Episode04:境界線
9月12日。出立の日。
もうじき10時を迎えるという時分に、ミリィはウルガノのいるゲストルームまで足を延ばした。
「────おはようレディ。入っても大丈夫そうかい?」
「ええ。どうぞ」
ミリィがドアを二回ノックすると、中からウルガノが返事をした。
「失礼しまーす」
ミリィが部屋の扉を開けると、ミリィの用意した服に袖を通したウルガノがベッドに腰掛けていた。
周囲に並べられた荷物からも分かるように、彼女は出立の準備をしていたようだ。
「おはようございます。作業の片手間で申し訳ないですが、どうぞこちらに」
ウルガノは残りの衣類をトランクに仕舞うと、ミリィに向かって微笑みかけた。
彼女が着用している服と、たった今トランクに納められた服は、全てミリィが贈ったものである。
ブラウンのレザージャケット、ベージュのカーゴパンツ。フード付きのインナー、ローヒールのワークブーツ。
どれもあまり女性らしさは感じられないチョイスだが、ウルガノ自身は機能性の高さを気に入ったらしい。
すっかり自分の衣装として着こなした姿は、凛々しい面立ちも相俟って、まさに兵士の雰囲気だった。
「忙しい時に悪いね。朝飯の準備が出来たからさ、呼びに来たんだ。
支度はまだ掛かりそうかい?」
「いえ、もう済みます。手持ちは少ないので」
トランクの蓋を閉めて鍵を掛けると、ウルガノは立ち上がって裾を正した。
そしてミリィと向き合い、足を揃えて場に直ると、軍人のように胸に手を当て頭を下げた。
「改めて、コールマンさん。今日までお世話になりました。
あなたに拾われていなければ、今頃私はどうなっていたか分からない」
「あー、いやいや。君に頭を下げられるのは何回目かな。
……顔を上げてくれよ、ウルガノ。オレは別に大したことはしてない。礼ならオレじゃなく、ここの家主殿に言ってやってくれ」
「もちろん、シャノンさんにも心から感謝しています。
……あなた方は、私の命の恩人です」
バシュレー家の別邸に滞在した、この一週間。
次々と明らかになった真相と、未だ謎に包まれたままの黒幕に、ウルガノは何度も背筋が凍る思いをした。
ミリィやトーリが最初に体験した、あの感覚と同じ。
自分の知らない世界で、なにか恐ろしいことが推し進められている気配。
その渦に、自分も巻き込まれかけていたという事実。
あの時、船上で僅かでも判断を誤っていたら。
過ぎた今となっても信じがたいことであるし、想像するだけで背筋がぞっとしてしまう。
常人であれば、二度とこんな厄介事に首を突っ込みたくないと忌避して然るべきだろう。
けれどウルガノはそうじゃなかった。
「コールマンさん。今度はこちらからお願いします。
私を、あなた方の傘下に加えて下さい」
「………いいのか?こっちから発破かけといてなんだが、身の安全は保証してやれない。
オレ達だって、今後なにがどうなるか分からないんだ。こじ開けようとしてるのはパンドラの箱かもしれない。
恩人の頼みだからとか、責任を感じて仕方なくってんなら、やっぱり遠慮する」
「全て承知しています。
あなたに言われたから、しぶしぶそうするのではありません。これは私の意思です」
"中途半端に踏み込んで、みすみす放っておきたくない"
そう断言したウルガノの眼差しに、もはや迷いは一切なかった。
仮にも被害者である彼女が、こうも熱心に協力を申し出る訳は、薄々見当が付いたからだった。
ミリィ達の追っているものの正体。
自分達の足元で這いずり回っている、化け物の中身に。
故にこそウルガノは、叶うならばこの手で終止符を打ちたいと思った。
放置すれば、また自分のような目に遭う人が出るかもしれない。
元凶を突き止めて叩く以外に活路がないなら、気付いた人間が、自分達がやるべきだと。
