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オルクス  作者: 和達譲
Side:ZERO
231/326

Episode34-3:タイムリミットが聞こえるか



直後、誰のものとも分からない絶叫と共に、なにかが砕ける音が轟いた。

恐れ戦く空気が滞留する中、張り裂けそうな絶叫は一人、また一人と続いていく。


なにかが、自分の足元を横切っている。

なにかが、固いなにかを立て続けに叩き壊している。

まるで、その"なにか"に、人間の骨が砕かれているような音がする。


絶え間無い恐怖が一同の脳を支配し、最早冷静な思考力を持つ者は誰もいない。


なんだかよく分からない。

分からないけれど、とにかく自分の身に"なにか"が迫っているのは感じる。

次に捕われるのが自分なのか、自分以外の誰かなのか。

なんにせよ、"なにか"の次の標的になりたくない。


人間、生命の危機に晒されると本性が出るというが、ここまで激しく死を恐れる集団もいないだろう。

普段のクールさはどこへやら、引き攣った声を上げて逃げ回る彼らの様子は、アニメの怪物を怖がる幼子のよう。


もっとも、暗闇に包まれた密室で、逃げ隠れる場所などどこにもないのだが。



"フォレット!フォレット応答しろ!"

"そっちでなにが起きてるんだ、砕けるような音は一体なんだ!?"


生々しい絶叫に恐怖を抱いているのは、監視室にいる晩成隊らも同じ。


しかし、レイニールが必死に呼び掛けても、返ってくるのは野太い叫びと物音だけ。

安全圏にいるレイニール達ならまだしも、エクリプスルームの方で状況を説明できる者は一人もいない。


重なる叫びの中から言語らしい響きを聞き取ることさえ至難だ。



"ッ分からん!早く部屋を開けてくれ!"

"早くここから出せ!早くしないと、"


辛うじて応えたレイニールの声も、すぐに叫びに変わって途切れてしまった。

指揮者のレイニールを含め、これで早成隊のメンバー6人が為す術もなく闇に飲まれた。


最後に残されたのは、先程までキオラの側にいたエメリーだけ。



"ぁ、ぁあ、あ、かみさま…"

"だれ、か、ぁ、だれか、たすけて…だれか、"


すっかり静まり返った室内に、エメリーの孤独な声が残響する。

その声は通信を通して監視室にも届いているが、レイニール達にはどうすることもできない。


管制室とはたった今連絡が取れた。

こちらの異常は余さず伝えたし、至急電力を回してくれるよう約束も取り付けた。


だが、それだけだ。

約束の電力が供給されるまで、現場では誰一人として動くことができない。


やることはやった。他に打つ手は思い当たらない。

後は、一刻も早く電気が戻るのを待つだけ。


つまり、"待っている間"に最後の一人が倒れてしまったら、厚いガラスの向こうにいる彼らはむざむざ全滅したことになる。



"……ゼロワン、そこにいるんだろう"

"皆を襲っているのは、君なんだろう。違うかね"


このままでは、残ったエメリーも直に襲われる。

彼を救うためには、今は時間を稼ぐしか方法がない。


せめて電気が復旧するまで。

自分達が動けるようになるまで、最期の審判が下されるその瞬間を遅らせるしかない。


そう危惧したレイニールは、藁にも縋る思いで自らのメッセージをマイクに託した。



ただ、はっきりと名指しはしたものの、レイニール自身確信を持ってそう言ったわけではない。


先程、キオラが気を失っていることは確認した。

解体作業中に意識を取り戻したのだとしても、あの衰弱状態ではすぐには動けないはずだ。


客観的に見れば、キオラがレイニールの言う"犯人"である可能性は極低い。


しかし同時に、思い当たる人物にも限りがあった。


完全な密室状態にある以上、後から誰かが部屋に侵入することはできない。

つまり、最初から部屋にいた何者かが、停電をきっかけに殺人鬼に化けたということになる。


条件に該当する人物は、ストレッチャーに拘束されていたキオラと、作業を行っていた早成隊のメンバーのみ。

そのどちらかでしかないのなら、上がった悲鳴の数と犯行の動機を考えて、やはりキオラが犯人に相当する結論に至る。



あれだけの目に遭わされてきたキオラが、ゴーシャークに対して激しい怨みを抱くのは当然のことで。

レイニールを含めたゴーシャークの面々にも、自分達が犯した罪の自覚があった。


結局のところ、始めから答えは出ていたのだ。

問題は、彼らがこの事態を現実として受け入れるかどうか。


自分達の所業が、無惨に殺されても文句を言えない悪業であったと、認められるかどうかなのだ。



"君の気持ちは分かる。だが話を聞いてほしい"

"我々はなにも、君を不幸にしたかったわけではない"

"我々なりに志を持って、正義に則って行ってきたことなのだ"


