声以外の全ての干渉が不能。

つまり、あちらからこちらにアクションを起こすことができなくなった。

誰にも、僕のステージを邪魔することができなくなったってことだ。


ここまでは全て手筈通り。

さすが魔王に見込まれただけの男ではある、とでも言っておこうかな。

僕一人で強行していたら、途中でなにかしらの邪魔が入って、全員は仕留めきれなかっただろうから。


連中が解体作業を始めてから、直に20分が経過する。

よし。じゃあこっちも、そろそろ起きる準備を始めるとしますか。



ラッキーなことに、エメリーが外してくれた拘束具は上半身の二カ所。

無理矢理ぶっちぎることもできないわけじゃないけど、手の自由が利くならそのリスクも省けるというもの。


ストレッチャーに横になったまま、腰の位置に施されている拘束具を外す。

慎重に、それでいて手早く。


肩、肘、腰がフリーになったら、後は下半身だ。

周囲にいる奴らに気取られないよう、静かに上体を起こし、膝の部分の拘束具もさっと外してしまう。


さて、これで残すは最後の一箇所。足首だけだ。


しかし、この最後の一つがなかなか外れてくれなかった。

もう少し力を入れれば上手くいきそうなんだけど、これ以上力んだら音を立ててしまう。


連中の話し声のおかげで小さい物音は掻き消されているけど、ストレッチャーが揺れでもしたら確実に気付かれる。


せめて、エメリーのやつがもう少し離れてくれたら、混乱に乗じてごまかせそうな気がするんだけど。

ちょっと向こう行っててくれない?なんて話し掛けられないし、無理か。



"とにかく、予備電力をこちらに優先させるよう、管制室に催促してみる"

"そちらはもうしばらく待機していてくれ"


再びレイニールの声が降ってくる。

どうやら管制室と連携を取るつもりでいるらしい。


仕方がない。こうなったらもうスピード勝負だ。

音が立とうがなんだろうが、電力が復旧する前に片をつけてしまえば、こっちの勝ち。

この際見掛けの美しさや、手際の熟れさは度外視とする。


どのみち、丸腰のこいつらに抵抗する術なんてないんだし。



即座に判断した僕は、拘束されたままの足首を強引にベルトから引き抜いた。



"今の音はなんだ"

"誰か機材を倒したんじゃないのか"

"誰も動くなと言っているだろう"

"おいヨーラン、お前が今日の筆頭だろう。なんとかしろ"


右の足首を引き抜いた瞬間、反動でストレッチャーが床に倒れてしまった。


傾いた瞬間に受け身を取ったから怪我はしなかったけど、まさかそのまま倒れるとは思わなかった。

さっき誰かが固定装置を緩めていたから、そのせいで耐久性が脆くなったのかもしれない。


まあ原因はともかくとして。

予想外に大きい音を立ててしまったものだから、連中が腹を空かせた小鳥のように囀り始めた。

その場から動くなという指示を無視して、皆そわそわと辺りをうろついている。


でも、こっちに近付いてくる者は誰一人としていない。

一応は学者だというなら、まず謎の出所を探るべきだろうに。

想定外のアクシデントで、完全に腰が引けてしまっている。


ああ面白い。

暗闇の中じゃないと成立しなかったことだけど、今の連中の顔を拝めないのは残念だな。


混乱に乗じて左の足首も引っこ抜き、僕は立ち上がってストレッチャーの側を離れた。



"落ち着け"

"とにかく今は、必要以上に動き回るな"


張り詰めた声でヨーランが怒鳴る。

おかげで少し静かになったけれど、上擦った息遣いや品のない衣擦れの音は一向に治まる気配がない。


どんな頭でっかちでも、この状況では冷静に思考力が働かないみたいだ。勉強になる。



"ロカンクール、ゼロワンの側にいるのはお前だな"


ヨーランに名指しされたのはエメリーだった。

配置的にも立場的にも、多分エメリーが一番命令しやすい相手だったんだろう。

連中は意外と年功序列を重んじる傾向があるから。


ご指名を受けたエメリーは、素っ頓狂な声ではいと返事をした。

その様子がちょっと可笑しかったけれど、もうさっきみたいな笑いは込み上げてこない。


だって、もうさっきまでの愉快な気分はどこかへ行ってしまったから。



"さっきの物音、私の聞き間違いでなければ確かにそちらから聞こえた"

"手探りで構わん。今すぐゼロワンの安否を確認しろ"


ヨーランの指示を受けたエメリーが、恐る恐る倒れたストレッチャーの方へ歩み寄っていく。

奴の踵が一歩、また一歩と床を踏み締める毎に、僕の中のゲージもじわじわと上昇していく。


怒りという名のバロメーター。

殺戮開始のカウントダウンが。




"……いません。ゼロワンの体がどこにもありません!"


残念。そこにあるのは、ただのスペース。なにもない空虚な空間だけだ。


今の僕らは、部屋の隅にいる。

四方に散らばる気配をかい潜って、こっそりここまで移動してきたんだ。

自分のことでいっぱいいっぱいなお前らには、気配が一つ増えたことなんて気にも留まらなかっただろうけどね。



光のない空間はなにも映らないけれど、ここからならお前らの位置がよく"見える"よ。


高ぶった心臓の音。

恐怖に戦く空気の揺れ。

そこに呼吸のリズムや微かな体臭も加えることで、"どこ"に"誰が"いるかが手に取るように分かる。


ああ、嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい。快感だ。溢れる興奮が抑えられない。歓喜の武者震いが止められない。

ずっとこの時を待っていた。何年も何日も何時間も。一日千秋の思いで渇望していた。


僕らはもう、篭の中の鳥じゃない。

お前らは、搾取するばかりの支配者じゃない。


目の前に広がるこの光景は、夢の中の世界じゃない。



形成逆転。

神に祈る隙もないくらい、一気にその"根"を摘んでやるよ。


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