「───そうか。ありがとう。君がいてくれるなら百人力だ」
ウルガノの揺るがない決意を見て、ミリィは安堵したように笑った。
「今日からオレ達は、志を共にした仲間。
歓迎するよ、ウルガノ。君の覚悟、絶対に無駄にしないから」
固く握手を交わす二人。
これで契約は完了した。
ミリィにとって、ウルガノは三人目の仲間となった。
同時にウルガノはこの日初めて、傭兵と雇い主という繋がりではなく、対等な仲間として共に歩む存在を得た。
「こちらこそ、よろしくお願いします。コールマンさん」
これより向かう先は、道程が如何程であるかすら確定していない。
勝算がなければ報酬もない。果てには名誉や栄光とはかけ離れた結末が待ち受けているかもしれない。
それでも。
たとえ己の全てを投げ売ってでも、立ち向かわなくてはならない何かが、そこにある気がするから。
拾ってもらったこの命。
自由の利く限り、今からは彼のために使いたい。
そしてそれが、最後には世のため人のために繋がっていると信じたい。
深刻そうな顔で思い耽るウルガノに、ミリィは明るい声で返した。
「オレのことはミリィでいいよ」
**
正午。
いよいよ出立の時を迎えたミリィ一行は、各々荷物を纏めて屋敷を出た。
「行くわ。世話になったな」
「どういたしまして。また何かあれば、遠慮なく相談してくれ。
ミリィも、お友達の皆さんもね」
ミリィとシャノンが庭先で軽い抱擁を交わすと、ミリィの背後で他三人が順に頭を下げた。
「……どうも。厄介になりました」
「お世話になりました。落ち着いたら改めてご挨拶に伺わせて下さい」
「あんたの作った飯、どれも美味かったぞ」
最後まで素っ気ない態度のトーリ、礼儀正しく穏やかなウルガノ、天然炸裂で子供みたいなことを言うヴァン。
にこやかな後者と比べるとトーリはやや浮かない表情だが、そこは先日のシャノンとの一件が尾を引いているせいだったりする。
「あはは、ありがとう。またいつでも食べにおいで」
三人に平等な笑みで応えるシャノンの心中はというと、せっかく仲良くなれたのにもうお別れなんて、と少しの寂しさを覚えていた。
しかし、これが今生の別れというわけではない。
トーリ達も含め、近々また会う予定が控えているのである。
「次に会うのは二月後、だな。
めかしこんで会いに行くから、楽しみに待ってな」
「うん。楽しみにしてる。それと────」
明るい調子でミリィがシャノンの肩を叩くと、シャノンはぐっと顔を寄せてミリィの耳元で囁いた。
「まだ返事をもらってない人もいるけど、どうにか全員集めてみせるから。
それまで、あんまり目立ったことしちゃ駄目だよ」
「わかってる。後頼んだ」
二人の言う二月後に控えた予定というのは、シャノンがプリムローズの主席に就任して一周年を迎えた記念に執り行われる祝賀パーティーのことである。
その日は併せてシャノンの誕生日でもあるため、全国の主席が一堂に会する可能性のある、滅多にない機会なのだ。
となれば、この好機を利用しない手はない。
銘々の玉座に御座す者達が、どこでどう繋がっているのか。
当件に誰が関与しているのか、裏で手引きしている主犯格は何者か。
それを探るためにも、今度のパーティーはお誂え向きの舞台と言っていい。
当日にはミリィの兄も参加する予定なので、兄弟が久しく顔を合わせることにもなる。
微かに波乱の予感。
恐らくは、ただ祝うだけで済むパーティーにはならないだろう。
「それじゃあ、二月後に。
くれぐれも、その辺に落ちてるパンとか拾い食いしちゃいけないよ」
「オッケー気を付ける~」
名残惜しくも歩き出したミリィ達は、気持ちを新たにプリムローズの街へと繰り出した。
シャノンは大きく手を振って、ミリィ達の背中が見えなくなるまで見送った。
**
「───次に向かうのはクロカワ、だよね?