"虐げられてきた君には度し難い言い分かもしれないが、それでも言わせてくれ"

"これは、世界のための行いなんだ"

"より世界を発展させるための過程として、君はここで被験体になる役目を与えられた"

"君は選ばれた人間なんだよ。世界のために身を捧げるなんて、こんなに名誉なことはないはずだ"


監視室の通信機からは、エメリーの上擦った息遣いが。

エクリプスルームの通信機からは、レイニールの静かな説得が聞こえている。


レイニールの側に控えているラザフォード達は、驚いた様子で成り行きに目を見張っている。

だが、横から口を挟むことはない。


いずれにせよ、現在進行形でエメリーの命が脅かされている。

選択を間違えれば彼は即座に殺されてしまうだろうし、黙って見ていてもいずれは殺される運命にある。


ならば、リスクを承知で、一か八かの賭けに出るのみ。


レイニールの説得に耳を貸したゼロワンが、慈悲を以って殺戮行為を中断してくれるか。

もしくは、却って気分を害したゼロワンが、より酷いやり方でエメリーを手に掛けるか。


まさかこんな展開になるとは誰も予想しなかったが、今や早成隊の壊滅はレイニールの手腕に懸かっていた。



"だから、どうか慈悲を与えてくれないか"

"今更虫のいい話だとしても、彼も一人の人間に違いないんだ"

"彼が倒れれば悲しむ者がいるし、困る者だっている"


"それに、そんなことをしても君の苦しみが癒えるわけじゃない"

"後に残るのは、人を傷付けた虚しさだけだろう"


"これからは、我々も出来る限り君の意見を尊重する"

"今回のように強制しないし、君が苦しんだ分だけ償いもする"


"だから頼む。我々に贖罪のチャンスを与えてくれないか"


最後は一際力の入った声で、レイニールはそう言い切った。


すると、レイニールが口を閉ざすやいなや、真空のような静けさがエクリプスルームを包んだ。

まるで先程の阿鼻叫喚など無かったかのように、足音も衣擦れの音もしない。


額に冷や汗を滲ませたレイニールが、緊張のあまりごくりと生唾を飲み込む。

それはエメリーの方も同じで、あちらは身の毛もよだつ恐怖から唾液が枯れそうになっている。


この沈黙は果たして肯定か、否定か。

閉ざされた二つの箱の中では、たった一秒が永遠のように長く感じられた。


このまま何事もなく時が過ぎてくれればいい。

かつては人の命を紙切れ同然に扱っていたゴーシャークが、こんな風に祈りを共有することは二度とないだろう。




そして、レイニールの説得から一分が経過する前に、短かった静けさは打ち破られた。

誰の期待にもそぐわない、最悪の形で。






"だったら、償わせてあげるよ"


それは、低く掠れた響きだった。


返事のようにも独り言のようにも聞こえるその声が通信機に乗った直後、マジックミラーに激しい衝撃が加わった。


手榴弾でもぶち当てられたような、怒り狂った獣が突進してきたような。

残響すら鋭い一瞬の衝撃だ。


耐久性の高い強化ガラスでなければ、今の一撃で確実に砕かれていただろう。



レイニール達はとっさに声を上げたが、その驚きが思考に変換される前に、ある人物が監視室に入ってきた。

部屋の出入りが可能になったということは、アナウンスが流れるよりも一足早く緊急措置が解除されたということになる。


同時に、緊急措置が解除されたことは、電力が復旧されたことも意味していた。

間もなく光の戻ったエクリプスルームが、レイニール達の前に姿を現した。


"───ッッ!!!"


声にならない声を上げて腰を抜かしたのは、レイニールを含めて三人もいた。

何故なら、マジックミラーの向こうに広がっていた景色が、想像を遥かに越える地獄絵図だったから。



白塗りの空間は所狭しと血飛沫に濡れ、その中に散らばる複数の遺体は、全員"首なし"の状態にあった。


そう。殺害された早成隊の面々は、皆頭蓋骨を破壊されて殺されていたのだ。


こんな風に人骨が砕けることはまず有り得ないが、説明がつかなくても実際にそうなっている。

骨そのものを砕く意図があったというよりは、首から上が丸ごと叩き潰されたような残骸だ。



そして、たった今マジックミラーに激突してきた物の正体は、エメリーの頭だった。


ミラーのおよそ中心部に打ち付けられたエメリーの頭部は、固いガラスとの接触によりほぼ粉砕。

原形の留まっていない頭蓋骨の一部と、夥しい量の血痕だけが残る無残な姿と変わり果てていた。


無論、エメリーが自らガラスに突っ込んでくるはずもない。

赤い血飛沫の向こうには、犯人とおぼしき人の腕があった。


その腕の先を目で追っていくと、やがて犯人の面貌に辿り着いた。



ゼロワンだった。

エクリプスルームの方からはなにも見えないはずだが、彼女はマジックミラー越しに監視室を見据えていた。

黒塗りの向こうにいるレイニール達に見せ付けるように、血に濡れた掌をガラスに這わせていた。


その顔は、悪魔にも似た凶悪な笑みを携えていた。




"───ッ今すぐ鎮静措置を稼動させろ!!!"