名前は一応知ってるけど、実際に行ったことはないな」
歩道を渡りながらトーリは尋ねた。
ミリィは自分のスマホで関連サイトを調べながら答えた。
「実はオレもないんだよねー。ずっと気にはなってたとこなんだけど」
「どのへんが?」
「首都のキングスコートに次いで、クロカワはプリムローズと肩を並べる人気の観光地なんだよ。
オレ結構エスニックなのとか弱いからさ、いつか観光で行きたいと思ってたんだ~」
「また呑気な……」
次に一行が目指すのは、フィグリムニクス下方部に位置する異色の州、クロカワ。
初代主席・黒川貴彦の姓から取って名付けられた、日本文化をこよなく愛する街だ。
"そっちの頭目さんには話を付けておいたから、ボクの紹介ってことで繋いでもらうといいよ"。
シャノンの話によると、クロカワには腕利きのハッカーが住んでいるとのこと。
その人物に会うため、クロカワが次の目的地となったのである。
今の時世、インターネットを中心に世界は回っていると言っても過言じゃない社会になってきた。
調査に割く時間を短縮するためにも、一度はその方面に明るい人物を当たる必要があるということだ。
行方不明扱いだったウルガノと違い、今度の対象はきっちり所在も割れている。
クロカワの現主席である黒川三世にも、既にシャノンの方からアポイントを取ってもらっている。
とどのつまり、後はミリィ達の手腕次第なのだ。
本人と直接交渉をして、こちらを信用してもらえるように取り計らえるかが課題となる。
「ウルは大丈夫か?見覚えのある顔、そのへんにいるか?」
「今のところは。
まだ油断はできませんが……、この様子だと、もうプリムローズには残っていないんじゃないでしょうか」
ウルガノを拐かした残党が辺りにいないか警戒しつつ、ミリィとウルガノは俯きがちに会話した。
「そうだな……。
まあ万一鉢合わせたとしても、うちの守護天使がササッと蹴散らしてくれるさ。
なあヴァン!」
一人黙々と前を行くヴァンに、ミリィは後ろから声をかけた。
ヴァンは一度は振り返ったものの、ミリィの隣にいるウルガノと目が合うなり、また直ぐに前を向いてしまった。
そんなヴァンの挙動を見て、ウルガノは居たたまれなさそうに肩を落とした。
「あの、ミリィ。
もしかして私は、彼に嫌われてしまったのでしょうか。ずっと避けられているような……」
「あー、気にしなくていいよ。あいつ見かけの割にシャイみたいだから。
若い女の子とどう接していいか分かんないだけだよ、多分」
別邸で過ごしていた間も、ヴァンはウルガノに対してのみ、ずっと余所余所しい態度だった。
なにか気に障ることをしてしまったかとウルガノも気にしていたのだが、実際のところはミリィの予想通り。
ヴァンは彼女とどう接していいか分からず、距離感に困っているだけなのである。
なにぶん、こうして若い女性と関わる機会など殆どなかったものだから。
コミュニケーションを取ろうにも、最初のアプローチがブレーキとなって迂闊に近寄れないのだ。
「本当にそうなんでしょうか……。
同じ戦力として、今後どう御二人を守っていくか相談しておきたいのですが……」
「ダイジョーブダイジョーブ問題ないって。今はまだギクシャクしても、そのうち普通に話せるようになるからさ。
だからそれまでは、君がしっかりオレの側に付いていてね!」
「勿論です!」
早くも打ち解けた様子で、睦まじい雰囲気を見せるミリィとウルガノ。
足並みを合わせて歩く二人は、一見すると姉弟のようでもある。
そんな中、つまらなそうな顔でミリィ達の二歩後ろを歩く男が一人。
「(僕もいるんだけど)」
トーリの心の声を察したのか、先頭を歩いていたヴァンはゆっくりと歩調を落とし、なにも言わずにトーリに寄り添っていった。