一拍遅れて我に返ったレイニールが、甲高い声で誰にでもなくまくし立てる。


すると、腰を抜かしていなかったヴァーノンが、はっとした様子でエクリプスルームの調節装置に手を伸ばした。

カバーを外し、内部の赤いボタンを拳で叩くと、エクリプスルームの方で白いガスが充満し始めた。


このガスは強い鎮静剤と幻覚剤を混ぜたもので、万が一の事態に備えて開発されていた機能である。

もっとも、過去の実験は全てキオラが失神して終わっていたので、この措置が使用されたことは一度もない。



やがてガスが部屋一杯に満ちると、霞みに紛れた人影がゆっくりと床に倒れた。

どうやら、鎮静剤は問題なく効いてくれたようだった。


これであと数分待てば、ゼロワンの意識は完全に失われる。

数日に渡って目を覚まさなくなり、次起きた時には今日のことを忘れているだろう。

研究所側にとっては、当面の危機は回避されたというわけだ。



ゼロワンの気絶が確認されると、ガスのボタンを押したヴァーノンもずるずると腰を抜かした。


既に床に尻を着いているレイニール、ヘンドリック、ラザフォードは、まだ恐怖が消えないようで立ち上がることができない。

唯一立っているカラレスも、魂が抜けたようにぴくりとも動けずにいる。


全員、今起きていることが夢のようで、まだ現実として飲み込むことができないでいるのだ。



"まさか、こんなことになるなんて……"


頭を抱えたヴァーノンが、震える声でそう呟いた。

その言葉は、ここにいる全員の心境を代弁したものだった。


音声の様子から、早成隊の面々がなんらかの危機に晒されているだろうことは察しがついていた。

もしかしたら、覚醒したゼロワンに襲われているのかもしれないと、この場に居合わせる誰しもが同じ想像を頭に浮かべた。


だが、まさかあれほどの殺戮が行われていたとは、誰も思っていなかった。

殺されている可能性は考えても、あんな風に殺されているとは想定していなかったのだ。



恨まれて当然のことをしている自覚は全員にあった。

彼女には自分達を恨む権利があるし、自分達は彼女に恨まれても文句を言えない立場にある。

彼女を傷つけることに対しても、全く良心が咎めなかった者はいなかった。


人ならざる残忍さを秘めた彼らでも、自らの業から目を逸らすほど未熟ではなかったから。



けれど、今にしてみれば、それらの理解も所詮表層の範疇に過ぎなかったということだ。


自らの罪を認めるだけの知性はあれど、彼らに決定的に足りていなかったもの。


想像力。

彼女がどれほど自分達を恨み、憎んでいるか。

その根深さを推し量るだけの想像力が、彼らには備わっていなかった。


だからこそ、今回の騒動が"不測の事態"として発生してしまったのだ。


いくら記憶を改竄しているとはいえ、蓄積された怒りがいかほどの闇を内包しているのか。

その内訳を、ただの一度も探ろうとしてこなかったから。


もっと危機感を持っていれば、あぐらをかいていなければ、こんな不幸を呼び起こす結果にはならなかったものを。



しかし、これで彼女の恨みを軽んじる者は一人もいなくなった。


"もし立場が違っていたなら、今回殺されていたのは自分達だったかもしれない"

初めて直面した生命の危機に、レイニール達の自覚もより深まったことだろう。


それに、記憶を消しても安全とは言えない前例が、今回の騒動で確定してしまった。


恐らく彼女は、あの最中で失われた記憶を取り戻したのだ。

苦痛と恥辱を強いられてきた、かつての日々を。


故に、全てを壊し尽くすまで暴走は止まらなかった。

彼女の本能が、彼らを生かしてはおけないと判断したのだろう。



つまり、記憶を消しても、いつまた今回のように蓋が開いてしまうか分からない。

一度目が出来てしまった以上、二度目がないとは言い切れない。


となれば、彼女を使った生体実験も存続が難しくなってくる。

彼女という贄を失えば、薬の開発もいよいよ詰みになるだろう。


例え危険を冒してでも、必要不可欠なファクターとして実験を続けていくべきか。

それとも、実験の継続を断念し、遠回りでも安全なやり方を選ぶか。


現実味を帯びてきた計画頓挫の気配に、残されたレイニール達は今後の行く末を憂いだ。



そんな中、途中で部屋に入ってきたヴィクトールは、ただ一人澄んだ瞳でガラスの向こうを見詰めていた。







『She called out to him for help.』


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